ホットライン (特別寄稿;2000年8月)


<わが人生のウオーキング>

安井 孝成

わたしの半人生は「病気と怪我のオンパレード」でもありました。20才代には、椎間板ヘルニア、脊椎分離症を患い2度の手術をして通算5ヶ月間欠勤しました。手術のあとを大事にするが故に無理のできない身体になっていきました。さらに追い討ちをかけるようにバイクの転倒事故で6ヶ月の重症という散々の目に遭遇しました。慢性化した腰痛のうえにこの事故で右肩を脱臼手術。本来、身体を動かすことが好きだった私だけに苛立ちが募るばかりでした。運動不足とストレスが原因となってか相前後して十二指腸潰瘍や限局性腹膜炎を併発して通算5ヶ月も欠勤してしまいます。すっかり外科的・内科的な病人になっていました。

 このとき出会ったのがソフトボールです。時に35歳でした。投手をすることで右肩の回転や上げ下ろしができるようになり、打撃や守備を通じて背筋、腹筋が強化されて腰への負担は和らいでいきました。もちろん、ソフトボール中はコルセットで腰部を必ず補強して臨みました。

地域社会の自冶会で組織したソフトボール協会に登録。年間を通じて40〜50試合に出場できるまでになりました。そして“ラッキーサンデー”と化していきました。無心になって汗を流すことは、私にとっては格好のストレス解消の場にもなりました。

以来、ゴルフクラブはずっとお蔵入りのままです。忘れかけていた“汗の快感”が甦ってきました。そこには青春がありました。友情がわいてきました。スポーツの場でしかできない絆ができて健康も取り戻すことができました。だからソフトボールを24年間も続けられているのでしょう。

ところが40歳台後半にもなると若い人たちと一緒に激しい運動についていけなくなってきました。あわせるように怪我が多くなりました。拾い上げただけでも左右のふくらはぎ肉離れ(2年おき/全治2ヶ月)、大腿部横筋膜断裂(全治2ヶ月)、右膝半月板損傷(全治1ヶ月)さらに決定的なダメージとなった昨年夏の左膝半月板損傷。中途半端な治療でケアに失敗して1年半経過するも完全回復せずいまなおリハビリ中です。

内科主治医からは激しい運動を控えるようにと注意され、整体医学の主治医からも運動を制限されたときに勧められたのが『ウオーキング』でした。それからは日曜日はソフトボール。土曜日はそれまでのジョギングをウオーキングに切り替え。「月〜金は1万歩を目標にした通勤ウオーキング」が私の1週間のメニューとなりました。

土曜ウオーキングも通勤ウオーキングにも必ず「メモとペン」を携えています。適度な刺激が良いのか、ウオーキング中はアイデアが出てきます。忘れないうちに記録しておくことは大変有効です。

マンダム本社ビルの竣工以来7年間、通勤では地下鉄1駅の往復を歩きつづけてきました。それまで右肩上がりの体重や体脂肪が4年目から下げ止まりとなり、経済不況にあわせるように3年前から右肩下がりの傾向を示すようになりました。

 いま、流行のくすりや機材によるダイエットよりもウオーキングの成果がすばらしいことは様々な医学的データーで証明されています。たとえば足には大腿部を含めて全身の筋肉の3分の2が集まっており、足を動かすことでこれらの筋肉が伸縮して古い血液を心臓に押し戻すポンプの役割を果たしております。連続して20分も歩くと足の指が温かくなってくるのは心臓と足の動きから体内に血液が良く流れるようになり、細胞が求めている栄養素や酸素が行き渡り、細胞が活性化し肌が若さを取り戻していくからです。脳にも新鮮な血液が流れて脳を活性化してくれるわけです。

『ウオーキングは最高ですか?』  『最高〜ですヨ。』

わたしは、多くの怪我や病気に遭遇することで健康の大切さを教えられました。回り道をしながらも今、“ウオーキングのすばらしさ”を実感することができるようになりました。

「自立の会・大阪」の仲間たちが率先して生活の中に「歩くこと」を取り入れる普及活動を心がけながらみずからも健康な人生を楽しまれますよう心からご健闘をお祈り申し上げます。

 

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更新日; 00/08/29 08:46