なな幼稚園・学童

五歳になっても発音は不明瞭で、二語文も作れたり作れなかったり・・・遅々として発達が進まないのに いらだちはしましたが、リハビリの先生から、『結果をすぐに求めないでください。一ヶ月先、一年先に出来なかったことが出来るようになる事が、この子にとって大事なことなんですから・・・』と言われ、その言葉を頼りに日々を過ごしてきました。今は出来なくても何ヶ月か先、それが出来たら良しとしよう!そう思って過ごしました。

年長組では、すべてが個性として捕らえられ、身体的に、筋力が少し弱いだけなので、問題ない。として、小学校に入学しました。

しかし、身体的に、ふらつきがあるのは事実で、診察を受けるも新しい発見はなく、現状のままで。とのことで過ごしました。

小学校二年生になりました。こちらでは近くの整形病院で診てもらうと、東京の国立子供病院で診てもらうように勧められましたが、子供病院でも異常は見られませんでした。ふらつきも相変わらずでしたし、言葉の遅れも顕著になるに連れ、このままで良いのだろうか・・・とも思いましたが、「どこも悪くはない」というところから、現状のまま普通学級にいました。

小学校五年生になりました。発達検査を受け、症状的なところから、障害児学級へ入ることを勧められ、入学しました。同時に 病院でも検査を受けましたが、やはり異常は見られませんでした。ただ、徐々にですが、ふらふら感が強くなり、静止出来ていた時間も短縮され、付随運動も随時見られるようになり、原因はわからないまでも「アテトーゼ症候群」の症状であることだけはわかったのです。

今まで何もわからなかったことが、症状だけでもわかった事は、大きな進歩でもありましたが、同時に、症状の悪化でもあるということが現実でもありました。何もわからないままの十数年間から、「アテトーゼ」という症状を持った子供になり、出来ていたことが少しずつ困難になっていることも現実のようです。

しかし、成長するに連れ、子供自身が自己を持ち、何かをしたいという要求を強く持つようになり、このまま、中学校に行ってみたい。みんながすることを見てみたいと願う姿に、私たちだけではその願いを叶えてやれないのも事実だと直面してしまいました。たくさんの皆さんにお世話になり、たくさんの皆さんに支えていただくこと。その事によってのみ、中学へ通えるのだと思います。

中学校に行くことは、本人の強い願いであり、行ってたくさんの事を見たいと 願い、叶えてきたことは、正直言って驚きでもあります。こんなにも出来ることがある。こんなにもがんばれることがある。それは、本人の願いそのものから来ている頑張りだと思います。その頑張りをたくさん現実のものとして、叶えてやりたいと思います。中学生活はまだ始まったばかりで、たくさんのお世話にこれからもなると思います。(確信していますが)よろしくお願いします。

なな