香港マカオ 
                                             (ペニンシュラホテルのライトアップ)


2003年2月10日
     AM9:00 関西国際空港
   空港内のミズホ銀行にて旅立つ前に香港ドルに換金。
   レートは1HKドル=17.78円 ハッキリ言って、換金率は悪い。これから行く人は、現地に着いてから両替しよう。
   
  

  AM10:50 全日空 175便 香港行きに搭乗
   久しぶりの空の旅に少々興奮気味。

  PM02:05 香港国際空港 到着
   税関にて入国審査を受ける時に香港税関職員がダミアンの顔を、何度も何度もパスポートの顔と
   見比べて、なんやら末端のPCにてパスポート番号らしき物を入力して検索しているようだ。
   我輩は訳あって少々顔が怪しいのだ(笑)
  
   これをきっかけに税関職員と我輩との沈黙の戦いがはじまるのである。
   ちなみに日本での税関は全くモーマンタイである。

   無事に入国をすませ、現地人「キャリー・オー」(中国人)と落ち合う。
                           キャリーに今回の説明を受けすぐにマカオへと向かうのであった

  PM04:00
   香港島のビクトリア港より、ターボジェット(噴射 飛航と書く)でマカオへ。
   入船前の出国審査・・・・やはり税関職員は我輩の顔を見ては写真を見る。
   ここでも静かな戦いは行われた。(笑)
   
   そんなこんなで、船に乗り込んだが、この高速船が停泊中にユレル・ユレル。
   そして出航したが、停泊中の揺れにやられたらしく、我が連れ添いは船内にて
   多少死んでいた。
   海上を飛ばすこと約1時間、マカオフェリーターミナルに入港。
   
   そして入国である、しかしここでも静かな戦いが・・・・すでに疲れた。

                          PM05:00 マカオ
                           そしてシュウさん(中国人)と落ち合い、市内にて飲料水などを購入。
                           なんせ、ホテルの水はやたら高いらしい。


   






 その後、マカオでの宿「マンダリンオリエンタル・マカオ」に案内してもらう。
 繁華街からはやや離れた、静かな環境にある格式高いホテルらしい。

 チェックインをすませ、まず夕食に出向く。
 ポルトガル料理を堪能させてもらったが、はっきり言って・・・・・マズイ。

   
   
 夕食後、マカオでは有名なリズボアホテルのカジノへと向かう。
   
 外観はホテルと一体になっているが、いかにもって感じの電飾バリバリであった
 ホテル内ロビーはカジノで儲けたオーナーのコレクションが数多く展示されており、
 かなりの儲けぶりをアピールしていた。その分涙を飲んだ人も多いだろう。

 カジノ入り口は空港みたいな金属探知機があり、そこを通過する、
 もちろんカバンの中は警備員がチェック。
 
 中に入ると、そこはギャンブラー天国、スロット・ポーカー・ルーレット・バカラ
 などなどがズラズラ。

 

   タバコの煙と歓声・ため息が渦巻いている。   
   中には一回の掛金が最低一万円とゆうテーブルもあるが、だいだい500円前後が普通である。
   安く遊べるのは、やはりスロットである。

   我輩も初心者らしくスロットにした。が、結果は4000円ほど寄付をしてきた。
   出るはずがない、「そら儲かるわと」悪態をつきながら、リスボアを後にする。

   夜景を少し堪能した後、ホテルに戻り、その後就寝。

2003年2月11日
  この日はマカオ観光である。
  香港・マカオは旧正月がメインであり今年は2月1日から三ヶ日であるが二週間ほどは正月飾りがそのまま残るらしい。
  我輩らが行った時も正月飾りがまだ残っていた為、ポルトガル風情に中国的な正月飾りがミスマッチだと思った。
  しかし異国情緒は堪能できた。

  観光は朝から始まった。

 
  セナド広場
   広場の地面には波のようなデザインのモザイクが敷き詰められ、広場に面してパステルカラーのコロニアル風の建物が並び、
   エキゾチックな雰囲気。それらの建物は郵便局、電話局、観光局、レストラン、ホテルなで、いつも人通りが多く賑やかだ。
   広場にはアーミラリ天球儀をかたどった噴水があり、シンボルになっている。 マカオの町歩きはここを起点にする。
   我輩らが旅行した時は旧正月明けなので飾りつけが施されている。
   この時期にしか見ることが出来ないセナド広場の姿である。


  
  セント・ポール大聖堂
   建設当時、東洋一のキリスト教建築物と称された
   17世紀の大教会の遺講。

   1835年の大火で殆どが焼け落ち、
   現在も残る建物正面がかつての壮麗な姿を今に伝えている。
   壁には聖母マリアなどの彫像が彫られている。

 

 

 

 

  モンテの砦・ギア灯台・ペンニャ教会などなど訪れた。残念ながらマカオGP博物館は休館の為、見学できず。
 
 

  マコウミュウとゆう寺院ではマカオが中国であるとゆうことが、よーく分かった(笑)
   それは、爆竹だ、半端じゃない・・・・
   まずお祈りをして、んでもって点火・・・・・日本の爆竹が可愛すぎるぐらいに強烈な数と音。
   
   昼食はマカオ料理であった。
   出て来た料理は普通の料理であったが、前日のポルトガル料理が今一だっただけに、多少美味しく感じてしまった。
   
   マカオに訪れると食べて欲しい物が一つある。それは『エッグタルト』である。
    これは美味い。ハッキリ言って美味い。何度でも書く、美味い。
    シュウさん曰く、人が多い日には案内しない、店に連れていってくれた。
    ここのタルトが最高に美味い。 その店の名は、忘れてた・・・・・・(^_^;) だが美味い。
  
   その後、高級貴金属店に向かう。
    そこでビルマヒスイを購入、安いといっても、元値が高いから驚くほど安くは無い。

   マカオとゆうところは、観光地が多いがはっきり言ってたいしたことはない。

   マカオとゆうところは、原チャリが驚くほど多い、しかしチャリンコは全くといっていいほど見かけない。
                ほんとーーーーに、たまに見かけるが、そのチャリに乗ってるのは100%と言っていいほど、
                中国本土からの移民者らしい。

   マカオとゆうところは、ほとんどの車が日本車である、それも古い車から最新車種までなんでもある。
                しかも本格的な改造車が多数走っている。これはマカオGPの影響であろう。
                高級車のメインは日本と同じで、ベンツやBMWである。車だけ見てると日本である。

   マカオとゆうところは、パタカとゆう通貨がある。
                これは困った事にマカオでしか使えない。香港ですら使えない。
                ましてや日本での両替なんてとうてい不可能、あまれば記念品にするしかない。

マカオのおまけ。
  ペンニャ教会の前で売っていたマカオの絵葉書セットの葉書の裏面に書かれた日本語による
  説明が間違っている文章を紹介する。少し見にくいかもしれないが、ごかんべんを。

  
 その1
  文章3行目
  「カジノは多くのホレコン人たすに魅力的なものと・・」
   
  ホレコン?? ホレコンって、ホンコンでしょ。
  人たす??  たしてどうする。人たちでしょ。

  5行目
  「そのおカーげでマカオ政府はギャンブル・・・」
  
  おカーげで?? よくあることだが、ひらがなとカタカナの
  ミックスによる表現がおおい (笑)

 

 


 
 その2
  文章1行目
   「高よ21×−トル、ポルメがハの」
  
   他にも多数、間違いだらけの説明文
   読んでみてください。
 
   なんとなく意味はわかるけどヒドイ。












 その3
  文章2行目
   「その中の一フです」

    一フって・・・「つ」がカタカナの「フ」になってる
           確かに似てるが日本人が見ると
           あきらかに違うやん。

 いいかげんでなかなか面白い。

 

 

 



PM2:00
    香港に戻る為にフェリーターミナルに向かう。
    恒例の出国審査である、いつものように税関職員との無言の戦いである。
    戦い終えて、PM2:30出航。
    
   PM3:30 香港着
    恒例の・・・・・・もういい。
    
    キャリーに再会、宿泊先の日航香港に案内されチェックイン。
    この日の夕食は考えていなかったので、キャリーに美味しい四川料理の店を予約してもらった。
    
    予約時間まで時間があったので、香港の九龍サイドのメインストリート、ネイザンロードまで散歩。
    ホテルから約10分ほど歩くとネイザンロードに到着。感動である、そこはまさに香港。
    雑踏と喧騒、突き出た看板、ネオン。テレビで見る風景そのまま香港であった。
    
    香港も車が殆ど日本車であった、特徴的なのはバス、全部二階建てバスである。
    しかも驚くほど走りまわっている、さらに飛ばしている。二階建てバスのコンボイが見れる。
    
    香港は車が優先である、人ではない、車である。だから人々は道路の横断に細心の注意をはらっている。
    そして、ドライバーは荒い、バスも荒い。 バイク、チャリンコは殆ど無い。
    人々はバス、地下鉄を多用する。
    
   PM6:00 四川樓
    予約の時間が来た。
    四川料理のコースである、マーボ豆腐、エビチリ、坦坦麺、などなど7〜8品出てきた。
    しかもどれもこれも皿からこぼれんばかりの大盛である。
    勿論、味は良かった。お一人様3000円は安いと思った、ビールは日本よりかなり高い。
    
    夕食後、レストラン近くのショッピングモールを散策。
    怪しげな男たちがアチコチにいる、我輩がその前を通りすぎようとすると、
    彼らは「コピー、安い安い」と日本語で話しかけながら、腕時計を見せてくる。
    これらの販売では日本人とのトラブルが多発しているらしく、ついて行くのは厳禁である。
    と、ケリーも言っていた。
    
   PM10:00 セブンイレブン
    やはりホテルの飲料水は高いので、コンビニで購入。
    日本の物が流行っているのか、文字は現地語だが、製品は殆ど日本の物であった。
    日本で購入するより少し高めである。水は安い地元のを選択した。

  ホテルはオーシャンビューの部屋を予約してあった。
  
  部屋に入り壁一面のカーテンを開けると
  ガラスいっぱいに香港の夜景が飛び込んでくる。

  オーシャンビューにして良かったと思った。

  部屋の明かりを消すと、左の写真のような光景になる。

  






2003年2月12日
                                  終日市内観光であった、ハッキリ言って香港はバスで廻って見学するような場所はあまりない。
                                  あえてあげるなら、ジャッキーチェンの家やビクトリアピークぐらいだ。

 すこし紹介するなら
 
 香港島サイドの「文武廟 (マンモウミュウ」
 香港最古の道教寺院。
 
 文昌帝と関羽が祭られている。

 写真の渦巻状の物は線香であり、燃え尽きるまでに
 三週間もかかるらしい。
 
 中心の赤い短冊に願い事を書き込み、線香にぶら下げ
 お祈りをするらしい。


 
 

 香港島にあるレパルスベイにたってる
 レパルスベイマンション。
 
 風水がかなり信仰されているらしく、
 マンションの建てられるこの位置が、龍の通り道にあたるらしく
 わざわざマンションに空間を空けて建設されたらしい。

 

 


 

 この日はビクトリアピークには午前と両方連れて行かれた。
 昼間はよかったが、暖かい香港とはいえ、夜はものすごく寒かった。
    
 昼は飲茶だった、地元でも有名な店らしく、
 超満員の店だ、料理はさすがに美味かった。
    
 その後シルク専門店に案内される、商売熱心な店員にかこまれ、
 かなりの点数を買い込んだ。
    
 そして免税店に足を運ぶ。
 
 その途中、我輩たちのバスと市バス?が接触事故を起こす。
 対したことは無かったがひやりとしたのは事実だ。
    

    免税店はあまり面白くなかったので、我輩達は案内人・ケリー御用達!のバッタ屋を紹介してもらった。
    その店は日本人だけではとても分かりづらいし、行くにはチョット危険を感じるような場所であった。
    大通りから横にそれた道に入り、薄汚いビルに入る。そしてなんとも旧式なエレベーターに乗り込む。
    何も書かれてないマンションの一室のインターフォンを押す。
    
    中に入ると、あるわあるわバッタがピョンピョン、色んな種類が。
    購入したかどうかは別として、驚くべき生産能力である。

    入るときには気付かなかったが、マンションのドアには頑丈そうな鍵が取り付けられてあった。

    その日の行動を終えた我々は滞在先へと戻る、そしてマッサージ師を呼び、疲れを癒す。
    そうである、足ツボマッサージだ。これが痛いと気持ちいいの両方、1時間ほど堪能した。


2000年2月13日
 この日は我輩達だけで九龍を楽しむことにした。
 ネイザンロードの南の端からドンドン北上し地下鉄の駅
 4つ分程歩いた。
    
 金魚街(ゴールドフィッシュストリート)
  金魚や熱帯魚を扱う問屋街みたいなストリートである。
  日本では考えられない販売方法をしている。
  特に熱帯魚の扱いには驚いた、ごくごく普通の
  ビニール袋に熱帯魚を入れ、その袋を店の壁一面に
  ぶら下げるのである。
  とても窮屈そうな魚達を見ていると気の毒で
  仕方なかったが、色んな店を見て廻った。
  価格は日本とさほど変わりはなかった。


  昼になったのでご飯を食べようと、何気に入った店ではあったが、店員の制服が日本の和食料理屋を感じさせる制服を着ていた。
  あやしい。 メニューも日本語が書かれてあった。 しかも空いていた。やっぱりマズイ・・・・・・。 
  後悔先に立たずとゆうが、周りの店には沢山の客があふれていたが、その店には客があまりいなかった。
  現地の人間が買い物にくるような場所で、昼時に客があまり入ってないような店が美味しいはずがないよなぁ。
 
   
  女人街(トンチョイストリート)
    金魚街を少々南下した場所で露店とゆうかテントとゆうか、
    日本でゆう夜店みたいな雰囲気で店がズラズラーッと並んでいる。

  売ってる物は、セクシー下着、洋服、チャイナドレス、
  コピー製品(カバン、時計、財布などなど)
  その他雑貨が多数。昼過ぎからボチボチ開店する店が多く、
  観光客もワンサと押しかけてくる。

  いつスリあってもおかしくない状況である。
  商品は比較的に安いが、さらに値切ることも可能である。




    
 スニーカー街(ファーユエンストリート)
  ここは女人街の一本東の通り。名前からも分かるように、靴屋が多い。まあ興味がなければたいしたことない。
   
 男人街(テンプルストリート)
  衣料品や雑貨の露店から、海鮮料理の屋台まで並ぶ香港最大のナイトマーケット。
  露店が並び始めるのは夕方  六時頃から。CDやビデオ、本などコピー商品の天国!? 
  しかし、時間の都合上、行く時間がチョット早かったためほとんど開店してなかった。残念。
    
   さんざん歩き回り疲れたので一度ホテルに戻り休憩。

   
   夜になり、二階建てバス(屋根なし)に乗り香港のネオン街を走る。
   屋根なし二階建てバスは観光専用で夜にしか見ることが出来ない。
   よく日本の芸能人が香港に行ってバスに乗り、
   ギャーギャーゆってるあれである。

   我輩達も御託に洩れず参加した。
   確かに面白いが、普通に走っている二階建てバス(屋根つき)でも、
   一番前に座れば同じような体験が出来る。
   

 


 その後、
 二階建てバス(屋根なし)のままディナークルーズへと向かう。
 港までに長い長いトンネルがあったがそのまま突入、
 案の定排気ガスが臭かった。

 ディナークルーズは洋風料理から日本料理、
 中華までなんでもあった。
 一通り腹いっぱい食べて甲板に上がる。

 両岸にいわゆる100万ドルの夜景が広がり、
 ビクトリアピークから見るより 綺麗に見える。
   
 勿論、帰りも二階建てバス(屋根なし)だが、さすがに寒いので、
 みんな二階に上がらず1階にいた(笑)
   

 

 

 


2003年2月14日
  最終日である、帰りの飛行機が15:05だったので12時にはホテルを出なければならない。
  残り時間を惜しむかのように早朝より町に出た。
  地元のチープな買い物がしたくて近所のスーパーによる。
  そこで亀ゼリー、XOジャン、エビ入り乾麺などを買う。まだ時間があったので免税店に直行。
  帰りには旅行カバンが一個増えていた。

  香港国際空港で最後の戦い(出国審査)をすませ、無事に日本に帰国した。


 香港とゆうところは、
  貿易が盛んな国であり、世界中の物が集まりなんでもあるが、
  物価は大して安くない。
  一般市民が買い物をするような市場に行けば安いが、
  基本的には観光客を目当てにした商売が多く、
  やはりお金がないと楽しめない街である。

 

 




 香港とゆうところは、
  近代的なビルが多く立ち並び、
  狭い町に高層ビルをドンドン建設中、
  しょっちゅう地図が変わるであろう。

  しかし一般の人が住むマンションは古い物が多く
  マンション下の道路から見上げると、クーラーの室外機が
  落ちてくるのではないかと心配になるほどである。

 香港とゆうところは、
  警察官の姿を異常によく見かける。
  密入国者に対して常に目を光らせてるらしい。

 


何処の国に行ってもそうだとは思うが、香港ははっきり言ってお金がないと面白くない国である。

観光地と呼べる所はは殆ど無い、しかし世界中のあらゆる物がある。
美味しい食事がある。お茶も美味しい。ブランド物も本物、偽物と沢山ある。

軽犯罪(スリなど)が多いとゆうが、こちらが注意していれば充分防げる。

なんか分からないが不思議な魅力を持った都市である。 
香港は面白い!

お勧めは、ツアーなどに参加せず、ガイドブックを片手に自分の足でアチコチ歩き廻わってほしい。

追伸・・・我輩らが香港から帰国後、数日後にSARSとやらが香港で猛威を振るいはじめた、
     あの騒ぎが人為的なものなら我輩らわ運がよかった。