住職のひとりごと(2002年〜)

2005年09月19日

祖父の五十回忌

 先日は私の祖父の五十回忌の命日でした。
  
 今年は父の十三回忌でもあるので、親戚に案内しての法要は父の命日の12月に合わせて勤めることとし、今回の祖父の命日は私と弟の家族、お手継ぎ(私の寺で導師をしていただくお寺)の住職だけで、静かに勤めました。
  

 44歳の私は直接には祖父を知りません。
  
 しかし、僧侶という立場から、ご門徒や近隣の住職などには「こんな人だったよ」と教えていただく機会は多くあります。「胃腸が弱かったので、薬を飲みながら読経をしていた」といった話をよく聞きます。  
  
 また、寺の過去帳などにより、祖父の書いた字を目にすることもあります。なかなか読めないほどの「悪字」で、父や私も受け継いでいる「習字はとても苦手」というDNAを強く感じます。
  

 じつは私はこの会ったことのない祖父に、強い親近感を持っています。  
 それは父が聞かせてくれた私自身の名前の由来によるものです。
  
「だめたけ」というのはもちろんハンドルネームですが、私の名前には「岳(たけ)」という字が入っています。これは、曽祖父が祖父につけようとした名前に「山」という字が入っていたことにあやかったためということです。

 実際は届出の手違いから、祖父の俗名(戸籍上の名前)も法名(僧侶の名前)も違う名前ですが、父は祖父の「本当の名前」には「山」が入っていると考えていたようです。
  

 私が生まれたとき、父は「山」より大きな「岳」という字を私につけました。
 祖父にあやかり、超える存在ともなることを期待してつけられた私の名前には、父の祖父に対する思いがあり、私への願いがあります。  
  
 父だけでなく、会ったことのない祖父、さらに先人からつながる願いにふれ、今を生きている自分を見つめなおす・・ 
 五十回忌はそのような機会にしたいと思います。
  

 12月にあらためて勤める法要では、伯母をはじめ親戚や先輩僧侶のみなさんなどに祖父のことをもっと聞かせて欲しいと思っています。   
 そこには「祖父とのまた新しい出会いがあるのでは」と期待しています。

 戦前、戦中、戦後という激動の時代に住職を務めた祖父・・ 
「今だからこそ」そんな先人の悩みと願いにもっと触れたいと思います。



2004年08月02日

腹痛日記

 きれいな話じゃなくてすみません。お食事中の方(?)は、読み飛ばしてください。
  
 毎年書いていますが、夏はほんとに苦手なだめたけです。特に今年は、知的障害者授産施設の勤務でもうヘロヘロ。除草や清掃、リサイクル作業など、毎日が屋外や冷房のない場所での作業なので、猛暑はとても堪えます。   
  
 

7月31日(土)
   
 6時出発で大阪府豊中市へ。台風の強風の中、往復200キロ以上のドライブです。
 前日までの勤務先での疲れを引きずったままの運転はかなりきつかった。
  
 昼前には帰宅して、当番のご門徒と本堂の準備。そして聞法会。この時点で、めまいをおぼえました。
  
 夜は部屋でゴロゴロしていましたが、11時ごろからお腹もゴロゴロ。  
 疲れを溜めると、すぐにお腹の調子が悪くなるだめたけです。
  

8月1日(日)
  
 朝からトイレ通い。かなりきつい。状況最悪。
  
 でも、朝から待っておられるご門徒があるので、薬を飲んでお参り。
 ここでは、あまり痛みは襲ってこず、なんとか勤めました。
  
 しかし、別のお宅の墓参りの途中に痛みが・・ 焦りましたが、なんとかお勤めして、帰宅。庫裏のトイレには家族の誰かが入っていたので、普段は使わない客殿のトイレに駆け込みました。
  
 次に近所のご門徒の法事。
 いつはげしい腹痛が来るかと冷や冷やしながらのお勤め。お腹をねじるような動きを避けるなどの注意はしましたが、どうにか支障なく終えました。薬のせいでのどが渇きましたが、法話も熱心に聞いていただき、充実した法事でした。ただ、食事は遠慮しました。
  
 帰宅して、またトイレに行って・・ 
 午後からもお参りがあったので、30分ほど休んで車で寺を出たものの、途中でまたはげしい腹痛。たまらずUターンしました。
 結局、お参りは、母に代わってもらいました。 
  
  
 その後はゆっくり休みました。けして喜べませんが、予定外の半日OFFになりました。
 お腹の調子は、まだ違和感はありますが、だいぶ楽になりました。
 



2004年03月14日

春の日曜日の日記

 勤務先の障害者施設は、支援計画書の更新などでみんなが忙しい毎日です。
 だめたけもパソコンのモニターをにらみすぎて、目の疲れを感じています。また、充分な支援ができていない自分が明らかになり、自信喪失ぎみです。
  
 寺のほうは、今年はなぜか2月に法事が多く、3月がゆったりしています。(例年は季節のよい3月のほうが多忙なのですが・・)
  
 今日の予定は月忌参りのみ。夕方に悲しいことがありましたが、時間の流れはゆったりとした日曜日でした。
  

  
 妻は勤務先の老人ホームで夜勤。
 簡単に朝食をとって、洗濯物干しは長男にいいつけて、私はお参りへ・・
  

「朝のうちに」と約束していたお宅のお参りを終えて、自動車に乗り込もうとすると、寺総代さんが畑の手入れをしておられました。
  
 立ち話で、今月の聞法会や来月の春季永代経会について打ち合わせました。その他、ちょっと込み入った相談もしたのですが、春の陽だまりの中で話すと楽観的になれるのが不思議です。
  

 次の地区を歩いていると、やはり畑仕事中の女性のご門徒。
「菜の花がきれいですね」と声をかけると「来週の聞法会のお花につかってもらえるように届けます」とのことでした。
  
 お参りにいったお宅では、南向きの玄関で猫が2匹気持ちよさそうに日向ぼっこ。
「かわいいですね」と話すと「じつは野良猫で・・ これは2代目。しかも妊娠中。どんどん増えるのです」とのこと。山に近いこの地区では、山道で捨てられた犬や猫が住み着いてしまうようです。
  
 広場に停めた車に戻る途中に、またご門徒と立ち話。(この地区は、ほぼ全戸がご門徒です)
「街に住む孫のためにブロッコリーをつくったのに、取りにこない」という話を笑顔で話される女性。友人が老人ホームに入所したり、ホームヘルパーを利用しているとの話から、だめたけが介護保険について説明したり・・
 以前に法話をお願いしていた講師のことや、だめたけの実弟のことなど、話題はつきません。
  

 昼過ぎに自宅に帰ると夜勤明けで妻が帰宅していました。
「1時間ほど寝てから、夕方に家族会出席のために老人ホームにもどる」とのこと。「疲れただろう」とさっきご門徒にいただいたお菓子を勧めるのに「時間がない」と高圧的な返事。
  

 2時ごろからは、障害者施設から持って帰ったデスクワークや、寺の事務処理のために、パソコンに向かいました。テレビでマラソン、プロ野球のオープン戦、相撲などをチラチラ・・
  

「さあ、夕食の支度をするか」と思ったところで電話。先日から容態が悪いと聞いていたご門徒(寺役員をしていただいていました)が亡くなったとのこと。
  
 すぐに枕勤め(臨終勤行)にお参りしました。
 私の父と同じように、最後を自宅で迎えられた男性。主治医による死亡診断が終わり、親戚の看護学校生が遺体を拭いておられました。
「寺の役員としてもっと働きたいと言っていたのに・・」と奥さん。春の夕暮れがとても寂しく感じられました。
  

  
 仕事に疲れてイライラしている今日の妻の姿は、日ごろの私かもしれません。いつも時間を気にして、ご門徒や家族のペースで接するのではなく、自分のペースに人を合わせようとする・・
  
 ウィークデイは障害者施設に勤務している関係で、土曜日、日曜日のお参りでも余裕がないことが多い私です。
 今日のようなご門徒とのふれあい、特に午前中のようにゆっくり立ち話ができる余裕を心ががけたいと思いました。



2003年12月31日

ニュースランキング2003

 だめたけの勤務する障害者施設の広報紙では、今年も「重大ニュースアンケート」を実施しました。
 結果は、利用者、その家族、施設職員のいずれの集計でも、「タイガース・セリーグ優勝」、「イラク情勢」、「障害福祉で支援費制度はじまる」が3位以内に入っていました。
  

 だめたけが選ぶとしても、やはり一位は「イラク情勢」です。
  
 国連でも止められなかったアメリカの軍事行動。日本の自衛隊派兵決定・・    
 最近は、フセイン氏拘束以降、アメリカに自省をもとめる論調が減ったことにも、不安を感じています。
  

  
 ちなみに、だめたけ個人のニュースベスト5をあげるとすると次のようなものです。
(ふたたび戦争の時代に入ろうかという時に、こんなことを書いているのもバカだと思うのですが・・)
  

1位 [社会福祉士合格]
  
 受験勉強はかなり大変でした。(本当に集中したのは2か月ほどでしたが)
 受験資格取得のための2年近くの通信教育や博多でのスクーリングなど、いろんなことが思い出されます。
  

2位 [勤務先の年休取得が20日を超える]
  
 住職と施設職員という2つの仕事を続ける最低条件は、年休を付与日数の20日以内に収めることだと思っています。昨年まではギリギリ収まっていましたが、今年はわずかに超えてしまいました。
 前年の保有分があるので欠勤にはなりませんが、こんな年がつづくようなら、私は「重大な決心」をしなくてはなりません。
  
 年休が多かった理由は、法中の報恩講などがあまり休日に重ならなかったことと、お葬式が例年より多かったこと。
 仕方のない結果なのですが、けっこうショックでした。
    

3位 [長男の得度]
  
 この夏、小学校6年の長男が得度しました。
(真宗大谷派では9歳以上で得度できます)
   
 正信偈や阿弥陀経の練習をしたり、数日の得度前研修を受けたくらいで、彼に僧侶としての自覚ができたとはとても思いません。剃髪して東本願寺で得度式を受けても、「ことの重大さ」に気づくのはずっと先のことでしょう。(私もそうでした)
  
 ただ、父親であるだめたけにとっては、息子との関係を考える機会となりました。
 僧侶の先輩として「いいかげん」ばかりではすまないと考えたりしました。
  

4位 [【だめたけ日記】100号突破とHPリニューアル]
  
 読者のみなさんのおかげです。これからもよろしくお願いします。
  

5位 [自動車の買い替え]
  
 けっして高級車ではありませんが、年収の何割かにあたる買い物は大事件です。
  
 次に買い換える時には、子どもたちの何人かは社会人だろうか? そもそも私はどうしているだろう?



2003年07月28日

南から北から

 先日、法事を勤めたお宅のご親戚に、沖永良部島出身のかたがおられました。
 以前にお会いした時には、地理感覚がない私に配慮して「沖縄出身」と言っておられましたが、この日は「正確に言うと鹿児島県です」と教えてくださいました。
  
  
  だめたけの住む播磨地方とはかなりちがう沖永良部島の仏事のようすが話題になり、いろいろ興味深い話を聞かせてくださいました。
  
 年忌法要は命日でなく1月5日におこなう。お盆にはお墓で親戚中が踊る。内仏(というより先祖の位牌)は東向きにおいてある・・ 
(私の理解不足により、不正確な部分があるかもしれません)
  
  
 また「人々のようすで一番ちがうと感じられることは?」と聞くと、「こちらでは大企業に勤めてる人を家格が高いような扱いをしている。島ではどんな仕事をしていてもみんな一緒」と話してくださいました。
  
 ちなみに播磨地方から沖永良部島に嫁いだ奥さん(ご門徒の娘さん)はちょっと違う意見。
「島では教員とか警察官などが、とても大切にされている。たとえば美味しい魚が獲れると先生もよんで宴会になる」と話してくださいました。
(「昔は」ということかもしれませんが)
  
  
 海の美しさ、台風のすごさの話にも引き込まれました。
 また、与那国島(沖縄県)で働いている息子さんを気遣われている話も温かく聞かせていただきました。
  

 先々週の法事でのことです。
 北海道の農家に嫁いだ娘の家に遊びに行かれたご門徒の話しを聞かせてもらいました。
  
「とにかく畑が広い。農道もすごく広い。トラクターが大きい」
 温泉など観光地を楽しみながらレンタカーで数日かけて娘さんのところまで行かれたようすを楽しく聞かせてくださいました。
(場所は道東だと思うのですが、よく分かりません)
  

 ゆっくり旅行に行きたいと思いながら、なかなか時間の取れないだめたけ。
 先日、日帰り家族サービスで行った大阪のユニバーサルスタジオジャパンも楽しかったのですが、「人工的な風景や刺激」ではどうしても発散しきれないものがあります。
(一応、ホームページに写真をアップしていますが・・)
  
 名所を観てまわるのではなく、風土や文化を感じるゆったりとした旅行は、なかなか実現しません。   
 でも、法事の場では、さまざまな話を聞かせていただけます。

 今月は北海道から沖縄・鹿児島まで旅した気分です。



2003年06月08日

自主研修会

 先週の金・土・日のことです。播磨(兵庫県西部)にある真宗大谷派系の仏教学習会を中心とした4団体(いずれも数十名の小さなグループ)の合同自主研修会に参加してきました。日ごろ勉 強していないだめたけには、話についていくのがハードな場面も多いのですが、自分なりに「これだけは参加しよう」と心に決めている研修会です。
  
 参加者は40人ほど。20歳代から80歳代までの僧侶とご門徒の男女です。毎回、北陸の石川・福井、四国の愛媛、九州の福岡、京都、大阪、神戸など播磨以外からの参加者も多くあります。
  
 お名前は書きませんが、講師だけでなく、参加者の中にも「社会とむきあった行動をしておられるビッグネーム」が何人もおられます。それらのかたの話を「同じ参加者」として聞けることが、だめたけにはとても大きな刺激です。
  
 今回のテーマは「真宗の人間観」。教行信証の専門的な講義の他、南京大虐殺を告白した元日本兵が名誉毀損で訴えられた事件の報告などを聞きました。懇親会では、宗門(真宗大谷派)の責任と役割、問題性と課題などについて、多くの意見を聞くことができました。
 毎回、だめたけにとって、発見、反省、気づきを得る機会となっています。
  
 
 
  2泊3日の研修会参加のために予定を空けるのは、誰しもなかなかたいへんです。
  
 だめたけも、日程が決まるとまず職場を休む調整。金曜日に午後から時間休をいただきました。(初日はちょっと遅刻でした)
 土曜日、日曜日の法務(お参り)は母にたのんだり、ご門徒にお参りの日をかえてもらいました。

  
 今回一番悩んだのは、だめたけの職場の労働組合の定期大会と日程が重なったこと。元委員長のだめたけには「定期大会の出席は組合員の最低限のつとめ」といい続けてきた立場もあります。
  
 何日も悩みましたが、結局、現委員長に事情を話し、委任状を提出しました。就職以来、たとえ風邪で発熱していてもけっして休んだことのなかった定期大会をはじめて欠席しました。(罪滅ぼしに議案書の状勢分析の一部を執筆しました)
  


 2002年7月8日発行<自己が社会>で、19年前に僧侶と福祉職員の二足のわらじを選択した時、大学時代の友人に「福祉職ということで社会派のようなポーズをとり、じつは厳しい問題から距離を置こうとしてはいないか?」と指摘されたことを書きました。
 その後、労組の役員を勤め、福祉施設では中堅とよばれる立場になり、真宗寺院の住職ともなりましたが、「何事からも適当に距離を置くいいかげんな生き方」が身についてしまった私です。    
 そんなだめたけにとって、この自主研修会への参加は「落ちていく自分」への小さな抵抗でもあります。「自分への危機感」に照らして、悩んだ末、労組の定期大会よりも研修会参加を優先させました。そして、それだけの「出会いと発見」を得ることができました。
  

 
 この研修会は「自主研修会」です。参加したからといって誰かにほめられることもなく、不参加でも誰かにしかられるものではありません。参加者のすべてが自分で参加を決め、けっこう無理して予定を空けて、参加費を自分で払います。
  
 そんな研修会だからこそ、だめたけはこの機会を大事にしたいと思っています。 



2002年11月25日

恩師

 11月の休日は報恩講の準備に多くのご門徒が来てくださいます。
  
 一昨日、境内の掃除に来てくださった男性のご門徒のなかに、だめたけの中学時代の先生もおられました。昔は厳しい先生だったので、今でもちょっぴり緊張するのですが、先生の方はいつも気さくに接してくださいます。
  
 私が住職になりたてのときです。
 月忌参りでこの先生のお宅にうかがったとき「正信偈の練習をしたいからカセットテープをもらえないか」と頼まれました。
 さっそく本山(東本願寺)の出しているテープをとどけると、「私は君の勤めるお経がいいんだ。君のお勤めをテープに録って、それをくれればよかったのに・・」と言ってくださいました。
  
 その笑顔から、単に読経のことを言っておられるのではないことに気づき、ハッとしました。住職としての私に期待してくださっているものを感じ、励まされました。
  

  
 報恩講の準備では、役割を決めてほぼ半日づつの時間を割いて多くのご門徒が来てくださいます。しかしそれだけでは細々とした準備が進まないので、なかには特にお願いして何度も来ていただく方もあります。
  
 そんなご門徒のひとりに、だめたけが通っていた保育園の園長先生がおられます。昔からほんとうに優しい方で、だめたけにとっては、お顔を見ているだけで癒される存在です。
  
 たいへん聞法に熱心で、法要の当日には、かならず本堂で聴聞しておられます。
 数年前、ご主人の五十回忌法要でだめたけがお参りしたときには、「お経が短くなってもいいから、日ごろ仏事に接することの少ない息子たちのために、ご法話を1時間ほどお願いします」と言われました。
  
 真宗のめざすもの、親鸞の願いをしっかりみつめ、私に伝えてくださるご門徒です。 
  
 
  
 先月に勤めたご門徒の法事でのことです。
  
 お父さんの七回忌を勤めるため、だめたけの中学時代の先生が、アメリカから帰国し参列されました。
 だめたけが中学3年生のとき新任教師として着任された先生。たいへんな美人で、先生と校内ですれちがうと廊下が明るくなったように感じられ、私をふくむ多くの男子生徒のあこがれの的で した。
  
 そんな先生がアメリカで大病をされたと聞いていたときには、本当に心配しました。
 お見舞いメールの返事には「だいぶよくなりました」と書いてあったものの、お顔を見るまでは安心できなかったのですが、お会いした様子は思いのほかお元気そうで、ホッとしました。
  
 法事の席では、アメリカの福祉事情や先生の人生観を聞かせてくださり、福祉職員としての私を励ましてくださいました。
 だめたけの愚痴を笑顔で聞いてくださり、おかげで明るい気分になりました。
  

  
 生徒あるいは園児としてお世話になったのはずっと昔(保育園にいたっては40年近く前)のこと。決して恩師だけがご門徒として特別な存在ではないのですが、私に真宗僧侶としての大切なものを気づかせてくださる人々という意味で、今も間違いなく「先生」です。
   
 多くの人に支えられ、なんとか暮らしている私です。



2002年07月08日

自己が社会

 今春、私の尊敬する住職のTさんが、真宗大谷派で真宗の教えを研究するセクションのトップに就かれました。先日、このことを記念する有志の会にお誘いをいただき、出席しました。
  
 案内状には、先輩や友人などが発起人として次のような趣意文を載せていました。
  
(略)折りしも、小泉首相の突然の靖国神社参詣、今まさに成立せんとする有事法案等々。これらの事が、かつてほどの教団の内外で大きな議論にもならず成立してしまうのでしょうか。平和といのちの危機的状況の時代において、我が教団はどう在るべきか問うていきたいと思います。(略)
  


 会は講演とパネルディスカッション。そして懇親会という構成でした。
  
 Tさんとパネラーのみなさんをだめたけ流に紹介すると・・
(名前を出してもよいかと思うのですが、了解をとっていないので一応イニシャルにします)  
  
T.M.さん  
 死刑制度、靖国問題、ハンセン病問題などさまざまな問題について数々の著書や文章を発表されています。その一部をこのメルマガで紹介させていただいたこともあります。   
 私の寺にも報恩講の法話になんどかお招きしました。そのたびに私に「おみやげ」と称して1冊づつ本をくださり「聞法せよ」と叱責してくださいます。  
  
K.K.さん  
 住職ではなく、小児科医のKさん。そのきびしい意見は、臓器移植問題などだけでなく、すべての社会問題におよびます。仏教全般に対しても非常に深い見識をお持ちで、いつもそのパワーに圧倒されてしまいます。
 だめたけには、障害者施設職員として話しかけてくださることもあります。  
  
A.K.さん  
 数年前は愛媛玉ぐし料訴訟を闘い、現在は小泉首相の靖国神社公式参拝違憲裁判を闘っておられる住職です。
 もう、5年ほど前でしょうか。僧侶の自主学習会の合宿で講師としてお招きした時、夕食を同じ席でとることがありました。右翼の脅迫にもめげずに、ご自分の信心に忠実に行動されているようすを聞かせていただきました。また、福祉問題にも非常に深い見識を持っておられるのが印象的でした。  
  
S.G.さん  
 東京でハンセン病問題に取り組んでおられる住職です。私ははじめて生で話を聞きました。静かな風貌の中にも信念にうらづけられた強さを感させるかたでした。
  


 話はかなり飛びます。18年前、私が障害者施設の職員になったときのことです。
  
 僧侶と福祉職員の二足のわらじを選択した私を家族や親戚は「僧侶としても学ぶことが多いであろう職に就けてよかった」と評価してくれました。しかし、僧侶の友人の一人には、「福祉職ということで社会派のようなポーズをとり、じつは厳しい問題から距離を置こうとしてはいないか?」と指摘されました。
  
 残念ながら、私はこの言葉を否定できるような生きかたはできていません。
 労働組合の役員を務めていたときにも、運動方針に「平和と人権についての闘い」(私が執筆していました)ということをうたいながら、現実には闘いとよべるほどの行動はしていません。
 僧侶としても、このメルマガに書くような内容を法話として語ることはあっても、行動をともなった取り組みはしていません。
 社会問題への行動を求められる立場にありながら、行動してこなかったことを本当になさけなく思います。
   


 パネルディスカッションの後、一緒に帰ることになった人(寺関係の年長の女性)と「あの人たち(パネラー)と、私たちの一番の違いはなんだろう?」という話になりました。
 彼女は「私たちは、まず自分の生活のことを考えて、それから信心を問うているのではないか。あの人たちは生活そのものが信心。同じ仏教徒として恥ずかしい」と話しておられました。
  
 社会の激しい右傾化のなかで、激しく闘っておられるパネラーのみなさん。一方、だめたけは・・
 危機的状況にあるのは社会でなく、私自身なのでしょう。
  
 パネラーのAさんがディスカッションの中で次のような言葉を述べておられました。
「『自己と社会』ではない。『自己が社会』なのである」

 社会問題から眼をそらさず問うていくことは、自分自身を問うこと。つまり、私が自立していくこと・・
 僧侶が、また福祉職員が、忘れてはいけないことだと思いました。





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