文章編

2007年01月11日
 <庫裡の話>

 2007年の修正会(しゅうしょうえ・新年のお勤め)での法話です。

 今年は庫裡について話しました。
 単なる住職家族の住居ではないということを強調するため、一般的な解釈から踏み出している部分もありますが、今の私にとっての真実です。
 


 今年は庫裡の工事中の状態で修正会を迎えました。ご門徒のみなさんには、解体工事前の片付けなど、たいへんにお世話になりました。

 この間、私なりに真宗寺院の庫裡の役割について考えてきました。新年にあたり、その話を聴いていただこうと思います。


 ご承知のとおり、数年前から雨漏りにより、床がくさる、壁土が流れるなど庫裡の傷みがひどくなり、新築が避けられない状況になりました。

 ちょうどそんなころ、組(そ・近隣の同派寺院の組織)で推進員養成講座がはじまりました。各寺院を会場として、70人ほどの受講者(ご門徒)が、まず本堂で講義を聴き、次に庫裡に移って小グループでの座談会をおこなう学習会です。
 この寺も一昨年10月に会場となりました。雨漏りを心配しながら引き受けさせていただいたこの講座が、今は解体してしまった庫裡で、最後におこなった組の行事となりました。


 真宗寺院の本堂の特徴は、僧侶が儀式をするスペースよりご門徒がお参りするスペースが広く、しかも畳が敷いてあるということです。これは真宗の基本が聞法だからです。真宗寺院は僧侶だけが勉強したり儀式をおこなうところではなく、ご門徒とともに聞法することでその機能をはたします。

 ただ、真宗の教えは、本堂を会場に大人数で聴聞するだけでは、なかなか深まるものではありません。そのため、庫裡に移り、時には自分の内面を吐露しながら少人数で語り合うことが必要となります。
 だからこそ真宗寺院の庫裡には、多くの部屋があるのだと、推進員養成講座を通して、あらためて気づきました。

 庫裡は、住職家族の住居ですが、ご門徒の聞法道場なのです。


 また、庫裡の解体工事の時、物置部屋で印象的な物を見つけました。
 それは、長持の中の多くの寝具です。どの布団も50年以上も使っていないためボロボロで、すべて廃棄しましたが、この布団には寺の歴史がありました。

 この寺には、江戸時代初期からかなり遠くの村(地区)にご門徒がいてくださいます。(No.36をはじめ、「だめたけ日記」にもたびたび書きました) いまでこそ車で30分ですが、昔は報恩講など大切な法要の時、とても「ちょっと帰ってくる」ということはできません。そこで遠来のご門徒が泊まれるように、布団が多数用意されていたのです。

 これは想像ですが、夜はきっと本堂でその日に聴いた法話の内容が話題になったのではないでしょうか。ちょっとお酒も入りながら本音で語り、自然なかたちの座談会が展開したことでしょう。

 また、法要とは関係なく「今からだと峠で日が暮れる」と言って泊まっていかれる人も多かったのではないでしょうか。

 庫裡は「ご門徒のもの、みんなのもの」だったのです。


 今度、新しくなる庫裡は、以前のものよりかなり小さいものです。

 2階建てが平屋になり、敷地面積も少なくなり、以前より9部屋も減りますから、「どうぞみなさんで泊まってください」というかたちではありません。
 それどころか、法要のときに帳場(受付や本部)となる部屋もなくなり、玄関ホールに簡易の畳を敷いて兼用することになります。

「雨漏りはしない。床も腐っていない」という以外は、庫裡としては以前よりたいへん不便な建物です。


 ただ、部屋は少なく狭くなっても、気兼ねなくみんなが集まって、語れる場となるよう、住職として勤めたいと思います。

 工事完成予定まで、まだ半年。どうかよろしくお願いします。



 修正会には、「かなり遠くの村のご門徒」も4人参ってくださいました。「そうやな。鉄道が通るまでは、泊まるしかなかったやろな」といった話をしました。

 工事中のため、どうするか悩んでいた修正会。例年のようにみんなで抹茶を楽しむことはできませんでしたが、「勤めてよかった」と思える会となりました。
2007年01月12日
<日記−1>

 今回は工事開始が具体的に決定するまでを書きます。



1980年ごろ

 局所的に雨漏あり。当時住職であった父が屋根替え(大規模修理)を考えた形跡があるが、結局応急処置的な修理。


2003年

 雨漏り広がる。特に台所上が激しく、くさった天井が落ちそう。立ち話ながら、何人かの人に建替えについて相談する。

 意見はさまざま。
 ほとんど傷みのない座敷にいつも来る人は「まだまだ大丈夫」。
 雨漏りの激しい2階や台所を知っている人は「工事を急いだほうがいい」。
 建設業の経験がある人は「これだけ屋根が波打っていたら深刻。見えない部分でも傷みが激しいはず」。


2004年

 播磨地方に台風が続けて来襲。瓦がバンバン飛ぶ。雨漏りさらに激しく、壁土が溶け出す状況。(ホームページの『写真日記』に写真をアップしています)
 応急処置を頼んだ業者さんには「傷みがひどく、怖くて屋根に登れない」と言われてしまう。
 さすがに追い詰められてしまう。


2005年9月ごろ
 
 寺の総代会や役員会で「できるだけ早い時期に庫裡の建替え工事を行ないます。
 経費については住職の私費でと考えています」と報告。


2005年12月17日

 父、祖父、祖母の法事の席で、親戚にも報告。


2005年12月末

 以前から相談していた近所の建築士(ご門徒です)に正式依頼。


2006年1月

 建築士と基本コンセプトの確認。

1.極力、予算を切り詰める。そのため贅沢な材料は使わない。したがって「普通のお寺の庫裡」は参考にしない。

2.しかし、庫裡としての形式はできるだけ意識する。


2006年2月

 新しい建物の図面を製作するために、まず現況建物の図面を作成。あわせてコンセプトについてさらに詰める。建築業者の選定は入札とするなど、手順の概略についても話し合う。


2006年春ごろ

 建築士の動きがピタッととまる。数か月連絡なし。
(体調を崩されていたということは、あとになって聞きました)

 だめたけのほうも気持ちが大きく揺れる。
 勤務先である障害者施設のこと、子どもの学費などで不安がつのり「こんなときに貯蓄をすべて吐き出していいのか」とけっこう悩む。


2006年初夏

 東本願寺でのご門徒との2泊3日の研修会(推進員養成講座後期講習)の座談会が自分を見つめなおす機会となり「できることをがんばろう」という気持ちに切り替わる。

「このいきおいで」ということで、だめたけのほうから建築士に連絡。
 病気とも知らず「とにかく急いでください。梅雨で雨漏りもいっそう進んでいます。座敷にまでタライを置かなくてはならなくなりました」と伝える。
2007年01月13日
 今回は建築業者決定までを書きます。



2006年7月〜8月

 建築士との打合せが急ピッチ。なんども図面を詰めていく。しかし、最大の難点は予算不足。
 はじめは2階建ての図面だったのに、途中で「2階をとってください」と大胆な変更。さらに平屋で書き直してもらった図面からも部屋を削って・・ 結局、今の3分の1程度の建物になってしまいました。

 寺の総代会で報告。
 法要の時、本部や受付(帳場・納志所)となる場所が玄関ホールと兼用になるなど庫裡としては基本的な問題も多い図面だが、特に反対意見はなし。


2006年9月上旬

 永代経会で参詣のご門徒に報告。といっても、庫裡の建替えについては数年前から話を出していたので「やっとはじまるの・・」といった感じでした。


2006年10月

 最終図面完成。入札などの日程も決定。

 妻、母、次女などとキッチンやバスタブ、トイレなどをショールームへ選びに行く。図面上以外でのはじめての動きです。
 ただ、後日、建築士から「レベルを2ランクは落としてもらわないと予算オーバーになります。もう一度、選びなおしてもらいます」と連絡がありました。 

 寺の世話方会で工事日程などについて報告。 

 法中(近隣の同派寺院)にも報告。報恩講の日程変更などについて了承を得ました。 


2006年11月10日

 入札のための業者説明会。5社が参加してくださいました。
 建築士から設計の説明。図面に基づき材料についても細かく指定。「寺の庫裡ですが、住職の私費のみですので、予算がありません」と建築士からも繰り返し伝えてくださいました。最低制限価格を設けることや、質問には建築士から一斉に文書回答することなど、だめたけにとっては「へ〜、入札ってそうやるんだ」と驚くことばかりでした。

 ちなみに、5社のうち2社はだめたけと親しい関係。ご門徒であったり、同級生であったり・・ 現存の建物の説明でも「子どものころ、よく走り回ったからだいたい分かる」と応えてくれたり・・


2006年11月14日

 報恩講。
 例年は12月1日・2日に勤める報恩講。しかし、それを待って解体のための荷物整理などを始めると着工は年明けになってしまいます。雨漏りだけでなく、傷みの激しい場所では瓦が落ちるなどの状況になっていることを思い「工事優先」の判断をしました。
 今年は法中は案内せず、お勤めはだめたけだけで行ないました。 


2006年11月25日
 
 いよいよ入札日です。
 とても重要な場なので、寺の責任役員や総代にも同席してもらいました。進行は、某市の建設部に勤めておられた総代です。
 慣れないだめたけは「最低制限価格」に戸惑いましたが、順調に入札は終了しました。

 結果、落札業者は、ご門徒でもなく、地元の会社でもなく、まただめたけの幼馴染でもなく、先日の説明会ではじめて名刺交換したかたでした。

「入札で業者を決めるということは、こういうことなんだ」とはじめて実感しました。
2007年01月15日
2006年11月26日

 お内仏を仏具店が取りに来る。庫裡の建替えに合わせて「せんたく」(大修理)。
 がらんとした仏間を見て、取り壊しの実感がわいてくる。


2006年11月27月

 建築士、建築業者、水道業者、電気業者と寺の責任役員、総代など、総勢10人で具体的な解体工事の手順や日程を打合せ。
 先日の入札で決まった建築業者以外は、すべてご門徒。お父さんの代理できてくれた若い建築士を中心に話がすすみます。 


2006年12月3日

 総代とその奥さん、近所の世話方などがあつまって、取り壊す庫裡からの荷物運び。

 建替える庫裡は9部屋減るので、荷物の多くは「捨てざるを得ないもの」なのですが、「母の意向」により、「残す物」の仮置き場に運ばれます。
 しかし、いちいちもめていては作業が進まないので、私が妥協。


2006年12月4日

 荷物運びの二日目。今日は建築業者が主役ですが、総代や世話方も来てくださいました。ある総代の奥さんは先月からこれでもう何日も来てくださっています。

 本堂の外縁だけでなく堂内の一部も仮置場になりました。私の予定よりかなり荷物が増えましたが、なんとか法要ができるスペースは残りました。ホッとしました。

 建物の周囲に防塵のためのシートが張られました。いよいよです。(写真編にアップしています)


2006年12月6日

 簡単に終わるはずの電話や電気、テレビアンテナの切り替えでトラブル。障害者施設で勤務中の私に、工事業者から、なんども電話が入ってきます。

 電話は、「二度手間の工事」を経て、夕方にはつながりました。しかし、テレビはこの日から3日間映らず、エアコンは一週間動きませんでした。予想外の事態でした。

 またこの日、風呂のボイラーは撤去。しばらく仮設浴室の生活です。
 

2006年12月7日

 今日からは解体業者が入ります。まずは建物に残った廃棄する物品の撤去です。

「ゴミ」とせざるを得なかったものにも、それぞれに思い出があり、複雑な気持ちでした。(写真編にアップしています)


2006年12月15日

 物品の撤去に数日を要していましたが、重機を使っての取り壊しがはじまると作業は順調で・・
 毎日、障害者施設の勤めに出ているだめたけにとっては、「帰ってきたら見慣れた風景がなくなっていた」という感覚です。覚悟していましたが、ウルッときました。


2006年12月19日

 職場へ出勤したものの気分が悪く、早退することに・・
 しかし、寺へもどると「ご住職と打合せをしたいと思っていたところでした」と建設業者の社長。すぐに携帯電話で現場監督と建築士が集合して打合せ。だめたけは「体調が悪いのです」と言い出せませんでした。

 どの場所に新しい庫裡を建てるのか、基礎工事がはじまった現場で最終決定。ポイントは、本堂や客殿との位置関係。当初設計に微調整(数10cm)を加えました。
 古い庫裡の敷石などを参道などに利用しようと考えてくださっていることを嬉しく思いました。


2006年12月26日

 きれいに整地された土地に、部屋割りの線が引かれました。
「イメージとちがう」というのが正直なところ。以前の建物よりかなり小さくなることは設計図上でよく分かっていたのですが、「実物大」を見たのはこの時がはじめてです。


2007年1月1日

「今年はできないのかな」と心配していた修正会(新年のお勤め)を勤めることができました。
(法話の内容は「No.153『庫裡の話』」。写真はHPにアップしています) 


2007年1月13日

 耐震基準のため、基礎工事は「これでもか」というほど頑強です。鉄筋が何本も入ったうえにコンクリートが流し込まれました。
 年明けから天候にも恵まれ、工事は順調に進んでいるようです。(写真編にアップしています)
2007年02月13日
<棟上日記>

 先日から報告しています、だめたけの寺の庫裏建て替え工事。少し前になりますが、1月27日に棟上げをしました。

  今回はその一日のようすを時間にそって書いてみます。

 めでたいことなのでしょうが、とても悲しいこともありました。



7時20分

 はやくも境内にトラックが入ってくる音。作業開始予定は8時と聞いていたので、かなり驚きました。

 7時30分には、大工さんが勢ぞろい。重機オペレーターも含めて17人の人数。すぐにクレーンも動き始めて棟上げがはじまりました。

 夜明けは過ぎているものの、谷あいのあるだめたけの街はまだ薄暗い時間。大工さんの手際よい動きにみとれていると、東の山から朝日がさしてきました。


8時30分

 クレーンに吊下げられて、柱がどんどん立っていきます。

 カメラを手にようすをながめていると、製材所の社長がお祝いを持ってようすを見に来てくださいました。
「建築士さんから『予算はないが、できるだけよい材木を納入してほしい』と強く言われていた」と製材所の社長。

「それにしても建築士さんの病気の具合はどうなんだろう。先週には棟上げには行くと言っていたけど・・」とふたりで心配していたとことへ母がやってきました。
「建築士さんが、さっき亡くなった」との連絡に言葉が詰まりました。


9時00分

 急いで法衣に着替えて、ご門徒である建築士さんのお宅へお参りしました。
「最後の最後まで庫裡の工事のことを話していました。病院のベッドでも図面に手を入れたり、電話で現場監督や業者と打ち合わせをしていましたが、充分に動けないことを申し訳ないと話していました」と奥さん。

  すでに集まっておられる近所のご親戚と一緒に、臨終勤行をしました。


10時00分

 棟上げの日には、大工さんに昼食を出すとのことで、総代さんの奥さん方が準備を始めてくださっていました。法要の時と同じように、手際よく進んでいきます。

 だめたけは、ご門徒の法事へ。


12時00分

 帰ってくると、かなり建物の骨組みが出来上がっていました。
 平屋なのに、以前の2階建ての庫裡とほぼ同じ高さがあるのにびっくりしました。

 だめたけがお参りに行っている間に、亡くなった建築士さんの息子さん(建築士としても跡取り)が、ようすを確認にきてくださったとのこと。父親を亡くした動揺と葬式の準備の忙しさがあるのに、棟上げを気にかけてくださっていることに感激しました。

 昼食は、おでんとおにぎりと味噌汁。だめたけは手伝いもしなかったのに食べるだけ。でも、とても美味しかった。

  13時には工事再開。だめたけは再び別のご門徒の法事。


15時00分

 法事から戻ると寺の総代さんや役員さんが集まってくださっていました。
「図面でみるより大きく感じる」というのが大方の意見でした。「よかったね。いいものが建ちそうだ」という明るい会話の中で、亡くなった建築士さんと同級生の総代さんは重い表情でした。

  昼過ぎから小雨が降り始めたにもかかわらず、大工さんは手際よく作業をすすめてくださいます。もうすっかり建物のすがたです。

 ちなみに、だめたけが午後の法事に行っている間にも、建築士の息子さんが現場のようすを見に来てくださったとのことでした


16時00分

 工事の音を聞きながら、本堂で臨時の総代会。やはり痛みの激しい山門と土塀の修復工事の件です。
 もともとは2011年の親鸞聖人750回御遠忌にあわせての事業でしたが、時期を早めてこの庫裡の工事終了後に準備に入ると確認がされました。
  庫裡の建替えは住職の私費でしたが、今度は門徒会計。とりあえず現在までの積立金でどの程度可能なのか、見積りを取ることになりました。


18時00分

 17時すぎには薄暗くなりましたが、工事は続きます。ようやく終了は18時前。予定より30分早くはじまり、終了は30分のびました。

 総代さん、朝から手伝ってくださった総代さんの奥さん、そして現場監督や棟梁をはじめ今日の工事に加わってくださった人みんなに本堂に集まってもらい、お勤めをしました。

 昨年12月の以前の建物の取り壊し、年明けからの基礎工事と進んで、今日の棟上げ。気分的には「半分まで来た」といったところです。



 5日後には屋根瓦がふかれ、10日後にはサッシが入りました。

 亡くなられた建築士の息子さんはなんども足を運んでくださり、2月5日には無事に中間検査も合格。「ゴールデンウィーク明けには、主要工事を終えられるかもしれない」とうれしい話も聞かせていただいています。

 今のところ、庫裡の建替え工事はいたって順調です。
2007年08月14日
1月下旬
 1月27日に棟上げ。その後、あれよあれよと言う間に建物のかたちになっていきます。
 建築士さんはお父さんの通夜、葬儀の間を縫って現場に足を運んでくださいます。灰葬勤行(お骨をひろった直後に寺に参ってこられます)では、親戚の方々も感慨深く工事をみつめておられました。


2月5日
 建築物としての中間検査合格。といっても、だめたけは立ち会わず、建築士さんにすべてお任せ。メールで状況の報告をうけました。
 すでに屋根には瓦がのり、窓や玄関にはサッシ入っています。すごい・・


2月下旬
 総代さんの間で検討されていた、山門と土塀の修復工事計画が具体化。だめたけの寺の「親鸞聖人750回御遠忌事業」として2011年に行うはずだったので、大幅な前倒しです。総代会で予算や業者選定の検討をかさね、臨時の世話方会(各地区代表の会議・だめたけの寺では総会)に提案。無事に承認されました。


3月上旬
「庫裡の建替えは、住職家族の私費で行い、宗教法人に寄付する」と決めていましたが、これを機会に境内地に隣接する住職名義の私有地も寄付することにしました。
 その手続きについて、まず実弟に紹介してもらった税理士に相談、さらにその税理士に紹介してもらった行政書士に相談・・
   
 また、建設会社に「半金」を支払う時点になって、銀行に指摘されて自分の思い違いに気づきました。
 けっこうドキドキの数週間でした。


3月19日
 春の永代経会。本堂の3分の1が荷物置き場になっている状態でつとめました。講師の控室などが用意できないことから、法話は神戸で住職をしている弟に頼みました。
 勤行(お経)は、私と中学3年生の長男、法話は実弟・・  法衣を着ているのは身内ばかりという法要でしたが、意外にご門徒には好評。「こぼんちゃん(寺の次男)の法話、ようわかった」「ぼんちゃんのぼんちゃん(私の長男)も大きくなった」などと声をかけていただきました。


4月
 山門と土塀の工事がはじまりました。総代さんを中心に、多くのご門徒が寺で作業をしてくださいました。だめたけは仕事が休めないので、みなさんにあいさつさえできず・・ 申し訳ない気持ちでいっぱいでした。
2007年08月15日
5月中旬
 内装工事もほとんど完了。土曜日、日曜日のお参りの後に、家族で家具やカーテンを選びにでかけました。コンセプトはあくまで「安価なもの」。でも、イメージに近いものが選べました。

 このころより、建設会社の了解を得て、全体の完成を待たずにお風呂を使い始めました。予算不足から当初予定の3分の2の広さにせざるを得なかった浴室。以前よりも狭くなったのは残念ですが、仮設浴室から解放された喜びはひとしおです。特に、1月に腰骨にヒビを入れてしまってからの数週間は、ほんとうに不自由でした。


5月下旬
 おせんたく(大修理)に出していたお内佛を新しい仏間に設置しました。
 あるご門徒が「家を新築したらまずお内佛をお迎えするのが真宗門徒」と話しておられましたが、浴室の使用よりあとになってしまいました。


5月26日
 新しい庫裡の竣工検査。建設会社と設備会社の現場責任者、電気工事業者の社長、建築士と私で、完成した建物をみながら確認をしていきます。といっても、実際は本堂や書院との連絡路をどうするかといった打ち合わせ会でした。ここでも「お金はない」ということで、大幅にグレードを落としてもらうことになりました。

 外溝工事は、追加工事が終わった後なのでまだです。エアコンもまだ使えません。電話もまだです。
 でも、とりあえず本工事は完成です。


6月
 先日注文した家具が順次届くようになりました。カーテンはイメージ以上でした。長女のグランドピアノの移動はかなり大ごとでしたが、プロの手により無事終わりました。本堂に仮置きしていた荷物の移動も追加工事に来ておられる大工さんの手を借りて少しずつ進んでいます。
 浴室の電子制御関係でトラブルがありましたが、おおむねすべてが快調です。


7月
 新しくなった庫裡とのバランス考えて、書院の畳替えとふすまの張り替えをすることにしました。業者は、庫裡でも世話になっただめたけの同級生の畳屋さん。いい仕事してくれます。

 外溝工事も下旬には完成。エアコンも使えるようになりました。取り外し可能な踏み板がついたので、本堂へも境内に降りずにいけるようになりました。


8月4日
 ご門徒がでてくださって、お盆にむけての境内の掃除。男性のご門徒にお願いして、本堂から家具や荷物を運んでいただきました。私の長男も活躍し「やうつり」(引っ越し)はおおむね完了しました。 
 土塀はまだ修復工事中ですが、かなり落ち着きました。

 夕方から、組(そ・近隣の同派寺院の組織)の役員会がありました。新しい庫裡でのはじめての行事となりました。


8月10日
 県庁から職員が来て、だめたけ個人から宗教法人(だめたけが住職を勤める寺)への寄付に疑義がないか調査するための、建物や土地の現況調査がありました。「問題なし」との言葉をいただきました。
 行政書士さんのおかげで、登記の手続きも順調のようです。


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