日記(2005年)

2005年12月20日

法事日記
 12月17日は父の十三回忌の命日でした。今年は祖父の五十回忌、祖母の二十五回忌も当年なので、親戚にも案内をして、あわせて法要を勤めました。
 祖父や祖母の法事であるために、案内先は多数になりました。

 今号は当日のあれこれです。



 どうも未明に目が覚めて・・ しばらくは布団の中にいたのですが、結局起き出してパソコンいじったり・・

 8時すぎ、奈良から来てくれる従姉妹から電話がありました。「すごい渋滞で動けない。車をどこかに預けて電車で行くけど、10時30分の法事のはじまりには間に合わない」とのことでした。

 9時には、座敷の花入れをたのんでいた従姉妹(華道の先生です)が来てくれました。続いて来てくれた伯母や従姉妹は母や妻とお茶だしなどについて打合せです。
 私と長男は法衣に着替えました。

 10時前あたりから、みんなが来てくださいました。ここからの30分ほどはもうバタバタ。来てくれた人のあいさつの間を縫うように、本堂で香をとって蝋燭に火をつけて、儀式用の法衣に着替えて・・ 小走りつづきで息が上がるほどでした。


 僧侶の控え室にしていた客殿にいくとみんなそろってくださっていました。法中3人(報恩講とはちがいごく近くの住職だけです)、親族・家族13人。16人の僧侶で広くない客殿はいっぱいです。
 ちなみに宗派でいえば、真宗大谷派が8人(親戚にかぎれば3人)、浄土真宗本願寺派が7人、天台宗が1人。年齢的には90代から10代まで・・
 寺ばかりと縁組をしている結果といった問題をこえて、単純に爽快でした。

 ほぼ予定時刻どおりに開式。20分ほどの勤行の後、法話。今日はお手継の住職とも相談し、親戚の一人にお願いしました。50分ほどの法話を33人の参列者で聴聞しました。


 国民宿舎に場所を移しお斉(食事)。人数が多いので結婚式の披露宴にもつかう部屋でした。
 途中、せっかくのご縁と全員を私から紹介しました。自分でも関係の広さに驚きました。ただ、会場が広いのと椅子席であったために、一人ひとりと十分に話ができなかったのが残念でした。


「寺にもどってゆっくりと話を・・」とみんなにお願いしたのですが、多くの人は次に予定があって・・ 徐々に人が減り、陽が傾くころには弟の家族だけとなり、ついにはみんな帰ってしまいました。
 なんとか無事に法事を勤めた充実感とともに、「いっぱい話がしたい人が帰ってしまう」というさみしさを感じる夕暮れとなりました。

「今、帰宅しました」といった従姉妹からのメールに返信しながら、一杯やりました。



○伯母に確かめたところ「父は、祖父の名前にあやかって私の名前をつけた」(<祖父の五十回忌>に書きました)とのエピソードはちょっと「?」かもしれません。
 ただ、父の私に対する評価なども聞け、父の願いに会うことはできました。

○だめたけの30kgダイエットに独自に気づいたのは、伯母一人でした。予想通りでした。

○法事に来てくださった親戚の中にも、この「だめたけ日記」を読んでくださっている方がいます。
  先日はお世話になりました!
2005年12月19日

法事準備日記
 12月17日は父の十三回忌の命日でした。今年は祖父の五十回忌、祖母の二十五回忌も当年なので、親戚にも案内をして、あわせて法要を勤めました。

 今号は法事の前日までのようすを書きます。



04年12月

 お手継のお寺(導師をたのむ住職)とも相談して、父の命日に3人の法事を合わせて勤めることを決めました。

 親戚への年賀状には「法事を勤めるので12月17日の予定は空けておいて欲しい」と一文添えました。


6月18日

 組(近隣同派寺院の組織)の会議で行事予定を相談するなか、研修会と法事が重なりそうになりました。「法事には法中(近隣の住職)にも来ていただきます。私だけでなく、何人かが研修会に欠席ということになってしまうので・・」と正直に事情を話し、日程を変更してもらいました。研修会は法事の前日、会場はだめたけの寺ということになりました。


9月8日

 祖父の五十回忌法要をお手継のお寺と弟の家族だけに案内して勤めました。(<祖父の五十回忌>にも書きました)


11月9日

 親戚にあらためて案内状を送付しました。


11月下旬

 親戚から出席連絡が順次とどきます。
 
 一番多いのは電話での連絡、次がメール、つぎには葉書といった感じです。

12月2日(だめたけの寺の報恩講)

 お手継の住職と法事の最終打合せをしました。

 報恩講の片付けも法事の荘厳を想定しておこないました。


12月4日

「お斉」(法要時の食事)の会場とする国民宿舎との打合せは、母にまかせました。

 本当は庫裏ですべきなのですが、「雨が降ると雨漏りがする」「とにかく寒い」「30人以上の人数となると顔を見合わせて座れない」といった理由で、外でとることにしました。


12月6日

 法事のときに親戚にわたす「志」は、私の勤務する障害者施設の陶芸品とクッキーにしました。
 一年も前から分かっていたのに、注文が直前になってしまい、同僚をあわてさせました。


12月15日

「志」を入れる紙袋がないのに気づき、勤務後に街まで買いに出ました。ベストサイズはありませんでしたが、なんとか許容範囲のものを求められました。


12月16日(前日)

 今日は法事の準備もあって施設への出勤は休みにしました。

 朝から本堂の準備。いっしょに掃除などをしていた妻(老人ホームの介護職員です)は「遅番」とのことで、10時すぎに仕事に行ってしまいました。簡単にすませるはずの立花に思わぬ時間をとり、思わず銀行からお金をおろすのを忘れてしまいそうでした。


 午後からは、法事のために日程を変えてもらった組の研修会。

 その後、日が暮れてから最終準備。

 すごく疲労感があったので、10時すぎには布団に入りました。でも、寝付いたのは12時前でした。
2005年12月15日

30Kgダイエット−日記
 今回は減量経過を日記風に・・



4月21日

 職場の健康診断で、体重が110kg。「ちょっぴりやばいかな」と思う。


5月4日

 法事で、20歳代の美人女性看護師ふたり(ご門徒です)に、ダイエットを勧められる。(No.134<GW日記>にも書きました)


5月下旬

 さらに体重増加の自覚症状。そっと体重計に乗ると115kg。「ちょっぴりまずいかな」と思う。


6月14日 ■今から思うとダイエットの開始日■

 体調不良。病院にいくほどの症状ではないが、食欲なく、一日飲み物だけ。

 まったく偶発的なスタート。


6月19日 ■意識的なダイエットの開始日■

 体調回復し、食欲はほぼもどる。
 ただ、なんとなく「このまましばらく食事を減らそうか・・」と思う。

 まったく思いつきでのスタート。今思い返しても、おそろしく軽い気持ち。自分でも「どうせ三日坊主」と思っていた。

「父の日セール」で安売りしていた体重・体脂肪計を自分で購入。パソコンにエクセルで表をつくり、体重、体脂肪率、食事内容、日記などを書きはじめる。


6月23日 ■家族にダイエットを告白■

 妻が最近食事を減らしていることに気づく。しばらく「極端に」食事を減らしてみると伝える。


7月9日 □順調□

 瞬間値ながら100kg未満に。想像以上の順調な減り方に、自分でもおどろく。


7月16日 □誰にも気づかれず□

 施設の行事(夏まつり)で、多くの人に会う。15kg近く体重が減っているのに、まったく誰も気づかず。「また太ったんじゃない」とまで言われる。苦笑。


7月27日 □はじめて気づかれる□

 施設に来られた利用者の家族のかたに「ひょっとして、すごくやせました?」と声をかけられる。気づかれたのは、はじめて。
 ここ10日ほど体重が減らず、「もうやめようか」と思いはじめていたが、もう少しがんばることにする。


8月中旬 □足は痛い□

 お盆参りの時期。20kg近く体重が減っているから、少しは正座が楽かと思ったが、やはりつらい。痺れは確かに軽減したが、膝の痛みはかわらない。


8月下旬 □晩酌復活□

 ダイエット開始以来、週に数回に抑えていた飲酒が、ほぼ毎日に・・


9月中旬 ■職場にダイエットを告白■

「すごく、やせました?」と同法人内の職員に声をかけられる。ちょっと控えめに「20kg以上はやせた」と応える。この会話を発信源として、一気に「だめたけダイエット」との話が、周辺に伝わる。(表現がおおげさですよね)

 つまりはこの時まで、ほとんどの人が気づいていなかったということ。非常に示唆の多い出来事でした。


9月23日 ■瞬間値■

 瞬間値ながら、85kg未満に。30kgの減量達成。
 この時点では「通過点」のつもりだったが・・


9月下旬 ■今から思えばダイエット終了■

「次の目標は80kgをきること」と自分に言い聞かせるが、数日前までの気力がわかなくなりました。気持ちが切れたと言う感じ。

 食事回数は平常にもどりました。


10月12日 ■体重公式記録■

 職場の秋の健康診断。体重84kg。
 前回の110kgより26kg減なので「もう一度確認させてください」と再測定されました。

 なお、ダイエット開始時には、前回の健康診断より5kg程度体重が増えていたので、このメルマガの表題は「30Kgダイエット」としています。


10月15日 ■服のサイズも劇的変化■

 時間が出来たので、服を買いに行きました。(「秋日記」に書きました)

 ズボンはウエスト91cmのものが、余裕で入りました。もう少し小さいものでもはけそうでしたが、初夏までは115cmをはいていただめたけとしては、ピッタリサイズは怖くて買えませんでした。

 上半身も変化が大きく、試着しても自分のベストサイズが良く分かりませんでした。

 キングサイズコーナー以外で服が買えたことは、だめたけにとってすごい事件でした。


10月17日 ■ダイエット日記終了■

 毎日つけていたダイエット日記を書かなくなりました。「はじめ」も「終わり」も思いつきでした。


11月中旬 ■血液検査公式記録■

 職場の秋の身体検査では血液検査がないため、11月3日に献血で測定してもらった結果が送られてきました。

 ダイエットに否定的だっただめめたけも、この劇的な数値の改善は認めざるを得ません。


12月中旬

 リバウンドの気配を感じつつも、体重はなんとか80Kg台中盤を保っています。



こんなこと思いました」に感想をアップしています。
2005年12月14日

30kgダイエット−記録
 だめたけ、今年の6月中旬から9月下旬までの間に、約30kg体重を減らしま
した。
 まず数値的なことを簡単に報告します。



△▼△ だめたけのダイエット記録 △▼△

ダイエットの開始   □2005年6月14日□
ダイエットの終了   □2005年9月下旬 □

 どちらも「今から思えば・・」という日付です。今回のダイエットは、開始も終了も「思いつき」「なんとなく」でした。


■身長■ 182cm

■体重■ 110kg(4月21日・職場の健康診断)
     115kg(6月中旬[ダイエット開始時]・職場の体重計)
      84kg(10月12日・職場の健康診断)    

■ウエスト■  115cm(ダイエット前) 91cm(ダイエット後) 24cm減です

 お気づきのように、ダイエットしたと言っても、数字的にはとてもスマートとはいえません。「すごいデブ」から「ふつうのデブ」になったというのが正確なのかもしれません。
 ただ、周囲の一部(気づいた人)からは「げっそりやせた」との評価をいただいています。


 なにより劇的に変化したのは血液検査結果の変化です。けして健康目的のダイエットではなかったのですが、自分でもびっくりしました。

■ ALT ■  132(4月21日) 14(11月3日) [標準値 5〜 45]
■ AST ■  70 (同)   16 (同)   [(同) 11〜 37]
■γ-GTP■  171 (同)   27 (同)   [(同) 10〜 65]
■ CHOL ■  232 (同)   175 (同)   [(同) 110〜250]
 いずれもダイエット前は職場の健康診断、ダイエット後は11月3日の献血での検査結果です。

 今回のダイエットを「だめたけ重病」と誤解されている人も周囲にはいます。
 ご心配なく! 私は元気です!



こんなこと思いました」に感想をアップしています。
2005年12月03日

報恩講日記2005
 だめたけの寺の報恩講は、真宗寺院関係者が聞けば「エッ」と驚くぐらい簡略な勤め方です。それでも、ご門徒にとっても、僧侶にとっても、かなりのエネルギーを要します。

 今年の特徴は若いご門徒の大活躍でした。



10月23日(日)

 だめたけの役員会。(前号<秋日記>でもふれました)
 
 寺の運営や門徒会計について審議の後、報恩講準備の打合せです。「真宗寺院でもっとも大切な年中行事」との認識はしっかりしています。


11月13日(日)

 今日は書院の障子の張替え。住職のほうからは「今年は略しましょう」と話をしましたが、ご門徒のほうから「でも、やりましょう」と意見が出た作業です。役割分担となっている地区のご門徒が、早くから集まってくださいました。

 だめたけは、途中からご門徒の法事へ。「昼もすぎたから、もう終わっているだろう」と思いつつ寺にもどると、まだ作業中。続いて隣のお寺の報恩講にお参りし、「陽も傾きかけてるし、さすがに終わっただろう」と寺に戻っても、まだ片づけ中でした。熱心さに恐縮しました。


11月23日(祝)

 今日は、おみがき(仏具の清掃)と境内や庭の清掃。早い人は予定時間の1時間前に来てくださいました。

 近年、時々若いご門徒が準備に来てくださいますが、今日の最年少は中学3年生。スポーツマンの彼は、声をかけると「ハイ!」と離れた場所から走ってきて重いものを運んでくれるなど、大活躍でした。一緒に参加していただめたけの長女(大学生)より、はるかに貢献度大でした。


 80歳をすぎたベテランのご門徒から中学生まで・・ 70近い年齢差のメンバーで作業はすすみます。


11月27日(日)

 午前中、野菜や花を持ってきてくださったのは、先日の中学生のお母さん。「筋肉痛になったみたいだったけど、楽しかったみたい。また来たいと言っていた」とのこと。とても嬉かった。


 午後からは、内陣の荘厳や庫裏などの掃除など、最終準備。昨年の写真で荘厳を確認するような場面もありましたが、順調に進みました。



12月1日(木)

 報恩講初日。今年の当番は、ウィークデイにかかわらず若手が多く、30歳代前半のお母さんが数名。なかには「お父さんはだめたけの同級生」という20歳代前半の若いお母さんも来てくださいました。例年なら若手と呼ばれる50歳代のご門徒を指揮役に、当日準備は順調に進みます。
 参って来られた法中(近隣のお寺)の住職がたにも、「若いご門徒が来てくださるのはうれしいね」と声をかけていただきました。

 この日当番に来てくださったご門徒の地区はけして若い家族が多いところではありません。むしろ高齢化地区です。今年の状況は「若い奥さんみんな連れてきた」という世話方さん(寺役員)の熱意でした。「相続」ということをしっかり思ってくださっています。


12月2日(金)

 報恩講2日目。だめたけの寺では最終日です。

 寒かったせいか、今日のお参りの人数は少なめでした。昨日、参ってくださった人に「明日もお話(法話)の続きがあるし、僕が登高座という儀式をするから、参って来てな」と声をかけていたのですが、残念でした。
 総代さんとも「若い人にも当番だけでなく、参詣者として来てもらえるように考えないと・・」と話しました。


 片づけでは少しバタバタしましたが、ほぼ予定の時間に終わりました。


 今年もみなさんとすてきな法縁をいただけました。



 法話をお願いしたご住職は、偶然「だめたけ日記」をみつけて読んでくださっているとのこと。

 Mさん、お世話になりました。
2005年10月24日

秋日記
 夏モードから一気に初冬になったような・・
  
 けっこう濃い毎日をおくっています。 
  

  
10月15日(土)
  
 秋雨前線大活躍。
  
 午前は自家用車の定期点検。ディーラーへ行きました。
 待ち時間2時間とのことなので、途中でユニクロで買い物。でも、じつはこれはだめたけにとって大事件。訳は近くメルマガで報告したいと思います。
  
 午後からは組(そ・近隣の同派寺院の組織)の門徒研修会。大勢の参加者で、会場のお寺の本堂は人でいっぱい。だめたけは外縁で聞きました。
 雨音がうるさいのと黒板が見えないために、聞き取るのに苦労しましたが、いくつかのすばらしい言葉に出会えました。
「親鸞を信じるということは、親鸞の真似をすること」
 私に指針を与えてくれる言葉でした。
  


10月16日(日)
  
 若い僧侶からお誘いをうけて、「はりま宗教者9条の会」の結成集会に参加してきました。(といっても、私は会場の教会の隅に座っていただけですが・・)
  
 趣意書の文言、発言者の言葉、そして帰宅後にインターネットで読んだオフィシャルページの意見・・ 今の日本に恐怖を感じる私の思いに沿うものでした。「戦争が出来る普通の国」にだけはしてはならないと強く思いました。
  


10月17日(月)
  
 ちょっと所用があり京都へ行きました。それも妻といっしょに・・
  
 妻が「小学校低学年まで暮らした界隈を見てみたい」と言うので、車で通過しました。妻は感慨深げでした。
 その後、私たち夫婦が共に学んだ大谷大学周辺や私の下宿の前にも行ってみました。「おまえと出会ったあの学生のころ・・」と25年前の話をはじめましたが、妻には無視されました。
  


10月18日(火)
  
 じつは先月、真宗大谷派の宗議会選挙がありました。(衆議院ではありません。同派僧侶の選挙です)
  
 障害者施設の勤務後、私が「ぜひ宗門のために当選して欲しい」と願っていた方の報告会(私は懇親会からの参加でした)へいってきました。
  
  
 いろいろなものが見えたこの選挙・・ 私の投票した候補者の「選挙は聞法」との言葉が印象的でした。
  


10月19日(水)
  
 今日も昼間は障害者施設で勤務。
  
 夜、帰宅してから明日の研修会の準備で本堂の荘厳。だめたけの寺の本堂は暗いので、なかなかはかどらず・・ でも、深夜にはならない時間で終えられました。
  


10月20日(木)
  
 午前中のみ障害者施設で勤務。午後からは私の寺で住職・坊守の声明研修があるので、休みを取りました。
  
 お経の練習だけでなく、法要の意味についていろいろな討議が出来ました。結論は出ませんでしたが、充実した時間でした。
  


10月22日(土)
  
 今日は障害者施設へ休日出勤。
  
 今年の土曜日は、休日出勤してるか、組の事業で外出しているか、それともご門徒の法事かです。
 最近のだめたけにとって、土曜日は「必ず予定のある日」の代名詞です。
  


10月23日(日)
  
 午前中はご門徒の法事。
  
 夜からは私の寺の役員会。
 大きな提案をしたのですが、「住職の私費でおこなう」ということで数分で承認されました。問題性すら十分には伝えられなかったのが、ちょっと悲しい。  
  


10月24日(月)
  
 午前中は障害者施設で勤務。午後からは私の寺の聞法会なので、急いで退勤。準備は当番のご門徒がすすめてくださっていました。
  
 気候的には、もっとも法話に集中できるころです。
 内容は私も時々法話で語る「写真」の問題(「05.4.12.No.133」でも少しふれました)でした。「私の思いはまだまだ浅い」と実感しました。いろんな気づきがありました。
  

  
 今週は明日からも「年休(半休)ラッシュ」がつづきます。そして11月に入ると例年の報恩講時期・・ 今年は年末までこのままの状態が続きそうです。
  
 勤務先の施設のメンバーにかけている迷惑を思うとめまいをおぼえそうです。
2005年08月22日

残暑日記
「お盆が終わってちょっと一息」と思っていましたが、いろいろありました。
  

  
8月18日(木)
  
 ウィークデイですから、ふつうに知的障害者施設に出勤。すると職場へ妻から電話。「警察からすぐに連絡が欲しいと電話があった」とのこと。
「何事だろう?」と思いつつ電話をすると「窃盗犯を逮捕し、余罪を追及していたところ、容疑者があなたのお寺からお布施を盗んだと言っています。被害の状況はわかるでしょうか?」との問い合わせでした。まったく気づいていなかったので、びっくりしました。
  
 警察によると「犯人はお寺専門の窃盗犯。近隣の市町で、40ばかり犯行を重ねたようですが、すぐには発覚しないように盗むので、ほとんどのお寺が気づいておられません。ただ、あなたのお寺は印象深かったようで、間取りなどを紙に書くなど詳しく自供しましたので、連絡させていただきました」とのことでした。
  
 被害額は(容疑者の自己申告によると)「パソコンは無理だけど、けっこういいデジカメは買える」ぐらいでした。 
 今回は、しっかり施錠していなかったなど、私の寺の管理にも問題がありました。「容疑者が罪を犯す環境を作ってしまった」ことを含め、反省です。
  

8月19日(金)
  
 今日は施設の作業プログラム(授産といいます)で、姫路城の清掃。週に2〜3日は行っています。
  
 城内の三ノ丸広場(かなり広い芝生広場)では、「松浦亜弥・里帰りコンサート」の準備の真っ最中。先日からクレーン2機を使うなどして組まれたびっくりするほど大きなステージを中心に、今日はマイクチェックをしたり、スタッフが舞台の横にせり出した部分を走りながらなにかを確認していたり・・ 
  
 自分の長女と同年齢の女の子が、こんな大きな舞台で1万人以上の人を集める・・ 「すごいプレシャーだろうな」と思ったりしました。
  

8月20日(土)
  
 今日は組(そ・近隣同派寺院の組織)の門徒研修会。真宗大谷派の人はご存知ですが、推進員養成講座の第1回目です。
 だめたけもスタッフとして12時前には会場のお寺へ行かなければならなかったのですが、この日は施設へ休日出勤。午後からはなんとか勤務を代わってもらいましたが、養成講座へは大遅刻でした
  
 なお、だめたけは、グループに分かれての座談会の司会を務めさせていただきました。
 受講者からは素晴らしい意見がいくつも出たのですが、私が「今日は自己紹介を中心に・・」と勝手にシュミレーションしていたために、上滑りな時間にしてしまいました。大いに反省です。  
  

8月20日(日)
  
 朝からご門徒の五十回忌法要。年配の参列者に聞くと、私の祖父が、最後にお葬式を勤めたご門徒だったとか。けっこう感慨深いものがありました。
  
 午後からも法事。今度は父と同い年だったご門徒。
 休憩時間には、施主が妻をなくされた日の日記を読み上げられました。私も法話で父の最期に少しふれました。
 また、参列者から仏教などについて、いくつか質問をいただきました。なかには「そんなこと考えたこともなかった」というものもあり、私自身、新しい発見がありました。
2005年08月16日

お盆日記2005
 お盆の勤め方は、地方により、宗派により、あるいはお寺によって、まったく違います。
 だめたけの寺では「ご門徒には寺で勤める盂蘭盆会に来てもらい、住職がお参りに行くのは、初盆のお家と、毎年お参りすることになっている地域や特に希望されるご門徒のみ」というパターンです。   
    

    
8月7日(日)
  
 今日は盂蘭盆会法要の準備にご門徒が来てくださる日。当番の地区で自治会行事(クリーン作戦という地域清掃)があったとのことで、いつもより1時間ほど遅いスタートです。
  
 今回の法要準備の一番の特徴はメンバーの若さ。私より年下の女性が3人もおられました。小さいころからよく知っている人、結婚式に参列させていただいた人などで、ご門徒のなかでも親しい人でしたが、妙に緊張してしまいました。「よそ行きの作業着にすればよかった・・」などと思いました。
  


8月8日(月)
  
 今年も私の都合で「毎年お参りする地域」への日程を早めてしまいました。(2年続いたので定例になるかもしれません) 特に今年はウィークデイということで、いろいろ迷惑をかけました。
  
「お参りの後、出勤したいので・・」というご門徒がおられたので、例年より早い時間にスタート。涼しいという点は私も助かりました。
 ただ、この日にために都会から帰ってこられるお宅では、時間が早すぎてまだ鍵が閉まっていました。他の地区のご門徒へお参りした後、再びおじゃましました。「すみません。2度も来ていただくことになって・・」と言っていただきましたが「こちらこそ気を使わせてすみません」と謝りました。お勤めの後、「将来、お墓やお内仏をどうするか」といった相談がありました。
  
  
 1時すぎに帰宅し、法衣を脱いでテレビをつけると・・ 郵政民営化法案参議院否決の瞬間でした。
  
 その後、買い物に行ったり、医院に行ったり・・ 車のラジオで、一部の閣僚が解散証書へのサインを拒んでいるとのニュースを聞きました。  
  
 帰宅後、本堂の準備。昨日「おみがき」をしていただいた仏具を荘厳していきます。汗だくになったので、お風呂に入ってからテレビをつけると・・ 衆議院解散の瞬間でした。
  

  
 9日から12日までは、知的障害者施設に通常勤務でした。
  

  
8月13日(土)・14日(日)
  
 初盆のお宅や、お盆参りを希望されるご門徒のお宅へ・・
  
 東京、群馬、奈良など遠方から帰省されているかたに会えました。また、赤ちゃんがおられるお宅では、次の予定を忘れて見入ってしまいそうになりました。二日とも激しい夕立があったので、「雷ネタ」で話が弾んだお宅もありました。

 お参りするルートの関係もあり、2〜3時間外出して、1時間ほど休憩という繰り返しの2日間でしたが、帰宅するたびに、「さっき○○さんが本堂にお参りに来られた」といった話を母から聞きました。会えなかった人のほうが多かったのは残念でした。


 また、休憩に帰って裸同然の格好で家にいると、若いお嬢さんが・・
 大学生の長女や高校生の次女の友だちでした。オジサンはうろたえてしまいました。
     


8月15日(月)
  
 今日は本堂で勤める盂蘭盆会法要の当日です。朝からご門徒へ花をもらいに行って・・ 昨年は3日前に立てたら当日一部がしおれていたので、今年は当日の立花にしました。
  
 午前中激しく降っていた雨も昼にはあがり、割と涼しく法要を始められました。お参りの人数は例年より少なめでしたが、30歳代、40歳代の男性や女子大生などバライティーにとんでいたことをうれしく思いました。
  
 講師の「答えを求めるのではない。問いを求めるのだ」という法話に、日ごろの自分について考えさせられました。
  

  
 16日は出勤の予定でしたが、直前(10日)になって同僚が代わってくれることになりました。おもわぬ完全OFFの日の出現に、だめたけはこの数日はウキウキ。「早起きして遠出すれば、どこまでいけるだろう・・」とレジャーガイドをながめたり・・ 
 しかし、前日(15日)になって僧侶の用事がいろいろ入り、ウキウキ遠出計画はあっけなく消え去りました。
 まあ、でもこれが僧侶の生活パターンですが・・ 
2005年05月10日

ゴールデンウィーク日記2005
 たまたま勤務先(障害者施設)と僧侶の予定が重なって・・  忙しい日が一週間ほど続いた状態でゴールデンウィークに入りました。
  

  
 4月27日(水) 
  
 この日の夕方は、勤務先(障害者施設)の会議2つと僧侶関係の会議2つ、4つの予定が重なってしまいました。さすがに全部に顔は出せないので、各々をひとつに絞って、はしご出席です。
  
 僧侶の会議が終わったのは午前0時すぎ。ここ数日の疲れからか、会場だったお寺の境内から車を出すときに、側面をこすってしまいました。
 大きな傷ではないのですが、自家用車でこんなミスをするのは10年ぶり。けっこうショックでした。
  

 4月28日(木)
  
 この日は職場の歓送迎会。疲れを引きずっていたのですが、一次会は気合を入れてハイテンションでがんばりました。二次会も会場の前までは行ったのですが、土壇場で気分が悪くなり、結局参加しませんでした。  
  

 4月29日(祝)
  
 今日は法中寺院の御遠忌法要。だめたけも七条袈裟をつけて参勤です。  
  
 稚児行列もあるので天候を心配していましたが、みごとな晴天。夏かと思うほどの暑さで汗びっしょりとなりました。正座も堪えて、かなりバテました。
  
 ちなみにこの日、代理で参勤されていた若い僧侶に、私より身長で4cm高く、体重で40kg重いかたがおられました。組(そ・近隣の同派寺院の組織)では自分が一番の巨漢の僧侶だと思っていただめたけにとって、印象深い出会いでした。「よろしく」となんども声をかけました。  
  

 4月30日(土)
  
 今日は障害者施設へ。授産作業のために休日出勤です。
 利用者には「世間は休みなのに・・」という感じはまったくなく、みんないきいき。さすが「働く集団」です。
  
 なお、この日も作業場の寒暖計は29℃。「近づく夏」に恐れを感じる暑さに弱いだめたけです。
  

 5月1日(日)
  
 今日は土砂降り。
 朝から次女の携帯電話のことで出かけて、その後、七日忌参り。3分で昼食をとって午後からは法事。
  
 夕方からは、明日おこなわれる妻の弟の結婚式へ出席のため夫婦で岐阜県へ。宝塚付近で渋滞に巻き込まれ、5時間近くかかりました。
  

 5月2日(月)
  
 昨日とは打って変わっての晴天。少々風は強いものの絶好の婚礼日和でした。
  
 20年前、私たちの結婚は周囲から「遠距離」と言われました。しかし、義弟のお嫁さんは山形県・・ でも、私たちと同じく、本人どうしはあまり気にしていないようでした。
  
 家に戻ったのは夜の10時過ぎ。今日は座っていただけなのに、少々疲れました。
  

 5月3日(祝)
  
 がんばって朝起きて法事へ。赤ん坊や小さな子どもの多い楽しい法事でした。
  
 夜、この春から大阪で寮生活を送っている大学生の長女が、はじめて帰省しました。「毎週末に帰ってくる」という話はウソでした。
  

5月4日(祝)
  
 今日も法事。ご門徒の20歳代の女性看護師ふたりに「また肥りましたね」といわれました。一瞬「ダイエットしようかな」と思いました。
  
 夕方からは少しは離れたご門徒へ月忌参り。
  
 妻が夜勤なので夕食は長女が作りました。ダイエットはやめて全部食べました。
  

 5月5日(祝)
  
 午前中は地域の墓地の法要。今年も多くの方が参詣されていました。
 その後、七日忌参りが2軒。気温は高いものの湿度は低く、汗をかかずにすみました。
  
 夕食は、明日には大阪に戻る長女の希望で、家族で焼肉を食べに行きました。はじめてゴールデンウィークらしい夜でした。
  

 5月6日(金)
  
 今日は障害者施設に出勤。ひさしぶりの職場という気分でした。
 2日(月)に一日休んだだけなのですが、けっこう仕事が溜まっていました。
  

 5月7日(土)
  
 昼間の法事だけでなく、夜の8時からもお参り。「親戚が数人参ってきます」と聞いていたのですが、行ってみると30人ほど集まっておられました。だめたけの同級生もおり、小学校時代の話題に花が咲きました。
 
 ちなみに、夜道で狸を2匹見ました。
  

 5月8日(日)
  
 世間ではゴールデンウィーク最終日とのこと。
  
 だめたけは、長男が入っている中学のサッカー部を練習試合の会場まで送くる当番。
 練習試合が終わるのを待っている間に、自分の施設の授産品の販売会をのぞきに行きました。休日出勤してくれている利用者や職員ががんばってくれていました。 
  
「母の日だから」と夕食は高校生の次女が作りました。
  
ともかく、だめたけにとってはひさしぶりの法衣を着ない休日でした。
2005年04月20日

桜日記2005
 今年の桜はもう散ってしまいました。
 先週は一年で一番色鮮やかな季節でしたが、だめたけの周辺では悲しいことが続きました。
  

  
4月9日(土)
  
 早朝に母に起こされました。「ご門徒のKさんが亡くなった」とのこと。あわてて法衣に着替えて出かけました。
  
 Kさんの家の前に車をとめると、寺役員でもあるお隣のSさんが待っておられました。
 亡くなったKさんの話の後に「ところで私の家の墓参りは予定通りですか?」とたずねられました。「枕経の後、何軒か月忌参りをしてから約束の時間に墓地へ行きます」と答えました。
  
 Kさんのお宅では、ご家族や近所のご親戚とお勤めをしました。
「じつは数か月前から固形物は食べられなくなってました。でも、こんなに早く亡くなるとは思いませんでした」とくやしそうな奥さん。深い悲しみの場でした。
  

 約束の時間に墓地に行きましたが、Sさんの姿が見えません。ご親戚に聞くと「奥さんの体調が悪くなったので医院に連れて行くと言っていました」とのこと。ちょっと気になりながらお勤めをしました。
  

 Kさんの葬儀は明日と決りました。午後からのお参りの時間を縫って私も準備です。
 あるお宅では私が墓参りに遅れてしまいました。「すみません」と話すと小さな子どもはぐずっていたのに「お葬式なら仕方がありません。ゆっくり桜を見ながら待っていました」と寛容な言葉をかけていただきました。
  

 夕方、Kさんのお通夜に行くと、Sさんが受付におられました。
「奥さん、どうですか?」と聞くと「じつは私も気分が悪くて・・ ヨメさんのついでに医院で診てもらったら、私の方が救急車に乗せられて、街の総合病院まで連れて行かれて・・ 」といった話。
  近くにいたご門徒と一緒に「今日ぐらいは寝てたら・・」と話したのですが、「もう大丈夫。それより、明日のお葬式と時間が重なってる法事は調整ついた?」と心配していただきました。
  

  
4月10日(日)
  
 午前中にKさんの葬儀。
 火葬場に送って、その後、ご近所のご法事。「昼食の時間がないでしょう」と食事を用意してくださったのですが、感謝しつつお断りしてお勤めをしました。
  
 寺に戻るとKさんのご家族が還骨勤行のために来ておられました。勤行、法話のあと、Kさんのお宅に移動して、5日早く初七日忌を勤めました。
    

  
4月11日(月)
  
 障害者施設で勤務していると、母から連絡。「Sさんが亡くなった。今朝、再び救急車で運ばれて、そのまま・・」とのこと。唖然としてしまいました。
 私は職場を抜けられないので、臨終勤行は母に代理で行ってもらいました。(いつものだめたけの寺のパターンです)
  
 残業も含む勤務を終え、すっかり夜になってから私もSさんのお宅へ。
 どうにも信じられない気持ちでお勤めをしました。
   
  
4月12日(火)
  
 Sさんのお通夜は、春とは思えない冷たい雨でした。
 地区にお葬式があるといつも手伝っておられたSさん。どうしても「なぜこの場にSさんががおられないのか?」と思ってしまいます。
  
  Sさんの奥さんは、Kさんの奥さんと「おたがい一人になってもたな・・ これからも助けおうていこな」と話しておられました。
  

  
4月13日(水)
  
 Kさんのお葬式は、昨夜とかわって春らしい天気となりました。お家のそばの桜も小ぶりながら満開でした。
  
 Kさんのご家族には、いろんなことを話したかったのですが、私は還骨勤行の後、すぐに出勤しなければならず・・ 
 今後、毎週の七日参り(中陰のお勤め)で話していこうと思います。
2005年03月23日

春の法要日記2005
 前日の晴天に変わって朝から雨。あまり寒くないのが救いというものの、空が真っ暗なのは残念です。
  
 いつものように一番早いのは当番の女性陣・・ 「食事の準備に使う包丁を砥ごうと思って・・」と来てくださった男性のご門徒もありました。
  
 私は立花など内陣の荘厳。春分の日の連休は法事などで忙しく、ゼロに近い状態から準備しなければなりません。
  
 総代さんに手伝ってもらって、昼前に内陣の荘厳だけはなんとか整いました。そこで「とりあえず食事」と女性陣が用意してくださったお膳につくと、本堂で人の気配。奈良県から参って来られたご門徒でした。
(ちなみにだめたけの寺は兵庫県の西部です)
   
「すみません、まだ本堂の準備ができてなくて・・」と話すと「本堂に掃除機がありましたが、使って良いですか?」と手伝ってくださる気配。
「まあ、とりあえず食事を・・」と話して一緒に昼食をとりました。
  

 開始前1時間を切ってもまだ準備中。雨なので本堂に幕を張るのはやめ、いつもより準備を簡略化しましたが、このことでかえって油断してしまいました。
 雑巾がけと平行して、梵鐘を撞く人、遠方からの参詣者を駅まで迎えに行く人・・ すべりこみセーフでした。
 
「天気も悪いし、お参りは少ないだろう」と役員のご門徒と話していましたが、5分前には驚くほどの人数。あわてて予備の座布団を出していただきました。
 ウィークデイにもかかわらず40歳代のご門徒も何人も参ってくださっていました。うれしかった。
  

 この日の講師は、だめたけと親どうしが従兄弟という関係です。
  
 法話は、四門出遊、四苦八苦といった仏教の基本を中心としたものでした。難しい言葉はつかわず、心に響く話を播州弁で語ってくださいました。 
  

 法要がはじまると雨は横殴りに・・ 南側の縁はびしょぬれ。昨年の台風からまだ屋根が修理のできていない庫裏や客殿では各所で雨漏り。
 状況としては最悪でした。
  
 しかし、みんなで集中して法話を聴聞できたと実感できる点で、法要は成功でした。


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