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だめたけが大好きな飲み会の季節です。そして先日は私の町では年に数回しかない積雪。
それなりに印象的な数日間でした。
12月19日(金)
今日は僧侶の学習会の忘年会。
講義に引き続いての忘年会だったのでスタートが早く、だめたけは職場(障害者施設)をベルダッシュしたにもかかわらず、50分ほどの遅刻でした。
会場に着くと、若手の席ではなく、大先輩ばかりの席に座ることになってしまいました。そんな席で、みなさんに料理を取ってもらったり、酒をついでいただいて、恐縮してしまいました。
席では「今日の講義のあの部分ですが・・」と議論が盛り上がっていました。だめたけは講義を聞いていなかったので話題に入れず(聞いていても入れなかったでしょうが)、ハイピッチで食べて飲みました。
その後「帰宅組」と「飲み足りない組」にわかれましたが、だめたけは後者に最後までついていきました。結局ビジネスホテルに泊まりました。
翌朝、目覚めると外は銀世界。
朝帰りすると、息子や近所の子どもたちが境内で雪だるまを作っていました。
(「写真日記」に写真を掲載しています)
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12月21日(日)
昨日の雪で日が変更になったお参りもあり、ハードな一日でした。昼食をとる時間もなく、雪の残る播磨路を北へ、西へ、南へ・・
夜は、だめたけの家の忘年会。町の国民宿舎に家族6人で出かけました。
みんな黙々とカニすきを食べ、私は手酌でビールを飲み、岩風呂に入って、早々に帰宅しました。
ストレス解消にはならない飲み会でした。
12月22日(月)
職場のだめたけが直接かかわるグループの忘年会でした。
ほとんど誰も酒を飲まない10人ほどのメンバー。みんなが烏龍茶を飲む中、だめたけ一人が「まずはビール。次に日本酒・・」と飲んだくれます。若い人に囲まれ幸せな気分でした。店を出るときには、足がもつれ、ろれつが回らない自分に気づきました。
しらふの若者の中に酔っ払いのオッサン一人という情景でした。
「忘年会」を広辞苑で引くと「その年の苦労をわすれるために、年末に催す宴会」とあります。ただ、すべてを忘れてしまっては進歩がないので、ある先輩僧侶(19日のメンバーです)は「今年の生きかたを確認する機会とすべき」と、あえて「確年会」という呼び方をされます。
だめたけも基本的には「確年会」の考え方に賛成ですが、「くだらないしがらみはリセットして、本分に没頭できる人間関係に近づける」と考えれば、ただ飲んで騒ぐだけでも意味はあるとも思っています。
(<忘年会or確年会>でも書きました)
ちなみに、だめたけはまだ飲み足りません。
私の正体をご存知の「近く」の読者の方、忘年会、新年会のお誘い待ってます。
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報恩講は真宗寺院のもっとも大切な年中法要です。
毎年12月1日・2日に勤めるだめたけの寺の報恩講は、真宗寺院の関係者が聞けばびっくりするくらい簡略ですが、ご門徒にとっても、住職にとってもかなりのエネルギーを要します。
今年も予定外のことがおこり、ちょっとバタバタしました。
11月28日(金) 3日前
障害者施設の勤務後、「明日からの元気のために・・」(?)とひさしぶりに映画館にいくとマナーモードの携帯電話に着信。場外でメッセージを確認すると「ご門徒が亡くなった。すぐ帰って」と母の声。
先週に危篤と聞いていたご門徒。また、ご親族から「もしもの時は寺の本堂で葬儀をしたい」と相談を受けていました。
急いで寺にもどると、病院の車でご遺体が到着。本堂に安置しました。
ご親族も報恩講のことを心配してくださいましたが、予定通り葬儀は本堂でおこなうことにしました。
11月29日(土) 2日前
早朝からおみがき(仏具の清掃)。堂内ではなく、外縁でしていただきました。強い雨のため背中を濡らされた人もありましたが、葬儀ということでみなさん理解をしてくださいました。
ただ、予定をしていた内陣や余間の準備はできませんでした。
11月30日(日) 前日
10時から葬儀。11時の出棺後、役員のご門徒が準備をはじめてくださいました。だめたけは12時ごろに火葬場からもどりました。
1時ごろには当番のご門徒の陣容も整い、庫裏や客殿(名前ほどのものではないのですが)の清掃や食材の用意など、本堂以外を中心に準備をはじめました。
還骨勤行の間は、準備のご門徒には休憩していただきました。
その後、いっきに本堂の準備。住職のだめたけは、あちこちに声をかけ・・ さすがにたいへんでした。
夕方、なんとかめどが付いたところで、この日の作業は終了。
ご門徒はお茶を飲みながら法要当日の打ち合わせをしておられましたが、だめたけは「あとはよろしく」と外出。
このメルマガでも時々とりあげた、だめたけが尊敬する先輩僧侶の還暦パーティーに出席しました。
記念講演を聴いて、その後、宴会。朝から食事をしていなかったので、ハイピッチで食べて飲みました。スピーチでは「引用であると断ってはいますが、時々お話を拝借しています」と謝っておきました。
明日のことを考え、途中で退席して代行運転で帰りました。
12月1日(月) 報恩講初日
いつもながら当番の女性陣が早朝から食事の準備。だめたけは本堂へ。
最終チェックというより、まだ準備という感じです。
そんななか、勤務先から電話。私が担当する利用者が、行方不明の可能性ありとのこと。
私の年休で人手が少ない中、他の利用者の援助と平行してトラブルに対応しているスタッフの苦労を思いつつも、どうすることもできない私。申し訳なさと心配でいっぱいでした。昼前に解決との報告をもらい、ホッとしました。
法中(近隣の同派の僧侶)が来てくださるぎりぎりの時間に準備完了。
滑り込みセーフで法要ははじめられました。
この日の予定が終了後、講師の先輩僧侶といろんな話を・・
だめたけが僧侶として知的障害者の支援について思っていることを聞いていただきました。なかなか伝わる言葉にできない自分に苛立ちを感じ、勉強になりました。
12月2日 報恩講二日目
今日は、大きなトラブルはなく、無事に報恩講は終わりました。今はひとりで酒を飲みつつ、このメルマガを書いています。
法要での正座のために痛む膝をさすりながら、自分の気持ちが徐々に年末モードになっていくのを感じています。 |
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だめたけ、このたび車を買い換えました。
なにしろ一生のうちに数回しかない大イベント。けして高級車ではないのですが、高額の買い物は言い知れない緊張と家族ドラマ(?)を生みます。
9月上旬
「来月が車検です」といつも世話になっている町の自動車屋さんから連絡がありました。
今の車は走行距離がすでに14万キロ。そして非難の的のディーゼル車。無事故で乗っているので外観はきれいなのですが、いろんなところに不都合が出てきていました。
車検を受けてもう数年乗るか、乗り替えるか、ちょっと悩みどころでした。
9月中旬
一応買い替えも想定して車の雑誌をみたり、ネットで検索したりしましたが、どうも「ピンとくる車」がありません。
この時点では「やはり車検を受けて今の車にしばらく乗ろう」と決めました。「気分をかえるためにシートカバーを替えようか・・」と計画もたてました。
9月26日
秋の法要の準備中、妻との会話が車の話題になりました。
「ところで車はどうするの?」と妻。「車検を受けてもうしばらく乗るつもり」と私。ところが妻が「来年は子ども二人が受験。その後も教育費がかさむ。安い車でないとダメだけど、買い換えるのなら今」と言い出しました。
はじめ私は「魅力を感じる車はないし・・」としぶりました。妻の意見に従うと車のグレードは今より落ちます。なによりだいぶタイプの違った車になります。たとえ新車でも気に入らない車には乗りたくないが私の気持ちでした。それでも妻に押されて町の自動車屋さんに電話をしましたが、あくまで「とりあえず」でした。
寺の役員でもあるこの自動車屋さんは、いつも「ただ売ればいい」といった対応ではありません。以前には、私がほしいと言っているのに「この車はダメ」と購入を反対されたこともありました。
今回も「14万キロといっても今の車はエンジン良好。次の車検までなら乗れますよ。ただ、住職が乗る車らしくないと町でうわさだから、少しおとなしい車に替えるのはいいかもしれませんね。一応ディーラーに連絡とってみます」との意見でした。
夜、7時をすぎてから、自動車屋さんがディーラーと試乗車をもって来ました。
このディーラーもご門徒。そしてだめたけの同級生。私の車の趣味は分かってくれています。
すすめられたのは、だめたけも初めて見る車。でも一目ぼれ。「ピンとくる車」でした。
ところが妻と自動車屋さんにとっては、住職が乗る車の範疇にないらしく「ちがう車種にしたら・・」と複雑な表情。金額が妻が許可した予算をちょっとオーバーすることも大きな問題でした。
結局、他の車種を第一候補にして、明日実物を見に行くことにしました。
9月27日
ショールームに出かけて、同級生のディーラーに相談しながら、妻のすすめる車種を第一候補に2時間ほど検討しました。
見積もりも何通か提示してもらいましたが、やっぱり昨夜試乗した車に惹かれました。妻のおすすめは自分の中では候補からはずしました。
「この車にするか、やはり今の車にもう少し乗るか、どちらかだな」と気持ちを決めました。
9月末の数日
もともと新車購入を勧めた妻は、車種と金額の問題で反対派に変貌していました。娘2人は妻に付き、たよりの息子は中立を守ったため、孤独な闘いでした。
すぐにケンカになるので、短い説得を繰り返したり、メールを送ったりと、粘り強く交渉しました。
最後になんとか「好きにすればいい」という言質を取りました。
10月1日
僧侶の学習会に出席のため、勤務先の障害者施設は午後半休。でも、夕方には時間ができたので、ショールームに同級生のディーラーをたずねました。
はじめに試乗した車を購入することを前提にしつつも、少しでも安くするため調整です。
「このオプションははずして・・」といった私の意見に、同級生は「了解。確かに必要なものじゃない」といったり「これは残しておけって・・ その分、もう少し値引きできないか、考えるから・・」といったりと、私のイメージを大切にしながら予算内に収まるよう助言してくれます。
結局、妻がすすめていた車と同額になりました。充分納得して契約しました。ただ、考えていたボディーの色は同級生の意見をいれて変更しました。
10月上旬
もう少しで7年乗った車とお別れです。
子どもの受験が迫っているとの状況がなければ、あと数年は乗っていただろう車。「下取り評価ゼロ」であっても、けして嫌になったわけではありません。それなりの能力を持った4WDなのに、日常では平地ばかり走っていたことが申し訳なく思えたり・・
「最後の思い出に、林道などをドライブしようか」と思いましたが、障害者施設や寺の仕事で忙しく、実現しませんでした。
10月21日
車検が切れて14万キロ乗った車とお別れです。新車の納車は間に合わなかったので、代車を手配してもらいました。
7年前の車の乗り換えの時は、動揺といえるほどの感慨がありました。 (だめたけ日記No.82『愛車』にも書きました) 今回はいくらか冷静でしたが、それでも辛いので持って行かれる姿をしっかり見れませんでした。自分のなかで一つの時代が変わるような不思議な感覚がありました。
10月22日
いよいよ新車が来ました。
「夜7時半ごろに家まで新車を持っていきます」と言われたので「それなら7時ごろに取りに行きます」と私のほうからショールームまで行きました。
前の車にくらべ、車体が短くなって、車高が低くなって、タイヤが一回り小さくなって、エアコンがマニュアルになって、アンテナが自動収納できなくなって、駆動のセレクトができなくなって・・ でも、ピンときた車です。かなりウキウキです。
「慣らし運転」と称し、わざと遠回りをして帰りました。
11月3日
新車になって、はじめて家族で出かけました。土砂降りの中を大阪・天保山までいきました。
家族には、カップホルダーの数が増えたことと、トランクルームにカバーが付いたことが好評でした。
(「写真日記」に海遊館での写真をアップしています)
11月16日
所用での遠出が何度かあったこともあり、走行距離は早くも2,000キロを超えました。車体感覚などにも、だいぶなじんできました。新しいカーナビやオーデェオの操作にも慣れつつあります。
だいぶ自分の車になってきました。
今度、車を替える時には、子どもは社会人かもしれません。それまでこの車でどんな思い出ができるでしょうか・・
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昨日は、だめたけの寺の秋の永代経会でした。いつもながらの法要ネタですが、今回は夫婦関係にからめて書いてみます。
ご門徒とともに仏法に会えることを喜ぶのが普通の住職夫婦ですが、だめたけのところでは準備段階からいつも喧嘩になります。
9月24日(水)
朝から夫婦喧嘩。昨日、法要準備としての草引きをしていなかったと妻が私を責めます。
「どうせやるつもりがなかったんだ。いつも掃除をするのは私ばかり」と妻。
「確かに昨日は法事から2時過ぎに帰ってきた。でも、体調が悪くて寝てたんだ。それでも夜に1時間ほど本堂の準備はした。なにもサボっていたわけではない」と私。
おかげで職場には少し遅刻をしてしまいました。
しかし、夕方、妻から「えらそうに言い過ぎた。掃除は私が明日します」とメール。
お人よしの私は「お前も今晩、老人ホームの夜勤だから無理しなくていい。準備はなんとかなるさ」と根拠のない返信。
9月25日(木)
夜9時過ぎに帰宅して、明日の確認をすると結構片付いている。「妻が夜勤明けでもがんばったんだ」と感激・・と思ったら、ちがっていた。
午前中に、60歳代のご門徒が「仕事の都合がついたから」と夫婦で掃除に来てくださったとのこと。
住職一家がたよりないと、ご門徒は主体的に寺の運営に取り組んでくださいます。
9月26日(金)
法要当日。
地震のニュースに見入っていたら、当番のご門徒が準備をはじめてくださっていました。(北海道のみなさん、お見舞い申し上げます)
本堂は私と妻と総代さんで荘厳。「重いものは苦手」と妻は言うので、大きな仏具を運ぶのは私と総代さんばかり。彼女はこんなことで介護職が勤まっているのだろうか?
「準備完了」と思ったところで、なんと蝋燭がないことに気づきました。
仏具屋に電話を入れ、妻に取りに行ってもらいました。
法要は定刻にはじめられました。私の勤行のあとに、講師の法話。
いつも遠方から参ってくださる老夫婦もおられる中で、私たち夫婦は本堂の左右の端に別れて聴聞です。仲の悪いのがまる分かりです。
法要は総代さんや当番のご門徒(夫婦で来てくださった方もおられます)のおかげで無事終了。私たちは自動車のことでまた言い争い。
でも、これが我が家の日常。もし仲良くしていたら、まわりは気味悪いと思うかもしれません。
ご門徒にはすてきなご夫婦も多いのに、恥ずかしいかぎりです。
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気温はまだ高いのですが、はっきりと秋を感じられるようになりました。
だめたけは比較的のんびりとした3連休でした。夏バテ(?)で崩していた体調も、おかげでだいぶ回復しました。
ここ数日イライラさせられましたが、タイガースも見事に優勝。
18年前がそうであるように、何年たっても忘れない日になると思います。
9月13日(土)
気分が悪いので午前中は寝ていました。
妻には「次女の中学校の運動会に行ったら?」といわれたのですが、まずは体調回復です。
昼食は、妻と長女といっしょに、町のファミレスへ行きました。
長女は、夏休み中にかなりハードなダイエットをしていたのですが、この日はスタミナ定食にミックスジュース。「あきらめたのではなく、やせる理由がなくなった・・」とのこと。高校生は何を考えているのかわからない。
その後、妻と出かけなければならないことがあり外出。
途中、カーラジオでタイガース戦を聞いていました。ドラゴンズファンの妻はご機嫌でした。
9月14日(日)
車で30分ほど走って法事へ。
家を建て替え、お内仏も新しくされた家なので、法話は家やお内仏の話題にふれながら、お浄土についてにしました。
食事は、仕出し弁当とは別に、手作りの料理がたっぷり。故人の「母さんの味」が娘さんやお嫁さんに受け継がれており、純粋な家庭料理を意義深くいただきました。
その後、3軒ほどお参り。夕方の予定が変更になりました。
途中で気分が悪くなりましたが、勢いで乗り切りました。帰宅後、野球中継を観ながら1時間ほど横になったら治りました。
夕方、今日もタイガースの優勝はなさそうなので、携帯電話ショップへ行きました。
「買うのは今日でなくてもいい」と思っていましたが、結局、衝動買い的に機種変更しました。
それにしても携帯電話の進化はすごい。手のひらに収まる小さな機械にここまでの能力。ちょっと前まで贅沢すぎると思っていた機能がごく普通についています。特にカメラが高性能になっているのには驚きました。店員の説明どおりならスナップ写真用のデジカメになりそうです。(まだ撮っていませんが)
9月15日(祝・月)
早朝、京都から法衣店の店長が来られました。先代住職のときから何十年にもわたってのお付き合いです。
いろいろと生地を見せてもらって、ご門徒が寄付してくださる私の五条袈裟を注文しました。
昨日とは方向が違いますが、今日も車を30分走らせて法事です。イノシシの話題もでる、のどかな山村です。
しかし、今日はちょっとバタバタ。法事の前に、息子さんがゴミの不法投棄を目撃して警察に通報。無量寿経をお勤めして休憩を取ったころに警官が事情を聞きに来て・・
この日の法事では食事はなかったので、そのまま月忌参り。
ちょうど昼食中の家も多かったのですが、お内仏の前に座っていただきました。
今日は2時過ぎにはテレビの前にいました。
妻は老人ホームへ出勤なので、リビングでゆっくり観ればいいのに、いつものように自分の部屋の小型テレビ観戦です。(習慣とは恐ろしいものです) オリックスファンの息子とさよならゲームを観ました。
そして胴上げを待ちました。
今夜はゆっくり飲みながら「優勝特番」を観ようと思います。寝不足にならない程度に・・
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真宗寺院の住職と福祉施設職員という2つの立場を持つだめたけ。体重は小柄な人の2倍でも、同時に二つの場所には行けないので、葬儀のように事前に計画できない法要では、いつもたいへんです。
今回も、ご門徒にも、職場にも、とても迷惑をかけました。
8月28日(木)
勤務先の福祉施設を定時退勤。施設長に仕事を言われたのですが「すみません」とベルダッシュで施設を出ました。
急がないと7時のお通夜に間に合いません。
渋滞が少なく予定より早く寺に帰れたのですが、法衣に着替えていると電話。
「はじめてお電話します。じつは人生について悩んでいるのです・・」という知らない男性の声。相談以外の意図も感じたのですが、「真剣な相談として聞こう」と5分ほど話をしました。相談の概要がはっきりしないまま、電話は先方から切れました。
お通夜と葬儀の会場である公民館へ。滑り込みセーフでしたが、あわてていて忘れ物をしてしまいました。なんとかお通夜を勤めはじめたものの、今度は途中で声がでなくなり・・ 正信偈を冷や汗をかきながら勤めました。
読経の後、通夜のお世話で来ておられる隣保のかたに、明日の葬儀の時間のことで謝りました。
じつは喪主の希望は「近所のかたの負担を考えて、片付けがはやく終わるように葬儀は午前中におこないたい」でした。そもそも夏季は外で参列される人の体力も考え、一日で一番暑い時間は避けるのが常識です。
しかし、住職であるだめたけの勤務の都合がどうしてもつかず、少々強引に午後2時のお葬式にしていただきました。
「すみません。どうしても都合がつかなくて・・」と話しはじめると、隣保のかた(ほとんどがだめたけの寺のご門徒です)のほうから、「ご院主さん。そんなことで謝らんでもええで」「そや、お葬式は急やさかい、都合がつかんこともあるわ」「夜道は日が暮れへん。気にせんでもええで。明日も9時には終われるやろ」とやさしい言葉。涙腺が緩みそうになりました。
帰宅後、土曜日にある組会(そかい・近隣の同派寺院の総会)の書類を提出していないのに気づきました。郵送ではもう間に合わないので、夜、役員のお寺まで行き、郵便受けに書類を入れてきました。帰りにコンビニでのど飴を買いました。
8月29日(金)
朝、福祉施設に出勤途中、腹痛。ガソリンスタンドでトイレを借りました。これは疲れを溜めた時のだめたけのパターンです。
「どうしても休むことができなかった午前の職務」は、予想以上に精神的にハードでした。当然午後には通常の職務があったのですが、半休をもらって施設を退勤。昼食の時間はないので、パンをかじりながら車で急ぎました。
葬儀はかなり暑かった。あごから汗がポトポト落ちました。でも声はなんとか続き、無事に勤めることができました。
火葬場へ行く途中、またお腹に違和感・・
夕方6時には、お骨を拾われたご門徒が本堂に参ってこられました。
読経後、御文箱をとろうと立ち上がった時にフラッときました。やはり疲れているようです。白骨の御文の拝読は大丈夫でしたが、法話はまとまりのないものになってしまいました。
ゆっくりお話をしたかったのですが、ご門徒のほうが「隣保のかたが待っていてくださっているので・・」と急いで帰られました。
その後、職場の歓送迎会に向かいました。
組織的にいえば、だめたけの直属の部下の退職と着任です。飲み会の大切さを語ることの多い私が1時間30分近い遅刻です。時間がなくて車で来たので、ウーロン茶で参加しました。
体調に自信が持てず、2次会のボーリング大会は欠席することにしました。
土曜日は法事と組会。日曜日は午前にも午後にも法事があります。
なんとかテンションあげて、がんばろう!
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毎年書いていますが、お盆の勤め方は、地方により、宗派により、あるいはお寺によって、まったく違います。
だめたけの寺では「ご門徒には寺で勤める盂蘭盆会に来てもらい、住職がお参りに行くのは、初盆のお家と、毎年お参りすることになっている一部のご門徒のみ」というパターンです。夏が忙しい寺ではないのですが、障害者施設勤務の都合で、数日間にすべてを集中するためにハードになります。
特に今年は先月からなんとなく体調不良(冷夏の夏バテ?)でした。
例年のように準備やご門徒のお宅へのお参りから「お盆日記」を書くと体調の話が多くなるので、今年は盂蘭盆会法要の日にしぼりたいと思います。
いろいろな出会いがあった濃い一日でした。
また、自分を問う言葉にも出会いました。
8月15日(金)
法要は昼からなのですが、朝から個別にお参りに来られる人もいます。
早起きして、昨日ご門徒にいただいた栄養ドリンクを飲んで、気合を入れて・・
昼までに、立花や荘厳など盂蘭盆会法要の準備をしなければなりません。
本堂へ行くと、さっそく人の気配。車で1時間30分ほど離れた場所からご門徒が家族でお参りに来られていました。「車中で飲んでください」とパック飲料をわたしました。
ご門徒のお宅へ花を取りに行って、立花して・・
ホッとしていると、京都からご門徒。「ローカル線の連絡が不便になりましたよね」といった話や「町村合併により、故郷の名前が消えるかもしれませんね」といった話をしました。「法要がはじまるまでにお墓参りをしてきます」といったん寺をあとにされました。
次には、最近体調を崩されているご門徒が里帰りした娘さんといっしょにお参りに来られました。
昼前には当番の女性陣が来てくださいました。手際よく掃除がすすんでいきます。
相談の結果、涼しいので扇風機は出さないことにしました。私の記憶でははじめてのことです。
昼ごろになると、神戸からご門徒が2組、老人ホームからいつも参ってくださるご門徒も到着。いつものメンバーも揃ってきます。
予定どおり盂蘭盆会をはじめました。
法要後、講師で来ていただいた先輩僧侶と1時間ほど語り合いました。
「最近は、適当に笑いをとって、聞いている人の意に沿うような話だけをするような、ご門徒を『眠らせる』法話がはやっている。聴聞によって『目覚める』機会とするのが本当の法話。真実を伝えるのが法話」と話しておられました。
だめたけの法話も、どちらかといえば「笑いをとる」タイプです。ただ、このこと自体は、仏教が日常のものであることを伝えるために必要と考えています。
しかし、意に沿うような話だけをしていないかは、真剣に自己チェックをしなければなりません。真実から目をそむけて相手に合わせることが「共感」ではないことを、つねに胸におきたいと思います。
自分自身をも眠らせてしまうような法話をしないように心がけたいと思います。
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先週の土曜日は僧侶の学習会。日曜日はご門徒との聞法会でした。
ストーブも扇風機もいらない、聴聞には絶好の季節です。
5月24日(土)
朝から、だめたけは立華など本堂の準備。母は手伝いをお願いしたご門徒と座敷の準備。
今日は組(そ・近隣の同派寺院のあつまり)の学習会。だめたけの寺が会所(会場)です。
今回の講師は、やはり真宗大谷派の住職をしているだめたけの実弟。組の会議で「肩のこらない講師」という理由で決まりました。参加者はごく少なかったので、座談会のような学習会でした。
それにしても肉親の法話を聞くのは不思議な緊張感があります。
被災者から見た阪神・淡路大震災でのボランティア活動など、どうしても聞いておきたい内容でしたが、妙な距離感で聞いてしまいました。
学習会の後、弟は夕食とお風呂をすませて帰りました。自動車の彼に酒は勧められないので、私は一人でもくもくと飲んでいました。
5月25日(日)
朝から作業着に着替えて地域の溝掃除。回覧板には「8時から」と書いてあるのですが、いつも1時間ほど前から始まります。
掃除の苦手なだめたけはあまり活躍はしていないのですが、それでも全身汚れてしまいました。帰宅してすぐにお風呂。自治会でいただいたパンとジュースでおそい朝食をとりました。
午後からは、だめたけの寺の聞法会。昼前には当番のご門徒が準備に集まって来られます。
私は準備に加わらず隣町へ。「聞法会に参加したいけど、アシ(交通手段)がなくて・・」というご門徒を迎えに行きました。近所に住む妹さんと二人で待っていてくださいました。
聞法会は講師を招いての正信偈連続講座。今回も私には大きな発見がありました。
終了後、ご門徒へお参り。午前中は町中が溝掃除だったので、今日のお参りは夕方に集中です。
時間より早くお参りに行ったお宅では4歳の男の子が出迎えてくれました。「お経のおじちゃんが来たよ!」と家族を集めてくれました。いつもながら子どもにだけは人気があります。
夜、町の福祉センターでの映画会で『壬生義士伝』を観ました。途中でお腹が空いて、昼ごはんを食べていないのに気づきました。
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例年、ゴールデンウィークといえば田舎の住職のだめたけにとっては法事ラッシュの時季。しかし、今年はかなりゆっくり出来ました。おかげで先日にはホームページのリニューアルもできました。
ゴールデンウィーク後半のようすです。
5月3日
妻は老人施設へ出勤。高校生の長女と中学生の次女はクラブ活動。私と小学生の長男は朝からのんびり。私はパソコン、息子はテレビゲーム。
4時ごろからご門徒のお宅へ。ふと携帯電話をみるとメール着信。妻から「長女と映画に行くから・・」とのこと。お参りから7時すぎに帰宅し、次女と長男で夕食をとりました。
5月4日
妻の勤務も娘たちのクラブ活動も休みなので、神戸へ遊びに行きました。
長女の希望により布引ハーブ園へ。40分ほど並んで「神戸夢風船」(ロープウェー)に乗りました。帰りはハイキングロードを下る予定でしたが、長男が「腹へった」とうるさいので、結局またロープウェーに乗りました。
[「写真日記」に写真を掲載しています]
その後、三宮で買い物。長女が探していたピアノの楽譜や靴などを買いました。
それにしても、すごい人の多さ。疲れました。
夕食は、自宅近くまで帰ってから、焼肉店へ。
朝から家族サービスで最後は焼肉。「安・近・短」で「肉食妻帯」の一日でした。
5月5日
早朝に電話がありました。「父が老人ホームで亡くなりました。お葬式をお願いします」とのこと。
亡くなったかたのお宅には特別な事情があったので、いろいろと問い合わせや調整が必要でしたが、今日が通夜、明日が葬式と決まりました。
電話の後、急いで町の墓地へ。約束の時間に遅れずにすみました。
今日は墓地委員会主催の法要。隣の寺の住職と一年交代で勤め、今年はだめたけの番です。短いお勤めですが100人ほどのお参りがありました。
気候のよい時季の法要なので、いつも清々しい気分になれます。
午後からは本堂の掃除。
この日も妻は出勤、娘2人はクラブ活動。母と息子と3人で雑巾がけやお花の立替をしました。
通夜は、入所しておられた老人ホームのある市の葬儀会館でおこなわれました。臨終勤行と通夜を続けて勤めるようなかたちになりました。
参列者は限られた人だけでしたが、落ち着いた通夜でした。 |
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だめたけの寺では先週の水曜日に春季永代経会を勤めました。本当はもう少し早い日程の土日に勤めたかったのですが、諸事により調整がつきませんでした。
法要の朝からの様子です。
いつものことですが、一番早く来てくださるのは当番の女性陣です。仕上げの掃除や食事の準備をテキパキとはじめてくださいます。
しかし今日のだめたけは、すぐに法要の準備にはかからず、所用のために郵便局へ。
まずは社会福祉士の登録料金の振込み。(登録料15,000円、登録手数料4,050円、送料470円。受験料が安くなかったことを思うと合格後の2万円近くの費用負担はかなり疑問です) 次に妻が 会計をしている子供会の入金。(これも少々やっかい) そしてご門徒が郵送くださったお供えの受け取り。
その後、急いで医院へ。たいへん空いており待ち時間なしで診てもらえました。
10時すぎに寺にもどると総代さんが来てくださっていました。
お茶を飲んでゆっくりしてから内陣(儀式をおこなう場所)の荘厳を整えました。
お昼前には早くもご門徒がひとりお参りに来てくださいました。
昨年からよく参詣してくださる町内の老人ホームに入所しておられる方です。「職員に送ってもらった」とのこと。みんなで一緒に昼食をとりました。
そうするうちに当番の男性陣が来てくださり、本堂に幕を張ったり、机を出したりとテキパキ。世話方さんのひとりは「雨が降るから近所のご門徒を車に乗せてきた」とのこと。
予定どおり1時すぎに法話の講師が到着。ただ用事が出来て少し急がれているようす。
今日は、お経を後にして、法話を先にお願いすることにしました。(普通は読経の後に法話です)
いつも、ごく少数ながら、法話を聴かずに帰られる門徒があるのですが、今回は皆無でした。ゆっくり聴聞できて「この順番もいいな・・」と思いました。
この日は雨のウィークデイ。そして町議員選挙の真っ最中。
「昨年の報恩講二日目のように本堂がガラガラかもしれない」とひそかに心配していました。
ところが法要の時刻前にはすでに満堂(満席)でした。
人が多ければ盛会というわけではありませんが、うれしいことです。
法要終了後、まだ当番のご門徒が後片付をしてくださっているのに、住職のだめたけは外出。職場の労組にたのまれて、役員の代理で集会に出席。
ところが、途中から胃に痛みが・・
非常に順調だった春の法要でしたが、知らずしらずに疲れていたようです。
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のんびりと休日をすごしました。
4月12日(土)
今日はお参りの予定はありません。ひさしぶりの完全OFFです。妻は出勤なので、家の中には、ぐうたらな私と子どもだけ。
朝から、なにもやる気がしない。先週末の3日間、妻の実家(真宗寺院です)の御遠忌(めちゃくちゃ大きな法要)で岐阜県に行っていた疲れか、職場の歓送迎会で昨夜遅くまで飲んでいたせいか・・
朝起きて、メール送って、電器量販店へ行って、子どもをスイミングスクールに送って、子どもの帰宅後は一緒にテレビゲームをして・・
妻に「草引きをしておくように」といわれていたのですが、土砂降りの雨を理由にのんびりできました。
4月13日(日)
午前中は法事。ご門徒には「お客もなく、お膳(食事)も用意しない」と聞いていたのですが、東京からも含めけっこう親戚が集まっておられました。
法話では、法事を同窓会になぞらえた話をしました。
帰宅後は境内の草引き。10日後に勤める春季永代経会の準備です。(妻は「家庭訪問で小学校の先生が来られるから」と言っていましたが・・)
遊びに行ってしまった次女を除いて、家族全員でかかりました。
だめたけは本当は草引きが苦痛。でもこの日は気候もよく、草を引きながらボ〜とすごす時間を楽しみました。
ちなみに、作業の途中、母が先月盗まれた賽銭箱を本堂の裏で発見。草や落ち葉の捨て場所に巧妙に隠してありました。横板は壊され、中は空でした。
境内はなかなか綺麗になりませんが、一応6時に作業終了。
だめたけは、そのまま風呂へ。チューハイ飲んで、ビールも飲んで、ゆっくり春の夜をすごしました。
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テレビは淡々と「戦況」を伝えます。こんなに気分の重い春はひさしぶりです。
3月21日(金・祝)
朝、空爆のニュースを観て、重い気持ちでご門徒のお宅へ。
法事では4歳ぐらいの女の子がとてもなついてくれて・・
「ゴエンサンがきた」「ゴエンサンおまんじゅう食べる?」「ゴエンサンみかん食べる?」となにかとかわいい表情で話しかけてくれます。若い女性には相手にされませんが、幼児には人気のだめたけです。
午後からも法事。
痴呆のため、施設に入っておられたおばあさんもご主人の百日忌を勤めるため帰っておられました。
おばあさんは「ろうそく灯したか?」「ゴエンサンの草履そろえたか?」「もうお茶ださなあかんで」とお嫁さんや娘さんに細かい指示。しかし、お嫁さんに「ところで誰の法事や?」と小声で聞いておられました。
「このままお寺に行って納骨したいのですが・・」とご門徒。
「用意のために先に帰りますので、30分ほどしたら寺に来てください」と私。
寺に帰ると母が大騒ぎ。本堂に泥棒が入ったとのこと。
被害は賽銭入れだけだったことにホッとしつつ、とりあえず警察に連絡。「現場には手を触れないように」との指示だったので、納骨に来こられたご門徒には、本堂の後ろに張り付くように座ってもらってお勤めを始めようとしたときに、警察官が到着。
なんとか、予定通りにお勤めは出来ました。
3月22日(土)
今日も法事。法話では「いのち」について話しました。
食事の場での話題は主としてイラク情勢。
午後から町の教育委員会が寺の由来などを聞きに来られました。
じつは数週間前から依頼はあったのですが、だめたけが勤務を休めないためにこの日になりました。そのかわり、調査に来た町職員は休日出勤です。
だめたけの寺では歴代住職がみんな整理整頓の苦手な人ばかりのようで・・
江戸初期の寺の創建のいきさつははっきりしているのですが、なぜか寺には文書が残っていません。「明治時代にこの寺で開かれた○○の集会の記録が残っていませんか?」などと聞かれても 「イヤ〜見たことないですね」といった答えばかりの私。捨てようと思っていた木箱を調査員が見て「これ400年ぐらい前の物ですよ。捨てたらだめですよ」と言われたり・・
調査にこられた4人のうちには、ご門徒や父の従兄弟もおられました。「大丈夫?」と不安な気持ちにさせたかもしれません。
3月23日(日)
今日の法事の参列者は、個人的に関係の深い人が多くおられました。
数年前まで寺の前にあった郵便局の職員、養護学校の先生、亡くなった父の同僚、母の友人などさまざまな人と時間を過ごせました。
帰宅後、高校生の長女が所属する吹奏楽部の演奏会へ。滑り込みで間に合いました。
だめたけも中学時代は吹奏楽部。娘のクラリネットより、自分が吹いていたチューバの音色が気になります。高校生の演奏を聴きながら、中学時代にタイムスリップしていました。 |
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大学や高校の受験ではありません。だめたけが第15回社会福祉士国家試験を大阪会場で受験した時のようすです。
ちょうど2週間前、1月26日の試験のようすを、ホテルでの前泊から書いてみます。
1月25日(土)
いよいよ国家試験の前日です。
試験会場は大阪府寝屋川市の摂南大学キャンパス。だめたけは近隣の守口市のホテルに前泊です。
ホテルへは午後2時前にチェックイン。勉強できるのは、あと数時間です。
合間にノートパソコンでメールチェックすると、何件かの着信。友人からの応援メールでした。出発前まで憎まれ口をたたいていた妻からも「がんばって」とのメールが入っていました。
1月26日(日)
いよいよ試験です。午前6時過ぎ、アラームが鳴る前に目が覚めました。
「少し早めに会場に行ったほうがいい」との複数の助言にしたがい、7時半にホテルをチェックアウト。コンビニで昼食のパンを買って、京阪電車に10分ほど乗って、8時前には寝屋川市駅に着きました。臨時バスには早くも行列ができていたので、乗り物が苦手なだめたけは歩いて会場へ。試験案内には「徒歩25分」と書かれていましたが、35分ほど歩いて、8時半には大学の門に到着しました。ここまでは余裕。でも、これからが・・
まず、自分が受験する教室がわからない。案内板をみながらウロウロしたあげく、係員にたずねてやっと自分の部屋が確認できました。
荷物を置いて「まずは・・」と思ってトイレに行くと、ビックリするほどの長蛇の列。やっとすませて席にもどるとすぐに試験官が入ってきました。かなりはやく会場に着いたつもりが、結局席に着かなければならない9時20分ギリギリでした。
そして試験開始。しかし、いきなり背中に汗をかくような出来事が・・
鉛筆の芯がぼろぼろ折れる。なによりHBと標記してあるのにどう見ても色が薄い。ディスカウントショップで12本100円で買ったのが悪かった。マークシートの機械が読み取ってくれるのを信じて、とにかく丁寧に塗りつぶしました。
午前の試験を終えて昼休み。
パンをかじりながら参考書を見ていると、同じ教室の中年女性が、カバンから電気ポットを出して教室のコンセントに差し込み、カップめんを作り始めました。そのたくましさが妙に印象に残りました。
午後は「とにかくあと2時間少々で終わる」と自分にいい聞かせながら問題にむかいました。
時間配分がわからず「あと10分」と試験官から声がかかっても、まだ6問も手付かずの状態でしたが、なんとか終わりました。
とにかくすごい受験者数で、帰路では完全に人に酔ってしまいました。近畿地方で会場が1か所というのは無理があると思います。
結構つかれて帰宅。
家族の誰からも言葉はなく(昨日のメールは本当に妻からだったのでしょうか?)、一人でコンビニで買ったカマンベールチーズをかじりながら、ウィスキーを飲みました。メールチェックをすると「お疲れ様でした」と同僚からのメール。うれしかった。
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