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だめたけの寺の、今年の報恩講風景です。
一般的な真宗寺院の常識、特に田舎の寺院としては、たいへん簡略なだめたけの寺の報恩講。法中の中でも一番簡略です。
でも、いろいろありました。
11月30日(土)
報恩講前日です。
早朝「報恩講でつかう大根と白菜を集めてきました」と男性のご門徒が2人。「雨が少なかったので心配でしたが、なんとかいい大根ができました」とのお話でした。
その後、本堂でご門徒の法事。都会で暮らしておられるご門徒です。
お父さんの葬儀を都会ですませたものの、一周忌の法要はふるさとで勤めたいと遠路来られました。「父は最期まで故郷のことを気にしていました。こちらで父の兄弟と法事を勤めることができ、父の思いをまた少し感じられました」と娘さん。
正直、はじめは「報恩講前日はきついな〜」と思いましたが、ご家族やご親戚の充実した表情をみて「勤めさせていただいてよかった」と思いました。
午後からは、ご門徒と報恩講の前日準備。今年は「若手」も数名来てくださり、特に20歳代の男性は重いものを運んだり、高いところへ登たりと大活躍でした。
「なんとか夜になる前に準備が終わりそうだ・・」と安心しかけたころに電話。「お墓参りをお願いしたのですが・・」とご門徒。
しまった! 約束の時間がすぎてる!
急いで法衣に着替え、 車を走らせましたが、1時間以上の遅刻でした。「こんばんは・・ すみませんでした」と謝ると「こちらこそ忙しい日に無理にお願いして・・」とやさしい言葉。
だめたけの町よりさらに田舎のこの地区のお墓は、各家の墓所が山の中に散在している形式です。
あたりはすでに真っ暗。懐中電灯でお墓を照らしながら納骨をして、ろうそくの光が周りを淡く照らし出す中で読経をしました。
とても幽玄でしたが、たまたま山中でこの様子を見る人があったら、ちょっと驚かれたかもしれません。
夜、報恩講の儀式の練習。細かいところでなんども行き詰まり、ちょっとあせりました。
12月1日(日)
報恩講一日目。昼からは法要本番です。
朝早く、当番のご門徒の女性陣が来てくださいました。
私はご門徒の法事へ。はじめは「日を変えて欲しい」とお願いしたのですが、遠くに住んでおられる息子さんの都合がどうしてもつかず、早朝から少し簡略な方法で勤めさせていただきました。
ちょうど出産間近のお嫁さんが参っておられたので、法話では「いのち」について話しました。
寺へ戻り、朝から準備に来てくださっているご門徒と、少し早い昼食。その後、おだやかに報恩講ははじまりました。
日曜日ということで、いつもと違う顔ぶれも含め、多くの人に参詣していただきました。
12月2日(月)
報恩講二日目です。
今日は、近所で老人関係施設の開所式があるとのことで、参詣者が少ないのではと心配していましたが・・ 悪い予感が当たり昨日と比べて4分の1ほど。本堂はガラガラ状態で、食事作りや接待などの当番で来ておられるご門徒と、一般の参詣者がほぼ同数という状態でした。
地区によっては開所式への「協力要請」があったと聞いていましたが、これほどの影響があるとは予想していませんでした。
法話では、参詣者が少ない分、座談会のような雰囲気でお話がすすみました。講師の暖かい口調もあり、いつも以上に和やかな法座を持てたことが救いでした。
終了後、本堂の荘厳を住職と片付ける人、洗い物など台所関係を片付ける人、遠方からの参詣者を駅まで送っていく人などに分かれテキパキと・・ みなさん手際よく、1時間ほどで終わりました。
数年前までは、この後、総代さんや世話方さんと「打ち上げ」をしていました。しかし、今の役員にお酒を飲まれる人が少ないこともあり、最近は少し雑談して解散というパターンです。
仏事に「祭りのあと」との表現は変ですが、みなさんが帰られると、急に寺が広く寒くなったように感じられます。
「本堂がいっぱいならば成功」ということではないのですが、二日目の参詣者の少なさは正直に言ってショックでした。
ただ、日曜日だった一日目に、いつもはみかけない50歳代のかたが数名参詣してくださり、たいへんうれしく感じました。
いずれにしても、だめたけの寺の今年の報恩講は終了しました。
まだ、法中の報恩講はあるので、勤務先への「年休ラッシュ」は続きますが、なんとか山は越えました。
このメルマガを配信後、酒飲みの住職は、スルメと焼酎で、静かに打ち上げをしたいと思います。 |
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季節はすっかり晩秋。みなさん、いかがおすごしですか?
だめたけにとって11月といえば、12月に勤める自坊(自分の寺)の報恩講の準備と、法中(近隣の同派寺院のグループ)の報恩講へ参勤(僧侶としてお参りすること)の日々です。
何度かこのメルマガに書きましたが、報恩講は真宗寺院にとって、もっとも重要な年中行事です。数週間前から、多くのご門徒のちからで準備をすすめ、法要当日は法中の住職に参勤していただきます。日ごろはおよそ坊主らしくないだめたけも、ちょっぴり僧侶らしくなる季節です。
11月9日(土)
今日は聞法会。朝からの準備はいつものことですが、来月の報恩講もにらんで、ストーブを出したり、冬座布団を出したり・・
12月並みの寒い日だったので、ご門徒と「ほんこさん(報恩講)みたいだね」と話しながら聴聞しました。
11月12日(火)
今日より法中の報恩講がスタート。だめたけの法中は7か寺あり、それぞれが2日間報恩講を勤めるので、12月中旬までに自坊を含めて14日ほど報恩講のお勤めをすることになります。
さすがに障害者施設の勤務があるだめたけとしては、こんなに職場を休めませんから、4日ほどは先方のお寺に無理を言って、母や妻に代わりにいってもらいます。「○○寺は○月○日と○日」 というふうに決まっているので、うまく休日に重なる日も何日かはあるのですが、それでも深刻な「年休ラッシュ」です。
絶対的に職員数の足りない福祉施設の中で、利用者や同僚などにどれだけ迷惑をかけているかわかるだけに、心痛む期間です。
毎年この時期には「やはり障害者施設の勤務を続けるのには無理だろうか」と弱気になります。
(このメルマガも暗いタッチかもしれません)
11月13日(水)
昨日のお寺の報恩講2日目。
このお寺に来られるの法話の講師は、だめたけの高校時代の同級生。
私は「僧侶としては正統派の大学」へ進みながら、住職としての役割を充分に務められない毎日を送っています。一方、この日の講師は「某有名国立大学」に進みながら、他に仕事をもたず、僧侶の生活に集中してがんばっておられます。
生命保険会社のコマーシャルではありませんが、ふと自分の人生を顧みたりしました。
11月16日(土)
早朝より、ご門徒が来てくださいました。今日は、報恩講のために、座敷の障子を張り替える日です。なかなか外れない障子に苦労し、庭に出して水をかけて、紙をはがして・・ 私は法中の報恩講に出かけてしまいましたが、ご門徒は昼食を挟んで2時過ぎまでかかりながら、綺麗に仕上げてくださいました。
11月17日(日)
法中の報恩講が土曜、日曜にあると、職場の年休はとらなくてもよいのですが、ご門徒の法事とは重なることがあります。
この日は、早朝からご門徒の法事に参って、法中の報恩講に行って、夕方からまた法事に参りました。じつは他にも法事があったのですが、母に代わりに行ってもらいました。
ご門徒の少ないだめたけの寺では、数週間ご法事がないことも珍しくないのですが、なぜか同じ日に重なることも多いのです。
今日のようにお参りがつづくと、肥満体の私としては正座で足が痛むので、後半は椅子を使わせてもらいました。けっこうきつい一日でした。
11月23日(土)予定です・・
今週も障害者施設に出勤できたのは3日だけ・・
11月が終われば、いよいよ自分の寺の報恩講。今日は、ご門徒が来てくださり、明日は境内の掃除やおみがき(仏具の掃除)をしてくださいます。
今日明日だけでなく、報恩講の前日当日までも、今年はすでにダブルブッキングすれすれの予定の組み方をしています。体調に気をつけて臨みたいと思います。
住職になりたてのころには、報恩講独特の儀式作法などの練習に苦労しましたが、今は短時間ですむようになりました。
また、御華束(おけそく・餅で作る報恩講の特別なお供え)も数年前から簡略にしたので、ご門徒に準備に来ていただく日数も少なくなりました。それでも、やはりきつい1か月です。
今年も、弱気になったり強気になったりしながら、自分をみつめる期間としたいと思います。
ご門徒とともに真摯に親鸞聖人の教えに触れる季節です。
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今年のお盆の情景です。濃い一週間でしたので2回にわけて配信しています。
なお、だめたけの寺では「ご門徒には寺で勤める盂蘭盆会に参って来てもらい、住職がお参りに行くのは、初盆のお家と、毎年お参りすることになっている一部のご門徒のみ」というパターンです。(地方により、宗派により、あるいはお寺によって、お盆の勤め方はまったく違います)
ただ、帰省してこられる人など、この時期にしかない出会いが多くあります。
8月13日(火)
早朝からご門徒が本堂へ。東京に住まいを移された方で、この法事のために昨夜は町内の国民宿舎に泊まっておられました。電話でなんども打ち合わせをした法事でしたが「お葬式に行かなければならないので・・」と事情を話し、母が替わりに勤めさせていただく了解を得ました。
お葬式の後、火葬場までご一緒して、急いで帰宅。汗でぬれた白衣(はくえ)を着替えて、初盆のお家へ。ご門徒とお互い父親を亡くした息子の立場で話をしました。2軒お参りして、寺に戻ると、お葬式のご家族がお骨をひろって本堂で待っていてくださいました。一緒にお勤めをしました。
その後、約束をしていたお家へお盆参り。昼過ぎから仏間にクーラーを入れて待っていてくださったとのこと。3時間ほど待たせてしまいました。
先年、ひざを骨折してから室内でも独力では移動できなくなってしまったおばあさんと一緒にお勤めをしました。
体力的にはもうフラフラで、夜はゆっくり休みたかったのですが、息子との約束があって・・
8月14日(水)
早朝から毎年お盆参りすることになっている地区に・・
もともと高齢者の多い地区ですが、今年は特に介護が話題になるお家が多くありました。
午後からは、明日の盂蘭盆会法要のために花立て。別にトラブルはなかったのですが、疲れがピークで(昨夜、息子と遊びに行ったのが悪かったのですが)、いつも以上に時間がかかりました。
夕方お参りしたお家では、町内の高校と中学で英語の臨時講師をしておられるアメリカ人女性が参っておられました。
「お盆の意味は?」とたずねられましたが、私はあがってしまいシドロモドロ。
「目連尊者が餓鬼道で苦しむ母を救おうと供養したのが起源であるとされるが、この話が説いてある盂蘭盆経は釈迦の正当な教えを伝えるものではなく・・」とややこしい話からはじめたため、「???」という印象を与えてしまったようです。
「亡くなった人をとおして、自分の生き方を問いなおす機会」とストレートに話せばよかったと思います。
8月15日(木)
早朝から隣の町へお参り。帰りの車中で高校野球第一試合のプレーボールを聞きました。その後、先日お葬式だったお家へお参り。少し落ち着かれたご家族といろいろな話をしました。
寺へもどると、当番のご門徒が盂蘭盆会法要の当日準備に来てくださっていました。だめたけも作業着に着替えて本堂へ行こうとすると、玄関に人の気配。
「少し早く着いてしまって・・」と京都から参ってくださったご門徒。その後も遠方からいろいろな方が参って来られて・・
お勤めをして、みんなで法話を聞きました。
後片付けは参ってくださっていた若いご門徒が手伝ってくださり、手際よく終わりました。
夜は、妻の運転で、家族で回転寿司にいきました。生ビールを3杯も飲んで、久しぶりに家族の前で酔いました。 |
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だめたけの寺では「ご門徒には寺で勤める盂蘭盆会に参って来てもらい、住職がお参りに行くのは、初盆のお家と、毎年お参りすることになっている一部のご門徒のみ」というパターンです。(地方により、宗派により、あるいはお寺によって、お盆の勤め方はまったく違います)
ただ、帰省して来られる人など、この時期にしかない出会いが多くあります。
8月10日(土)
今日は年番のご門徒のみなさんと盂蘭盆会の準備。みんなで仏具を磨いたり、盂蘭盆会のための本堂の準備をします。
その後、先日お葬式があったお家で、初七日忌のお勤め。30分ほど待たせてしまいましたが「お盆の準備ということは知っていましたから・・ もっと遅くなるかと思っていました」との優しい言葉。
夕方からは、MOディスクで持ち帰っていた職場(障害者施設)の仕事やレポート書きで、パソコン三昧でした。
8月11日(日)
午前中は法事。私の子どもたちをかわいがっていただいた「おばあさん」がひさしぶりに故郷に帰ってこられました。
「あの可愛いおじょうちゃん(私の長女)はどうされていますか?」と尋ねてくださったのですが、まさに反抗期の実情を伝えにくく、困ってしまいました。
その後、昨年、お母さんとお父さんを続いて亡くされたお家へお盆のお参り。大学時代からの友人の家なので、本当はゆっくり話をしたかったのですが、「急ぐので・・」とお勤めの後、早々に寺へ戻りました。
寺へ帰ると、はるばる横浜からお墓参りに帰ってこられたご門徒が待っていてくださいました。10名以上でお参りくださり、ビックリしました。
だめたけの町に暮らしておられたのは数10年前。私の亡くなった父の話に花が咲きました。
夜になって、発泡酒を飲みながらテレビを観ていると電話が鳴り、「母が亡くなりました」とご門徒の声。
枕勤め(臨終勤行)にいかせていただきました。
8月12日(月)
今日は障害者施設へ出勤。
明日からはお盆のために休みをもらい、つづいて社会福祉士受験資格のためのスクーリングに行くので、2週間分の仕事をいろんな人にお願いしなければなりません。そのうえ、夜はお通夜で残業ができないので、夕方までに仕事を終えなければならず、バタバタの一日でした。
お通夜へは、なんとかすべりこみ。
94歳になっても、私がお参りにいくと必ずうしろに座ってくださったご門徒のお通夜を、地域のみなさんと勤めました。 |
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すみません。典型的な「にわかサポーター」です。
6月4日(火)[対ベルギー戦 18:30]
勤務先の障害者施設の利用者や同僚職員との会話でも、日々ワールドカップの盛り上がりを感じます。
いよいよ日本代表の初戦。
今日はだめたけはひさしぶりに残業なし。しかし、退勤後にご門徒のお参り。帰りにカーラジオをつけるとちょうどベルギーの2点目でした。
試合の様子は帰宅後のニュースで観ました。
6月9日(日)[対ロシア戦 20:30]
午前中の法事でも「ワールドカップ、観てますか?」とご門徒。
「じつは毎日いろいろあって90分しっかり観れた試合はないんです」と応えると「だめですよ、観なければ」と言われました。
なお、今日の法話ではサッカーにも触れました。
夜のテレビ観戦のために綿密な計画。
法事から帰宅後、妻に言われていた用事をテキパキ(?)と片付けました。この日は事情があって私が夕食を作ることになりましたが、7時半には完了。
しかし、8時半にテレビの前に息子と座って、キックオフをむかえたところで、「明日の朝食のおかずがないから、もう一回マーケットに行ってきて」と妻。「夕方、ついでに買ってくるものは無いかと2度も確認しただろう!」と私。
でも、なんとか観れました。
6月14日(金)[対チュニジア戦 15:30]
施設のロビーにあるテレビで、利用者の介助をしながらチラチラと観れるかと思ったのですが、これはだめ。こだわりのため、このテレビで決まった番組を観ないと次の動作に移れない利用者がおられるのです。チャンネルはすぐに変えられてしまいました。
でも、カーラジオを聞きながら会議に来た同僚などから断片的な情報がはいり、得点経過は分かりました。「決勝トーナメント進出」の情報で職場は明るい雰囲気に・・
でも、この日も残業。10時半すぎに帰宅して、すぐに試合経過を映像で観たいとテレビでつけました。ところがチャンネルをかえるタイミングが悪いのか「よろこびにわく日本列島」といった映像ばかり。
12時前にやっとゴールシーンを観れました。
正直なところ、1か月前までは日本以外の選手名はほとんど知りませんでした。なかなか試合の中継はゆっくり観れませんが、それでもここ数日は世界最高峰の技術による真剣勝負のとりこになっています。
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4月20日(土)
今日の法事は寺から数10メートルの近所のご門徒。亡くなった方は、私の父と同級生。その娘さんは私と同級生。私のことを子どものころから知り抜いておられる家です。
私としては気恥ずかしい部分もありましたが、私のつたない法話を涙を流しながら聴いてくださいました。「悲しみの共感」を感じました。
4月21日(日)
朝から法事。今日のご門徒は親戚が多い家とはいえ、広い座敷が人でいっぱいでびっくりしました。
ここは長女の同級生の家。ちゃんとあいさつができる高校生を見て「どうして我が娘とはこんなに違うのだろう」と思ってしまいます。
午後からは、近所の説教所の報恩講。お勤めをして50人ほどの前で30分ほど法話をしました。
だめたけが、このようにあらたまった形で法話をする機会はあまりありません。そのため、数年前までは、この報恩講が近づくと、話す内容の下書きをして構想を練ったりしていました。しかし、最近は慣れてしまって・・ ほんとうに私はだめなやつです。
夜は、明後日に勤める永代経会のために、本堂の花立て。
ハードな一日でした。
4月23日(火)
今日は春の永代経会。当番のご門徒の女性陣が8時前に、男性陣が10時前に集まってくださり、当日準備。だめたけの寺では、午後からの法座だけの簡単な勤め方ですが、多くの人の力がないと勤められません。
ウィークデイでしたが、多くの門信徒が参ってくださいました。講師の法話もわかりやすく、私も多くのことを得ました。
法要後には、片付けもそこそこに私は勤め先の障害者施設へ。
今日もキツイ一日でした。
4月27日(土)
今日の法事は、先週法事を勤めた家の親戚。参列者の半数は同じ顔ぶれです。法話はちょっと視点を変えたものにしました。
午後からは、デスクワークのために職場へ。
しかし、予想以上に早く仕事が片付いたので、夜は通信講座のレポートを書くことができました。
4月28日(日)
今日の法事は、50年ほど前に北陸から私の町に引っ越してこられた家。熱心なご門徒です。
「若いときには『京都へいったら仕事より先にご本山に参るように』と言われていた」といった話や、北陸に伝わる一向一揆についての話を聞かせていただきました。「織田信長や前田利家はゆるせない」と話しておられました。
今日は「門徒ものしらず(真宗門徒は物忌みをしない)」という言葉の解釈について、意見をかわしました。
4月29日(月・祝)
午前は、年忌のめぐり合わせで、ここ数年毎年法事を勤めている家。ご親戚とも顔なじみになっているので、話もはずみます。
今日は午後も法事。休憩なしの「連投」だったので、たいへんでした。
夜は、野球中継(タイガースvsドラゴンズ)を見ながら、このメルマガを書きました。 |
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3月26日(火)
勤務先(障害者の通所施設)の利用者と花見。
兵庫県西部地方は、マスコミ報道ほど「早い桜の開花」ではないと思っていましたが、五分咲きというか「見ごろのはじめ」といった感じでした。
みんな満面の笑顔で弁当を食べました。
3月27日(水)
勤務する法人内での異動内示。関連法人への出向や老人施設の異動に、だめたけの名前はありませんでした。
3月28日(木)
夜、親しい同僚二人から「社会福祉士試験に合格した」とのメール。さっそく「おめでとう」と返信しました。
現在、受験資格を得るための通信講座受講中のだめたけは、来年1月の受験。メールをくれた二人からは、問題集などをゆずってもらう約束です。
3月29日(金)
朝、新聞で社会福祉士の合格者をチェック。昨夜、メールをくれた同僚以外にも、多くの同僚や元同僚、元実習生などが合格していました。
よく見ると、身近な合格者のほとんどが後輩。少しプレシャーを感じました。
年度替わりで会議続きとなるため、今日から利用者は春休み。
朝、施設長から、施設内での来年度の利用者援助部門の発表。実質的な勤務状況はこれで決まります。
だめたけにとっては予想外の結果。
一昨日の法人内での異動内示に名前がなかったことで、勝手に「来年も同じ部門」と思い込んでいたのがいけなかった。
以前の部門にもどる「横滑り」ともいえる内容なのに、妙に動揺してしまいました。
夜は、退職する職員の送別会。
とにかく、長い一日でした。
3月30日(土)
今日は休日出勤です。寺の用事は母に頼みました。
勤務の合間に、日ごろはゆっくり話ができない他部署の施設長と話ができ、「イライラの原因」もいくぶん解消しました。
夕方から、車に家族を乗せて妻の実家(岐阜県)へ。ところが迂回路もふくめて高速道路がことごとく渋滞。長時間の運転で疲れました。義父や義妹といろいろと話がしたかったのですが、一杯だけお酒をもらって、早々に寝てしまいました。
3月31日(日)
妻や子どもたちは、妻の兄弟やその子どもたちと花見。だめたけは参加せず、一足早く帰宅です。
今日は京都付近で少し渋滞しただけ。一人というのが寂しいものの、絶好の天気の中を気持ちよく走りました。沿線の桜も目に入り、花見ドライブといった感じでした。
4月1日(月)
年度始めはバタバタするものとはいえ、忙しい一日でした。
夜は、前年度のスタッフとの飲み会。
年休や療養休暇などで迷惑ばかりかけたのに、逆に「ありがとうございました」と声をかけられ、恐縮してしまいました。
4月4日(木)
勤務後、ご門徒のお宅にお参りに行って、8時半ごろ帰宅しました。今日は早い帰宅です。
ここ数日、会議疲れか服も着替えずに寝てしまう状態が続いていました。ゆっくり風呂に入りました。
4月5日(金)
今日から利用者が登園です。やはり福祉職員は利用者と一緒のほうが落ち着きます。とにかく新年度はスタートしました。
午後からは、利用者(今年度援助にあたるメンバー)と散歩がてらに桜を見にいきました。雪のように花びらが降る絶好の花見でした。
今年は、ござを敷いてお酒を飲むような花見はありませんでしたが、けっこう桜を楽しみました。
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3月20日(水)
今日は長女の高校受験の発表日。
勤務の合間に電話をかけると、娘の不機嫌な声。てっきりだめだったかと思いましたが、結果は合格とのこと。素直によろこべばいいのに。どうも何を考えているかわかりません。
夜は、退院後2度目の飲み会。私は昨日の宿泊勤務のため少々寝不足でしたが、美味しく飲みました。
3月21日(祝・木)
今日の法事は2歳で亡くなった女の子の五十回忌でした。
女の子のお母さんは昨年亡くなり、お父さんも体調を崩されおり、「姉が亡くなったとき私はまだ母のお腹の中でした」と話されるご門徒が施主でした。
70歳以上になった叔父さん、叔母さんが当時の様子を聞かせてくださいました。
今なら死ぬなんて考えられない病気で亡くなった幼い女の子。病院で、娘の遺体から離れないお母さんを、みんなで泣きながら引き離したこと。自宅まで無口なお父さんが涙をこらえながら抱いて帰ったこと・・
50年前の回想を、当時は生まれていなかった参列者が、涙しながら聞きました。
夕方から、我が家の高校生にまで成長した反抗期の娘と、約束していたMDコンポを買いに行きました。
「そういえば高い熱が出たと深夜に救急センターに車を走らせたこともあったっけ」
あいかわらず不機嫌そうな娘の横顔を見て思い出しました。
3月22日(金)
職場の会議が早く終わったので、7時すぎに映画館に・・
多くの映画は上映が始まっていましたが、唯一時間に間に合った『エネミー・ライン』を観ました。
3月23日(土)
我が家のガレージにツバメが来ました。
先日、車に鳥のフンがついていたので、ひょっとしたら数日前から来ていたのかもしれませんが、いずれにしても早い。びっくりです。
今年は「療養生活の間に春が来た」という感じもあってか、どうも季節に気持ちと体になじみません。
この日は、デスクワークの日。
「寺の会計を整理して、通信講座のレポートを書いて、勤務先の書類を書いて、メルマガも書いて、パソコンの調整をして・・」と計画を立てていましたが、春の日差しのせいか、どうも気合が入りません。
テレビでフィギアスケートを観戦した以外は、深夜までパソコンの前に座っていながら、なにも片付けられなかった一日でした。
なにをしていたのだろう・・
3月24日(日)
早朝からお参り。
ちょうど都会に嫁いでいる同級生が里帰りしていたので、話し込んでしまいました。「お時間いいのですか?」とたずねられて、次に法事があることを思い出し、大あわて。
次のお宅でも、読経と法話の後についつい話し込んで、お酒もたくさん飲んでしまいました。
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先日、簡単な手術を受けるため、9日間の入院を経験しました。
子供の時以来、じつに35年ぶりの入院でした。
予防的な治療のための短期入院だったので、長期の療養生活をしておられるかたには、「なんだ!」といわれるような内容です。すみません。
しかし、私にとってはいろいろ発見があった数日間でした。
今日は後編。手術から退院までです。
なお、治療の内容はふせさせていただきます。
[入院3日]
今日はいよいよ手術。
早朝から浣腸をして点滴をつけて・・
10時からの予定でしたが、「もう少し待ってね」がという状態が1時間続きました。さすがに待っている間には緊張が高まります。
11時にストレッチャーにのって手術室へ。病室を出てから帰ってくるのに3時間。手術室では約2時間の手術でした。
局所麻酔で意識はあったので、会話などから手術が進んでいくようすがわかり、貴重な体験をしました。麻酔の脊椎注射の時をのぞき、意外に緊張はしませんでした。
病室に帰っても、まだ麻酔が効いており、お腹から下に感覚のない状態を経験しました。数時間後、足先から徐々に感覚が戻ってくるのも不思議な感覚でした。
夜には痛み。痛み止めの座薬をいれてもらいましたが、さすがに長い夜でした。。
[入院4日]
この夜も痛みました。手術の傷よりも、ずっと寝ているせいか腰が痛いのにまいりました。
[入院5日]
まだ、充分に体の自由が利かないので、看護婦さんに清拭をしてもらいました。
介助を受ける身を体験しました。
[入院6日]
ベッドでじっとしているかぎりは、はげしい痛みを感じなくなりました。
こうなってくると、退院の時期が気になります。主治医に聞くと「明日きめましょう。でも、週末(あと5日)ぐらいまでいたほうがいいのですが・・」とのこと。「できれば早く帰りたいのです」と話しました。
[入院7日]
看護婦さんに洗髪をしてもらい、気分壮快。
経過もよいので退院は二日後ということに。昨夜の話よりは短いものの、入院前の予定よりは2日のびました。
[入院9日]
退院。
手術後の検査結果は二日後ですが一段落です。
病室では「痛みはもう大丈夫」と思っていましたが、入院費の支払いに会計窓口まで長い廊下を歩いていると「こんなはずでは・・」といった痛み。
帰宅しても数日間はおとなしくしていなければならないようです。
退院間際になって、病室(4人部屋)でただひとり会話をしていなかった人とも話しができました。もう数か月も入院しているという人より先に退院することに、どこか申し訳ないような・・
「お大事に」と声をかけてわかれました。
母に車で迎えに来てもらって、帰宅。
部屋で寝ていると、長女の第一声は、「エッ、帰ってるの?」 長男にいたっては、「お父さんの部屋で友だちとテレビゲームをしてもいい?」
でも、いいか。これが我が家です。
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先日、簡単な手術を受けるため、9日間の入院を経験しました。
子供の時以来、じつに35年ぶりの入院でした。
予防的な治療のための短期入院だったので、長期の療養生活をしておられるかたには、「なんだ!」といわれるような内容です。すみません。しかし、私にとってはいろいろ発見があった数日間でした。
今日は前編。手術までのようすです。
なお、治療の内容はふせさせていただきます。
[入院3週間前]
今年に入ってから受けていた診察や検査の結果「手術をしておきましょう」ということに。
主治医は私よりかなり若い医師。人当たりのよい話しかたに好感が持てます。
緊急の治療ではないので、入院は3週間先。
職場では休みをとるために仕事を変わってもらったり、寺のほうでは法要の調整をしたり・・
入院ということは極力ふせながらの調整です。
[入院前日]
職場を明日から休む準備のため残業。しばらくは何人かと一緒でしたが、最後は一人でした。「これで一応完了」と思い、警備システムを作動させて外へ出てから、「あれ忘れてた!」と気づき・・
そんなことを3回繰り返し、自宅へ帰ったのは11時すぎ。
家でもいろいろあって・・
やっと病院に持っていく物をカバンに詰めて寝たのは3時をまわっていました。
メルマガをはじめ、何本かメールを送りたかったのですが、できませんでした。
[入院初日]
朝からJRとバスを乗り継いで病院へ。
ちょっとドキドキしながら、入院手続き。案内ビデオを観て、病室に案内されて、看護婦さんに看護のための聞き取りをうけてました。治療計画書には、症状が正確に書いてあり、安心を得ました。なにより、やさしそうな看護婦さんでホッとしました。
診察と検査の後は、前日の寝不足のためベッドでぐっすり。
[入院2日]
今日も検査。しかし、短時間で終わったので、テレビで国会中継を見ました。予算委員会での田中氏、鈴木氏の参考人招致。午後の集中審議もしっかり見ました。
夕方から手術の準備は着々と・・ 夜からは絶食です。
看護婦さんの丁寧な対応のためか、いたって落ち着いた気分です。夜もよく寝られました。
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2月6日(水)
職場(障害者施設)では、今年度のまとめや来年度の援助プログラム案など、職員会議や利用者、家族との懇談のための資料作成がいよいよ追い込み。利用者が帰った後に、多くの同僚が個人で購入したノートパソコンを机にならべて、利用者の援助プログラムの案を練っています。
私は、パソコンは自宅のデスクトップだけなので、職場では施設のパソコンの順番待ち。後輩に気を使わせることも多いので、2台目として中古のノートパソコンを買おうかと悩んでいます。
2月7日(木)
神戸で開催された近畿地区知的障害関係施設職員研修会に参加。二日間の日程です。
分科会のスタッフということもあって、ひさしぶりにスーツを着ました。だめたけは本当にネクタイが苦手。首が太いので「カバの襟巻き」のようになり、どうも落ち着きません。めったに履かない革靴が破れているのは、会場に入ってから気づいたのですが、ズボンの裾でほとんど隠れるので助かりました。
夜の10時ごろに神戸に住む弟夫婦の家へ。今夜は泊めてもらいます。
私と同じく住職をしている実弟から、遠く離れた私の寺の周辺事情をいろいろと教えてもらいました。僧侶の友人の少ない私にとって、彼は重要な情報源の一人です。
2月8日(金)
研修会の二日目は昼で終了。ひとりで三宮に買い物にいきました。
新しい靴を捜したのですが、私の足に合う物がなかなかありません。大きくて幅が広いので、いつも苦労します。何軒かまわったのですが、「取り寄せになります」とのことで、あきらめました。
その後はパソコン店めぐり。
本当は、今日は見てまわるだけのつもりでした。神戸だけでなく、帰路にも何店かまわり、最後に職場近くまで帰ってきて、新装開店の量販店をのぞきました。
ここで、熱心な店員に声をかけられました。はじめは冷やかしのつもりで話していたのですが、だんだん相手のペースに・・
結局、職場でも使える2台目として、01年春モデルでしかも展示品というノートパソコン(ほとんど中古品です)を買いました。値段的にも機能的にも「漠然とした希望」に添ったのもでしたが、はっきり言って衝動買いです。
2月9日(土)
午前はご門徒の法事。ご親戚も多くが私の寺のご門徒いうこともあり、ちょっとリラックスしすぎて、食事では少々飲みすぎてしまいました。
夕方には、僧侶の会議。来週の研修会の打ち合わせです。でも、お酒が冷めておらずウトウトしてしまいました。あまり気づかれていなかったようで、幸いでした。
夜は、昨日購入したノートパソコンと、いつも使っているデスクトップの間でデータ交換が出来るように接続。ちょっと苦労がありましたが、なんとかつながりました。ただ、デスクトップ側をいじっているときに・・
また、やってしまいました! メールの記録を削除してしまったのです。10日前に続いてのミスです。自分なりには注意していたつもりなのに・・ 自己嫌悪にさいなまれながら、モニターをみつめていました。
2月10日(日)
朝はご門徒の法事。ご家族と近所のご親戚だけの落ち着いた法要でした。
読経の後、法話を聞いていただいて、「次を急ぎますので・・」と食事の同席をお断りして帰りかけたところで、高校生から「阿弥陀さまって、どんな人ですか?」とピュアな質問。熱心に聞いてくれる彼女にほだされて、話し込んでしまいました。
おかげで、次のお参りには滑り込み。でも、質問をいただくことは本当にうれしいことです。
夕方、息子と映画を観にいきました。「ハリーポッター」を観ました。
2月11日(月・祝)
今日は法事の予定はありません。
子どもと外出をしようかと思っていましたが、子どものほうが「夕方から用事があるから」とのことで、ぶらぶらする日にしました。
地元の靴の量販店にいったのですが、やはり合う靴は見つかりませんでした。
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1月24日(木)
今日はご門徒のお葬式。だめたけの寺としては、今年はじめてです。
亡くなったのは、寺の役員をしてくださったこともある男性。理屈をこねるのではなく、人柄でみんなを納得させるタイプのかたでした。
私の父とはひとつ違い。同じ病気で亡くなったこともあり、喪主である息子さんとはいろいろな話をしました。
1月25日(金)
今日は病院へ。今年に入ってから、ちょっと診察をうけています。
しかし、だめたけが通っている病院は、工事中ということもあり、まるで迷路のよう。この日で3回目でしたが、検尿、採血、心電図、MRI、レントゲンなど検査で院内を移動するたびに迷子になりそうです。
たいした病状でなくても病院は不安なもの。それだけに、廊下の要所に立っていてくれるボランティアさんの案内には本当に助かります。
1月26日(土)
午前は法事で、午後からもお参りがあり・・ でも、精神的にはノンビリした一日でした。
夜には明日の社会福祉士試験を受ける友人に激励メールを書きました。ちなみに、だめたけが受験資格を得るのは来年です。
1月27日(日)
朝から高速道路を100キロほど走って法事へ・・ だめたけが、こちらからお参りする、もっとも遠距離のご門徒です。お墓参りもあったので、「横殴りの雨」との予報がはずれて助かりました。
ひさしぶりの「都会」ですので、ちょっとウロウロして帰りたかったのですが、時間がなかったので・・
夜は、先日お葬式があったお家で初七日忌のお勤め。またまた話し込んでしまいました。
1月28日(月)
勤務先(障害者施設)の仕事で疲れて帰宅してから、家族会議。
議題は長女の志望校。中学3年生のこの時期はいろいろあります。
1月29日(火)
メールのバックアップ操作を間違えてしまい、1月3日以降にいただいたメールのすべてを削除してしまいました。
まだ、返事を書いていないものもいくらかあるのに・・ かなりブルーです。
1月30日(水)
まだ年度末まで2か月ありますが、だめたけの職場ではみんなが今年度のまとめの書類作成に追われています。
「できたこと」と「できなかったこと」が明確になってきます。 |
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年末から年始にかけての日記です。
新年の準備に大きなトラブルもなく、また特別なトピックスもなく・・
比較的おだやかにすごせています。今のところ・・
12月28日
勤務先の障害者施設は御用納め。通所施設なので明日から冬休みです。
夜には若手職員に誘ってもらい「ご苦労さん会」。半額サービス中の焼肉店での宴会で、間違いかと思うほど安くすみました。二次会はボウリング。ビールをたらふく飲んだ後の割には、まとまったスコアーでした。
三次会にも誘われたのですが、だめたけは帰宅。
12月29日
朝は部屋のそうじ。昼前から僧侶の用事で外出。
夕方、帰宅してそうじの続きをしている途中、昨日までの疲れがドッと出て、整理のために引っ出した物(ゴミ?)の中で1時間ほど寝てしまいました。
夜は年賀状書き。すでに寺院名で出すものは完成。私用分だけなのですぐに終わるはずが、意外に手間取り、結局深夜1時までかかってしまいました。
12月30日
午前は買い物や窓拭き。
午後はご門徒の法事。お墓参りもあったのですが、小雪まじりの強い風の中でのお勤めとなり、震えながら経を読みました。夕方帰宅。
夜は毛筆で「年忌繰出表」(年忌が当たっている人を本堂に張り出すもの)を書きました。
習字が苦手なだめたけには一番嫌な作業。いっそのことパソコンでやろうかとも思ったのですが、適当なフォームを設定できなかったこともあり、筆を持ってがんばりました。
12月31日
朝から本堂の荘厳。
昨日ほどの寒さはなく、順調に進み、夕方にはほぼ無事完了。 歳暮勤行(大晦日のお勤め)が終わると「これで新年が迎えられる」といっきに気が緩み、夕食ではついつい酒を飲みすぎベロベロ状態。
11時45分からは除夜の鐘。真宗寺院には本来はない行事ですが、楽しみにしてくださる地域の人と一緒につきます。日ごろ会えない若者なども来てくれるのが、うれしいかぎりです。
ちなみに寒さしのぎに暖かいコーヒーをふるまいましたが、私は酔っていたのでどの程度寒かったのかよく分かりません。
1月1日
朝から修正会(正月のお勤め)。
今年は例年より多めのお参りでした。帰省中の若夫婦と一緒のご門徒。遠方から車に乗り合わせて来てくださる人もありました。
みんなで正信偈をお勤めして、だめたけの法話を聞いていただいて・・ 最後にはみんなで抹茶をいただきました。
だめたけが住職になってからはじめたこのパターン。そろそろ定着してきました。
午後はお年玉を持った小6の次女、小4の長男とおもちゃの大型量販店へ。帰宅後、息子とラジコンカーで一緒にあそびました。
夜はいただいた年賀状の整理。管理ソフトのエラーが多いのですが、時間には追われていないので、おだやかに正月の夜はふけていきます。
1月2日-3日(予定)
2日は次女、長男を連れて弟夫婦の家へ遊びに行きます。(車で2時間ほどかかります) 遊園地へもいくかもしれません。ちなみに3日には今後は弟夫婦が遊びに来ます。
長女が高校受験とのことで、今年は家族そろっての遠出はありません。また、同窓会などの予定もありません。
ちょっとさみしい気もしますが、本当にひさしぶりのOFFらしいOFFを満喫するつもりです。
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