こんなこと思いました

2008年09月30日

献血の血液検査成績

私の職場の健康診断は「直接処遇職員」は年2回ですが、施設長は年1回だけです。現場で唯一の男性職員のため、腰をかばいながら排泄などの介助を毎日行っている私も年一回です。 

体のチェックは必要と思い、自主健康診断として、先日、献血をしました。そして今日、献血の「検査成績」がとどきました。 

なんとすべての検査項目で標準値内! 
献血の前日にも浴びるほど飲んで、しかもロードバイクで走った後の疲労もある時の採血なのにです。 
最近のリバウンド、なによりアル中状態の毎日の大量飲酒・・ でも、正常値でした。 

良いのか悪いのか、妙に自信を持ちました。今夜もガンガン飲んでいます。



2008年09月25日

引きこもり中年?

私は時々、坊守(妻)に「引きこもり中年」と非難されます。 

ウィークデイは障害者デイサービスで勤務し(風邪ぐらいでは休めません)、土日は住職の勤めして(そりゃいい加減ですが)、時間があればスポーツ自転車に乗ったり山歩きをする・・そんな私をです。 


妻の言い分はこうです。 

毎日、浴びるほど酒を飲むくせに、外に飲みに行かない。 
(お金がないからです。でも、予定の調整がつくのに誘われた飲み会を断ったことはありません) 

夜、パソコンやテレビに話しかけながら一人で飲んでいる。 
(本当は古女房とまったり晩酌したいのです。特養老人ホーに勤務する妻は、自分の時間が不規則ということを理解していません) 

「自転車だ、山登りだ」と言うが、いつも一人。 
(予定の隙間で楽しんでいるので、なかなか約束はできせん。確かに、友だちはいませんが・・) 


でも、私に個人主義的な面があることは事実です。 
知り合ってから四半世紀以上。見透かされている感じはあります。 



2008年07月17日

かわらぬ風景

私の勤務する障害者デイサービスの今日午前の教室は絵画。 
いつもお世話になっているボランティアさんが一枚のスナップ写真を持ってきてくださいました。 
「先月1か月、フランスをスケッチ旅行してきました。その時に撮ってきました」とのこと。 

このボランティアさんにいつも指導を受けている利用者は目を丸々。そこに写っていたのは、彼が先月から描いている油絵の参考にしているゴッホの「夜のカフェテラス」そのままの風景でした。 
建物の概観だけでなく路地に並べられたテーブルや椅子のイメージもそのまま。「きっと誇張だろう」と利用者と話していた「深い青の夜空」もまったく同じ色合いで写っていました。 

ゴッホがこの作品を描いたのは1888年。つまり120年間このカフェテラスはまったく同じ姿で営業していたということです。そして街は同じ色合いを守ってきたのです。 

日本にも昔から姿を変えていない風景はあります。たとえば社寺はそうでしょう。 
だめたけの寺にしても、屋根替えをしたり障子をサッシに変えたりしているものの、今の本堂を再建した「篤姫ころ」から基本的な概観は変えていません。 

しかし、120年間まったく姿を変えていない商店街やカフェテラスが日本にあるでしょうか。 
驚きであり、感動の一枚のスナップ写真でした。

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2008年02月29日

年賀状の一言2008

 恒例の「年賀状の一言」です。2008年の正月に、だめたけがいただいた年賀状から、いくつかを紹介します。今年も心に響く言葉をいただきました。(カッコ内は出典です)



 救われない人だけが、救われない人を救い得る「国土」を開くことができるのであります。                                               (藤元正樹)


 今日がある その今日を生きてゆく                        (藤代聡麿)


 たったひとつの いのちだもの 大事に大事にいたします


 一一のはなのなかよりは 三十六百千億の
 佛身もひかりもひとしくて 相好金山のごとくなり
                       (讃阿弥陀佛偈和讃)


みほとけの めぐみあおぎて 明けの春


 超世の悲願ききしより われらは生死の凡夫かわ
 有漏の穢身はかわらねど こころは浄土にあそぶなり  (帳外和讃)


弥陀佛を たのみに明けて 今朝の春          (一茶)


「無量寿(いのち)」を生きる


衝突までは避けたいが、適度な摩擦は温かい

 

だめたけが、2008年の年賀状に書いたのは・・


この我執 そしてこの気の弱さ
共に必要あって 佛さまがわたしに授けてくれたもの (相田みつを)


 私が勤務する障害者デイサービスで出会った言葉です。習字の時間には、利用者が書いていた言葉です。習字の手本には、相田みつを、金子みすずの言葉などがよく使われています。(私のセレクトではありません。講師の用意してくださったお手本です) 
 いろいろな心に響く言葉に出会いますが、この言葉は「おまえへの言葉だ」と自分にせまってくるような感覚を受けました。
 じつは、今年の年賀状は、いちど別の言葉で作っていたのですが、印刷前にやり直しました。



2007年01月03日

年賀状の一言2007

 恒例の「年賀状の一言」です。だめたけがいただいた年賀状から、いくつかを紹介します。
(カッコ内は出典です。なお「だめたけ日記」を読んでくださっているかたからの言葉も掲載しています。ご了承ください)

 後半に、だめたけの2006年のことも書いています。



弱い者いじめが横行する世の中。何とかしたいですね。


今年は(親鸞聖人の)死罪流罪から800年。
聖人が命がけで伝えようとされた「ただ念仏」の教えをたずねる一年でありたい。


宗祖の御法要(2011年親鸞聖人750回御遠忌)が近づくにつれて、自らの信心がこれでいいのかと悲しく見つめられます。摂取の心光がしきりに願われる昨今です。


「わかったと思った時、見えなくなってしまうことがいっぱいあるってことを、人間は知ったほうがいい」 (小泉吉宏)


身に歓び 心に喜ぶ 充実した人生を                      


再びは通らぬ 尊い道を、いま、あゆんでいる。


「人の生をうくるは難しく、死すべきものの命あるは有り難し」  (釈尊)



 昨年2006年はだめたけにとって、住職としても福祉職員としても「濃い一年」
でした。


 まず、住職としての「おおごと」は、庫裡(寺の小会議室と門徒控え室と事務所と住職家族の住居を兼ねた建物)の新築工事です。

 春から、幾度にもわたる建築士との打合せ、設計図の確定、業者の選定、荷物の整理とさまざまな調整・・ そしてやっと12月に解体工事まできました。
 現在は、さら地状態。(ホームページに写真をアップしています) そのため本堂の一部は物置状態。書院は住居。昨年の報恩講から通常の形では法要を行なえなくなっています。ちなみに仮設の浴室では、だめたけは立ったままでしか入浴できず、ちょっとストレスです。

 この大事業(?)で感じていることをメルマガで報告しようと4回分ほど下書きしたのですが、諸事により発行しませんでした。でも、だめたけにとって本当によい「聞法の機会」となっています。
 完成予定は今年夏。たいへんですが、しっかり悩もうと思います。


 福祉職員としては「障害者支援とは何か? 私の役割はなにか?」と自問自答を繰り返した年でした。だめたけの人生では「大学受験」「結婚」「住職継職」に並ぶ、自分を見つめる機会となりました。結論は簡単には出ませんが、課題が見えたことで少し成長できたようにも思います。

 ただ、人からはテンションが低いように見えるようで、すでに退職された元上司から、こんな年賀状の一言をいただきました。

「この頃、少し気が抜けていないか? (略) 男やろ!」

 今年は元気と明るさを前に出したいと思います。



 ちなみに、だめたけは次の言葉を年賀状に書きました。

「迷ったことのないものに 覚めるということはない」     (伊藤 元)

 しっかり迷い、しっかり歩む一年にしたいと思います。



2006年01月03日

年賀状の一言2006

  
 正月の楽しみのひとつは年賀状というかたは多いのではないでしょうか? だめたけもその一人です。
 
 だめたけが年賀状でいただいた「一言」の中から、いくつかを紹介します。
(カッコ内は出典です。なお「だめたけ日記」を読んでくださっているかたからの言葉も掲載しています。ご了承ください)

 すべてを紹介できませんが、今年は世情を憂うコメントがめだちました。
  


「兵戈無用」(大無量寿経)「世のなか安穏なれ」(親鸞聖人)の御ことばがいよいよ重さを増してきた昨今です。


(略)いよいよ私たちは、真実を求め、歩み出さなくてはならないと感じています。全世界へ届けることのできるお念仏。その声を、共にあげてゆきましょう。


「人と生まれた悲しみを知らないものは 人と生まれた喜びを知らない」   
                               (金子大栄)


「仏身もひかりもひとしくて 相好金山のごとくなり」
                         (「讃阿弥陀仏偈和讃」)


「みかんの種はみかんになります。ぶどうの種はぶどうになります。人の心は不思議です。辛さという種から、やさしさという芽が出たりします。悲しみという種から、希望という花が咲いたりします」           (澤田直見)


「機の深信というのは 綽々たる余裕ということだ」      (曽我量深)


 ちなみに、だめたけは次の言葉を年賀状に書きました。

「今、いのちが あなたを 生きている」
              (真宗大谷派2011年親鸞聖人750回御遠忌テーマ)

 自分と社会を見つめる一年にしたいと思います。



2005年12月16日

30kgダイエット−感想


 だめたけ、今年の6月中旬から9月下旬までの間に、約30kg体重を減らしました。

 ダイエットの記録や経過については、「日記」にアップしています。

 このダイエットで感じたことを思いつくままに書いてみます。
 なお、便宜上「△かわらなかったこと△」、「■デメリット■」(現在ダイエット中の人は後で読んでください)そして「□よくなったこと□」に分けています。


△体型の変化に気づく人は少ない△

 約30kgも体重が減ったのに、ほとんどの人が気づきません。「だめたけダイエット」との話が広まってからは、「すごくやせましたね」と声をかけられることは多いのですが、独自に気づいた人は、実感数字としては、3割もないのではないでしょうか。


△やっぱり疲れる?△

 血液検査の劇的な変化はあったものの、体調がすばらしくよくなったとは感じていません。主観的なことなのでうまく表現できませんが「疲れ方の種類が変わった」という感じでもあります。どこか気力も減退気味で、表情もよくないようです。

 でも、夏の夜の息苦しさは明らかに減りました。

 ダイエットの効果が大きいことは間違いないのですが、安易に「やせれば健康」と考えるのはちがうと実感しています。



■筋肉が落ちた■

 上半身の脂肪はすごく落ちましたが、同時に筋肉も落ちた感じです。特に物を持ち上げるときに、筋力低下を感じます。


■「かっこよくなった」とはいわれない■

 気づいた人の評価の9割以上は「気持ち悪い」「不気味」などひどいもの。社交辞令をふくめても「かっこよくなった」と言ってくれたのは3人(職場の同僚2人・ご門徒1人)のみです。

 確かに今はしぼんだ風船のような体です。風呂上りには自分でも「不気味」と感じます。


■病気と間違えられる■

 見た目に「健康的でなくなった」ということなのでしょうが、「だめたけは病気らしい」とのウワサが一部に広がりました。しかも「重度の糖尿病らしい」「いや、すい臓がんらしい」といった具体的な病名までついて・・

 ウワサは伝わっていくうちに真実味が増す特性があるようで、私の上司などは「はやく病院に行って来い。職務の調整が難しいようなら、私が数日現場に入るから・・」と真剣に心配してくださいました。

 でも、決して病気ではありません。ご心配なく。



□「ダイエットはやればできる」と自分に自信が持てるようになった□

 だめたけが短期間で体重を落としたのは、はじめてではありません。じつは18年ほど前になりますが、3か月で15kg体重が減ったことがありました。今回の半分のペースですが、当時は自分でもびっくりしました。(ちなみにこの時もほとんどの人に気づかれませんでした) ただ、この時はダイエットではなく、別に原因がありました。

 今回は、あいまいな決断であったとはいえ、意識してのダイエットです。
「自分はダイエットもできない人間ではない」と少し自信が持てるようになりました。

 これが、この数か月間の一番の収穫でした。



2005年01月02日

年賀状のひとこと2005

 正月の楽しみのひとつは年賀状というかたは多いのではないでしょうか? だめたけもその一人です。
  
 今年もだめたけが年賀状でいただいた「一言」の中から、いくつかを紹介します。
(カッコ内は出典です。なおこのホームページを読んでくださっているかたからの言葉も掲載しています。ご了承ください)
  


  ふみつぶされたら ふみつぶされたところで  光っている 林檎さ    (山村暮馬)
  
  
  微笑にまさる 綺麗な化粧なし
  
  
  視野の遥かな果ての「変わらざるもの」を求めて
  
  
  空気の中にいるから 空気を意識しない 歩くときに 足を意識しない (相田みつを)
  
  
  あたりまえに驚く ありがたさの発見
  
  
  善も悪も みな宿業であると 知らしめられるときに、悪は転じて 自然法爾に善となる       (曽我量深)
  
  
  つながり合える、響き合える世界を求めていきたい。
  

  
 ちなみに、だめたけは次の言葉を年賀状に書きました。
    
   自分のあり方に 痛みを感ずるときに 人の痛みに 心が開かれる  (宮城しずか)
  

 昨年は「なんでテンションがあがらないのだろう」と悩んだ一年でした。
 4月の異動で「残業は少ないが体力的にはハード」という現場にかわりました。比較的早く帰宅できるのですが、疲れから(特に夏季)家ではゴロゴロしていることが多く、テレビの視聴時間は長くなりましたが、あまり有効に時間を使えませんでした。
 住職の立場や私生活でも、それなりにいろいろありましたが、どこか熱くなれない一年でした。
  
 ちなみに、今年の年賀状に「力の出し惜しみしてないッスか?」と書いてくれた同僚がありました。
 じつはこれが一番心に響く「一言」でした。



2004年12月31日

今年の・・

 先日、私の勤務先である障害者施設の利用者から、短いメールをもらいました。

「今年の漢字は『災』でした。あなたの漢字は? 私は『希』ですよ。希望だからね」(原文のままです)
  
 今年の漢字に『災』が選ばれたのは納得できます。新潟県中越地震や次々日本をおそった台風。漢字が発表になった後ですが、スマトラ沖地震による被害は「史上最大」と伝えられています。
  

 私が暮らす地域では土砂崩れや堤防決壊のような大きな被害はありませんでした。それでも台風の印象が深い一年でした。
  
 だめたけの町では、8月の16号台風で一人が亡くなりました。
 9月の21号台風では中小河川の増水で一部地域が浸水し、だめたけの寺の数十メートル先に避難勧告がでました。
(ちなみに熊もでましたが、これも台風が遠因のようです)
  
 私の寺では、建物が古い(特に庫裏)ので、あちこちが傷みました。
 16号台風では庫裏の屋根瓦が数十枚飛びました。渡り廊下などアクリル板で屋根をしていたところは、ほとんど青天井になりました。
 10月の23号台風では、本堂の唐戸(雨戸)の一部が飛び、山門と裏門も傷みました。
 大工のご門徒が一部は修理してくださいましたが、屋根などに関しては「順番待ち」の状態です。生活に支障はないのですが、雨が降るたびにあちこち雨漏りがして、書院の廊下は壁土が流れぐちゃぐちゃになります。ちなみに今日は湿った雪でなんとか引っかかっていた瓦が数枚落ちました。 
 (「写真日記」に写真を掲載しています


 施設での昼食のとき、メールの当人と今年の漢字の話になりました。
  
 メールをくれた方の市(つまり私の勤務地)でも台風被害はありました。海岸部の高潮、数万戸単位の停電・・ 
「やっぱり『災』でしょ」と話す私に、彼は「いや、『希』だ」と応えます。
  
「どうして? オリンピックの日本選手やイチロー選手の活躍に希望を感じた?」と聞いてみても「イラクではたくさんの人が死んでるし、いいことなかったな〜」と言う彼。言語障害のため食事しながらでは話が深まらないこともあるのですが、どうも話がかみ合いません。
 その後、この件についてあまり話をすることもなく、冬季休暇に入ってしまいました。
  

 いよいよ年末を向かえ、彼が言いたかったのは「希望を感じた年」ではなく「希望が求められた年」ということだったと気づきました。
  
 今年気持ちを暗くしたのは自然災害だけではありません。
 泥沼化する戦争。大人の欲望で子どもが殺されたり、「一人では怖くて死ねない」程度の思いで、自殺する人がいたり・・ 命がだんだん軽く扱われるような恐怖を感じた一年でした。
 だからこそ彼は希望が必要だといいたかったのだと思います。
  
 新年まで数時間ですが、メールの彼には「ちょっぴり意味が分かりました」と返信しようと思います。



2004年10月11日

携帯電話

 だめたけ、昨日、携帯電話をかえました。機種だけではなく、電話会社を変えたのです。
  
 理由は単純です。4月に異動した施設では山の陰のためか、ときどき圏外表示が出ていたからです。
 電波状況がよくないので、大事な話が途切れるだけでなく、電池の消耗が異様に早いという支障もありました。
  ただ、同僚にたずねると、会社によってはしっかり受信できるようなので変えることにしました。
  
 機能やサービスには十分満足していましたし、電話番号は変えたくなかったので、ずいぶん悩みました。でも、「不安なくつながる」という基本的なことを重視して、思い切りました。
  


 思えば、私が「この種の機械」をはじめて持ったのは11年前。はじめはポケットベルでした。
  
 そのころ障害者の就労支援をする部署にいた私は、ハローワークや町工場などの外回りが日課。「職務に必要」ということで、当時の上司が施設に交渉して公費で持たせてくれました。(Jさん、お世話になりました)
 言語障害のある方と「暗号」を決めて連絡を取るなど、かなり有効に使いました。
  
 ちなみに私事で一番印象に残っているのは「父、危篤」の連絡をこのポケベルで受けたことです。
  
 その後、就労支援の部署を離れても、私費でポケベルを持つようになりました。
 施設の勤務だけでなく、「住職で、労組の役員で、地域の消防団員で・・」という立場でしたから、とても役に立ちました。
  

 携帯電話をはじめて持ったのは1997年の冬でした。
 着メロはなく、メールもなく、もちろんカメラもなく、電話帳はカタカナだったように記憶しています。 
  
 なにかすごい機械を持った気分で「はじめに誰に電話しよう・・」とワクワクしていました。しかし、ちょうど次の日にナホトカ号事故の重油回収ボランティアに行き、そこで年長の労組員に「ちょっと貸して・・」と使われてしまいました。残念でした。
  

 いまや携帯電話は、だめたけの暮らす田舎(いまだに通話できない地区もあります)でも、一人一台に近い状態です。我が家でも、長男以外が全員持ってます。

 使用量が多いのは高3と中3の娘、次に私、そして70過ぎの母、妻といった順でしょうか。数年前までは私しか持っていなかったのに、今はけして上位ではありません。
  


 携帯電話は、会話の出来る、あるいは短文が書ける障害者にとって重要なコミュニケーションツールです。
 私が現在勤務している施設では、30数名の利用者(知的障害者、身体障害者)の半数が携帯電話を持っておられます。さらにその半数はメールを使いこなしておられます。
  
 携帯からの連絡で一番多いのは「雨でバスのダイヤが乱れている」「帰り道で○○さんとケンカした」といった内容です。そして「○○さんがいつもの時間にターミナルに来なかった」「バスに乗り遅れたが、どうしていいか分からない」という連絡で行方不明を未然に防げたこともいくどかあります。
 携帯電話は家族や職員の安心だけではなく、利用者自身の安心になっています。
  
 また、夜にメールで相談やグチを聞かせてくださる利用者もあります。
 けっこう本音を感じます。

「持つことが成人としてのステータス」と感じておられる人を含め、多くの人が「自分の使い方」で有効に使っておられます。
  

  
 携帯電話番号を変更することはたいへんです。しばらくバタバタしそうです。
  
 また操作方法が少しちがうので、ただいまマニュアルと格闘中です。今度の携帯電話は娘たちと同じ会社ですが、なかなか教えてくれません。
 でも、とにかくがんばりたいと思います。



2004年01月03日

年賀状のひとこと2004

 正月の楽しみは年賀状だというかたも多いのではないでしょうか。私もそうです。
 結婚式や子どもの写真も楽しいですし、一言の書き込みにもうれしさを感じます。
  
 特に今年は、日ごろ迷惑をかけている何人かの若い同僚の温かいメッセージに、新年早々涙腺が緩みそうになりました。「やっぱり、がんばろう・・」という気持ちになりました。
  

 僧侶仲間(多くは先輩ですが)からは「今年のひとこと」が記してある年賀状を何通もいただきます。その中から、いくつかを紹介したいと思います。(今年は法語にしぼっています。カッコ内は出典です)  
  

  
   われわれのいたるところに光がある 
   逆境もまた輝きがある              (曽我量深)
  
  
   聞くということは吸収すること          (東井義雄)
  
  
   「煩悩の濁水へだてなし」
    自覚と反省をもちながら常に変わり続ける私たちでありたい。
  
  
   凡夫の身に 帰れば帰るほど 
   凡夫の身の底は 深くなる            (宗 正元)   
  
  
   たのみもせんのに おまえ大事と喚んでくださる 南無阿弥陀仏

  
   世の中 安穏なれ 仏法ひろまれ         (親鸞聖人)
  

 中には、250字ほどの「ミニ法話」を記しておられる先輩もありました。  
  
 年賀状をいただいた方、ひとり一人の思いや「願い」が伝わってきました。
  

  
 ちなみに、だめたけは今年の年賀状に次の言葉を書きました。
 (真宗連合・法語カレンダー2000年1月からの引用です)
  
   すべてのひとに今日がある 
   あることかたき今日である            (藤代聡麿)
  
  
 つながりの中に生きているという意味では、私一人の今日ではありません。自分の思いばかりに埋没していては、世界は見えてきません。
 必要以上に気負うことはないのでしょうが、生きていくということには責任が生じます。ただ「むなしい」と嘆くだけでない一年をめざしたいと思います。      



2003年09月13日

我が家のプロ野球

  阪神タイガース優勝目前です。
  
 だめたけは静かなタイガースファンです。甲子園球場が兵庫県にあることから地元住民だとも思っています。
   

 ただ、残念ながら子どものころからのファンではありません。
  
 だめたけの町は兵庫県でもかなり西。私が10歳ぐらいまでは、テレビで大阪キー局を受信できず、映るのはNHKと西日本放送(香川県の日本テレビ系テレビ局)だけでした。プロ野球というのはジャイアンツが一人でやっているような印象を持っていました。
  
 中学校までには、キー局に加えサンテレビ(タイガース戦完全中継で関西では有名です)も映るようになりました。
 しかし、父が野球を観ないこともあって、テレビ観戦は我が家の風景ではありませんでした。
  

 甲子園とは同じ兵庫県とはいえかなりの距離。小学校の時、西宮の親戚に泊まって高校野球を観に行ったことはありましたが、球場でプロ野球を観たことはありませんでした。
  
 はじめて観戦したのは大学生になってから。
 腕時計を買ったらチケットが当たり、弟と「阪神‐巨人オープン戦」を観に行ったのが、はじめでした。新人の岡田選手がセカンドでなくライトを守っていた記憶があります。
 その後、興味を持ってテレビ観戦をするようになりました。
  

 タイガースの前回優勝の時は、福祉施設職員の一年目でした。
「いつから福祉の仕事を?」とたずねられると、「前にタイガースが優勝した時から」と応えるのがだめたけのパターンです。
  
 18年前の優勝の瞬間は自宅のテレビで観ました。当時、母の詩吟教室に来ていたお弟子さん(町のおばさん)といっしょに歓喜しました。  
  
 次の日、勤務先の福祉施設では館内放送で「六甲おろし」が流れました。熱烈なファンの利用者が興奮から発熱して欠席したりといろいろありましたが、とにかくみんな笑顔だったことを覚えています。
  

 じつは、だめたけの家でタイガースの応援をするには、たいへんな苦労がいるのです。
  
 岐阜県出身の妻は熱心なドラゴンズファン。そのうえ彼女は、いまだに星野監督がタイガースに来たことの気持ちの整理ができておらず、タイガースが勝つと機嫌が悪くなる、私の地方では「危険な人物」です。
 このため我が家ではタイガース戦はリビングのハイビジョンではなく、私の部屋の小型テレビでひっそりと観るのが通常です。応援メガホンは目立たないように置いています。
  
 ちなみに、この複雑な家庭環境のためか、小学生の息子はブルーウェーブのファンクラブに入っています。(ときどきヤフーBBスタジアムへ出かけるのはこのためです)
  

 さすがにこの3連休のうちに、タイガースの優勝は決まるのでしょうか。(予想以上の足踏みがあるかもしれませんが)
  
 夕方にもお参りがあるので、テレビで胴上げを観れるかは分かりませんが、静かに興奮したいと思います。



2003年05月10日

電話相談

 先月はじめのことです。
 PDA(手帳型のミニミニ携帯パソコン)を買ってスケジュールなどを打ち込んでいたところ、動作しなくなって・・ メーカーの「お客様相談センター」に電話すると男性が応対してくれました。
 この時は簡単な対処で解決しました。しかも、後で見るとマニュアルのちゃんと書いてある。お騒がせしました。
   
 つぎにカード式携帯電話をつないだのに、どうしてもメールが送受信できない。ホームページは閲覧できるのに・・ 再び電話しました。
 今度は女性。ていねいに説明してくれましたが設定自体は問題ない。最後に一度を削除して同じ内容を設定をしたら解決しました。
  


 先日のホームページ・リニューアルでも、プロバイダ(アドレスでおわかりのようにDIONです)の「カスタマーサービスセンター」のお世話になりました。ソフトを替えた関係なのか新しいホームページがFTP転送できないというのが相談内容でした。
  
 はじめに対応してくれたのは声質がアルトの女性。私の使っているOS、FTP転送のソフトなどを聞き、電話の向こうで同じ操作をしながら設定を一項目づつ一緒に確認してくれました。15分ほ どかかり、なんとか「転送中」との表示のたどりついたので、私のほうから「もう大丈夫です。ありがとう」といって電話を切りました。
 ところがインターネットで確認するとホームページは更新されていない。なんどか転送をしましたが変化なし。再び電話しました。
  
 今度対応してくれたのは、声質がメゾソプラノの女性。考えられる問題と解決法を説明しくれて「この手順で送信してみてください」と丁寧な対応。そして「今、こちらでもホームページを見ています。新しい画面が見えています」との言葉。おかげでホームページを更新できました。
  
  
  
 相談は不安なもの。
「ちゃんと問題を伝えられるだろうか?」「『そんなことも知らずにパソコン使ってるのか!』とバカにされないか?」などいろいろ考えてしまい緊張します。まして、解決策がじつはマニュアルに書いてあったりすると「よく調べもせずに相談するいいかげんなヤツと思われただろうか・・」と顔が真っ赤になります。
  
 私がお世話になった相談室では、どの人も私を不安にさせないように応対してくれました。
 定型句的な言い回しなど、おそらく対応マニュアルがあるのだと思いましたが、結果として私の問題は解決し、気持ちよく製品やサービスを使うことが出来ました。おかげでパソコンライフを楽しく続けられます。
  


 もちろん、寺の住職で福祉施設職員のだめたけが時に接する相談はパソコンと同じ対応というわけにはいきません。   
「お内仏の荘厳の仕方」など「正解や正論」が存在するものはいいのですが、価値観や人間関係などにかかわる問題などには、そもそも答えなど存在しません。また「これは決して相談ではないのですが・・」といった感じで相談がはじまるケースが多いのも特徴です。
 なにより、人生はOS(バックボーン)やソフト(条件)、操作(行動)が同じだからといって、同じ答えで問題が解決するものではありません。  
  
 しかし、不安と緊張をかかえた相手と応対するという意味では同じです。
 私が安心して相談できる対応をしてくれたパソコン関係の相談室に多くを学びたいと思います。



2003年05月03日

ホームページ・リニューアル

  だめたけにとって、今年のゴールデンウィークは近年にない暇な連休です。法務(僧侶の仕事)はゼロではないのですが、今のところ、どの日も2時間ほどで終わる法要です。
  
 この「時間」を使って長い間更新していなかったホームページをリニューアルしました。


  
 以前のホームページの最終更新は2002年1月3日。でも実質的にはその数か月前からちゃんとした更新していませんでした。
「Webに公開している以上これでは無責任」と気になっていたのですが、放置状態でした。
 以前のホームページは、このメルマガのバックナンバー置き場。(今回も基本的にはそうですが) 新しく題材を用意するわけではないので、更新だけならすぐに出来るはずなのですが・・
 ほんとうにいい加減な私です。
  
 02年3月、手術後の自宅療養のときには「このたっぷりある時間で・・」と思いました。しかしパソコンを買い換えたことで以前使っていたホームページ作成ソフトが使えず更新できませんでした。(ソフトを買いに行けるような体調はありませんでした)  
  
 次は「社会福祉士試験が終わったら・・」が目標でした。予定どおり今年1月に試験が終わってから作成ソフトは買いましたが、なぜか気持ちがのらず・・ 
  
 ちなみに、このゴールデンウィークに更新することも、はじめから計画していたわけではありませんでした。
  
 4月27日、午後からは法要がなく、また家族はみんな映画などに出かけてしまったので、一人でごろごろしながら作成ソフトのマニュアルを開いたのが、きっかけでした。
  
 実際に作業したのは4月29日。
 基本的な作業は、発行済みのメルマガや以前書いた法話の下書きを貼り付けていくこと。機械的にすすめれば早いのですが、一文開くごとに思い出がよみがえって・・(なにせ「日記」の整理 ですから)
 メルマガ発行時にメールで「不適切な表現」とご指摘いただいた箇所の訂正など、必要な作業もあったのですが、多くはノスタルジーにひたっている時間でした。 
 結局、朝からはじめて夕方近くまでかかってしまいました。
  
「やっとリニューアルできた」という充実感と、「だらだらしつつも一日で出来ることをなんで今ままでしなかったのだろう」という自己嫌悪感を抱きながら、更新のためのFTP転送をおこないました。


  
 こんないいかげんなホームページですが、ぜひお立ち寄りください。
 新コーナーの他にも、ちょっとだけメルマガ未発表の文章を掲載しています。またご感想などをメールをいただけると更新のはげみになります。
 よろしくお願いします。



2003年04月04日

試験結果

 おかげさまで第15回社会福祉士国家試験の合格通知をうけとることができました。
  
 読者のかたからは、試験勉強や受験にさいし、何通も心あたたまる励ましのメールをいただきました。
 ありがとうございました。
  
 2003年1月26日の試験のようすは、<受験日記>に書きました。
 2001年4月に受験資格所得のための通信講座をはじめてから2年。受験の直前をのぞけば「たいへんな苦労」というほどではなかったのですが、ほっとしています。
  
 
  
 受験資格取得のためのスクーリングでのことです。講師がこんなことをいっておられました。
「社会福祉士は福祉現場においては基礎資格(みんながもっているべき資格)です。試験に合格しても、『福祉士? 当然、持ってるよ。ごく最近とったのが恥ずかしいけど・・』といった冷めた態度をとってください」とのことでした。
  
 しかし、だめたけはこの助言にそむいています。
「おめでとう!」と言ってくれる同僚には、はっきりと「ありがとう!」と応えています。まだ、受験していない同僚には「私でも合格したのだから・・」と受験をすすめています。
  
 私は「君もがんばれ!」との先輩のはげましにより、なんとか通信講座を履修し、このたび国家試験に合格できました。もし、だめたけの周りが、ないしょで通信講座をうけて、ないしょに試験勉強をするタイプばかりの同僚ばかりだったら、だめたけはいまでも受験資格すら持っていなかったことでしょう。

 基礎資格であるべきだからこそ「みんなで明るく受験しよう」とまだ受験をしていない同僚や後輩にすすめています。それが、だめたけをはげましてくれた人への恩返しだと思っています。
  
 
  
 このメルマガでは、<福祉と資格>としてだめたけが社会福祉士を目指すことにしたわけを書きました。
 そのなかでもふれましたが「いのちの意味、生きていくことの意味をあつかう資格を、国家が認定することの危険性」を今でも私は感じています。しかし、これからは、同じくスクーリングの講師の言葉「福祉職は利用者を守るため行政と対峙する必要にせまられることがある。資格は土俵にあがるための一つの方法」を大切にしたいと思います。
   
 今回の「合格」を機会に、もう一度、自分の役割を考えたいと思います。  



2003年03月22日

宿題

 まだ軍事侵攻がはじまっていない、10日ほど前のことです。  
  
 日ごろ、ほとんど会話のない高校1年の長女が、私の部屋に入ってきました。
「宿題でイラク情勢についてレポートを出さんとあかんから手伝って・・」とのこと。
  
 私の意見が聞きたいのだと思い「つまりはアメリカは自分に自信がないんだ。暴力でしか自分の存在を確認できないのは、人であれ、国家であれ・・」と話はじめると、「いや、インターネットで参考になる文章を検索して、いくつかプリントアウトしてくれればええんや・・」と部屋を出て行こうとします。
  
 結局、娘とは会話らしい会話が成立しないままでしたが、いくつかの反戦のスタンスの論説文や政党の声明、2月28日付け真宗大谷派『武力行使に反対する声明』などを渡しました。
  

  
 20日の昼、障害者施設の勤務中に米英イラク攻撃がはじまりました。
 日ごろから政治問題を語る先輩や同僚だけでなく、世界情勢に興味がないように見えていた20代の後輩が目を潤ませながら「腹が立つ!」と叫んでいました。
  
「戦争を回避すべくみんなで努力する」というのは前世紀からの宿題だったはずです。しかし、国連は無視され、民主主義を連呼する大国が他国の主権を無視するという、どうにも説明のつかない状況となっています。

 アメリカは、はじめから宿題を解くつもりがなかったようです。  
  

  
 真宗はなぜ戦争に反対するのか。ひとつのコンパクトな文章として、真宗大谷派がブッシュ大統領の最後通告演説のあと(3月19日)に発表した声明の抜粋を紹介します。
  
 だめたけが共感している考え方として、娘にも読ませたいと思います。
    
  
  
「イラクへの武力行使に対する抗議と戦争中止を求める声明」
  
   (略)
  
 ひとたび戦争が起これば、戦闘員はもとより戦地の市民が大量に殺戮され、とりわけ老人や女性、幼い子供たちに、とりかえしのつかない犠牲を強いることになります。どれだけ「正義」の名を掲げようと、いかなる戦争行為も許されるものではありません。むしろその「正義」こそが、犠牲を強いられ絶望の中におかれる多くの人々を見えなくしてしまうのであります。
  
 私たちは、今こそ戦争やテロの連鎖によって生み出されてきた憎悪を克服していく道を探らねばなりません。そのことをとおして、国家や民族・文化・宗教の差異を認め合い、共に生き合える社会を実現することが求められています。そのような願いを世界中の多くの人々と共有しながら、私たちは、あらためて不戦の誓いを確かめ、イラクに対する武力行使に断固抗議すると共に、戦争の中止を強く求めるものであります。
  
 また、日本政府は、イラク攻撃支持の立場を表明するなど、憲法に謳われた戦争放棄の理念を踏みにじる行為を行っています。
 日本政府には、かつて侵略戦争を起こした国として、平和な世界の建設に向けての役割を自覚し、攻撃支持の方針を撤回し、国際社会に対して武力行使反対の立場を明らかにされるよう、ここに要請いたします。





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