住職のひとりごと(00年・01年)

2001年06月17日

考・『郡上一揆』

地方では「上映会」でしか観られないこの作品。私はたまたま上映の情報を得て、観ることができました。上映日が二日しかなかったので、他の予定をキャンセルして時間を作らなければなりませんでしたが、それだけの価値がある映画でした。
  
 特に後半は、映画では情景としてだけあつかわれた一瞬のシーンからの発想の広がりですので、思い入れが激しい文章です。
 すみません。
  

    
   時代は江戸中期。官官接待などの要因もあり財政難におちいった美濃国郡上藩は、年貢算定方法の変更を農民に迫る。しかし、これは実質的な大規模増税であると農民は立ち上がる。文字通り、死をかけて・・
  
 キャストは緒方直人、加藤剛、林隆三、永島敏行、前田吟、篠田三郎など、そうそうたる面々。演技の確かさはいうまでもありません。
 加藤剛の「インテリタイプのお百姓」には、はじめ違和感がありました。しかし、それは「情に訴えても、理論構築による闘争は苦手」といった従来の農民の描きかたに私が毒されていたせいだと、観おわったあとに気づきました。   
 この映画で民衆はなにもはじめから武力行使を前提に行動していません。最後まで自分たちの主張の正当性を幕府に訴えることが目的でした。
 拷問で足の骨を砕かれながらも「百姓がおそれるのはお天道様だけだ!」と叫ぶようすは、人間は同等であるとの訴えでした。
  
 
    
 じつは、だめたけの職場では、労働組合のありかたについて、その存在意味にまで立ち返って議論しているところです。そんなこともあって、特に前半、労働運動に重ねてこの映画を観てしまいました。
  
 各村からの代表者による藩への強訴は「団体交渉」。増税撤回という国家老との「妥結」をあっさり翻されたのでは、民衆が怒るのは当然です。今日、食べるものをがまんして闘争資金を捻出する民衆。強行か妥協かでもめる「交渉団」。卑劣な弾圧にめげず、冷静に状況を分析しようとする「執行部」。
 今、私の所属する労組で課題となっていることに対するヒントが、いくつか見えました。
 

    
 この映画のラストは、農民の訴えにより幕府を動かすことに成功したものの、犯罪者として斬首された代表者の生首に、民衆が手を合わせるシーンでした。
 そこで民衆が唱和していたのは正信偈(真宗門徒が日常の勤行で唱和する偈文)です。また、農家の仏間には真宗のお内仏があったようにみえました。
  
 これをもって「やはり真宗はすばらしい」というつもりはありません。
  また「念仏は遺体に手向けるものでない」といった話をこの映画にからめてするつもりもありません。
  
 ただ、ご門徒と共に歩む寺としての意味が、私自身に問われているシーンのように感じられました。
  
 

  
 話はかなり飛びますが、だめたけの寺には、江戸時代に鉱山があった20キロ近くも離れた場所に、今もまとまってご門徒がおられる地区があります。過疎の典型のような所ですので、現在は数戸ですが、150年ほど前までは、かなり多くのご門徒がおられました。
   
 このことについては、だめたけは先代住職である父から次のような話を聞いています。
  
 鉱山の過酷な労働に耐えかねた人々が、強訴に行く途中、だめたけの寺で一泊。その時、当時の住職が「行けば殺される。みんなの思いはなんとか伝えるから、この度は引き上げてはどうか」 と仲介したのが縁で、ご門徒となられた・・
  
 じつはこのことを裏付ける資料は残っておらず、「いささか疑問符」というのが正直なところです。
 ただ、私が寺のことで悩んだとき、ときどき思い出す伝承です。
  
 
  
 上映会では、だめたけの住む播磨(兵庫県西部)における百姓一揆の資料をいただきました。そこには、映画と同じくいのちをかけて闘った人々の記録がありました。そして、記述の中に近隣の寺院名前がいくつもみてとれました。
  
 だめたけの寺が鉱山の強訴に関わったどうかはともかく、私の地方でも親鸞聖人の教えを聞く真宗寺院が、民衆が今を生きることの意味を考える聞法道場であったことは確かです。
     
 さて、現在はどうか・・

  
 映画に出てくる人が、私にもつながる先人にみえたり、今の自分たちにみえたり・・
 いろいろな思いが駆け巡った映画でした。



2001年05月27日

厚意のおしつけ

 自分の母親との意見の違いです。身内の悪口のようで、いやな文章ですが、ご勘弁願います。

問題提起として読んでいただきたいと思います。
  
 
    
<親戚の葬式>でのことです。喪主である従姉妹の夫から「すべてのかたからの香料を辞退したい」と連絡がありました。
  
 日頃から宗教者として思慮をつくしている従姉妹の夫のこと。だめたけとしては香料辞退には少し疑問があるものの、「親戚として喪主の意見を尊重しよう」と母に話しました。
 通夜の席で、喪主からはあらためて簡単な(時間がなかったので)説明がありました。
  
 しかし、後日、私の母は「初七日忌法要の時、香料を渡しておいた」と話します。「それは従姉妹夫妻の意思にそわない」と話しましたが、意見は合いませんでした。
  
  
 話はちょっと飛びますが、私の父が癌で闘病しているときのことです。母は「執刀医にお礼を渡さなければいけない」と言い張りました。
「それは必要ないし、ちゃんとした医師はそんなものを受け取ったりしない」と話すと、「先生の自宅を捜してこっそりと渡してくるのが息子の勤め。ちゃんとした家はそうするもの」と母は言い、あきらめさせるのに苦労しました。
  
  
 こうした発想はなにも私の母だけの特殊な考えでなく、戦前戦中派のかたには時々みられることかもしれません。(もちろんそうでない人も多くおられます)
  
 私の勤務先である障害者施設でのことです。
 今はかなり減りましたが、私も利用者の家族からの贈り物に苦労したことがあります。いずれも、相手は私の母と同世代でした。
  
「うちの施設の職員は絶対にそのような金品をうけとらない」と話しても理解されない。「黙っていればわからないから・・」と言われたこともありました。
 ひつこく住所を聞かれて「教えられない」というと高校の同窓会名簿から住所をしらべて自宅へ送ってくる。送り返すとしばらく関係がおかしくなる。
「息子の将来について手紙を書きました」といわれ封筒をうけとると、妙に分厚い。たしかめるとビール券入っていて大慌て。
 極めつけは、家庭訪問のとき「なにか受け取ってもらいたい」とせまられ、逃げるように施設の公用車を発進させたため、ガードレールで車をこすってしまったことでした。
  
 送り返すのには送料がいるし手間もかかる。車をぶつければ始末書を書かねばならない。
 先方に悪意はないといっても、たいへんな迷惑でした。
  
   
 父の闘病期の話ですが、父が亡くなったあと、看護婦さんにお礼を渡そうと母が言い出しました。
 家庭で父の最後を看取るために、本当に献身的に協力してくださった看護婦さん。このときは私も同意しました。

 しかし、すぐ看護婦さんは返しに来られ次のようにおしゃいました。
「私は看護婦の仕事に誇りを持っています。これを受け取ったらこの仕事を続けていく自信がなくなります」

 私は「たいへん失礼なことをしてしまいました。どうかゆるしてください」と頭をさげました。
  
 無理やり、贈り物を渡そうとする利用者の親に対し「私はなにももらわなくても精一杯の仕事をする!」と叫びたくなる私が、看護婦さんに対してなぜあんなに失礼なことをしたのか。
 いまでも恥ずかしくてたまりません。
  
  
 香料の話にもどりますが、だけたけは香料廃止論者ではありません。通夜のとき、喪主である従姉妹の夫に「香料は喪主への贈り物ではなく、私がこの葬儀をとおして自分を見つめるためのもの」と話して、受け取りを求めておられた人もおられました。私はどちらかといえばこの意見に共感をおぼえます。
   
 しかし、私の母の行動は「それでも香料を持ってくるだろうと思っているに違いない」といった考えを元にしたものです。これは従姉妹夫婦の気持ちを疑うもので、親戚だからこそ、とってはいけない行動だったと思います。
 少なくとも、意見を述べて受け取りをもとめるのとは大きく違います。
  
  
 私の母にしても、私に贈り物を渡そうとされた利用者の家族にしても、決して悪い人ではありません。「それぞれの常識」にしたがった厚意の表現であったことまで否定するつもりはありません。
 しかし、相手がとってはひどく迷惑な話です。
  
 自分の価値観をいやがる人に一方的に押し付ける行動は、言い方をかえれば人権侵害です。
「尊敬しあい、共に生きる」ということとは相容れない行動だと思います。
  
 
    
 そもそも香料と贈り物を同じ話題であつかうことには無理があります。
 しかし、今回の話題は「絶対にやめてほしい」といているのにかかわらず、「本心は違うくせに・・」とあの手、この手でおしつけた例として読んでいただければと思います。



2001年05月19日

スケジュール管理

  だめたけが「だめ」である理由のひとつです。ほんとに恥ずかしい話です。
  
  
 先日、施設の勤務で朝から利用者と外へ出ていると、携帯電話の着信音。「養護学校の生徒が先生や家族と一緒に実習の打ち合わせに来ているよ」と同僚の声。真っ青!
 どうやら私が約束の時間を勘違いしていた様子。
  
  
 今日はデスクワークの日と決めて朝から家でのんびり。パソコンにむかっていると来客の気配。庫裏(住居)からノソノソ本堂に行ってみると「法事で来ました」とご門徒とそのご親戚。
「エッ!今日でしたっけ」と大あわて。掃除はしていない。花もとても簡略。(お参りがなくても荘厳を整えておくのが寺の常識すが、だめたけの寺は恥ずかしいかぎりです)
「すぐに法衣に着替えますから、それまでにご自分たちで掃除をしておいてください」と信じられないお願い。ご門徒のなかでも特に気さくな方でしたので、笑い話となりましたが、ひどい話です。
  
  この法事の席で、ご親戚から「今度は私の家の法事。以前からお願いているように来月の○日です」との話。しかし、この日は休日出勤を打診されてOKと答えた日。あやうく法事をすっぽかすところでした。誰か出勤代わってくれるだろうか。
  
 先月には、祥月命日法要のつもりで行ったら、じつは墓参りで、家の人は墓地で待ちぼうけということもありました。
  
  
 間違いの原因は、私の記憶ちがいが一番。電話を受けた母との連絡不足だったり、予定表への記入ミスだったものもあります。しかし、いずれもちょっと確認すれば問題なかったことばかりです。
  
  
 ほんとに最近どうかしている。
 仕事の疲れからか集中力が落ちていることは感じているので、できるだけ細かくシステム手帳に予定を書いて、慎重に確認しなければと思っているのですが・・
  
 予定の確認は最低限のこと。いうまでもなく、まったく言い訳はできません。

 ただでさえ、法事の日程を変えていただいたり、休日出勤を代わってもらったりと、ご門徒や職場に迷惑をかけてばかりの私。
 こんなことではいけない。なんとかしなければ・・



2001年05月08日

親戚の葬式

 先日、親戚(従姉妹の嫁ぎ先)の寺であった先代住職の葬儀・通夜に参列しました。
 そのときの様子をちょっと・・
  (あくまで私自身を中心にした感想です。あしからず)
    

 この寺は天台宗。真宗(浄土真宗)の私の寺とは異なる宗派です。
 しかし宗派は違っても、この寺の住職(従姉妹の夫)は、温厚でありながらしっかりとした信念を持った、私が目標にする僧侶の一人です。
 また、なくなった先代住職とはゆっくり話をしたことはないものの「高僧というのはこういう人をいうのだろうな」と思えるかたでした。
  
 私なりに、亡くなったかたやご家族へのいろいろな思いを胸に参列させていただきました。
    
  
 ただ、私の親戚で宗派が違うのはここだけなので、亡くなったかたに学ぶ真摯な気持ちとは別に、葬儀・通夜ではいろいろな発見がありました。
  
  
 まず通夜で、私の宗派では使わない木魚を至近距離で見て、想像以上に大きな音にびっくり。他にもいろいろな鳴り物を使うのにまたびっくり。特に、木製の円盤状のものをロープの端のようなもので叩く楽器は、とてもよい音がしていました。
 葬儀では天台宗の声明に聞きほれました。
 作法ひとつひとつがゆったりと風格があり荘厳でした。

  
 しかし、私にとって一番の発見は、はじめてみる儀式作法ではなく「儀式の流れがわからない葬儀や通夜はこんなに時間が長く感じるものか」ということでした。
   
 通夜では、自分の宗派を基準に、はじめは「たぶん30分程度だろう」と軽く考えていました。
 ところが、1時間をすぎても終わる気配がない。声明は美しくてもどんな言葉をいっているのかわからない。なにより、正座した足が痛む。
「いったいあとどれくらい時間がかかるのだろう」と不安になったところで、私がいつも読む仏説阿弥陀経がはじまり、ホッとしました。
  
 葬儀では、細かく儀式の進行を記した差定(さじょう)をもらったものの、そこに書いてあるのは私にとっては初めてみる言葉。項目のひとつがどれくらい時間がかかるのかは、わかりません。(宗派が違えばそんなものです)
 でも通夜と違い「2時間をこえることはない」と知っていたので、かなり助かりました。
    
 思えば、私がつとめるご門徒のお葬式でも、違う宗派の参列者などの中には、同じように感じられた人もあったことでしょう。 
   
   
 なお、このことを障害者施設の利用者援助に置き換え考えれば、知的障害を持つ人が予定が理解できずに大きな不安を感じる状況に似ているかも・・

 先日の葬儀(特に通夜)では、そんな利用者の気持ちも少し想像できました。



2001年03月27日

近所の花屋

 先日、春季永代経会の準備をしました。

 本当は直前に荘厳すべきなのですが、今週は勤め先の福祉施設が年度末なのに加え、親戚の婚礼などもあるので、5日もはやく本堂の花を立て替えるなどしました。

 大きな法要の時には、ご門徒が花を持ってきてくださるのですが、それでもいくらか買い足すために、いつもの花屋にいきました。

 花屋の女性店主は90歳。
 数年前、脳梗塞を患われた時には心配しましたが、幸い後遺症も軽度で、家族や近くに住む娘さんの応援をうけつつ、花屋を続けておられます。
 私の寺のご門徒ではありませんが、近所ですので昔からの知り合いです。


  
私 :永代経までまだ一週間近くあるさかい、まだあんまり開いてない花がええんやけど・・

店主:(仕入れたばかりの花が入った箱を引っ張ってきて)  ちょうど良さそうなんが入っています。

私 :この花、値段は一本なんぼ?

店主:なんぼやったかな。そうそう思い出した。200円。そやけどお寺の法要でつこうてもらうんやさかい、50円引かせてもらいます。

私 :じゃあ、これは30本ください。なんぼかな?

店主:なんぼになるかいな?

私 :4,500円やで。それから、あれと、これと、これももらうわ・・

店主:ちょっとそこにならべてくれてですか・・ 全部でなんぼかな?

私 :8,400円やな。1万と400円だすさかい、2千円おつりちょうだい。
     
店主:(紐を私に手渡し)これで花をゆわえてください。

私 :(自分で荷造りして)ありがとう。また来ます。

店主:こちらこそ、ほんまにありがとう。


  
 店にはおしゃれな花はおいていないので、しゃれた花束などはちょっと無理です。積極的に注文をとるような「機動力」もありません。
 
 でも、地域に根ざした、ホッとできる花屋です。セルフサービスもまったく気になりません。むしろ「私を信頼してくれている」という事実に、暖かいものを感じます。

「高齢者を地域で支える」ということには、このホッとした雰囲気が大切だと思います。



2001年03月20日


 だめたけの住む近畿地方西部はすっかり春です。
 読者のみなさん、いかがおすごしですか。ニューヨークのIさん、北陸のAさん、寒さはやわらぎましたか。

 今日、お参りの途中、河原で若い家族をみかけました。お父さんの髪は茶色。お母さんも茶色。保育園ぐらいの子ども2人も茶色。
 まるで土筆(つくし)。そんなニューファミリーが楽しそうに土筆を採っている風景におもわず微笑んでしまいました。
  
 連絡せずに月忌参りに行ったお宅では、ご親戚があつまって食事中。「御院主さん(私の地方では住職をこう呼びます)もごいっしょに」ということになって、わたしも飛び入りでちらし寿司を楽しくいただきました。
 寺が小さくご門徒が少ないことのメリットは、このように親しい付き合いをしていただけるご門徒が多いことです。
  
 このお宅のご主人は私を小さいころからかわいがってくださいました。また、父の葬儀と私の住職就任では特別にお世話になったご門徒です。
 今は、数年前から急速に痴呆が進んだことにより、ご家族の介護と訪問看護などの利用で暮らしておられます。
「おかげんいかがですか」などと食事中にいろいろと話しかけても返事がなかったのですが、勤行(読経)を終えて帰ろうとすると、しっかりとした口調で「御院主さん、ありがとうございました」と声をかけてくださいました。うれしかった。

  職場は年度末の異動が気になり落ち着かない。体調も今ひとつで、ちょっとイライラ。でも温かい気持ちになった午後でした。



2000年12月01日

報恩講

 報恩講は親鸞聖人のご命日法要。
 今日、明日と二日間勤めるだめたけの寺の報恩講は、寺院関係者が聞けばびっくりするくらい簡略なのですが、それでもご門徒にとっても、住職にとってもかなりのエネルギーが必要な法要です。
 まず、ご門徒のみなさんによって数週間前から境内や本堂の掃除、仏具のおみがきや特別な荘厳など様々な事前準備。当日は役員や当番のご門徒が早朝からに集まって当日準備。勤行には法中(近隣同派寺院のグループ)の住職が参勤してくださいます。そして参詣のみなさんとともに法話を聞いて、親鸞聖人の教えにふれます。

 準備はできるだけ休日におこなうようにしていますが、多くのご門徒に一人あたり半日の時間をさいていただくことになります。また、報恩講は法中の調整で近くのお寺と重ならないように曜日と関係なく勤める日が決まっていますので、当日当番のご門徒は、勤めのある人は仕事を休んで、商売をされている人は店をしめて早朝から寺に来てくださいます。
 ご門徒とともに真摯な気持ちで聖人に学ぶ機会であり、法要の準備や執行という現実を通して真宗寺院の存在意味をともに考える機会でもあります。

 また、住職であるだめたけは、自分の寺だけでなく順次勤まる法中の報恩講にも参勤しなくてはなりません。ご理解を得て母や妻(彼女らも僧侶です)を代理にたてることもあるのですが、それでも勤務先である障害者施設は年休や時間休の連続となってしまいます。同僚がどんなにフォローしてくれても、もともと職員数が少ない中ではどうしても利用者(施設に通う障害者)に迷惑をかけてし
まいます。施設職員としては最もつらいことです。

 それでも、報恩講は真宗寺院にとって最も重要な年中行事ですので、施設のみんなには申し訳なく思いつつ、この時期は住職としての責任に重きを置かせてもらっています。
「親鸞聖人の教えにふれて生きる意味を考える機会は、施設職員としての私にとって無意味でない」と自分に言い聞かせつつ・・





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