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2001年の年頭法話です。
あけましておめでとうございます。テレビ世代のはしりである私が子どものころでも「未来」の代名詞であった、「21世紀」が今日やってきました。
去年もいろいろなことがありました。いいことでなく、悪いことをあえてあげれば、脳梗塞で危篤の人が「あとのことはよろしくたのむ」としゃべったと言った人や、自分で埋めた石器を発見した人もいました。正義の味方であるはずの警察が失敗を隠すためにウソをつていたといったこともありました。バスジャックに象徴される「少年犯罪」は年末まで新聞をにぎわせました。
特に先日のタクシー強盗は、わずか15000円のために、決して問題児でなかった16歳の男女が衝撃的な事件でした。「人を壊してみたかった」とかいった不気味なメッセージはなかったものの、あまりにも短絡的で、幼稚で、それだけに恐ろしい事件でした。「15000円と人のいのちや自分たちの人生をはかりにかければ、あんなバカなことできないはずなのに」といった話を良く聞きます。まさにその通りです。
しかし、人間はあとでほんのちょっと冷静考えれば、「どうしてこんなに簡単なことに気づかなかったのだろう」というようなミスをよくします。
先日テレビで前の経済企画庁長官の俵屋氏が官僚の問題性を指摘するエピソードとして「太平洋戦争のとき官僚は一億玉砕といった。日本人が一人もいなくなったらなんの意味もないという至極あたりまえのことに気づかなかった」と話していました。
戦争にのめりこみ、組織や自分の立場を守ることにのめりこみ、あるいは恋愛にのめりこんだときには、人間はおそろしい判断ミスを犯し、取り返しのつかないことをしてしまいます。
親鸞は、「私もどんなことをしでかすかわからない。殺人などの大きな罪を犯していないのはたまたまそんな状況になかったからにすぎない」といっています。
これはなにも「罪を許すべき」と言っているわけではありません。過ちを犯してしまった人は、一生をかけてつぐないをしなければならないこともあるでしょう。ただ、罪を犯す人は特別な人でなく、私自身も状況がととのえばどんな恐ろしいことをしてしまうかもしれないということは、忘れてはならないことだと思います。
なにかにのめりこみ、あたりまえのことに気づかない状況。仏教ではこれを無明といいます。これを照らしてくださるのが、阿弥陀様の教えの光です。いろいろな機会に言わせていただいてるように、仏事は自分を見つめなおす機会です。
しかし、ただ自分で自分のことを考えると、都合のよい言い訳などを考えるばかりで、ますます無明に落ちいってしまいます。これは気をつけなくてはならない勘違いです。
光がないと物の形が見えないように、自分を確かめるためには光がいるのです。これが聞法です。法事では、なくなった人の生き様をとおして、法要や聞法会では講師の言葉をヒントに自分をみつめる。熱心がゆえにあたりまえのことが見えなくなっていないかとチェックする。
一昨年の修正会では、臓器移植の話をさせていただきました。人から体の部品のとって病人につないで生きさせるといった、親鸞聖人でも考えもしなかった時代が来たとお話しました。そして、去年、人の遺伝子情報がおおかた解読されたとの事です。暮れのNHKの特集では、ねずみの背中に人間の耳をつくった恐ろしい映像がでていましたが、まさに人間を好きなように実験室で作ることができる時代がきてしまいました。
阿弥陀さまからいただいた命ということが、努力しなければ感じられない時代になってしまいました。テクノポリスのスプリング8は強い光で微小なものをみえるようにしましたが、命の大切さは闇に追いやられようとしています。
人間が自分を見失わないことがよりいっそう求められる時代となりました。寺の役割もよりいっそう増してきていると感じてます。今年もみなさんとともに聞法していく年としたいと思います。
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毎年「村報恩講」におじゃまする地区での法話です。
今年は歎異抄について触れてみたいと思います。
歎異抄は親鸞の弟子のである唯円の著作といわれていますが、最近親鸞自身の作ではないかとの説も出ています。高校の教科書の表記も「唯円作」から「親鸞の関係書籍」ということになっています。
「歎異」とは「異なることを歎く」との意味。真宗の教義がゆがめられて伝えられていることを歎くとの意味です。
ご承知のように、親鸞は先ほどの御文にあったように、京都で生まれ、9歳で得度、比叡山で修行しておられましたが、29歳で山を降り、本願念仏を説いておられた法然上人の元へいかれます。しかし、当時の朝廷による念仏弾圧に遭い越後へ流罪。許されたあとは京都には戻らず、42歳ごろからは関東に居を移し布教活動をなさいます。その後、60歳をすぎてから京都へ戻られました。
実は、教義のゆがみは親鸞が関東を離れてから、すぐにはじまりました。
真宗の教えは、この報恩講の場で聞いていただいたり、いろいろな法座でお聞きのように、加持祈祷を否定し、この状況をどう生きるかということを説きます。しかし、病気になればまずお祓い、死者がでればお清め、それどころか旱魃のときには生贄の風習すらあったのではないかともいわれる当時の人々には、まじないによって奇跡がおこり物事が好転するといったほうがなじみのある教えでした。
さらに、親鸞と同時代にあらわれた日蓮が、「念仏すれば必ず地獄におちる」と説いていたという状況もありました。これは、人間の平等をとき、支配者を特別な人とはあつかわない真宗をうとましく思っていた当時の為政者にとっては、好都合でありました。
この状況を解決するため、親鸞は長男の善鸞を関東にむかわせます。しかし善鸞は、「実は念仏だけでは救われない。私は父から秘密のまじないを伝えられている」と言ったりして、かえって混乱を深刻化させます。結局このことから親鸞は長男を勘当することになります。
悩んだ関東のご門徒は、京都まで親鸞に真意を聞きに来られます。そのときの言葉が歎異抄第二章に記されています。
そのなかには「ただ念仏して弥陀にたすけまいらすべしと、よきひとのおおせをかぶりて、信ずるほかに別の仔細なきなり」とか「いずれの行もおよびがたき身なれば、とても地獄は一定すみかぞかし」とかたいへん有名なフレーズがいくつもでてくる章です。また短文の多い歎異抄のなかではもっとも長い章ですが、かいつまんでわたしなりに意訳させていただきます。
みなさんは命がけで極楽浄土に生まれる方法をたずねにまいられました。しかし、わたくし親鸞が念仏以外にそのような方法を知っているとお思いでしたら、おおきな間違いです。そのような質問ならどこかの学者にでも聞いてください。
わたしは、「ただ念仏して、阿弥陀如来の教えにふれていく」といわれた法然上人の教えを信じているだけなのです。本当のところ、念仏したら浄土へいけるのか、あるいは地獄へおちるのか私にはわかりません。でも、法然上人を信じて地獄に落ちてもわたしは後悔しません。それは、厳しい修行をするなど他の方法も選択できる人が、たまたま念仏を選んだために地獄に落ちたなら悔いも残るでしょうが、どんな修行でも救われることの出来ず、念仏しか方法のないダメな私にとっては、もともと地獄が住家なのです。
「どんな人間でもすくい取る」と誓われた阿弥陀様の本願が本当なら、お釈迦様の教えがうそであるはずがありません。善導大師や法然上人の教えがうそであるはずがないのです。また、親鸞の考えもそれほど無茶でもないでしょう。私の信心のありようはこんなものなのです。
つまりは阿弥陀如来の教えを信じるかどうかは、みなさんひとり一人がおきめになることです。
平安時代から鎌倉時代に移るころの話ですから、関東から旅してくるというのは本当に命がけであったはずです。途中、盗賊におそわれて殺されると考えたほうがむしろ自然な旅であったはずです。そこまで思いつめてこられた門徒に対して、「自分で考えなさい」というこの親鸞の言葉はあまりにも冷たすぎるとの意見はあります。しかし、親鸞としてもいのちがけで、「信仰とはなにか」ということを伝えようとされたのではと思います。
歎異抄の第6章にはやはり有名な言葉で、「親鸞は弟子一人ももたずさふらう」という言葉があります。それに続いて「阿弥陀さまの導きによって念仏するようになったのであって、私のちからで念仏者にしたのではないのだから、私の弟子だというのは傲慢だ」といっています。
わたしが思うのに、ここで大きなポイントとなるのは、「自分で考えるか、考えるのをやめるか」ということだと思います。
最近もまた、怪しげな新興宗教が世間を賑わしています。これらの教祖や教義には実は共通点があります。
統一教会の文鮮明はキリストの生まれ変わりだと自分でいっています。オウムの麻原彰晃は最終解脱者で釈迦と同格だと、法の華三法行の福永法源は自分にだけが天の声が聞こえるといいます。いずれも、自分だけが宇宙で最高の存在で、自分の言葉だけを信ずれば救われると説いています。いいかえれば、「弟子のおまえたちは、わたしの言葉だけを信じて、サリンの作り方や撒き方については考えても、その意味については疑ってはならない」つまり「なにも考えなくてもいい」ということです。「ミイラが生きている」と言い、「これは定説だから、疑ってはならない」といったライフスペース事件も分かりやすい例です。
また、信者のほうも自分で考えるのではなく、答えをもらうほうが楽ともいえます。「会社の人間関係はなぜうまくいかないのか」「なぜ自分だけ厄介な病気にかかったのか」「なぜおれはついていないのか」といった問題は自分で考えても答えがでるものではありません。オウム事件の時、「なぜ東大、京大の超エリートがころころひっかかるのか」ということが問題になりましたが、物理や数学のように方程式ではでない答えを麻原が「考えなくてもわたしがおしえてやる」といって与えたからでした。
親鸞は命がけの長旅をして救いの方法を求めにきたご門徒に対し、「自分はこう信じるが、本当かどうかは責任がもてない。最後は自分できめてください」といいました。相手が「師匠」といっているのに「私は弟子を持つ立場ではない」といいます。これは「自分も苦しみ悩んでいる」という同朋の感覚だけではなく、念仏とは悩みぬくことといったメッセージであると思います。
真宗は「南無阿弥陀仏の一声で救われる」と説きます。しかし、これは「南無阿弥陀仏という呪文をとなえれば奇跡が起こる。それが定説」といっているのではけっしてない。それは、自分と取り巻く世界を知ることで目覚めていくことです。そしてそれは誰かに許可をもらったりすることではなく、ひとり一人が実感することです。
真宗は、座禅を組んだり、滝に打たれたりといった修行は否定します。しかし、「阿弥陀様にすべてをまかせる」というのは、「なにも考えなくてもいい」ということではありません。「信じるものは救われる」のではなく「生きるものはすくわれる」のです。
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2000年の年頭法話です。
あけましておめでとうございます。また新しい年が明けました。言い方をかえれば、みんな等しくひとつ年をとった訳です。去年生まれた赤ん坊はひとつに。幼稚園児は小学生に。昭和36年生まれのわたしは39に。69の人は70に。79の人は80に。
去年法要の準備にきていただいたかたが、こんな話をされていました。「娘のころには70といえばすごく年をとったおばあちゃんという気がしていた。しかし、自分がその年になったら、それほど度は思えない」
これについては、実はわたしも最近似たようなことを感じていました。子供のころ40前といえば、人生は明らかに後半戦で、人間それなりのおちつきがあると思っていました。しかし実際にその歳になると若いころに思っていたよりは若いというか、落ち着きはないというかどうも違います。
実はこの話は去年はこんな法話につかっていました。「人間一番わからないのは自分のことだ。自分では若いつもりでいても本当に若い者から見れば私などは充分におっさんなのだ。」そして、職場で後輩を飲みに誘ったら「今日は若いものだけでいくから」と言われた話や、同窓会で「おばはんばかりでつまらないから帰ろう」といった友だちがいた話などを紹介したりしました。
これは別にまちがった話ではありません。人間一番わからないのは自分のことというのは、大切なことです。単に年齢のことならば、同級生の様子をみれば気づくことができますが、それが人間の性根となればこれは仏法に照らさなければ気づくことができません。清沢満之が「自己とはなんぞや。これ人生の根本問題なり」といっているように、われわれが聞法するのは、もっといえば念仏するのはこのためだからです。
しかし、「娘のころには70といえばすごく年をとったおばあちゃんという気がしていたが、その年になったら、それほど度は思えない」ということに関していえばどうやら別の意味がありそうです。
なんどか聞いていただいているように、わたしは障害者の施設に勤めています。知的障害者が専門なのですが、昨年からある必要にせまられて、老人福祉を少し勉強しはじめています。そこで平均寿命について、こんな資料を目にしました。
現在、日本人の平均寿命は男性が約77歳、女性が約84歳です。この数字についてはみなさん耳にされたことがあると思います。ところで戦後すぐ、昭和22年はどのくらいだったと思いますか。なんと男性は50歳、女性でも54歳でした。いまより30歳近く平均寿命が短かったわけです。もちろん終戦後2年しかたってないこのときには、まだ医療状況がひどい状態だったなど混乱がつづいていたためとも思われますが、今年年忌が50回忌になる昭和26年でも男性が60歳、女性が63歳です。父は65歳でなくなりました。多くのみなさんに「それにしても早すぎた」と声をかけていただくのですが、終戦直後の平均寿命からは15歳、昭和26年でみても5歳長生きしたわけですから、少し前なら「歳には不服はなかった」といわなければならなかったわけです。
30年近くということは確実に一世代ということです。そういえば、最近おじいちゃん、おばあちゃんが若いと思っていました。腰が曲がって、すこし枯れた感じでの昔話に出てくるようなおじいちゃん、おばあちゃんはひ孫ができたぐらいからと思っていましたが、これは錯覚ではなく数字から見れば実際にそうだったのです。昔の70歳は平均寿命より20年近く長く生きた長命者ですが、今の70歳は女性なら平均的にはあと14年もある若者なのです。
確認しておきますが、平均寿命とはあくまで平均です。昔の人がみんな短命だったわけではありません。今年の百回忌にも90以上の人がたしか二人はいらっしゃいました。ただ、子供の亡くなる率が非常に高かったようです。百回忌では、実は半分近くが小さな子供さんでした。最近では、細かい数字はわかりませんが、たとえば私が住職を継いでからの6年で、40少しのお葬式をしましたが、赤ちゃんのお葬式は一度だけでした。これを足して割ると先ほどの数字となります。
ただ、実は統計には65歳時平均余命というのがあります。これは65歳まで生きた人がその後どれくらい生きられたかという数字です。これで観ると昭和22年には男性で約10年、女性で約12年であったものが、現在では男性で17年、女性で22年となっています。まあいずれにしても、大変長生きになったことは確かです。
この修正会の席で、去年は確かハルマデドンの話をしたと思います。その前の年はたしかクローン技術や臓器移植の話をさせていただきました。「親鸞聖人や蓮如上人は確かに多くの言葉を残しているが、人間が実験室で人間を創ったり、人から体の部品のとって病人につないで生きさせるといったことはとても親鸞聖人たちは想像していなかった。阿弥陀の本願に照らしえこれをどう考えるかは、現代に生きる我々に課せられて使命である。親鸞なら、蓮如ならどうしただろうと考えれば、おのずと答えは見えてくるのではないか」と言った話をさせていただいたと思います。
我々はつい数十年前とくらべても、一世代長く生きられるようになりました。これもまた親鸞、蓮如が想像だにしなかった状況だと思います。阿弥陀の本願に照らしどう生きるかが真剣に問われているのです。親父はこうだったとか、姑はこうだったとかいうことはとても大切なことですが、時代がこれだけ変わっているのですから、すべてそのまま真似ることは少々難しいかもしれません。むしろ真宗門徒の原点に帰って、親鸞、蓮如ならどうしたかを考えつつ生活すべきですし、その責任が私のような若い者も含めて阿弥陀様から与えられているようにも感じます。
今日から2000年、パソコンが狂っているかどうかはまだ詳しくしらべていませんが、電気がとまることもなく何とか年が明けました。新年にあたり、とかく投げやりに生きてしまいがちな生き方をこの修正会で修正し、今年も真宗門徒として、自分は自分らしく責任を持って生きているかと日々自問する、お念仏の生活を送りたいと思います。
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「白骨の御文」のだめたけ流の解釈文です。
さて、人の世の不確かさをつくづく考えてみますと、なにがはかないといっても、それは赤ん坊の時、青年の時、老いを感じる時をあっという間にすごしてしまう人間の一生にほかなりません。なんだかんだといっても、人は一万年も生きられないのです。一生はすぎやすいのです。誰が百年間、若いままの姿でいられましょうか。
私が死ぬのが早いか、あなたが早いのかさえ分かりません。ひょっとしたら、死がおとずれるのは、今日か明日かもしれません。多少の遅い早いがあるだけで、草木から露がしずくとなって落ちるように、人は必ず死んで行くのです。つまり朝には元気いっぱいであった人が夕方には白骨となっているということが起こり得るのです。
今このときにでも、死ぬ定めがやってきたなら、静かに目を閉じて、息をすることを終えて、暖かく元気でみずみずしいこの体を失うことになるのです。そうなってしまえば、家族親族が集まって嘆き悲しんでも、どうしようもありません。
遺体をそのままにしておくこともできないと、野辺の送りをして、夜空にただよう煙にしてしまえば、ただ白骨が残るのみです。これが「あわれ」という言葉だけでは言い表せられない、悲しい現実なのです。
つまり人間が死んでいかなくてはならないということは、年寄り若者といった順序もないきびしい現実ですから、どの人も「生きている意味を考えるのは先のこと」などと言わずに、阿弥陀さまの言っておられる「責任を持って自分らしい輝いた人生をおくる」との本願の意味を真剣に考えて、真宗門徒としての聞法とお念仏の生活をおくりましょう。
人生ははかなくても、我々にはこの教えがあることが、ありがたくてなりません。
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