日記(2001年)

2001年12月03日

報恩講日記2001
 11月23日(金・祝)
  
 朝、妻に起こされる。「もうみなさん来てくださってるよ」との声。
 今日は来週にせまっただめたけの寺の報恩講のために、ご門徒が境内の掃除に来てくださる日。鎌や枝切バサミなどを持参でテキパキと作業をすすめてくださいます。私は途中からご門徒の法事へ・・
  
    
 11月24日(土)
  
 今日は私は休日出勤。

 つい2週間前までは寺の予定がなかったこの日。しかし、出勤を引き受けた直後から法事の依頼が3件。結局、一つは日を換えていただき、二つは母に行ってもらいました。
  
    
 11月25日(日)
  
 今日は早朝からおみがき(仏具の清掃)。午後からは本堂の荘厳の準備。いずれもご門徒のみなさんがテキパキと・・ 
 報恩講までまだ6日もあるけど立花もしてしまいました。

 体力的にはきつかったけど、準備はほぼめどがつきました。
  
   
 11月26日(月)
  
 報恩講の準備は順調なのでのんびりムードだったところ・・
  
 夜になってご法話をお願いしているご住職が入院されているとの情報。電話をしても一人暮らしのためにご本人と連絡がとれません。

  一応、だめたけが自分で法話をすることを想定し、二日間分の法話メモの整理。
  
    
 11月27日(火)
  
 勤務からの帰宅後、「だめたけ日記・創刊1周年記念号」を書こうと思っていましたが、法話の構想をまとめることに集中することにしました。   
 報恩講に参ってこられるのは半分はだめたけの寺のご門徒。法事で話したことがある内容では話が重なります。「構想だけでまだ話していない話題」を整理。レジュメを書いては消しての繰り返し。
  
  
 11月29日(木)
  
 今日は利用者(施設の障害者)と宿泊。そこへ妻から「講師から連絡があった」と電話。「なんとか行けます」とのこと。連絡がとれたことにホッとしつつも、まだちょっと不安。
  
    
 12月1日(土)
  
 今日、明日は報恩講。真宗寺院にとって最も重い年中法要です。
  (2000年12月1日発行No.2<報恩講>にも書きました)
     
 朝一番早いのは、食事や法話の途中に出すあずき粥をつくってくださるご門徒。次に本堂の最終準備をしてくださるご門徒。
  法中(法要を協力しておこなう近隣の寺院)の住職がたとのお勤め。
  少しやつれた顔ながら講師も予定通りご法話をしてくださいました。ホッとしました。
    
    
 12月2日(日)
 
 報恩講は無事に終了。片付けもご門徒の大活躍で1時間ほどで終わりました。
  
 最後に本堂の電気を消して座敷に行ってみると、講師と20歳台の若手僧侶が教学(親鸞の教え)についてまだ議論中。だめたけも参加。同時多発テロなどの話題で熱く語り合い、私にとって  も充実感のある報恩講となりました。
  
 今年もいろんな人のおかげで勤めることができました。感謝。
2001年11月11日

晩秋日記
 11月3日
  
 朝から本堂の花を立てて、掃除をして、聞法会。その後、法事にいって、夜は私の寺で声明(お経)の練習会。昼食はとれず、夕飯は10時半でした。ちょっとやせたかな?
  
  
 11月4日
  
 今日は法事はなく月忌参りのみ。日曜日ということもあって家族がそろっておられる家が多くありました。私の中学時代の先生、小さな子どもを抱える若夫婦・・ のんびりといろんな話ができました。 
  
  
 11月6日
  
 残業の後、職場(障害者施設)の職場の後輩の誕生日ということで、急に居酒屋へ行くことに。彼は私の誕生日を覚えてくれていたのに、私は忘れていました。ごめんね。
  
 数日前から計画した楽しみな飲み会が、なぜか直前に気乗りしなくなることがありませんか? その点、思いつきの飲み会はいいですね。
 誰の誕生会かは10分もするとみんなが忘れていましたが、楽しい時間でした。
  
  
 11月8日〜9日
  
 施設の利用者の旅行。ここ数年は、予算の都合で日帰りだったので、ひさしぶりの一泊旅行です。

 特にめずらしい場所の観光はなかったのですが、旅の開放感もあって宴会がたいへんな盛り上がり。最後はみんながおどりだしたり、大合唱になったりとすばらしい会でした。最近体調がすぐ  れない利用者の一人は「入院とかいろいろあったけど、旅行にこれて本当によかった」と涙ながらに感動していました。
  
 物の位置にこだわる人、人とはいっしょに食事ができない人、一日になんども発作がある人、言葉がない人、自分が話題の中心にいないと落ち着けない人、移動や排泄に介助がいる人・・ 
 いろいろと「個性派」ぞろいですが、だからこそすばらしい仲間だと実感できる旅行でした。 
  
  
 11月10日
  
 PTAの行事や法事の予定がキャンセルになり、ひさしぶりに一日OFFに。
 こんな日は私は昼食をつくる係。今日はスパゲッティ(ソースはレトルトですが)。
  
 午後からは家族で買い物と食事にでかけました。誕生日が近づいた妻にハンドバッグを買い、ファミリーレストランで夕食をとりました。ちなみに私の誕生日には「おめでとう」の言葉すらありませんでしたが・・ 
  
  
 11月11日
  
 お参りが予想外に早くおわったので、少しホッとしています。
 夕方、ひさしぶりに息子とゆっくりキャッチボールができました。
2001年08月17日

おぼん日記(後半)
 お盆の勤め方は、地方により、宗派により、お寺によってそれぞれ違います。あしからず。
      
  
 8月14日

 母に今日のお参りを頼んで、私は福祉施設へ出勤。利用者(施設に通ってこられる障害者)は基本的には夏休みですが、特別な事情があるかたへの援助のため、職員は数名づつ出勤です。
  
 ベルダッシュで退勤して、暗くなりかけてから私もお参り。  
 来年には道路拡張のために立ち退きになるご門徒と感慨深くお勤めをしました。
  
 夜の8時半ごろ寺にもどり、法衣を脱ぎかけると、本堂に人の気配。
「おそくからすみません」とご門徒のご家族がお参りに。40歳代半ばのご夫婦と20歳前後の今風の兄妹。「おそく来てくださったおかげで会えましたね」と一緒に本堂でお茶を飲みました。
  
  
 8月15日
  
 朝から母や子どもたちとお墓参り。
 その後、盂蘭盆会法要の当日準備。ご門徒と一緒におこないましたが、予想外に手間取り、開始10分前まで私も作業着で走り回っていました。
  
 1時30分の開始予定を5分ほど遅れてなんとかはじめた法要。
 参詣者には、日ごろ都会に出ておられるご門徒を中心に、お盆だけお参りにこられるかたもちらほら。
 この日も本堂はかなり暑く、みんな汗を拭きながらの聴聞になりました。しかし、講師に質問を寄せる人や、休憩室である座敷までわざわざ話を聞きに来られる人など、何人かのご門徒の熱心  さに感服しました。
    
 夜は近くのお寺での「持ち寄り宴会付き」のコンサートに・・
 手料理を重箱につめて持ってこられるかたが多いなか、だめたけはビールとポテトチップスで参加。

 平和を熱く願っておられる韓国籍のオカリナ奏者(お名前を出してもよいとは思うのですが・・)とそのファンクラブを中心に、いろんな人が演奏しては「8.15」の思いを語るという催し。
 参加者は下は5歳、上は70歳過ぎ。広島や大阪から参加の人もありました。  
 だめたけにとっては、「忘れてはいけない事実」と、それに真向かいでない自分のいいかげんさを確認できた機会でした。
  
    
 お盆(盂蘭盆・うらぼん)は、釈迦の弟子である目連尊者が餓鬼道で苦しむ母を救おうと供養したのが起源であるとされます。
 しかし、この話が説いてある盂蘭盆経は、釈迦の正当な教えを伝えるものとは位置づけられていません。
 なにより、死者を救うといった発想は真宗の教えに反するものです。
   
 これらのことから私は若いころ、「お盆のお勤めは本当に必要だろうか?」と先代住職であった父に話したこともありました。
 しかし、今は違った考えを持っています。

「お盆という習俗に後押しされてお参りくださる人がいる以上、それをいかに仏法と触れる機会とできるかが問われる・・」  
 お盆に真宗が否定する先祖供養の意味合いがあることは注意すべき問題です。しかし、重要なのは、そこに自分をみつめる出会いがあるかということではないでしょうか。
 だからこそ「お経の集中配達日」に終わらせてはいけないと考えています。

 今年のお盆も、だめたけにとっては、この時期だからこそ会えた人があり、気づきがあった数日間でした。あの戦争を問いつづけることをふくめて・・
2001年08月16日

おぼん日記(前半)
 だめたけの地方では8月に月遅れのお盆を勤めます。
 なお、だめたけの寺では「ご門徒には寺で勤める盂蘭盆会に参って来てもらい、住職がお参りに行くのは、初盆のお家と、毎年お参りすることになっている一部のご門徒のみ」というパターンです。(地方により、宗派により、あるいはお寺によって、まったく勤め方は違います)
 特に今年は初盆のご門徒がないので、ゆっくりできると思っていたのですが・・

   
 8月11日
  
 今日は年番のご門徒のみなさんと盂蘭盆会の準備。みんなで仏具を磨いたり、本堂の準備をします。私は朝7時からお参りに出ていたのですが、帰ってくるとご門徒だけではじめてくださっていました。手際よく進み、お昼前には終了。
  
 夕方からは、小学4年生の息子とグリーンスタジアム神戸へ野球観戦。2か月前からの約束をやっと果たせました。
 ただ、ブルーウェーブが負けたので息子はご機嫌ななめ。帰路の渋滞もあって、私もストレス解消とはいきませんでした。
  
  
 8月12日
  
 毎年、お盆参りすることになっている地区に・・
  
 普段は別の町に住んでおられるご門徒が帰ってこられたり、いつもは高齢者の一人暮らしの家に10人近くの人がいたり・・
 脳梗塞で動きにくくなった手で、一生懸命新しい靴下に履き替え、仏間に出てきてくださる80歳すぎのご門徒もおられます。 
  
 またあるお宅では、毎年お盆に戦争で亡くなった弟さんの祥月命日のお勤めをします。
「8月15日の未明、手榴弾を投げに行く決死隊に志願した弟は帰ってこなかった」と話されるご門徒。24歳の弟さんにはいいなずけがいたこと。お母さんは無事を信じ、ラジオの尋ね人になんども放送を依頼したこと。戦後10年経ってから死亡が確定したものの、遺骨箱には名前を書いた札だけがはいっていたこと。
 当時の上官が尋ねてこられて「作戦」の詳しい様子を聞かせてくれたのは、時代が平成に変わろうとするころだったこと・・ 
 小さな体一杯に無念さをにじませながら話されるご門徒を前にして、私は黙って聞くしかありません。「弟は真面目すぎて早死にした・・」という言葉が胸をしめつけました。
    
 昼食もそこそこに午後のお参り。
 読経して、お話して、炎天下で墓参りして・・
  
 寺に帰ってくると大勢の人。この夏で長年暮らした町を離れるご門徒が親戚の方々(ひ孫まで含めてなんと30人近く)でお参りに。みんなでお勤めをしました。
 ちょうどこの時、都会に出ておられる別のご門徒が20数年ぶりにお参りに来てくださり・・ 
   
 どの人ともゆっくりいろんな話をしたかったのに、少しバタバタしました。とても残念でした。
  
 
 8月13日
  
 朝から、お参りをした後、本堂の花立て。途中でお参りに来られたご門徒と話をしながらでしたので、思った以上に時間がかかりました。
    
 夕方、部屋で休んでいると「小泉総理、靖国参拝」のニュース。
 本当に残念でした。

 亡くなったかたを大切にすることを否定しているのではありません。しかし、戦争という異常事態を自然なことと国民に誤認させるために機能してきた施設で、国の代表者が「平和への誓い」をするということに、私は恐ろしさを感じずにはいられません。
「首相談話」の前半が真意なら「行かないという選択」を採って欲しかったと思います。
2001年08月04日

東京日記
 先週、勤務先の障害者施設から出張として行かせてもらえた東京での研修の講師陣は、福祉業界では「利用者を中心とした時代を見据えた目」で有名な人ばかり。「最新情報」というよりは、「人を援助するということはどういうことなのか」を熱く再確認できる機会となりました。
 夏休みの家族旅行には一緒に行けなくなりましたが、有意義な研修でした。
   
 それはそれとして、だめたけが東京へ行くのは40年の人生で5度目。毎日なんらかのかたちでテレビに映っている大都会東京。
 昼間は研修とはいえ、なんと2泊3日。ちょっとウキウキでした。
   

7月27日

 早朝、旅行に出かける家族を見送り、私は午前中は施設で勤務。
 昼過ぎに姫路駅から新幹線に乗りました。
 
 6時すぎに、池袋のホテルにチェックイン。部屋に入ってすぐ前日の寝不足と猛暑による疲れでウトウト。
  
 夜8時ごろ「今度いつ来れるかわからない東京だ!」と気力を振り絞りサンシャイン60の展望台へ。(東京で学生時代をすごした同僚のおすすめでした)
 確かにすばらしい夜景。どこまでもビルの海というのも迫力でした。ただ、まわりはアベックばかり。おっさん一人で来ているのはだめたけだけでしたが、気にしない。


7月28日
    
 朝、昨夜は別行動だった友人に起こされて研修に。地下鉄の駅から出るとどこかで見た建物が・・ 「ワァ、東京ドームだ」と感動しつつ研修会場へ。
  
 夕方研修が終わり、「せっかくだから観ていこう」と都市対抗野球を6時前から30分ほど観戦。外野スタンドで友人とガイドマップに目をこらしつつ、今夜の予定の相談。
  
 隅田川の花火大会も捨てがたかったけど「東京らしいところを歩いてみよう」ということになり、銀座に移動。男二人でちょっとブラブラして、ガイドマップに載っていたビアホールで食事。値段も手ごろでおいしかった。自動車のショールームの女性が美しいのにびっくり。さすが東京。

 その後、新宿へ。5メートルおきに風俗店の呼び込みが声をかけるような場所に、普通の女の子が大挙して歩いている。田舎者のだめたけは人の多さに酔ってしまいました。

 池袋へ帰るために電車に乗ると夜の10時をすぎているのに寿司詰め状態。東京はおそろしいところだ・・
  

7月29日
   
 友人と朝食をとっているとテレビに昨日歩いた場所が・・ この日は参議院選挙の投票日。(もちろん私も友人も不在者投票をすませていました) 昨日は最終日ということで夕方から各党党首が新宿や池袋で「最後のお願い」をしたとのこと。
「しまった。ちょっと時間を調べておけばいろいろな有名人が見れたのに・・」と友人。ほんとに残念なことをしました。
    
 研修が終わり、東京駅であみやげを買って帰路へ。
  
 新幹線は指定席だったのですが、私は名古屋を過ぎるころから不調。冷や汗がでて、頭痛がして、胃が少し痛み・・ 今回の出張はゆったりとした日程でしたが、旅慣れない私はかなり疲れて  いたようです。(あるいはエコノミークラス症候群でしょうか。肥満で高血圧の私は可能性があります)
 10時半には帰宅したものの、もうフラフラ。メールチュックもほどほどに横になったものの神経は興奮していて眠れない。結局、深夜まで選挙特番を観ていました。
  
 かくして、10年ぶりの「東京」は終わりました。
2001年07月31日

猛暑日記
 暑かった先週の出来事をだらだらと・・

  
  7月23日(月)
  
 勤務先である福祉施設の利用者(施設に通う知的障害者)に「夏といえば?」とプログラムの希望を聞いたところ、「高校野球!」との返事。午後からみんなで県大会を観に行きました。
  
 スタンドで日陰の席を捜すと、そこは出場チームの父母席。地方予選ながらブラスバンドも応援団も本格的。気が付くと「必勝うちわ」をわたされ、みんなで知らないチームの応援に加わっていました。
 利用者はみんな満足そう。でも、暑かった。

  
 明日、休みをもらうために、がんばって残業。
  
 残業の途中、だめたけ日記を読んでくれている同僚が、前号<葬儀と出会い>の感想を聞かせてくれました。たいへん励みになりました。Hさん、ありがとう。
  
 10時半に帰宅して、ポケットをさぐるとメモが・・ 一通り仕事をすませたつもりが、まだ仕事が残っていました。かなりショック。
  
  
 7月24日(火)
  
 親戚の法事のため一日休の予定でしたが、朝、いったん職場へ出勤。1時間ほどで用事をすませて、親戚へ。(ここも寺です)
   
 伯父の法事に出席しました。
 ダンディで、お酒は強く決して乱れなかった伯父。家の中では無口でしたが、住職として法話をすると感激で参列者が涙することで有名でした。
 大好きな伯父でした。

 なお、この日集まった親戚のなかには「明石歩道橋雑踏事故」の現場からほんの数キロのところに住む者が二人ほどおり、歩道橋の状況を地元住民の視点から聞きました。
 なかには「事故で亡くなったのは知人の孫」という親戚もおり、伯父の話とあわせて、「いのち」がみんなの話題でした。
 事故現場の大蔵海岸はだめたけも明石大橋の夜景を楽しむため家族で何度か行ったことがあります。胸を締め付けられる事件でした。
 
 しかし、この日も暑かった。この夏一番の猛暑だったとのことです。寝不足のためだったとは思いますが、親戚の寺の本堂でお勤めをしただけで、かなり疲れました。夜はPTAの集まりでしたが、妻が行くことになったので、少し助かりました。
  

 7月25日(水)
  
 だめたけの担当する授産(障害者が援助者の支援を受けつつおこなう仕事)は屋外作業。ほんとに暑さはつらい。(寒さもつらいけど) 
 利用者が体調を崩さないよう気遣いつつ、がんばっています。
    

 7月26日(木)
  
 今日も暑い。
  
 夜は職務での会議の後、労組の執行委員会。これは予定より早く終わったけど、副委員長の私はそれに続く五役会に出席。帰宅は11時すぎでした。

 明日、午後から東京へ。でも、なんの準備も出来ていない。ほかにしなければならないこともあったので、寝たのは3時すぎ。かなりフラフラ。
2001年07月06日

梅雨の中休み日記
 暑さだけが心配な、おだやかな週になるはずでしたが・・  
  
 
  7月1日(日)
  
 朝から「聞法会」の準備。本堂の花を立て替え、内陣を掃除。昼前には当番のご門徒も来てくださり、掃除の仕上げと休憩のと きに出すおはぎづくり。40代、50代は若手と呼ばれるメンバー の手際のよさは芸術的です。
  
 数年前から連続講座をお願いしている講師を迎え、1時半に開席。扇風機を6台だしましたが、それでも本堂は蒸し暑く、汗がだらだら。そのなかでメモをとりながら話を聞いておられる熱心な参加者。
  だめたけにとっては、講師の話だけでなく、こんなご門徒の姿が法話です。
  

  7月2日(月)
  
 ウィークデイは福祉施設での勤務です。
  
 勤務を終えてから、車を80キロほど走らせて、施設で養殖したカブトムシを弟のところへ持っていきました。(障害者の授産施設はいろんなことをやっています) 
 しかし、留守だったので、玄関に23匹のカブトムシの入った発泡スチロールの箱を置いて帰宅。
  
 すると、夜遅く弟から「帰宅するとカブトムシが箱を破り逃げてしまっていた」との電話。考えれば相手も必死。でも、逃げ出したところが都会でおどろいたでしょうね。
  

 7月3日(火)
  
 昨日につづき会議も早く終わり(ラッキー!)、勤務を終えてから長女の誕生日プレゼントを買いに街へ。中学3年生の喜びそうなものはわからず、まして売っていそうな店にはおっさん一人では入りづらいので、女性の同僚についていってもらいました。
  
 この買い物も早く終わったので、私は一人で映画館へ。(基本的に映画は一人で観る主義です) 『A.I.』を観ました。
  
 10時過ぎに帰宅すると、境内で母が待っている。以前から入院されていたご門徒が亡くなったとのこと。すぐに法衣に着替えて、枕勤めにご門徒のお宅へ。葬儀の打ち合わせなどをして帰宅。
 明日がお通夜、明後日がお葬式。たいへんだ!
 布団にころんだのは2時をまわってからでした。
  

 7月4日(水)

 朝、夜にお参りするはずだったご門徒に断りの電話。
  
 職場では明日休むための調整にあたふた。「これは延期」「これは欠席」とわがままほうだい。上司にも、後輩にも大きな迷惑をかけます。(みんな、ゴメン) 
 新人職員は「(家族の病気など)なにかあったんですか?」と心配してくれる。「いや、ちょっと急用なんや。ごめんな」とあやまる。(本当にゴメン)
  
 夕方、時間休をとって通夜の席へすべりこみ。あいかわらずの綱渡り。
  
 夜、職場の後輩から仕事について確認のメールが入る。自分は休むのにメールで段取りを送る。(ひどいヤツです)
  
 
 7月5日(木)
  
 おそろしく参列者が多いお葬式でした。

 葬儀の後、遺族がだめたけの寺へ還骨勤行に参って来られるので、それまでに本堂の準備。今日は母はいない。妻も勤め。お茶はペットボトルと紙コップで用意し、参ってこられた親戚に入れ  てもらうことにしました。  

 この日のうちに初七日のお勤め。だめたけの住む田舎でもこのパターンが増えてきました。どの家でも遠距離の親戚が多くなったのも一因です。


 7月6日(金)

 今日は出勤。うっとうしい雨模様でしたが、気温が低いのはうれしかった。暑いのは本当に苦手です。

 明日は小学校の参観日。明後日はPTA主催の廃品回収と救急法の講習会。住職の仕事もあります。
 一つひとつを楽しむつもりで、がんばろう。
2001年05月03日

連休前半日記
 連休前半の様子をだらだらと・
    

 4月27日(金)
  
 かなり遅い職場の歓送迎会。おおいに盛り上がりました。明日からゴールデンウィークということもあり、みんなは二次会に。
  私は帰宅。明日からの予定を考えて体力温存。
  

 4月28日(土)
  
 当然のように朝から法事。家を新築され、また秋には娘さんを嫁がせるお宅でしたので、法話は「家」についてにしました。
 午後になって先日からの疲れからか激しい腹痛。夕方からはデスクワークに徹しました。
  
 夜、私の従姉妹が嫁いでいるお寺で、先代住職である舅さんがなくなったとの連絡。
  

 4月29日(日)
  
  朝、墓参りをしたあと法事。参列のかたから、私の父の戦時中の様子などを聞かせていただき、いろいろな発見をさせていただきました。
  
 午後から息子にせがまれバッティングセンターへ。息子はボールを目じりにあてて大きなたんこぶ。生傷は男の子の勲章。たくましく育て。
  
 本当は夕方から飲み会の予定だったのですが、参加者の都合により中止。まだ腹痛がつづいていたので、残念というより、ちょっとホッとしました。
  
 
 4月30日(振替え休日)
  
  法事は「3月20日発行No.22<春>」で紹介したお宅。最近痴呆のみられるご主人は元気。90歳をすぎたご主人の叔父さんも元気。去年大病をされた70代の弟さんも元気。おじいさんたちの間を2歳になるひ孫がとことこ走り回るとても暖かいご法事でした。
  
  夕方、従姉妹の嫁ぎ先のお寺でお通夜。

  夜、先日から体調を崩している同僚から「ほぼ回復したが微熱が残っている」とのメール。「親戚の葬式だから」といえば気を使うだろうから、理由は告げず「明日の朝、もういちど体調を教えてください」とメールを送る。
  
 
 5月1日(火)
  
  早朝、同僚から「出勤できます」と連絡が入り、「夕方からは出勤するから」と伝えて葬式に出席。
  時間的にとても長かった式が終わると早々に私は職場へ。
  疲れのためにボ〜っとしながら会議に出ていました。
  

 5月2日(水)
  
  今日は普通に福祉施設に勤務。
  仕事がたまっていたので残業をして、帰宅は11時半。さすがに疲れた・・
  
 
 5月3日(祝)
  
  じつは今日は完全OFFなので家族で出かける予定でしたが、昨夜もどこへいくか相談できず、「子どもは宿題をかたずける日」になりました。私も持ち帰った職場の仕事や私的なレポート書きなどデスクワークに徹しています。
  
 連休後半の5日、6日は予定のかえられない法務(寺の仕事)があるのですが、4日はご門徒がご家族だけで勤められる法事なので、日を換えていただける可能性があります。少し相談してみ  て、ご迷惑をかけずに日を変更していただけるようなら、明日は家族でどこかにいこうと思っています。
2001年01月16日

風邪気味日記
 ここ数日ちょっと風邪気味でした。ただ、それだけなのですが・・


1月11日(木)
 利用者(施設に通う知的障害者)と2人で銭湯へ。ご本人の希望だっただけに、とっても喜んでいただき、私も満足。昼間の銭湯はゆっくりといろいろ話もできて有意義な時間でした。
 ただ、施設へもどっての会議中、ちょっと背中がゾク。ひょっとして湯冷か。


1月12日(金)
 朝、起きようとすると頭が痛い。まるで二日酔いのよう。
 しかし、今日もちがう利用者と健康ランドへ。二日続けて施設外での入浴プログラム。これもゆったりとして楽しかったのですが・・
 夕方「今日は早く帰って寝よう」と思っていたものの、若い職員に「みんなで食事に行きましょう」と誘われたとたん、風邪気味なのを忘れてしまいました。少し辛目のラーメンを食べると気持ちよい汗が出て気分爽快。女性の同僚が多かったのでウキウキのひと時をすごしました。


1月13日(土)
 今日は福祉施設は休み。寺の用事もなく完全OFF。
 ただ、朝から激しい悪寒。
 しかし、ボウリングに行く約束をしていた息子は、「また今度」を聞き入れてくれない。たしかに今日を逃すと2月まで私の予定がとれないので、しぶしぶボウリング場に。いつもの重さのボールではつらいので軽めのボールで息子と勝負。ところが元旦よりはスコアがよく、今日は圧勝。ボウリングは奥が深い。父親の権威、少し復活。
 午後は息子に「友だちのところへ遊びに行くように」といってひたすら寝る。夕方、夕食の準備をして(妻も勤めをもっているので)、また寝る。
 深夜、文章を書こうとパソコンの前に座るがボーとして考えがまとまらない。とにかく寝る。


1月14日(日)
 今日はご門徒の法事。
 午前中にひとつお参りして、2時間ほど休んで次の法事。じつはもうひとつお参りがあったのですが、母に代理でいってもらい、夕方からまた寝る。 再び深夜パソコンの前に座るがまだ頭がまわらない。やっぱり寝よう。
 ただ、いつもは風邪をひくとまず下痢をする私が、今回はまだ大丈夫。これはありがたい。お腹の調子が悪いときに正座して経を読むのは、つらいものですから。


1月14日(月)
 福祉施設へ出勤。
 体はまだ少しだるく、のどが痛いものの、頭痛はかなり軽くなりました。
 なんとか脱出か。
2001年01月03日

正月日記
 あけましておめでとうございます。
 今年も気ままな文章を不定期で発行していこうと思います。どうかよろしくお願いします。

「歳末日記」の続きを少々。

12月31日
 ほぼ「歳末日記」の予定どおりでしたが、いくつかトラブルが・・
 まず、大掃除をしていてメガネを破損。フレームは曲がり、部品は飛び、かなりあせりました。めがね屋さんがうまく修理してくれてホッと一息。
 でもこのために「歳暮勤行」(大晦日のお勤め)が予定の時間より遅れてしまいました。
 修正会の法話を考えた後、調子が悪かったパソコンのキーボードを新しいものに替えたところトラブル。いろいろいじっているうちに、Windows も立ち上がらなくなってしまいました。真っ青。「除夜の鐘」を近所の人といろんな話をしながら突いたあとも、パソコンの復旧につとめましたがますます深刻な事態に。

1月1日
「修正会」ではご門徒のみなさんとお勤めをした後、つたない法話を聞いていただきました。抹茶をみんなで飲んで1時間半ほどで終了です。なお年配の人ほど新世紀に感慨はないようです。
 家族で御節を食べて新年の祝いをした後に、お年玉をにぎった子どもを連れて買い物に。普通の寺では、住職は三が日寺を空けないものですが、だめたけは勝手させていただいています。
 娘もやっぱり女性。服を選ぶ時は時間がかかります。その間、私は息子とボウリング。しかし小学生相手に1勝1敗。父親の権威にちょっと傷がつきました。
 さらに待ち時間があったのでパソコンショップでトラブルの相談。「Windowsの再インストールしかないでしょうね。バックアップができなければデータはあきらめるしかないですよ」との話。真っ暗。
 帰宅後、「だめたけ日記もしばらく休刊かな」とあせりつつ、やけになってマニュアルにはない操作をしたところ、なんとかWindowsが立ち上がってくれました。あまりのうれしさに部屋でおどってしまいました。メールの送受信ができないなどのトラブルが残っていましたが、それもなんとか復旧。ほんとにホッとしました。

1月2日
 朝、実家へ遊びに行く妻と子どもを送って新幹線の駅まで。いったん帰宅後、高校時代のクラスの同窓会に。会場を間違え少しあせりましたが、なんとか遅刻せずに参加できました。
 参加人数は少なかったもののとても楽しかった。少しづつでも、ひとり一人と話ができたし。昔の友人に会ったというより、昔の自分に会えた時間でした。幹事をしてくれた友人に感謝。
 今は同窓会の余韻にボーとしつつ、このメルマガを書いています。

1月3日(予定)
 午前中は部屋でゴロゴロしながら寺の会計簿や門徒名簿の整理。パソコンのデータをバックアップしておこうとも思います。年末から少し疲れがたまっているので、のんびり疲労回復に努めたいと思います。
 午後には、駅まで妻と子どもたちの迎え。夕方、弟夫婦がやってくるので、また飲みます。でも4日は出勤だから飲み過ぎないように気をつけねば・・
2000年12月30日

歳末日記

 20世紀もあとわずか。 ここ数日のだめたけの生活です。

28日
 勤め先の福祉施設はこの日で御用納め。退勤後、今年最後の忘年会。ここのところかなり疲れていたので1次会で帰るつもりが「今世紀最後だから」と誘われて、結局午前2時過ぎまで騒ぎ、帰宅は3時すぎ。でも楽しかった。

29日
 午前中はパソコンで年賀状書き。
 午後からは筆をもって「年忌繰出表」を書く。これは来年年忌が当たっている人を過去帳(歴代住職が記した葬儀の記録簿)から抜き出して、本堂に張り出すもの。だめたけは習字が苦手。これはDNAの問題のようで父や祖父の字も(十数代前の住職も)とても下手で読みづらい。毎年時間がかかる作業。

30日
 午前、午後、夜と住職として3つの法要(お参り)。8時すぎに帰宅。『3億円事件』を観ながら、このメルマガを書いてます。
 じつはこの日はもともと福祉施設へ出勤予定だったのだけど、変更になり、本当にたすかった。

31日(予定)
 朝から本堂で修正会(新年の法要)の荘厳。これも私が住職になってかなり簡略化しましたが、まだ花も立てていないので大変です。庫裏(座敷や住居部分)は妻と母の役割分担ということにしているのですが、「手伝え」とうるさい。でも、娘と買い物に行く約束をしているのでできれば昼過ぎには終わらせたい。(ちょっと無理かな)
 それにしても深刻なのは、元旦に勤める修正会の法話の内容をまだまとめていないこと。でもいいか。去年も『紅白』観ながら考えたし。
 最後は除夜の鐘。真宗寺院では本当は突かないのだけど、地域のみなさんの希望にこたえています。


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