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だめたけが「病的肥満」ではなく「肥満傾向」で迎えるはじめての夏です。
ところが、やっぱり夏バテ。もう、ヘロヘロの毎日でした。
今年のお盆のトピックスは、先輩が住職を勤めるお寺の盂蘭盆会法要で法話をさせていただいたことです。
8月5日(土)
この日がだめたけにとって今年のお盆のスタート。
知的障害者施設の勤務を終えて、夕方からお盆のお参り。
ところが日中があまりに暑かったため熱中症気味。汗を拭いて服を着替えても気分はもどらず、頭痛がして・・
それでもがんばって約束していたお家にいくと、去年の暮れにうまれた双子の赤ちゃんとちょっぴりお姉ちゃん気分になった5歳と3歳の女の子(赤ちゃんのいとこ)が迎えてくれました。なぜかいっぺんに元気が出ました。
8月6日(日)
盂蘭盆会法要のための「おみがき」(仏具のそうじ)や準備の日。
今年の当番の特徴は男性が多いこと。年齢層は、中学生もいた昨年と比べると高めですが、力強く作業が進んでいきます。
午後からは、組(近隣の同は寺院派組織)の会議。組会(定期大会のようなもの)が近いので、なにかとたいへんです。
8月7日(月)〜8月11日(金)
施設へ通常勤務。毎日、通ってこられる知的障害者の方と屋外の掃除をしたりリサイクル作業をしたり・・ 利用者も職員も体力勝負。朝礼では、「水分補給はこまめに。とにかく熱中症にならないように」とくりかえしました。
毎年のことながら「うちの施設の利用者はすごいな」と思います。だめたけもがんばりました。
8月12日(土)
隣まちのお寺の盂蘭盆会法要で法話の機会をいただきました。数日前から「夏バテでダウンして行けなかったらどうしよう。熱中症の頭痛が続いていたらどうしよう」と心配していましたが、大丈夫でした。
30キロのダイエットの話、障害者自立支援法や社会の急速な右傾化の話などをさせていただきました。時間が気になり最後がまとまりのない話となってしまい、申し訳なく思いました。
ただ、だめたけ自身は、言葉にすることでの発見が多くあり、たいへんに有意義でした。
8月13日(日)
「毎年お参りする地域」のお盆参り。
昨年までは二人でお参りしていたこの地域。私が住職になってからは母と参っていました。また、父が元気なころは、父と私でお参りしていました。
ところがこの地域は典型的な過疎地。家の数がどんどん減り、今年は「一人でも昼には終わるだろう」ということになりました。
江戸時代末期と比べると、この地域のご門徒の数は2割以下。そして来年はさらに2軒減ります。
「さみしい」というだけでなく、寺をいかに維持するかが深刻な問題となっています。
8月14日(月)
早朝からお参り。「ご門徒を親戚の家まで車で送って、一緒にお参り」というパターンもありました。
「昼過ぎまで休憩しよう」と寺にもどり汗を拭いていると、「ずいぶん早かったね」と母。どうも話がかみ合わないと思ったら、まだ3軒ほどお参りの約束の家があったとのこと。しかも初盆なのでご親戚もそろっておられるとの話。あわてて再び法衣を着ました。
夕方お参りしたお宅では、なぜかみんなバタバタ。
「親戚と墓参りにいったら、車のガラスを割られて財布を盗られた」とのこと。
現金はわずかだったとのことですが、警察への届けやクレジットカードの停止、車の保険の確認や修理の手配とたいへんのようでした。
しかし、現場は地域の墓地。田んぼをはさんでいますが、多くの家から「まるみえ」の場所です。私もしょっちゅうお墓参りしますが、車に鍵などかけたことはありません。
「こんなムラのなかで・・」というのが、みんなのショックでした。
8月15日(火)
今日は、だめたけの寺の盂蘭盆会法要。
朝からいつものご門徒へお花をもらいに行き立花。その後、お参りに行き、帰ってくると当番のご門徒が雑巾がけをはじめてくださっていました。
「お参りしたいけど、交通手段がない」というかたはご門徒が手分けして迎えに行ってくださいました。
それにしても、今年の盂蘭盆会はフラッとなりそうな暑さ。冷房のないだめたけの寺では、扇風機をだしても熱風を回しているだけのような状況です。(ちなみに、この日は観測史上最高気温でした)
失礼を承知で、講師には「法話は短めで・・」とお願いしました。なんとか気分が悪くなる参詣者も出ず、法要は終了しました。
ただ、だめたけは、みんなが帰られたと同時に暑さ疲れがドッと・・
家族で、打ち上げの食事(?)に行ったのですが、座っているのがやっとでした。
8月16日
今日から出勤。朝起きるのが辛かった。
お盆の間には休みをもらったので、次の土曜日、日曜日は出勤となってしまいました。しばらく連続勤務ですが「もう35度を超えるような日はないだろう」と期待しています。
お盆の勤め方は、地方により、宗派により、あるいはお寺によって、まったく違います。
だめたけの寺では「ご門徒には寺で勤める盂蘭盆会に来てもらい、住職がお参りに行くのは、初盆のお家と、毎年お参りすることになっている地域や特に希望されるご門徒のみ」というパターンです。
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桜にはまだ早いものの、うぐいすの声、菜の花の黄色など、春をはっきり感じられるようになりました。
そんなうららかな季節とは対照的に、私の勤務先は障害者自立支援法への転換準備で、すごい緊張感。他にも、いろいろあって・・
しかし、寺のほうではご門徒に自分を振り返る機会を与えていただいています。
感謝のこの数日です。
3月18日(土)
少し早い時間にお参り。先日、52歳のご主人を亡くされたお宅です。
いつもは一緒にお参りされる赤ちゃんと若夫婦はお留守でしたが、この日も奥さんとゆっくり話ができました。今日はお内仏と中陰壇の違いが話題になりました。
そのまま車を走らせて次のお宅へ。93歳でなくなられたご門徒の満中陰です。
ここ30年ほどは一人暮らしをされていたご門徒。それぞれに遠方に嫁がれた「それなりの年齢」の娘さんが前日から帰省して法要の準備されました。
「荘厳が分からないので、写真を参考にしました。先代のご院住さん(だめたけの父)も写ってますよ」と30年ほど前の満中陰のときの白黒写真を見せてくださいました。
同じ部屋の同じ位置に同じ服装(僧侶ですから当たり前ですが)で座っている父の姿。今の私と年齢が近いので、不思議な気分になりました。
ご親戚には、障害者施設の施設長もおられました。
「じつは明日、(新制度の)利用者・家族説明会をします」「私の施設では来週末の予定です」などの話をしました。
組(そ・近隣同派寺院の組織)の門徒会。役員改選のための臨時総会です。
3日前に深夜12時まで打ち合わせをしながら、進行役のだめたけはボロボロ。
現出席と委任状の足し算をまちがえるなど、いろいろ迷惑をかけてしまいました。
3月19日(日)
今日の法事も「日ごろは無人」のお宅で、それぞれに嫁がれた娘さんが法要の準備をされました。参列者には高齢のかたが多く、デイサービス(?)で練習したというリコーダー演奏を披露される男性など、ほのぼのとした法要でした。
この日の参列者のほとんどはだめたけの寺のご門徒。ご親戚で法事が続いており、娘さんをはじめ、半数近くは先週もお会いした人たちです。
「先週のお話に共感しました」と声をかけていただいたので、法話はそのつづきにしました。
夜になってわざわざお礼の電話をいただきました。「ご法話たいへんありがとうございました。父を亡くしてから気持ちの中で引っかかっていたものが少し整理できました」と言ってくださいました。
ご門徒からの感想を聞いて、私自身が自分の法話に発見をしたり・・
住職として、人として、ご門徒に育てていただいている自分を感じました。
3月21日(火・祝)
「朝、早い時間にお参りは終わって、あとはひさしぶりのOFF」との予定で、数週間前から楽しみにしていたこの日。私用で出かける予定もありました。
ところが、短いお参りが飛び飛びに入るという段取りの不調(ミスではないのですが)で、「忙しくないのに他の予定が入れられない」という待機時間の長い一日になってしまいました。
その代わり、WBC決勝戦の重要な場面はほとんど観ることができました。
夕方には、100円ショップや書店、酒屋、仏具店、電気店などを回ることもでき、「それなりの一日」でした。
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2005年12月30日
勤務先の知的障害者施設に出勤。授産作業の関係で今日まで利用者が来られます。
車で帰宅途中に妻からメール。帰省中の長女の強い希望(わがまま)で今夜は焼肉を食べに行くとのこと。「疲れているからあっさりしたものがいい」と思いながらも、一番食べたのは私でした。もちろんビールもしっかり飲みました。
2005年12月31日
朝一番の仕事は年忌繰出表の張り出し。数日前にパソコンで作っておきました。
その後、ご門徒の報恩講にお参り。いつもは30日にお参りするお宅なのですが、私の勤務の都合で今日にしていただきました。
帰宅後、本堂の荘厳。立花は、先日の法事の花を中心に、ご門徒がとどけてくださった「なんてん」をたして正月用にしました。
午後からもご門徒の報恩講を数軒。街内だったので歩いていきました。商店街では呼び込みの声は響いているものの人影は少なく、少しさみしく感じました。田舎の風景も変わりつつあるようです。
夕方になって組(そ・近隣同派寺院の組織)の用事で役員のお寺へ。大晦日にすることではないのですが・・
歳暮勤行(大晦日のお勤め)は予定通り。
その後、風呂に入ってゆっくりして、長男と「紅白歌合戦」を観ました。
除夜の鐘は今年から長男に任せました。
彼なりにいろいろ気を使って、10時前からテレビの前を離れてはストーブを用意したり、参詣者に配る缶コーヒーを温めたり・・ 本番では、友だち2人を加えた中学生トリオでがんばっていました。彼らの主体性を重視し、私は時々のぞく程度にしました。
おかげで、私はちらっとながら「行く年来る年」を観ました。卒論で帰省しなかった大学4年以来、22年ぶりでした。
2006年1月1日
朝、雑煮でお祝いして、すぐに修正会の準備。
「お参りしたいのだけど、長い距離が歩けなくて・・」というご門徒4人を車で迎えに行きました。寺にもどると総代さんが受付をしてくださっていました。
みんなで正信偈のお勤めをした後、私の法話を聞いていただきました。今年は、30kgダイエットで感じたことを話させていただきました。
昼過ぎには、妻と娘2人は出かけたので、私はひとりで数の子とかまぼこを肴
に焼酎のお湯割を・・ たった3杯だったのに悪酔いしてしまいました。(ダイ
エット後、時々あるのです。どうしたんだろう?)
2006年1月2日
今日は完全OFFの予定。暇をもてあます一日になるはずでした・・
駅伝やビデオを観ながらパソコンで年賀状の整理をしていると、母の呼ぶ声。ご門徒が亡くなったとの連絡があったとのこと。昨年から体調がすぐれないと聞いていた方でしたが、そこまで悪いとは思っていませんでした。
法衣に着替えてお宅へ。奥さんとお内仏の準備をしていると、昨年1月3日にお母さんを亡くされたご夫婦をはじめ、近所のみなさんが参ってこられました。一緒に臨終勤行を勤めました。
新年はじめての同僚へのメールは、今年も休みをお願いするものになりそうです。
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