『大阪名物くいだおれ』閉店

2008年7月8日をもって、ミナミの街で活躍した『大阪名物くいだおれ』が、
とうとう閉店してしもうたな。
60年も続いたんやで。
スタッフのみなさん、よう頑張ってくれはりました。
戦後間もない貧困の時代、ミナミの庶民の腹を満たしたのがこの店だな。
お前も結構思い入れがあったんじゃないのか?
小さいころに行った記憶があるわ。
あの時は、確かハンバーグをよう食べとったなぁ。
ウチもウチも!
あのビルって、それぞれの階でやってることがちゃうかったもんな。
宴会もできとったし、それがそこらへんのレストランとは違うわ。
そや、ちょっと『大阪名物くいだおれ』の歴史を綴ってみようや。
最初はすき焼きを中心に商売しとったらしいで。
これには有名な逸話があってなぁ。
当時、パフォーマンスとして牛に鍋を背負わせて道頓堀を歩いたんや。
そんなん、警察が黙ってへんかったんとちゃうん?
もちろんや。
でもな、車馬通行止めとは標識に書いてあるけど、
牛のことは何も書いてへんかったからな。
それで派手にもめたらしいで。
すさまじい屁理屈だな…
でも、これもまた真理やな。
で、くいだおれ人形が2年目から登場したわけや。
これからは子供が一番の商売相手になると思った社長は、コレを用意したわけや。
うむ、その通りだな。
そのためには目を引く看板が必須だからな。
あれこれ考えて、チンドン屋の鳴り物を持った『動く人形』が完成したわけや。
当然やけど、当時は珍しかったんやろうね。
『くいだおれ』は他にも真新しいものをどんどん取り入れていったんや。
当時(昭和30年頃)メチャクチャ高価なテレビを店頭に置いたし、
ブロイラー産業を日本に導入したりもしたんや。
大阪万博にも出展してたもんね。
そういえば知っているか?
調査したところによると、くいだおれ人形は一度喪服を着たことがあるんだ。
そうなん?
ウチ、知らへんかったわ。
昭和天皇崩御の時だ。
この時は道頓堀も静まり返って、粛々としていたらしい。
しかしこの着せ替えがテレビのニュースで放送されて、一躍有名になったそうだ。
そしてそれから次の年、平成天皇即位の1月、ばんざいをする人形が出てきたんや。
これが後に『くいだおれ次郎』と命名されるんや。
ちなみにそれまでのくいだおれ人形は『くいだおれ太郎』と呼ばれたんや。
ウチも知ってるエピソードがあるで!
平成4年にタイガースが優勝争いしとった時や。
前の優勝でカーネルサンダースが川に投げ落とされたもんやから、
次はくいだおれ太郎が標的になるんとちゃうかって話があったんや。
それで、太郎に『わて、泳げまへんねん』って吹き出しが付け加えられたんや。
結局あの時は優勝を逃したが、あの時は新庄と亀山の二人が頑張っていたな。
そして関西国際空港が開港した時や。
太郎と次郎が、そろってオーストラリアに旅行することになったんや。
あの時はえらい取材がおったなぁ。
さすが60年の歴史、結構なエピソードがあるじゃないか。
それだけに、閉店はホンマに名残惜しいな。
これも時代の波と言ってしまえばそうかもしれへんけど、悲しい事やで。
また一つ、大阪の象徴が消えてもうたねぇ…
せやけど、これで俯いとったらアカン!
もっともっと大阪を盛り上げるためにも、俺らが頑張っていかんとな!
せやね。
よーし、ウチも頑張るでぇ!
まずはタイガースの応援からや!
それはいつものことじゃないのか…?

ほなもどろか