やまざる通信(No.16-No.20)

 

やまざる通信 No.16 

(2004年2月28日)


大芋っ子の明日を拓くフォーラム


 大芋と書いて「おくも」と読みます。篠山市の東北部の地域を大芋地区と呼ばれていますが、今は地名ではなく、小学校区の名称となっています。私どもの長女は大芋小学校2年生です。

 今年の2月20日に篠山ご出身の動物学者、河合雅雄先生を招いて大芋小学校の育友会行事としてフォーラムが開催されました。単なる講演会でなく、聴衆も参加するものにしたいとの校長先生の思いが、素敵な会に実りました。

 6年生児童8名(これでオールメンバー)が、総合的な学習の時間で取り組んできた、ふるさと大芋について発表し、保護者や祖父母の代表として3名がそれぞれ、大芋での子育てについて発言しました。私も発言者の一人に選ばれたので、その内容を紹介したいと思います。


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 今ご紹介いただいた長田です。西宮や大阪に長く住んでいましたけれども、篠山に移住してきて5年目になります。篠山市が発足したその日に転入届を出しました。


 いま大芋小学校2年生の娘と、今年4月から1年生になる息子と、3歳の息子がいます。わたしは農業とはまったく関わりのない生活を送ってきました。ところがお米つくり野菜つくりのビデオを偶然に見まして感動しました。自分もやってみたいと考えるようになりました。自分で作った野菜やお米を食べて暮らせたらいいなあと思って、農村に移り住む気になりまして、広島や岡山の農村に移住先を探した末、ちょっとした縁があって大芋にやってきました。


 農村で暮らすのがまったく初めての私たちは当初いろいろ戸惑いがありました。田んぼや畑を借りたいどうすればいいのかとか、村でお葬式があってもどう対応すればいいのかとか、いろんなことが不安でした。しかし地域の人たちにあたたかく受け入れていただくことが出来、大芋での暮らしになじんできました。


 大阪での暮らしと比べて大きく変わったところは、生活の中でお金によらない部分、お金では計れない部分が多くなったことだと思います。都会ではお金がなくては生活が成り立ちません。しかし、こちらでは野菜など食べるものはある程度自分で作っています。また鶏を飼っていますので、卵が食べきれないとき、お隣にもって行くと、代わりに大根をいただいたりします。自分のところで出来たものの交換は、都会では考えられないことです。こんなことが私には快いものに感じます。

 

 都会で会社に勤めていたころは手間のかからない生活が好ましいと思っていました。機械化やコンピュータ化など効率のよいことはいいことだと決めていてそのためには少々のお金はかけるべきだと考えていました。しかし最近では、お金をかけずに手間をかける生活がしたいというように考えが変わってきました。すぐに手抜きをしたくなる癖はなかなか取れませんが、だんだん手間をかけゆっくり生活することに慣れてきましたし、いまではそのほうがずっと面白いと思っています。 先週、高校の同級生が訪ねてきました。家のお茶の木から作った紅茶を飲ませてあげたらびっくりして感心してくれました。


 また、私は大工仕事のような手作業が好きですが、都会では作業するにも場所が狭くて実行するのはなかなか難しく、高い工賃を払って、業者さんに依頼するほかありません。しかし今ではちょっとしたことなら自分で作業するようになりました。


 さて、子供たちにとって大芋での暮らしはどうなのでしょう。

私の希望と都合で、家族ともども農村暮らしが始まったわけでが、この地でこのように暮らすことは結果的に子育てにとてもいい環境だと感じています。小さな子供にとって、山や川、動物や植物が身近にあり、五感すべてを使って感じ取る体験は何にも替え難い大切なことと思います。

 

 自分で作った野菜を子供が美味しいといって食べてくれることは大きな喜びです。篠山で育てた野菜は、特に寒い季節の野菜は美味しいと感じます。野菜は寒さから自分を守るために体内に糖分を作り出すからと聞いたことがあります。適応力の強い子供たちにとっても寒い冬は決してマイナス要因でないと思います。

 

 地域のつながりについて考えるとき、大芋のお年寄りの力を忘れることは出来ません。春のフキ取りなど学校行事へのご協力は大変ありがたいことです。

 

 都会では高齢の方が働いているところを子供たちが見ることはほとんどありませんが、大芋では日常的に田んぼや畑で働いておられる姿を子供たちが見ることができます。自分の孫のように見守ってくださる地域のお年寄りの存在は大きいと思います。


 将来、大芋の子供たちが、どこに行っても大芋で育ってよかったと思ってくれればうれしいです。わたしもそのような地域のために少しでも貢献できればと思います。          

                                                                              


やまざる通信 No.17  

(2004年4月16日)


今年の田んぼと畑


 今年になって、新たに田んぼを8a(アール、畝)追加し貸してもらえることになった。お米はこの8aで作ることにして、あと畑が3ヶ所で計14a、全部で22a(2,2反)となった。当初1反の田んぼと1反の畑があればいいのになあと思ってが、5年目にそれが実現した。米と野菜の自用にはほぼ十分な広さだ。

 今年の冬には、畑にヌートリアなのか、ハクビシンかが侵入して大根とキャベツをほとんど全部齧られてしまった。畑の水抜きの排水口から自由に出入りしていた様子である。油断大敵。冬に畑の見回りを怠けたのが痛い。

 少しずつ広くなってきた田畑で、草草や虫たちを敵としない自然農で取れた野菜などを喜んでくれる友達に、分けられる程度になればいいなと思う。



こどもたちの受難


 1970年代からの急速な経済成長にともない、わが国の世の中はどんどん便利になり、豊かになっているように見える。しかしそれとは裏腹に、日本の子供たちにとって、健やかに成長するということが難しくなってきているようだ。最近、自分の子供を殺害したり虐待する親のことがよく報道されている。日本小児科学会の救急救命センターなどへのアンケート調査によれば、1999年から2003年までの5年間に、親らの虐待によって脳死状態や重度障害になった子どもが約130人報告されたそうだ。家庭内で起こる虐待を調査することはきわめて難しいが、疑われるケースは1450人に上ったという。


 今回私が問題にしたいのは、そのような極端なケースではなく、子どもの健全な成長を願う普通の親が、自分たちの生活習慣(食、夜更かし、メディア漬けなど)に子どもたちを巻き込むことによって知らないうちに子どもたちに対する加害者になっているのではないかと思われることである。


 日本体育大学の正木名誉教授らのグループが1970年代から大体5年ごとに実施してきた全国調査では、保育所、幼稚園、小中高校の保育者や教師の実感や体力、健康状態の調査結果などから、年々子供たちのからだのおかしさが深刻化してきていることが明らかにされている。1979年には全国の2500の保育所を対象に調査を実施。この調査でからだのおかしさとして挙がったのは、「むし歯」「背中ぐにゃ」、「すぐ疲れたという」、「朝からあくび」、「指吸い」だった。1990年の調査では、「アレルギー」「皮膚がカサカサ」といった免疫系の問題が子供のからだのおかしさのトップになってきている。


 「こどもたちのライフハザード」(瀧井宏臣著、2004年岩波書店)では、最近のこどもの実態をライフハザード(生活破壊)という著者の造語で表し、体温異常、子供の成人病、立ちくらみやめまいなどの自律神経系の異常、学級崩壊、食の貧困化、アトピー、脳の発達の遅れ、テレビ漬けゲーム漬けなどの実態が報告されている。 著者はこの本の終わりに「戦後ニッポンは、開発という名のもとにかつては「国敗れて山河あり」と言われた豊かな自然環境をことごとく破壊し、いのちを育む産業である農業をいとも簡単に放棄してきた。しかし、まさかその裏で子どもたちの育ちがこんなにドラスチックな形で奪われているとは、思いも寄らなかったのである」と述べている。この本を読んで、このままでは日本の将来はどうなるのかと危機感に駆られたのは私だけではあるまい。


 生きるうえでの基本である食についてはどうか。 現代の子供たちの食について、ある小児科医はニワトリ症候群と表現した。これは隣の丹波町でつい最近大騒ぎとなった鳥インフルエンザのことではない。ひとり食べ=孤食のコ、食事を取らない欠食のケッ、家族と一緒でも自分の好きなものを食べる個食のコ、肉やカレーライスなどいつも決まったものばかり食べる固食のコ。これでコケッココとなる。私はさらにパンや麺類などを常食とする粉食のコも追加したい。


 現代の日本では、食べるものがないためにおきる栄養失調ではなく、ビタミン、ミネラル、食物繊維が不足した「現代型栄養失調」であるというのは、福山市立女子短期大学の鈴木雅子教授の指摘である。鈴木教授は1986年に食生活といじめのアンケート調査を広島県の中学生男子615人、女子554人について実施した。食生活内容のいいものから悪いものまで男女別にAからEまで5グループに分けた。その結果、食生活内容の悪いグループ(D)と最も悪いグループ(E)のこどもたちは、いつもイライラして吐き気がし、腹が立って、すぐにカッとして、根気がなく、学校に行くのも嫌になっている。いじめ率(いじめていると回答した率)は、Aは0%Bは3.2%Cは1.2%Dは12.4%E40.4%であった。食事内容といじめが明確に関連しているというデータである。D、Eグループの食事内容は、野菜類、海藻類、牛乳摂取などが少なく、インスタント食品、ジュース類の摂取が多く、半数以上が朝食を食べていなかった。このような内容の食事では、ビタミンやミネラルそして食物繊維が少なく、食品添加物の摂取が多くなる。

 

 アメリカ上院から1977年に発表された「マクバガンレポート」は、世界的に大きな反響を呼び起こした。その中に次のような箇所がある。

 「現在あまりにも多い添加物などの化学物質、加工食品の急増、また食品の過度な加工によるビタミン、ミネラルの不足、こういったさまざまな現代社会に特有の食品環境は、子どもの頭脳の働きと、心の働きを崩すことが明らかとなった。現代の社会では、間違った食事によって、子どもたちの心まで蝕んでいる。しかし、食事内容の改善は、子どもの心を健康に導くことができるし、その方法も明らかになっている。」


 鈴木教授らはこどもの食生活についてその後も調査を続けているが、さらに悪くなる傾向だという。今のこどもたちの親の世代は1970年代ないし1980年代であろう。この世代自身が便利で食べやすい加工食品に親しんできたのであるから、どんな食事内容がいいのか悪いのか判断できないのはしかたがないことかもしれない。「現代型栄養失調」によって、すぐにキレるこども、いじめをしてしまうこどもになっている場合に、教育やしつけだけで救うことは出来ない。

むしろ基本的な食教育が子どもたちや保護者を対象として今以上に行われる必要性を感じる。



やまざる通信 No.18 

(2004年10月20日)


暑い夏とお米つくり


 今年の夏は暑かった。各地で気温の最高記録を書き換えていると言う。雨の降り方も変わってきたようだ。雨がなかなか降らないと思うと、いきなり豪雨が来たりする。異常気候の出現頻度が徐々に高まってきているような印象を受ける。日本の温帯性気候が亜熱帯性気候に変化してきていると指摘する記事もある。


 イネはもともと亜熱帯性気候でよく育つ植物である。今年はとても暑い夏だったせいか生育がよい。夏の暑さを予測していたわけではないが、今年は地主さんに頼んで借りる田んぼの面積を多くしていただき、8アールでのお米つくりにチャレンジしている。7年前に赤目自然農塾で、約20㎡の田んぼでお米つくりを学び始めたときと比べると40倍ほどの面積である。種まきを4月中旬に行い、田植えを6月中旬に行った。6月19日には高校の同級生のOさんと毎月農作業をしてくださるTさんが、20日には農を通じた友達の2名が田植えに参加してくださった。ひとりで田植えをしていると、8アールは途方もなく広く感じるが、何人かで話をしながら植えていくとけっこう快適に進む。おかげさまで6月26日には田植えを終了することができた。


 農薬、化学肥料を用いた慣行農法ではこの田んぼでは10アール当たり500kg以上の収穫が見込めるそうだ。しかし、わたしが採用している方法は、動力機械、農薬、化学肥料を用いない自然農をベースにしている。田んぼは無料で借り、種籾は自家採種、機械のローンなし、無農薬,無肥料で経費はなんとゼロ。ささやかながら今年は8アールで150kgほどが目標である。

 

 現在、稲刈りの最中で、半分近く刈ったところで台風23号が襲ってきた。さて無事に収穫できるかどうか。 

 今我が家では、5人家族で年間の米消費量は約200kgである。自給量に足りない分は、同じ村の方から分けていただいている。それは無農薬米ではないが、住んでいる土地で取れたものを食することには意味があると考えている。

 

裏にちょっといい畑ができた


 今住んでいる家の裏に、築100年近いと思われる古家があって、それは土地を購入したときに付いていたものである。当初は何かに利用できないかと考えていたが、管理も活用もできないまま放置していた。最近これを取り壊し畑にした。豆や芋などいちどきに収穫し、ある程度保存のきくものは家から歩いて10分ほどの畑で作り、家のすぐそばの畑では、少しずつ使うようなキャベツやトマト、ナスなどを作りたい。

 この畑で、秋冬用野菜の種まきをした。ハクサイ、ニンジン、ダイコン、カブ、キャベツなどの種を蒔いたが、びっくりするほど成長がよい。古家の壁土が全面に落ちているのがひとつの要因らしい。

 壁土は土に切りわらなどを混ぜて発酵させ粘着性を強くしたものである。昔、飢饉の時には壁土まで食べたと言われている。壁土に含まれる有機成分が人の命をからくも支えたのであろうか。


ツリーハウス(1)


 去年、子どもたちにツリーハウスを建てるぞと宣言した。ツリーハウスとは、自然の生きた木を利用し空中に浮かんでいるような、また木に架けたような、また木と一体になったような家のことである。しかしどの木にどんなものを作るかなかなかイメージが固まらなかった。今年の2月に娘の通う小学校でフォーラムが開かれ、そのパネラーとして発言の機会があったとき、聴衆の前で今年はツリーハウスを作る予定ですといってしまい、校長先生にも完成したらご招待すると約束した。よしやるぞ。


 いま住んでいる家の裏はヒノキを植林した山になっていて、山際に栗の木、柿の木、竹などが生えている。また、裏庭には立派な紅葉の木があって、毎年紅葉の時期には箕面のお菓子屋さんが紅葉の葉を車一杯3000円で買いにくる。この紅葉の大木がツリーハウスを建てるひとつの候補、山際の大きな柿の木2本が次の候補である。どちらでも面白いツリーハウスが出来そうであるが、今のとこ

ろ山際の土地をあまり有効に利用していないことから、今回は古い柿の木を利用することにした。


 大きさは、昼寝が出来て、何人かでゆっくり話が出来る広さにしたい。もっとも、材料の木材やかける時間も考える必要がある。結局、室内空間を2.7m四方、約4畳半とした。東面と南面にはベランダを回し、東面に入り口を付けることにする。床の高さは高いほどスリルがあり面白いと言えるが、小さな子どもが遊ぶことも考えて地面から2mとした。

 ベランダまで上がるのにはしごにするか階段を設けるか、思案のしどころであった。結局、杉の木を切って1mや2mの長さに切った丸太を3本階段の支柱として三角形の階段にし、一方に滑り台を設けた。

 

 柿の木は折れやすいと聞いているので、重量を受けるのは杉材の柱とし、柿の木は横のずれを抑える役目とした。4本の4mの杉の角材を部屋の角の「通し柱」とし、2m高の床面を支えるために、南北に9cm角、3mの杉角材を4本、東西に9cm角、4mの杉角材を3本渡した。

 

 このような基本骨格が出来たころに、倉庫として使っていた古民家を解体するべく、工務店に工事を依頼した。解体にあたって、柱や梁、床板、建具などあとで使えそうなものは捨てずに取って置いてもらった。これらの古材が今回のツリーハウスの構成要素として活躍することになった。(続く)


 ムカデに噛まれた


 ある夜更けにムカデが敷き布団の上を歩いていた、寝ぼけ眼でティッシュを取ってムカデをつかまえて潰そうとしたが、ムカデを甘く見てしまった。右手の中指をガキッと噛まれてしまった。その後ムカデを追い詰め蝿叩きでしとめたが、噛まれたところが強烈に痛い。今まで経験したことのない痛みであった。とても眠れそうになかったので、夜中であったが病院に電話をして、車で約30分走り夜勤の医師に見ていただき、痛み止めと坑炎症剤をもらった。ムカデの痛み

は3日ほど続くと言われたが、幸いというか、翌日には痛みが和らいだ。

 


やまざる通信 No.19 

(2005年12月31日)


2005年の田んぼ


 今年は昨年と同じ8アールの田んぼでイセヒカリ(5アール)、コシヒカリ(1.5アール)、もち米(1.5アール)を作った。イセヒカリは去年のモミを種として田んぼの一角に水を張らない畑苗代を作り苗を育てた。露地で苗を作るときは発芽までに1ヶ月ほどかかるので、モグラ、スズメ、カラス、草などに負けないで最終的に立派な苗になるまで心配が多い。草を除き土を砕いて平らにしたところに種を蒔き、上に5mmから10mmほど土をかけて押さえつけ、その上に去年の稲わらを敷き詰め、さらに鳥よけのネットを被せた。しかし、ネットを浮かさないで、直接わらの上に置いたのが今年の失敗であった。スズメはネットの間から首を突っ込みわらをかき分け土に埋まった種を食べていたのだ。4月の中旬に種を蒔いたところはスズメについばまれてだめになったので、4月の末に種を蒔きなおし、今度は不織布のシートをかけて防御してスズメに対抗した。


 コシヒカリの苗は、地主さんの田んぼで余った箱苗をいただき、もち米は篠山チルドレンズ・ミュージアムの田んぼで余った苗を植えた。篠山チルドレンズ・ミュージアムでは、ミュージアム・クラブというボランティア組織が中心となってアイガモ農法でもち米を作っている。わたしはミュージアム発足(2001年7月)の前年からボランティアとしてミュージアムの田んぼでのお米作りにかかわっている。お米作りをワークショップとして構成し、田植え、草取り、稲刈り、収穫祭のおもちつき、といったイベントに親子の参加を呼びかけているが、いつも予約者はいっぱいである。


 今年の田んぼはお借りして2年目のお米作りである。トラクターなどの動力機械を使わない方針なので、荒起こしとか代かきをしないで苗を植えることにした。一面に生えている草をどのように処するか考えどころだ。今年は鍬を使って40cm間隔に鍬の幅で薄く表土を削り除草したあとに苗を植えていった。 


 もち米とコシヒカリは6月の初めから、イセヒカリは6月の中旬から田植えを行なった。6月25日には友達5人が田植えの手伝いに来てくれた。お昼はおにぎりと野菜とウコッケイのゆで卵をマイ・ツリーハウスでいただいた。6月末までに、8アールの田植えが完了した。


 今年は台風の直撃もなく、イネは順調に成熟して稲刈りを迎えた。10月中旬から稲刈りを始めた。稲刈りの期間の途中で、校長先生に引率された大芋小学校の3年、4年生のグループが見学に来た。その子ども達は用意してきたらしい質問を私に投げかけ、私も出来るだけ答えた。このインタビューはそのあと開催された学校行事「ふれあい発表会」で子どもたちの研究発表のテーマの一つとなった。そのほか川の汚染や地球温暖化などの環境問題について子どもたちは取り組んでいるようだが、ずっと問題意識として持っていてほしいと思う。


 収穫量はコシヒカリともち米がそれぞれ30kgほど、イセヒカリが100kgほどであった。土地代はタダ、苗は自家製ともらい物で、農業機械を使わず、経費は前年の稲刈り後にまいた鶏糞代980円(150kg)だけである。人力と自然の力でほぼ1年分のお米が得られて満足である。


2005年の畑


 10アールの畑では、アワ、タカキビ、山の芋、ジャガイモ、冬瓜、ラッキョウ、スイカ、カボチャなどを少しずつ作り、丹波黒大豆を3アールほど植えた。6月の黒大豆の植え付けの時には、卒業校である西宮のK高校のMLを通じて黒大豆の苗の移植作業を手伝って下さる方を募集したところ、4名の方が参加された。お昼にはわがツリーハウスで自家米のイセヒカリを使ったおにぎりを食べていただいた。同級生のMさん以外は初対面であったが、同窓というだけで親しみを感じて、楽しい作業日となった。


 10月中下旬に、黒大豆の枝豆の収穫を行なうが、10月23日を収穫祭として声をかけたところ、苗の移植を手伝っていただいた方全員とあと4名が参加され、賑やかに枝豆の収穫と芋煮を楽しんだ。今年は例年より多く植えつけたので、何人かの友達にも送ったところことのほか喜んでいただけたようである。


2006年の田んぼと畑


 隣の村のOさんと偶然のきっかけで知り合いとなった。彼は以前に地元の産業高校で教鞭をとっていた方で、無農薬不耕起栽培のことをご存知であった。Oさんに川口さんのNHK教育番組での放映ビデオをお貸ししたことから、自然農について話をする機会があり、Oさんのお宅で5,6人の方に私の体験をお話した。

 

 それがきっかけで、この2,3年使わなくなった田んぼと畑を使わないかとの申し出があり、見に行くと、山すそに4段に分かれた美しい棚田であり3反ほどの広さがあった。水は上のため池が専用の水源となっていて、周りの農地とは独立した位置にあった。自然農にぴったりの場所に思えて、さっそくお借りすることを決め、今まで借りていた田んぼと畑は地主さんにお返しすることにした。来年新しくお借りした棚田にどのように作付するか楽しみである。




やまざる通信 No.20

 (2006年2月 )


どんちゃん


 「どん」は年齢13才のオスの老猫である。避妊手術をしているので子どもはない。家内が大阪の住吉神社の参道でで拾ってきたときは片手に乗るほどの子猫だった。大阪・城東区、広島・大竹市、兵庫・篠山市、それぞれ2箇所ずつ計6箇所の家を私たちと一緒に移り住んできた。どんは大阪の時代には長女が自宅で誕生したときに立会い、広島では長男の自宅出産に立ち会った。ただ、立ち会ったといってもどれだけ関心があったのかは定かでない。また、今までに2回の長期家出を敢行し、最初の1ヶ月間の家出のときは、やせ細って死にかけのところをようやく発見した。この猫はビニール袋をボールに丸めたものを投げてやると犬のように追いかけて口でくわえて持ってくるという芸があったのだが、年を取ったせいか最近はめったにしない。我が家の子どもたちが幼い頃は、どんちゃんを追いかけ回していたことがあって、どんは子どもが苦手であった。しかし最近は子どもが成長したのかどんが老化したのか、穏やかな関係である。時の流れを感じてしまうこのごろである。


養生

 私は今年の6月で満60歳になる。自分が20歳ぐらいの時には、60歳の人というと、定年を過ぎた老人というように見ていた。いま自分が還暦の年になってみると、見かけは相当に老けてきたが、気持ちはさっぱり老人という気がしない。学校の同級生と会うと、一瞬どこの親父かなと思うが、すぐに昔の面影が現実の老け顔より勝って、若い者同士が会ったような雰囲気になるのも可笑しい。しかし出てくる話題の多くは体の不調や生活習慣病のこと、親の介護のことなどであるのが哀しい。

 私は病院へ行くのが嫌いだ。この40年間で医者に掛かったのは歯医者を除くと、2、3回である。風邪を引いて高い熱が出たときは、薬を飲まず、絶食してひたすら体を安静にしてやり過ごすことにしている。

 作家の五木寛之が「養生の実技」という本を出している。その中に「病院嫌い、医者嫌いを得意そうにしゃべっている人を見ると、なんという愚かな人だろうと、いつも思う。(中略)大きな病気を体験しないで生きてこられたということは、他の多くの人びとにくらべてじつに恵まれたことである。世の中には健康を願いながら、それに恵まれない人たちが無数にいるのだ。ある人が病気一つ知らずに今日までこられたということは、ほかの病気がちの人びとの苦しみの上に、まれな幸運を受けて暮らしてきたことになる。そのことを深く感謝し、おのれの幸運をおそれる気持ちをもつのが当然だろう。」とある。

 確かにその通りだと思う。人生はじつに不公平なものだ。いくら健康に気をつけていても大きな病に悩む人もいるし、アスベスト被害のように環境中の有害物質によって不治の病に冒される人もいる。病院が嫌いだと得意そうにいう私が、明日どうなるのかも分からないのだ。

 日常生活の習慣として、私は洗剤をほとんど使わない。お風呂に入っても石けんを使わない。頭を洗うのは週1、2度でシャンプーを使わず単に湯で洗う。このようにして10年ほどになるが、シャンプーを使っていた頃にくらべて頭が痒くなることが少ない。食後の食器洗いをするときも洗剤は使わないので手荒れはない。

 先ほど紹介した本の中で、五木寛之がめったに髪を洗わないと書いていたのでびっくりした。若い頃は年2回ほど、今では2ヶ月に一度くらいという。ずっと洗髪しないとカユくもないし、フケも出にくいと書いている。五木さんがあまり髪を洗わないのは、若いころしきりに海外を歩き回ったときの観察によるらしい。インドや東南アジア諸国には、一生髪を洗わない人びとがたくさんいた。そういう人びとの髪の毛が、じつにたくましく、旺盛に伸びているのを観察したそうだ。

 環境にも皮膚にもよいと思えない合成洗剤のシャンプーで、毎日のように髪を洗うのはいかがなものかと、私は思う。


ボランティア考

 篠山市の東部に篠山市ミュージアム・クラブの会員数は現在80人。会員は育児まっ最中の主婦の方やお孫さんのいらっしゃる年配の方、老若男女、さまざまである。自由になる時間が多い人、少ない人、ミュージアムまで歩いて約1分の人、車で1時間以上かかる人、これもそれぞれである。上下関係や利害関係なく、いろいろな人と話ができるのが楽しい。ちょっと取っつきにくい感じの年配の男性が、実はとてもすばらしい特技を持っておられて感心することも多い。


 私はミュージアム発足の前の年に、地域の人に勧められ、何をしたらいいのか、何ができるのかよく分からないままクラブに入会した。勧めてくれた人は残念ながらほとんど活動しないまま退会されてしまった。災害時のボランティア活動はわかりやすいが、ミュージアムのボランティアはいったい何をすればいいのだろう。


 ミュージアムが発足して1年目、私はボランティアとして、自分がやれること、やりたいことを提案すれば、検討してもらえるものと思い、あるワークショップを考え、提案したことがあった。しかしその提案は、クラブの運営会議で検討されることもなく、うやむやになってしまった。当時の運営会議はミュージアムからの、このイベントに何人ほど出てほしい、今度のPR活動には誰が出られるか、というような連絡が主な会議だったようで、ボランティアからの発案を検討する場ではなかったようだ。しかし今は、ボランティアからの発想、提案を検討するのが大切な議題となっている。いままでボランティア活動を支え、ここまで実績を積み上げてこられた方々に敬意を表したいと思う。


 三田の「人と自然の博物館」のボランティア組織「人と自然の会」が10年のあゆみを記念して昨年立派な冊子を発行している。この冊子によると、この博物館では、ボランティアをどうとらえボランティアとどのような関係を作るか、について議論を重ねた結果、『人と自然の博物館では、ボランティア活動の持つ自己啓発、生涯学習という機能を特に重視し、ボランティアの方々の自主性に基づいた活動を展開してゆくつもりです。博物館の側から提示してお手伝いしてもらうような作業は極力少なくし、皆さんが博物館を舞台にやってみたいと思う活動を、私たちも一緒にやってゆくようにしたいと思います』という呼びかけをボランティアに対して行った。ボランティアのあり方は、一つに決められるものではないが、私はこれを読んで、なかなかの見識であると感じた。


 今年はミュージアム発足5周年であるが、まだまだわれわれのボランティア活動は活発とはいえない現状である。ちるみゅーという場所で、自分がどのように貢献できるのか、どのように楽しめるか、改めて考えてみたいと思った。