やまざる通信(No.1-No.5)
やまざる通信(No.1-No.5)
ご挨拶
小生このたび、篠山町の農村に、古い農家付きの土地を購入しま
した。今年中を目処にして、家族ともども移住する計画にしております。米や野菜を作って、農的生活を送ろうかと考えています。
現在は月に2,3回広島から篠山に出向き、古家の補修と荒れた庭、畑の整備を楽しんでいます。
当面は家財道具もほとんどなく不便ですが、田舎にご興味のある方、農作業や野草摘みなどしてみたい方など、歓迎いたしますので是非お越しください。
篠山雑記
3月某日
八尾の中古車店で、田舎のベンツと言われる軽トラック(三菱)を23万円で購入。5万kmほど走っている車であるが、丁寧に使っていたようだ。最寄りのJR篠山口駅からタクシーで25分ほどかかる過疎地域なので、何はなくとも車は必需品。30年ぶりのマニュアルシフト車の運転で、最初のうちはエンスト頻発。
JR篠山口駅前の青空駐車場を借りるため駅前の看板を見て電話したところ、オーナーのおばさんが車で迎えにきてくれた。月5000円、即契約。オーナーのおばさんの家と庭の立派さにはびっくり。
4月某日
大和郡山市のSさん来訪。篠山の家への最初の訪問客。Sさんとは赤目自然農塾と愛農学園での就農準備校とで同級生。
古家の中に放置してあった埃だらけの鍋と食器を洗い、Sさんと2人で料理開始、昼食はトマトとあさりのスパゲッティ、夜はエビと魚のなべ。
裏の山で孟宗竹の筍を発見。地面から少しだけ見える若い筍を2本選び掘り起こす。米の研ぎ汁で1時間煮てから薄味をつけたら、上々。ほのかに甘く美味。
共同テレビの取材で3人来訪。自給自足のテーマで番組を制作中とのこと。現在準備中の人を探していて、就農準備校の事務局からの紹介で小生を取材にきたもの。
古家の中や、Sさんと2人で物置の解体、整理をしているところ、筍や蕗を採っているところなどをテレビカメラで追われる。物置からは牛に牽かせて田んぼを耕す車や手押しの草刈り道具など骨董品並みの農具が出てきてびっくり。(6月14日夜7-9時、テレビ大阪で放映予定)
4月某日
ある物は出来るだけ捨てず、壊さずとの方針ではあるが、建築後100年近いと思われ、所々柱が沈下し土壁がぼろぼろ落ち、建具が曲がって動かない古家に常時住むのは、やや問題あり。
敷地内の日当たりのよい道路際に小さな家を新築する計画をたて、大阪のA社に調査と設計を依頼。今日はこちらの要望を伝えるため、会社を訪問し担当の I 次長と面談。木のよさを生かした家を希望。外壁も板張りがいいかな。
百姓志願、勉強始め
①今年の2月から、赤目自然農塾に通い、川口由一さんの自然農を学んでいます。今年は、7坪ほどの水田を借りてお米を育てています。4月には苗床を作り赤米を蒔きました。
川口さんから学んだ自然農の原則
・耕さず
(耕せば、土地の生物の生活環 境が壊され土地がやせる)
・持ち込まず
(肥料、農薬等を持ち込むと自然 のバランスが偏る)
・持ち出さず
(生えた草、収穫後の稲藁などは その土地に還す)
・機械化せず
・自然の営みに学びつつ
②3月18日から27日にかけて、三重県の青山町にある愛農学園で開催された就農準備校で勉強してきました。
堆肥作り実習や、有機野菜の流通等の講義も興味深いものでしたが、それ以上に講師としてこられた脱サラ農民の先輩たちの等身大の生きざまがドーンと伝わってきて、今まで参加した色んなセミナーでは得られない感動を覚えました。
あとがき
「どうしてまた、百姓のまねするの」との質問が各方面から寄せられておりますので、それについては次号に載せたいと思います。
やまざる通信 No.02
(1998年8月28日)
農:
農の面白さについて2年ほど前までは、まったく頭になかった。
まして自分が米や野菜を作るなどとは思いもよらなかった。
大阪でマンション暮らしのとき、ベランダでシソとかネギをプランターに植えたことはあっても、水をやり忘れて枯れさせる始末。それを知っている家内は、私に野菜の世話なんか出来るわけがないと思っているようだ。
そんな私がなぜ百姓の真似をしたくなったのか。
28年間ほど製薬会社に勤め、新薬の研究と開発に携わっていたが、関心はだんだん現代医学から離れていった。45歳の頃から今までの生活を変えたいと思い始め、2年前、50歳を節目に念願の自主退職。会社の都合によるリストラではなく、自分自身のためのリストラ。
衣:
ネクタイ、ワイシャツ、背広が要らなくなった。ネクタイは約30本をパッチワークをしている見知らぬ人に進呈した。背広は半分以上捨てたが、何着かは捨て切れずに箪笥の肥やしとして保管。徐々に作務衣と麦わらが似合う田舎のおっさんになってきた。
食:
玄米菜食を基本とする正食協会の正食料理教室に半年通い、初級コースを終了。しかし、厳格な正食は病気の治療食としてはいいかもしれないが、日常の食事としてはどうだろうか。食事の考え方として、幕内秀夫さんや魚柄仁之介さんの著書に共感を覚える。
住:
丹波篠山の農村に偶然のつてで土地を売りたい人を紹介され、古家のついた土地訳300坪を購入。古家を改修して住むことも考えたが、やや問題あり、小さな家を新築することにする。来年には妻、3歳の娘、0歳の息子とともに移住予定。
家計:
会社員であったときは、多額?の税金を納めていたが、今では所得税はゼロ、財布も軽いし気分も軽い。
健康:
多くの病気について現代の医学・薬学による医療は力不足であるか、あるいは見当はずれであり、必ずしも患者のためになっていないと思う。
それでは漢方とかアーユルヴェーダとかの伝統医学はどうだろうか。これらの伝統医学では、症状そのものに対処するのではなく、まず個々人の体質を基礎におき、その上で現在の体のバランスのずれを見て対応を考える。したがって同じ発熱でもその体質と状況によって、処方はそれぞれ異なるのが当然となるし、逆に症状がまったく異なっていても症状をもたらす原因が同じであれば処方は同じということになる。これぞ本来の医療の姿ではないか。しかし残念なことにこれらの伝統医学をマスターし実際の治療に活かせている方は、少数であり、その方々の実力を判断することも困難である。
どうしたらいいのか。
健康の4つの要素:食事、呼吸、運動、そして心の平安。これらをバランス良く心がけ、しかもあまり囚われなければOKというのが私の現在の結論である。
健康になることと、お金を儲けることは多くの人の関心事であろうが、より健康であれば、より多くのお金があれば、より幸せということにはならないのが面白い。健康もお金も大事ではあるが、もっと大切なことがあるのではないか。そのために出来ることは、人それぞれ異なるだろう。
百姓:
私の選択は百姓的生活。朝早くから自然の中でゆっくりと農作業をして、虫と鳥の声の中で瞑想する(単なる居眠りか)。そして大部分の食材を家族で自給し、体調を崩したとしても病院には行かず自分で養生し、子供の教育は学校任せにせず家庭で子供の特性が伸ばせるように援助する。このような生活を目指している。
友:
篠山の古い百姓家は出来る範囲で自分で補修し、都会で忙しく生活する友人やその子供たちが気軽に来てくつろげるところ、癒しと学びのスペースにしたい。
自然農:
奈良の桜井市に住んでおられる川口由一さんを指導者とする自然農実践者の会が8月22,23日に徳島県で開催され、全国から100名ほどが参加した。私はまだ実践者とはいえないが参加した。耕さず、草草や虫を敵とせず、肥料を必要としない農法、こんな特殊な?農法を実践する人が増えてきている。会では自然農歴7年の是枝さんと6年の沖津さんの農場を見学し、米の直播きの問題、省力化の問題、トマトの栽培法などさまざまなことが話し合われた。川口さんはどんな問題でもこれだという答えは出さないようにしておられるとのことで、自然農といってもする人それぞれの自然農があるようだ。
私は今年、赤目自然農塾で水田約7坪をお借りして赤米を育てているが、8月末には見事に穂が出てきた。収穫が楽しみだ。
自然農の学びの場が各地に根付き始めているようだが、私も将来には篠山自然農塾を開きたいと思い始めている。
ご関心のある方、将来入塾したい方など、ご連絡下さい。
やまざる通信 No.03
(1999年6月27日)
ついに篠山に移住
今年4月に、1年半暮らした温暖な気候の広島県大竹市から、
日内の寒暖差が大きく、霧の都とも言われる篠山(ささやま)市に家族4人で移住してきました。
当初の予定では今ごろは小さいながらも新居に住んでいるはずでしたが、設計を依頼していた建設会社に建築してもらうのを止め、地元の工務店にお願いすることにして、土壁・焼杉張り、在来工法の田舎の家とし、しかも少ない予算に収めようとしているうちにどんどん遅れてきました。内装は合板やクロスを使わず、主に杉の板張りとし、しかも安く仕上げるため苦心しています。なんとか寒くならないうちに入居したいなあ。
今は、JR篠山口駅まえのアパートに仮住まいし、家や庭の補修と畑仕事のために中の古家へ通っています。
機会があれば、ぜひ篠山まで足を延ばして、お立ち寄りください。
生活を単純にする
先日50歳前のアメリカ人女性と話をする機会がありました。私が50才で会社を辞め、いまは農的生活を目指しているというと、
”Congratulations!"と握手されました。そのかたは会計士の仕事をしているばりばりのキャリアーウーマンらしく、いっぱいの仕事を抱えて、それをてきぱきこなすのが生きがいでしたが、今、目指しているのは、それとはまったく違うライフスタイルなのだそうです。
それを一言で言うと"Simple life"だと。できるだけ、物を持たない、買わない、食べ物を自給する、現代医学による治療を受けない、など・・・
いつまでもビジネス中心の世界に止まらずに早くライフスタイルを変えるのがビジネスエリートの中にじわじわと増殖している願望なのだそうです。
私もエネルギーを出来るだけ使わず、自給自足に近づけたいと思っていますが、現実には毎日車を使うし、電化製品も使うし、使う湯も多いし、まだまだです。
農的生活
この春から、篠山での畑仕事を
始めました。家の周りで畑になりそうな所を選んで、まずは畝作り。50㎡程の傾斜した三角地と、100㎡程の空き地で日当たりが良い所を畑にしました。古家の軒下に稲藁が積んで置いてあったので、畝一面に振りまきました。
じゃがいも、ラディッシュ、ごぼう、にんじん、レタス、トマト、なすびなどなど、知らないうちに、20種類ほどの野菜を植えていました。
耕さず、肥料を持ち込まず、草や虫を敵としない川口由一さんの自然農をお手本にしてやってみようと思っています。
固くて痩せた土地ですので、今年はまだ多くを期待できませんが、農作業そのものがとても楽しいのです。種を下ろせば、いつ芽を出すか待ち遠しいですし、芽を出せばその成長を観察するのが嬉しい一時となります。こういう生活が、どうも私に合っているように思えます。
自然農を学ぶために、引き続き、赤目自然農塾に通っています。昨年は、赤米がよく稔り、初めて自分が育てたお米を食べられると喜んだのもつかの間、お米を稲木に掛けて乾燥しているうちに、イノシシに全部食べられてしまいました。
今年はどういうわけか、苗の出来が悪く、仲間の苗を分けてもらうことになりました。体験を通して多くのことが学べています。
篠山・野草食べよう会
4月29日に、インターネットでのマクロビオティック・メーリングリストの仲間を拙宅にお呼びして、食事会を催しました。参加者は大人7人と子供2人。
家の裏山で野草採り。せり、ゆきのした、こごみ、ふき、柿の若葉、もみじの若葉、木の芽など。男は竹を切って、食器作り・・・簡単に作れて、素朴で美しい。
玄米菜食の料理が得意な方が多かったので、わいわい言いながら、こんなメニューになりました。
・丹波黒豆入り玄米ご飯
・中華ちまき
・タケノコと蕗の煮物
・タケノコ木の芽和え
・蕗とせりの白和え
・ワラビの芥子醤油和え
・ワラビの信田巻き
・野草天ぷら(ゆきのした、こごみ、柿の若葉、タケノコ、タケノコと昆布としいたけのかき揚)
・つくしの佃煮(地元の人から差し入れ)
・ふきのとうの芥子味噌和え(地元 の人から差し入れ)
・山芋まんじゅう(グルテン入り、皮は山芋とタケノコすりおろし)
・葛まんじゅう(ブルーベリーの甘みの小豆あん)
・太い青竹ジョッキでビール
・細い青竹お猪口で丹波地酒、純米小鼓
・蕎麦茶
大満足の一日でした。
やまざる通信 No.04
(2000年1月2日)
田舎風の家
篠山市の東の外れの農村に定住するつもりで家を建てました。心に描いていた家は、木と土の質素な家、風通しの良い家です。
平成11年9月10日、棟上げを行いました。大工さん4人、鳶職2人、クレーン1人、手伝い1人、監督1人、計9人かかり、朝8時から始め夕方6時前に終了しました。最後に御幣を掲げ、酒、洗い米、塩、水を供えて安全を祈願しました。近所の方が次々と上棟祝いを持ってきてくださったのは思いがけないことでしたが、この地に受け容れられているようで、嬉しかったです。
建築を依頼した地元の建築会社の社長は自ら材木を吟味して買い、一人で製材までする人で、同じ太さでも年輪の詰まった強い木を選んでいるそうです。2階の中央の梁は、建物の東西幅10mを一本で覆う直径50cmほどの松丸太で、2階の南半分は天井を貼っていないので、太い梁がいつも見えて頼もしい感じがします。
在来の軸組工法、屋根は瓦葺き、外壁は竹で編んだ木舞の下地に土壁を塗り、上に焼き杉板を張りました。
内装は家中統一し、床は檜の端材を下ばりにしその上を杉の板張り、壁は床から1.8mを杉板張りにし、その上は漆喰の塗り壁としました。木部への塗装は、柿渋とドイツ製のリボスという亜麻仁油を主成分とした自然塗料を自分で塗りました。作業しているとだんだん調子に乗ってきて楽しくなり、予定にないところまで塗ってしまいました。
12月29日に完成、すぐに住み始めましたが快適です。これで3年ほどかかった田舎移住作戦はほぼ終わりました。
野菜作り
耕さず、肥料や農薬を使わず、草や虫を敵としない自然農で野菜を育てています。今のところ畑の広さは150平米ほどで、少しずつ広げて行くつもりです。使ってもよい田んぼがあれば借りたいと近所の人に言ってたら、今年は600平米ほどの田んぼを貸してもらえることになりました。半分は野菜に、半分はお米に使いたいと計画しています。
去年は空き地を借りて畝を立て、草を刈って敷いただけの畑ですが、トマトはよく出来、4本の木から毎日1個は完熟したのが収穫できました。地這いキュウリは成長が遅くどうなっているのか心配でしたが、8月になってやっと実を付け出しました。ちょっと油断すると巨大キュウリになってしまいます。トウモロコシは取り時を選べば生のままで甘く、我が家の娘は生を好みます。4本のナスは8月になってぼつぼつ実を付け出しましたが実の数が少なく、ナスに対しては地力が足りないようでした。
ミミズと自然農
去年の8月に、自然農実践者の会「妙なる畑の会」に参加しました。オプションで東北農業試験場を見学し、ミミズ博士として知られる中村好男さんのお話をうかがうことが出来ました。中村さんのグループは全国の農業試験場の中では不耕起農業の研究をされている唯一のグループだそうです。
まず基本として土の中にミミズが多いほど作物の生育が良いという実験結果があります。畑を耕せば、ミミズは減り、草を抜いて畑を裸にすればミミズは逃げて行く。自然農では耕さず、草は刈ってその場に敷いておくので畑を裸にしません。したがって、ミミズにとって自然農の畑は住みやすい環境でしょう。
さらに興味あることに、不耕起の畑のミミズの数は不耕起にして4、5年目から急に増えだすということです。これは自然農に切り替えた畑は4、5年目から状態が大変良くなるという自然農実践者の経験と符合するように思えますが偶然でしょうか。
数え切れないほど多くの要素がお互いに影響しあった結果である自然現象がミミズ一つの指標で説明できるものではないでしょうが、土の微生物および小動物をひっくるめた環境がミミズの動静で垣間見ることが出来るように思えた興味深いお話でした。
ライフスタイル
今思うとずいぶん昔のような気がしますが、3年ほど前まで製薬会社に勤めていました。
会社に勤めていた理由は、仕事の内容が面白いからというよりは、やはりお金をもらえるからだったと思います。会社そのものの目的も、社会のためということもあるでしょうが、第一にはお金儲けでしょう。そのような組織にいて、私は世の中をお金で評価していたと思います。その頃は高給取りは偉いという観念がありました。たとえば時給700円とか800円のパートの仕事などは、仕事とも思えませんでした。今考えると傲慢なことです。
しかし今はどうでしょうか。昨年収穫した分の野菜をすべてスーパーなどで買ったとしても、会社員のときの1日分の給料でおつりが来ると思います。それでは今の作業は無価値なのでしょうか。
自分で納得して育てた野菜の価値は、お金では計れないと考えるようになりました。これは私の価値観、ライフスタイルが変わってしまったということでしょうか。
やまざる通信 No.05
(2000年4月15日)
春がきた
私の家は、篠山市でも北東部で冬はとても寒いです。
今年は雪の日が多く、家に引きこもり勝ちでしたが、ようやく春のきざしが見え始めました。4月13日になって近くの桜並木がほころび始めました。 田舎で冬を初めて過ごしてみて、生き物の春を待つ気持ちが少し分かったような気がします。
庭の畑では、葉の枯れていたゴボウやニンジンが新芽を出し、小松菜が花を咲かせました。 大根、玉ねぎ、えんどう、そら豆などは、寒さに縮こまりながらも冬を越し、4月になってやっと体を伸ばし始めました。 今年はどんな野菜が食べられるか、今から楽しみです。
田舎暮らし
家の前には川が流れ、後ろは小さな山、家の両横は田んぼと畑というのが私の家族4人の田舎暮らしの場です。
10年ほど人が住んでいなかった古家が付いた300坪ほどの土地を購入し、そこに小さな家を新築して住んでいます。 住み始めてから、いろんな力仕事がいっぱいです。 隣の家を暗くしている竹を、広島から遊びにきていた義父の協力で100本以上伐採し、椿の大木と20メーターほどの杉の木を切り倒しました。杉の木は一人で切るのは自信がなかったので造園屋さんに頼んだら、一本切るだけで1万円もかかってびっくりしました。見よう見真似でも、これからは自分で作業しようと思いました。
さて、50世帯弱の中地区には、代代ここに住んでいる世帯と、私たちのように外部から移住してきた「寄留者」と言われる世帯が数家族あります。寄留者はいまのところ新年会や総会には呼ばれませんが、今年の総会では、寄留者も出席させてはどうかとの意見も出たと聞きました。 村人と同じ扱いとなれば、消防団への参加、村のお宮さんの守、共同作業への参加など、毎週のように作業があるそうで、どうなることやら・・・。
赤目自然農塾中退
奈良県桜井市に住んでおられる川口由一さんが指導されている赤目自然農塾に2年間通いました。最初の一年間は広島県の大竹市から、去年は篠山から月一回の集合日には欠かさず出席しました。 農業に特別な関心があったわけではない私が、これなら自分も試してみたいと思ったのが、「耕さず、農薬を使わず、草や虫を敵としない」川口さんの自然農でした。 田んぼや畑を耕さない農法はまだあまり普及していませんが、学べば学ぶほど自然の理に適っているように思えます。私が赤目自然農塾で学んだことは単に農の技術としての自然農に留まらず、生き方の問題、いのちに対する考え方に及び、私にとって大変貴重な学びの機会でした。 今年からは篠山の0.5反ほどの畑で自分なりに自然農を実践することにし、赤目自然農塾はいったん中退しました。
2000年
コンピュータ2000年問題は、今のところ大きな問題にならず、ほっとする一方、あれこれ準備してきた我が家にとってはやや拍子抜けの印象もありました。エネルギー危機や食糧危機に陥る可能性を考え、電気や水道が止まっても食料が買えなくなっても、何ヶ月かは家族が持ちこたえられる準備をしていましたが、空振りに終わりました。先のことは分からないものですね。 しかし昨今の異常気象の多さや、急激な地球温暖化現象のことを聞くと、災害を歓迎するわけではないですが、いつどんな事態になるか予測できず、備えはいつでもあるに越したことはないと思います。
老化の意味
76歳の母が尋常でなくなったのは2年ほど前です。料理すると、毎回のようにガスがついているのを忘れて家中の鍋を焦がしてしまう、被害妄想が強くなり自分で犯人と確信している近所の家へ盗ったものを返せといいに行く、家の鍵や銀行の判を何度も失うという状態になりました。
私にも、お金を勝手に使ったという嫌疑をかけられたときには、情けないやら腹が立つやらで、思わず怒鳴ってしまいました。しかし事態は怒鳴って改善するものでなく、申し訳なかったということと、淋しい思いが残ったことでした。
世の中には見事な老境を見せるひともいれば、こういう老人には成りたくないというひともいます。 私は、母の姿を見て、自分の老後を想像し、老いとは残酷なものだなと思う一方、老いてどんな状態になるかは大きな問題ではなく、老いて生きていることそのものに、そして老いて死んでいく姿を家族に見せることに意味があるのではないかとも思うのです。
老いや死は、日常の生活から切り離し、できれば目にしたくない、という心情は普通のことのように受け取られていますが、誰にとっても避け難い老いと死に目を背けることによって、大切なことが置き去りにされているような気がします。
やまざる通信 No.01
(1998年5月8日)