読み物
 1.幻の大仏鉄道に乗る (新村 恵勇)
 2.大仏線を歩く (野邊 孝男)
 
1.幻の大仏鉄道に乗る (新村 恵勇)
 
大仏鉄道研究会の高橋正男さんが、若草公民館にお見えになってまもなく半年になる。
 私が、高橋さんや研究会の方々とお知り合いになり、いろいろ教えていただき、実際に
鉄道跡を訪ねてみて、その鉄道に乗ってみたくなった。
 秋の一日、加茂駅より大仏駅までの幻の大仏鉄道に乗ってみることにした。
 加茂駅で十銭を支払い切符を購入。改札口を出るとすぐに、英国製蒸気機関車、真っ赤
な“雷光号”が、ホームに止まっていた。三等車に乗ると、まもなく蒸気と汽笛の音とと
もにゆっくりとホームをすべりだした。
 遠くに木津川を見て、少しずつ高度を上げていく。初めは両側に稲穂が見えていたが、
登りにかかると雑木林の中を走り出した。
 真っ赤な“雷光号”が力強く、線路の両側の“彼岸花”をかき分けて走っていく。手の
届きそうな所に、栗や柿がなっている。
 思わず窓から顔を出すと、快い機関車の煙のにおいがする。鹿背山不動までは、次第に
きつい登りになっていく。
 あえぎながら真っ赤な“雷光号”が走る。
 まもなく梶が谷隧道を通過する。しばらく平坦な所を走り下梅谷にくる。
 ここから、徐々に登り。大きな汽笛の音を鳴らし奈良街道と交差。いよいよ最大の難関、
黒髪山トンネルにさしかかる。激しい蒸気の音と共に大きく汽笛を鳴らしトンネルに入る。
 窓を閉めなかったために、顔にススがつき、目にススガラが入る。
 トンネルを出ると、下りになり奈良の町が見えて来る。そして大きなブレーキ音と共に
一条通りを渡った所にある「大仏駅」に到着。
 ここまで九km。往復では所要時間が違うが、二五分ほどかかって到着したことになる。
 そこから一条通りを十五分ほど歩くと手貝門のそばにある、若草公民館に到着だ。
 秋の一日、のんびりと百年前に走っていた幻の大仏鉄道に乗るという夢を見た。
2.大仏線を歩く (野邊 孝男)
京都新聞、KBS京都放送、日経新聞に掲載された、幻の大仏鉄道の散策マップの詳細版です。
マップでは、紹介しきれなかった見所などをご紹介します。
マップについて入手希望の方は管理人までメールでお問い合わせください。

実際に歩いてみた時間も載せてありますが、結構早いペースで歩いています。
ただし、要所要所で結構じっくり見ながら、話しながらまわっていますので、まあまあ良いペースかと思います。

AM8:00
昨夜から、何となく崩れてきそうな空模様を気にしながらJR木津駅で、佐保台の高橋さんと待ち合わせをしていた。
今日は、約11キロを歩くと言うことで、厚着を避けつつ多少の小雨が降る場合も考え、湿気のこもらないレインコートのジャンパーを着ることにした。例年に比較して暖かいというけれど、
2月半ばでは、じっとしていると、さすがに少し肌寒い。

佐保台は、木津駅と奈良駅の間の平城山駅に近く私は、木津駅まで自転車で4分という場所に住んでいるのでお互い木津駅からの出発の方が都合が良かった。しかし、平城山と書いて「ならやま」と読むのだが、片町線の放出(はなてん)駅と並んで難読駅の一つではと思う。

快速京都行きのみやこ路快速が2番線のホームに到着し高橋さんが改札を出て来られた。
さて、挨拶も早々に、まずは昼飯の調達をということになった。しかし、土日の木津駅前は、商店街があるにはあるが、田舎の駅前にありがちだが、あいにく、この時間はすべて閉まっている。

ついでですから、片町線ホームの北端に行く片町線の起点を示す「0マイル標識」が見られます。ただの、白い木杭ですけれど。
今日は唯一頼みの駅前の神戸屋も閉まっていて、サンドイッチの一つも買えない。
仕方がないので国道24号線に出て、奈良方面に1Kmほど歩いて、コンビニへ向かった。
計2Kmほどのロスをしたものの、とりあえず昼の心配がなくなった訳で、国道を引き返さずに国道と線路を横切り山沿いの農道を歩いてゆくことにした。

本来なら、木津駅から木津高方面に向かうため首を曲げないと歩けない片町線と奈良線、関西本線の高架をくぐって行くのだが、、多少の変更もありということで、観音寺地区へ向かって快調に歩を進めた。

AM8:30




峠地区の坂に差し当たる。
ここの頂上の木下さん所の桜は、春になると
狭い峠道いっぱいを桜色に染めて広がり本当にきれいだ。

ここの後継ぎさんは私の友達で、今回のマップに写真を
載せる時も、
「自分、勝手に使わんといてや。」
と、軽口を言われた。
まあ、今年は酒持って花に行くからということで、
手打ちになった

本当に、ここだけがポカンと空が広がって、
桜が目の前いっぱいに広がる気持ちのいい場所だと思う。
今回も、また酒を飲むことで承知してもらおう。
AM8:45 木津小学校鹿背山(かせやま)分校に到着
途中、峠地区を一山越えた後、
鹿背山の集落へ向かう坂を上っていく。
実は、散策コースで一番きつい坂がこの集落に入っていく
部分だ。
自動車がやっと通れる狭い坂道の両側には
立派な石積のお屋敷が続く。
この坂のまだ先に見える山の上には
その昔、鹿背山城という山城があったそうだ。

集落内は、山城へ向かう外部からの侵入者を阻むように
何度もくねくねと曲がり、急に細くなったりしながら
知らず知らず、方向感覚を失いそうになる。
自分で作成したマップを、横に見たり、逆さまに見たりしながら
ようやく、鹿背山分校へたどり着いた。
ガラス越しに手をかざして教室の中をのぞき込むと
1年生と、2年生の2クラスに分かれて、小さな机が
石油ストーブの奥に並んでいる
かわいらしい机の数を数えると4〜5名の子供が
1つの学年で学んでいるようだった。
木造の平屋校舎と、ちっさな校庭の隅に立っている
二宮金次郎の石像が妙に懐かしい。
AM8:55 鹿背山分校の前の四ッ辻に山手の方へ上がっていく
小さな坂がある。
その坂の上にあるのが西念寺だ。
西念寺は三方を谷戸に囲まれ、山の斜面に植えられた
紅葉の木立に守られるように立っている。
歴史をひもとけば、この地域の社寺仏閣のご多分に漏れず
奈良の興福寺にゆかりのある
相当古い歴史を持った由緒ある寺らしい。
この寺を訪れるなら、ぜひぜひ秋に限る。

これまで、私はここの秋の紅葉だけしか知らなかったが
同行した佐保台の高橋さんが、
前の日の夜に寺に電話を入れておいたいたから
ここにある京都府の重要文化財の仏さんとふすま絵を見せて
もらいましょう。
といって、バックパックから一枚の絵はがきを取り出した。
それは、見事な紅葉の風景画で
こんなものがここにあったのかと驚きながら
ごめんくださいと、本堂の脇の勝手口のベルを鳴らした。
しばらくすると、奥から奥さんらしきご婦人が現れ
「寒いですからどうぞストーブにあたってください。
じきに温なりますから」
と、通された本堂のご本尊さんの前で
大きな石油ストーブの「ゴー」という音を聞きながら
どれが秘仏でしょうかね・・・と裏をのぞき込んだり
高橋さんが持ってきた、緑の布で表装された「木津町の歴史」
という本の白黒写真を見ながら、
あれでもないし。これでもないですね。と言っているうちに
「おはようございます。よう、きてくらはりました。」
と、田辺和尚がやってきた。

いつでも、だれでも見られる訳ではなく、
今回のように事前に連絡しておいて、おしょさんの用事が
なければ、秘仏とふすま絵は見せていただけるとのこと。
では、早速とお願いすると
秘仏は、やはり外のお堂の中らしい。

いろいろ、お話をお聞きするのだが、内容が難しい。
というか、奈良時代〜南北朝時代に掛けての歴史を知らない
と、登場人物が一致してこない。
しかし、そういう時代に彫られた、一刀彫の大変珍しい
薬師如来像だそうだ。
また、その脇士の日光・月光菩薩のお顔の柔和さに
すっかり魅入られてしまい、
おしょさんにお願いして、是非と写真を撮らせていただいた。

時間もないので、次は是非絵はがきのふすま絵をお願いして
いいですか?と厚かましくお願いすると
快く、別の建物に通していただいた。
この部屋は、最近建てられたもので、
寺で何か催しがある時の、控えの部屋のようだった。
部屋は二つに分かれていて、
床の間と窓を除いた二方に立てられたそれぞれ4枚の襖に
季節毎の四季の風景が描かれていた。
これは、日本画家であり、この地を愛し
山の頂にアトリエを構えていた東 白陵画伯のお弟子さんが
描いたという水彩の日本画だった。
それは、色鮮やかに四季を映し出し、季節それぞれに
味のある立派な作品だった。
 

 








続く・・・


Copyright 大仏鉄道研究会 2002