関西本線において、大仏鉄道ともかかわりの深いJR木津駅の橋上駅舎化工事が近々始まります。
 JR木津駅はJR関西本線(大和路線)、JR片町線(学研都市線)、JR奈良線(みやこ路線)の3線合流駅であり、関西本線の奈良線接続(木津町雲村踏切)が直接的な大仏線廃止の引き金となった舞台です。
 JR木津駅駅舎は、大正12年の建築だそうです。

 戦後まもなくは、このロータリーはなぜか、反時計回り(通常とは逆回転)の一方通行だったようです。
 写真左手奥には、国鉄給品部や貨物の荷卸のクレーンがありました。
 また、写真の近代的な公立山城病院のある場所は、もともと日通の集配拠点だったそうです。

 車の利用が進む以前の木津駅前は、たくさんの買い物客が乗降し、荷物を地域へ配送するための牛車が、ひっきりなしに往来していたそうです。

木津駅は片町線、関西本線、奈良線の3線が合流するターミナル駅です。しかし、特に関西本線の快速停車駅としては、法隆寺と並んで駅前の広場や、商店街を含めて田舎くさい駅のひとつでした。

しかし、町の広報や議会だよりによると、平成18年度の駅舎改築が決定したようです。

木津駅の駅舎は木造1階建て平入りの構造で、同じ関西鉄道会社の駅舎としても、草津線の三雲駅の立派さとは比較できないほど、安普請です。
草津線 三雲駅

これは、ともと奈良線が、後に関西鉄道会社に吸収合併される奈良鉄道会社という別の鉄道会社の所有で、京都〜奈良間を運行していた、この奈良鉄道会社との乗り入れ協議が遅れたため、関西鉄道会社は仕方なしに、加茂〜奈良駅へのショートカット線である、大仏鉄道(大仏線)を建設したわけです。
このことから、大仏鉄道と、木津駅は時代の双生児というべき存在ともいえます。関西線の木津駅接続が直接的な大仏線廃止の引き金となりました。

さて、この木津駅駅舎は大正12年の建築という資料があるようです。(未確認です)。また、1番線ホームのJR片町線は、ホーム北端のレール脇に0キロポスト(ゼロキロポスト)が立っていて、当該線路の起点を示しています。
 (CANON EOS 20D)
元来、この1番線ホームの先(西)にはもう1線敷設されていて、現在ちょうどトイレが立っている場所の南に石積みの階段が残っていますが貨物ヤードが存在しました。

牛車があがれるように、現在駅前広場の南、トイレとバス停の間の位置に線路の築堤にあがるスロープがありました。
この貨物ヤード跡地は、昭和58年の国鉄解体により、国鉄清算事業団用地となり、その後山城病院が取得し、新築工事の際に築堤を削り、現在の形態へと変更されました。

事故が続いた木津駅
木津駅の駅前広場の西の端に、小さな祠があり、お地蔵さんが祭られています。また、ホーム内では4番線の南の外れに「安全祈念の碑」がひっそりと建立されています。

これは、戦後まもなくのころ、木津駅での事故が非常に集中した時期があり、それを鎮めるために、お地蔵さんや、祈念碑が立てられたようです。

さて、木津駅は周辺の地形より3mほど土盛りされた築堤状の駅です。これは、昭和28年の山城大水害の際、駅東側の田んぼの土を線路側へ追加して盛り土したため、かなりの高さを持っています。

ちょうど、地下通路(本当は平面通路ですが)から、ホームへあがる、不評の急勾配の階段をみると、元々のレンガの階段の壁からさらに50cmほど嵩上げされたらしき痕跡(継ぎ目)を確認できます。
 
いまは、真っ白な、ボンドタイルで塗装していますが、この下には明治の建設時以来のレンガ積みのトンネル通路が隠されています。(なんで、塗装しているのでしょうか、レンガが見えれば、レトロな雰囲気で、もっと、木津駅は有名になっているはずなのですが。
とにかく、JRのすることは理解できませんね。(単なる管理上の問題??)

また、地下通路の途中には、開通当時電気がなかったころの名残の明り取りの窓が絞め殺しになっていますが、上を見上げると確認することができます。

昔は、このガラスの天窓から明かりが取られていました。

さて、もうひとつ、木津駅の見所ですが、3,4番ホーム(東側)の北の方へ行くと、屋根を支えているのは、廃レールです。
日立のマークが入ったものも多いですが、いくつかは、この地域の鉄道発達当時のレールが使われています。
北から三列目西の柱 BV? CO.LD 189? NTKの文字が見える。

JR木津駅駅舎の橋上駅舎改築工事は、今年度から開始され、平成19年春新駅舎開業の予定です。この木津駅改修工事については、今後、当会でも、状況を追いかけ記録して行きたいと思います。




いよいよ、工事が始まりました。
平成18年4月2日の状況です。4番ホームから新しく誕生する駅東口の工事ヤードを見ています。奥の方に工事会社の現場仮設事務所が建設されているのが見えます。


同日の3,4番ホームの南端です。待合い室から南の屋根が切り取られています。


同じ日に、1,2番ホームを見た写真です。京都行きの待合い室内にあった売店部分が切り取られて、一回り小さくなった待合室が寂しげです。いよいよ、工事の始まりを告げています。




平成18年10月17日



ホームの待合室は上り下りとも撤去され、アルミ製の新しい待合いがホーム上に建設されています。
橋上駅に上がる階段部分も桁が載せられて駅のシルエットが判るようになってきました。
平成18年10月31日時点 大阪方面への下り4番線ホームから撮影。


橋上駅の部分も床が張られています。(3番線から2番線ホームを望む)
平成18年11月1日時点



片町線(1番線ホーム)から山城病院側を見た工事の進捗状況です。まだ、駅前広場へ降りる階段の桁は掛かっていません。平成18年11月6日現在の状況。

(RICOH GR-Digital)

現在の通路は、そのまま自由通路として、新たにできる駅東口の駅前広場と現在の西口駅前広場を繋ぐことになるそうです。
その工事が始まるのか、3番線ホームに上がる突き当たりに囲いができました。
外された看板の下に、もともとの赤煉瓦の壁が露出しています。
通路そのものも、白いボンドタイルの下は写真のような煉瓦が積まれています。
自由通路化された暁には、是非レトロな煉瓦の壁に戻してもらいたいと思うのは、わたしたちだけでしょうか?
平成18年11月7日現在。


駅前広場側から橋上駅の工事を望む。
屋根の桁が載ってきました。 平成18年11月8日現在の様子。


ホームの状況。(3番、4番線ホーム)


11月9日の朝の様子です。
1番2番ホームの南側に鉄骨製の新しい屋根が建設されています。同じものが、3番4番ホームにも作られています。
現在、取り壊された待合室は四国アルミ製で2回りほど小さくなって建設済みで、11月中頃使用できるようになると張り紙がしてあります。
駅前広場も東側の新東口もなんとなく原形が判るようになってきました。デザインされたバスシェルターが建設されて、新しい顔となる予定だそうです。


予告されていたとおり、待合室の使用が今日から開始されています。
前の木造のガラス窓の待合室も良かったのですが、オールアルミで清潔感があります。
11月14日撮影


3,4番ホームから見た、築造中の東口駅前広場の工事の状況です。道路の輪郭が見えてきました。工事は急ピッチで進んでいます。11月15日撮影


同じく11月15日の東側の橋上駅へと上がる階段部分の工事の状況です。カーブを描いた屋根のシルエットが見えてきました。


11月16日の3,4番ホームの状況です。毎日のことですのであまり変化は見られません。
(RICOH GR-Digital)


11月17日の駅東口工事の様子。


現駅広(西口)はこんな状況です。(11月17日)


11月18日の状況です。4番ホーム安全の碑のある南端です。ホームが増設され、8両編成対応に改良されるようです。
これまで、4番ホームは1日の中でも2〜3本が使われるのみでしたが、今後は奈良線、関西本線専用と3番4番の振り分けが行われるのかも知れません。


3番ホームの南端から見た工事の状況です。ホームへ降りる階段の工事が進んでいます。(11月18日)

11月18日の4番ホームです。

11月18日の1番ホームから見た駅西口側の工事の状況です。こちらも、だんだん原形が見せてきました。


11月21日(火曜日)の朝の状況です。
3,4番ホームへの地下通路の突き当たりです。東西駅前広場を結ぶ自由通路と活用されるため、壁を壊す工事の囲いができました。(RICOH GR-Digital)

霧の朝となりました。西口の階段がだんだんできてきました。(11月21日)

いつものアングルから(11月21日)


11月22日(水) 1番ホームから駅西口の工事の様子です。駅舎のファサードの輪郭が見えてきました。

同じ日の、駅前の状況です。


11月27日の状況です。
現在の通路を東西自由通路として再利用するため、東側の駅前広場にトンネル部分を開通させる工事が進んでいます。
4番線線路の通路が鉄橋に掛け替えられています。壁の撤去も終わっているようです。

同じく、11月27日のいつものアングルから。


11月28日(火曜日)の西口駅前の工事の状況です。正面のファサード部分がグレーのシートで囲われはじめました。

同じく11月28日の駅東口の自由通路工事の様子を、4番ホームから見た状況です。


11月29日の駅西口です。外からはあまり変化はありません。


11月30日。1番線から西口方面を見た状況です。ずいぶん工事は進んでいます。
   
同じく30日の駅東口の駅広工事の状況です。

気になる、自由通路の東口開口部工事の状況です。


12月1日(金)の状況です。この角度からは工事用の柵があるので進捗状況は判りません。

同じく12月1日の4番線ホームです。

3,4番線ホーム階段工事の状況です。


12月4日(月)の状況です。1番線ホームの向こう駅西口の工事がだいぶ進んできたのが判ります。

気になる、自由通路工事の状況です。ほとんど東口のレベルまで掘削が完了したようです。

駅東口広場の工事の進捗状況です。真ん中に大きな穴が開けられました。何の穴でしょうか?


12月5日(火)の西口側の工事状況です。

同じく12月5日 3,4番奈良方面行きホームの階段工事の状況です。天井から滑車がつり下げられました。


12月6日(水)の状況です。いつものアングルから。

12月6日のホーム階段の状況です。エスカレーター設置工事が開始されています。一晩でここまで工事が進んでいます。


12月7日(木)中間まとめをします。
西口の正面からの工事状況。骨格はほぼ立ち上がり、床・天井工事、設備工事に掛かっているようです。
下から見上げると、かなり大きな構造物として、木津川市のシンボルの1つになりそうな気配です。
明らかに、関西本線(大和路線)沿線の他の駅舎とは格付けが違うのが判ります。

1,2番ホームからの工事の状況です。覆いが掛けられていますが、シルエットがはっきりしてきました。
ホームの屋根もスチール製に変更されました。(RICOH GR-Digital)

ホームから見上げるとこんな感じです。

バリアフリー化のエスカレーターは踏み板設置が始まっています。

2番ホームから北側の橋上駅部分を見ています。
  
以上のように、工事は順調に進んでいるようです。

少し飛んで12月12日(火)の4番線ホームの状況です。ちょうど橋上駅の真下部分です。


12月14日(木)の状況です。躯体工事が完了し覆いがされたため、大きな変化は前ほど判らなくなりました。
おそらく、内装・設備工事

12月14日の構内エスカレータ。踏み板が取り付けられました。


平成18年末に外構作業が完了して、外からは ほとんど変化が分からなくなりました。
12月27日の自由通路工事の状況です。天井のコンクリートの打設工事が早朝まで続いています。


12月28日打設が完了し、天井部分が完成しています。

同じく12月28日の状況です。(RICOH GR-Digital)


年が変わって平成19年1月16日(火曜日)の木津駅です。駅にあがる階段部分の屋根が付きました。
内側の工事も進んでいるようですが、中を確認できないのが残念です。


1月20日(土曜日)の様子です。
いつもとは逆の3番線の南側から北に向かって撮っています。
ずいぶんできあがってきているのが分かります。

同じ日に見た東口の駅前広場の工事の進捗状況です。広場中央部の導流島(どうりゅうじま)の工事が開始されています。


1月26日の様子です。東側の駅前広場工事が急ピッチで進められています。回転帯の形が見えてきました。


同日の4番線の様子です。外装は仕上げの段階に入りました。


2月5日の様子です。駅に登る階段の屋根が葺かれました。橋上駅も覆いが外され形を表しています。かなり内装工事も進んでいるようです。(RICOH GR-Digital)

同日、4番線いつものアングルから。地下自由通路(現通路)の上にバラスが敷かれました。

東の駅広工事はこんな感じです。


2月8日の様子です。
ホームエレベータの養生シートが外されました。

橋上駅部分の仮設足場や囲いも順次取り外されて来ました。


2月17日(金) 東側から駅東口の工事の様子を撮影しました。駅舎の囲いも外され、いよいよ新駅舎が姿を現しました。


2月19日 橋上駅に上がる階段部分の囲いが外れ、ホーム側からも駅舎の様子が見えるようになりました。


2月21日 あまり大きな変化は見られません。


3月1日 月が変わり、軌道敷き内のフェンスが取り払われました。



同じく3月1日の駅西口(現駅舎)からの様子です。西側も、正面の囲いは取り外されています。


3月4日の4番線ホームです。左の囲いは念願のエレベータです。長い間急な階段がお年寄りや障害者、小さなこども、ベビーカーの母親などを苦しめてきました。しかし、やっと上り、下り両方のホームにエレベータが設置されました。

同日、3月4日。エスカレータもすっかりできあがりました。内装もほとんど完成しているのが分かります。
木津川市誕生まで、あと8日。いよいよ、秒読み開始です。

3月7日の様子。いつものアングルから駅西(現駅前)側を撮影した時、あることに気がつきました。


駅舎正面に「JR木津駅」という駅名のプレートが掛かりました。どこにもない見たことのない曲線を帯びた駅舎が完成してきました。
けっこうキレイな学研都市の南の玄関口にふさわしい立派な駅です。JRも今回の設計にはチカラが入っているようです。
あとは、駅舎周辺の仕上げを残すのみです。


同日の、駅東側の様子です。こちら側も、車道、歩道の舗装、バスシェルターの設置等を残すのみで、急ピッチで工事が進んでいます。
木津中央ニュータウン・木津南ニュータウン側の玄関口として広い歩道の都市計画道路が完成しています。
これまで、不便だった木津南(ハーモニーシティー)方面からのアクセスが非常に便利になります。
奈良交通も新しい路線バスを運行させるのでしょうか。
貨物ヤードの跡地いっぱいを使って、大きな駅前広場が設置されるようです。


いよいよ、木津川市が誕生した平成19年3月12日から3日後の3月15日の状況です。
いったん、木津駅のプレートが外されています。

おなじく3月15日の駅東の状況です。バスシェルター設置のため、足場が設置されています。


3月18日。雪の朝となりました。 駅東の状況 たった3日でバスシェルターの支柱が組み上がりました。



3月22日。駅舎の状況です。建屋は完成しています。現在、新駅舎開業のための仮設通路の工事中です。
噂では、4月1日開業のようですが・・・?


入口付近です。まさしく開業を待つばかり。


同日の駅東の状況です。
こちらは、4月1日にはちょっと間に合いそうもありません。バスシェルターは、学研都市の玄関口にふさわしい、吊り構造です。曲線が羽のようで、けっこう美しいです。



平成19年3月28日の様子。あとは、新駅舎の供用を開始するばかりです。


同日。電光掲示板も最新のものが既に設置されています。



開業から一夜あけた、翌4月2日の新駅です。内部も非常にモダンで曲線が美しい駅です。これ、本当に木津駅なんでしょうか?
とても近代的な駅に生まれ変わりました。


橋上部分の自由通路の状況です。駅前の歩道の色と合わせてあるようです。シックな色合いで落ち着いた雰囲気です。
(RICOH GR-Digital)


改札部分。ラッチの数は旧駅と同じ3つですね。
改札正面に行き先の電光掲示板が掲げられ、とてもわかりやすくなりました。
木津駅は三線合流のターミナル駅ですので、行き先掲示板も3つ掲げられています。
改札横に設置された駅スタンプは前のままでしょうか?また確認しておきます。


ホームへ向かうエスカレータ

(RICOH GR-Digital)

気になる、これまでの地下通路部分です。囲いがされて閉鎖されています。


駅東口の状況です。東口は供用開始が遅れると聞いていましたが、人が立っています。
どうやら、仮設通路を設置して、4月1日に同時に供用開始したようです。
駅前広場の整備はもう少し時間がかかるようです。


新駅は開業しましたが、駅東の整備は完了していませんでしたので、続報です。4月5日の状況です。
仮設通路で東口の方も駅舎に上がることができるように応急措置が取られています。
鋳物のシェルターが鳥の羽か、帆船の帆のようなデザインで、なかなか美しいです。


JR駅舎とシェルターの接続部分で苦労しているようです。


駅東口の階段部分。(駅西口と同じデザインです)



4月10日の木津駅東口の状況です。シェルターは完成して、シェルターの足場があった部分の平板舗装が残っていますが、ほぼ完成と言っていいでしょう。
とても美しい駅です。



 定番のシチズン社製電波時計が使用された時計塔。やっぱり駅前には時計塔ですね。
(RICOH GR-Digital)

駅舎の上から眺めた駅東口の駅前広場です。


コンクリート擁壁に囲いがしてあります。もともとの地下(地上)通路に貫通しています。東西駅前広場を結ぶ自由通路のようです。


入口はこんな風になっています。


中を覗いてみました。
わかるでしょうか?明治に木津駅が建設されたときの煉瓦の擁壁が見えています。
どうやら、木津駅建設当時(明治31年)当時は、駅の東側は貨物ヤードの土盛りは存在せずに、築堤状になっていて、煉瓦擁壁が続いていたということが発覚しました。
やはり、この煉瓦擁壁は壊すんでしょうね。(ぶち破らないと自由通路は使えません) できれば、キレイにくり抜いて、駅前広場に展示していただきたいところですが、タダの煉瓦のガレキですので、市民には理解してもらえないのでしょうね。残念です。


一方の、旧駅舎の現在の状況です。


4月1日始発から移転を知らせる看板。


すべてが取り払われて閑散としています。大正12年建築の木造駅舎の最後の姿です。
計画では、近いうちに駅前の住宅の移転とあわせて、この駅舎も取り壊されるそうです。


6月18日 旧駅舎の撤去が開始され、囲いができました。(RICOH GR-Digital)

7月6日現在、旧駅舎は完全に取り壊されました。築大正12年の旧駅舎は役目を終えました。ご苦労様でした。



12月9日 駅東口方面を下り線ホームから撮影。(PENTAX K10D PENTAX-DA 18-55o F3.5-5.6 AL)


駅西口 市役所方面への都市計画道路工事の風景。街路灯が立ち上がりました。
(PENTAX K10D PENTAX-DA 18-55o F3.5-5.6 AL)


午前6時10分 4番線
発車を待つ380系大和路ライナー 平成19年12月25日





番外ですが
平成20年1月19日 「鹿背山の大仏鉄道遺産に親しむ会」設立総会の様子。木津川市観光協会会長 沖 肇氏の挨拶


平成20年2月6日
東西自由通路の壁の塗装が完了した模様です。いよいよ、今年度中に供用が開始されそうな気配です。
本当は、真っ白な塗装の下には、明治30年開業当時の煉瓦の壁が隠れています。
一箇所だけでも、露出してもらえるとうれしかったのですが・・・



もともとは、乗り換え通路を活用したものです。(橋上駅舎前の通路の写真)
JRにしてはなかなか気が利いています。たいがいどこでも管理上の問題とか閉鎖してしまうのが常です。
さすが、民営化して地域への貢献も考えてくれるようになったということかもしれませんね


天気が悪いので、乾燥中のようです。真っ白で明るい雰囲気の通路です。

2008年2月8日 東西自由通路が開通しました。


東西自由通路が開通したおかげで、子供もお年寄りも無理なく、駅東西を行き来できるようになりました。
明るい雰囲気で、圧迫感もありません。


なんと、自由通路内は、明治28年〜29年代において、奈良鉄道が木津駅を建設した当時の煉瓦積みが見えるように
施工してあります。
木津川市の都市計画課さんに一度お願いしたことがありましたが、ちゃんと聞き入れてくださり、通路内では煉瓦積みを見ることができます。



塗装がキレイに取れなかったのか、おせじにもキレイとは言えませんが、上からの漏水処理など煉瓦を見せるために相当苦労して工事されているのが分かります。これでも木津川市の歴史の一部を伝えるには充分ですので、市の担当者さんには本当に感謝の言葉もありません。
今後、大仏線ウォーキングにおいて木津駅を利用する場合は、たくさんの皆さんに明治の煉瓦積みを見ていただきながら、新木津駅をはじめとする、当時の木津駅周辺の鉄道の変遷を感じていただけることと、大変喜んでいます。
今後、煉瓦積みの様式など詳しく調べた上で説明資料を作成して、木津川市に提供できればと思っています。



top へ戻る