リトルカブのキャブレター交換
    →事故


 
 新しいガソリンコックが作られなかった理由
 それは事故ったからです(T▽T)
 2001/9/1
 会社の慰安旅行、集合場所に行く途中でした。
 集合場所は会社でいつもと同じ行きなれた道でした。
 いつもと違うのは、それが平日ではなく
 土曜日だったということぐらいでしょうか
 
 現場は国道一号線の東天満交差点
 その前の信号で止まったときに
 ちょっといじってるっぽいカブと並んだので
 やる気になったいたのかも知れません。
 渋滞している三車線の一番左を走行
 交差点に入る手前も渋滞していましたが
 僕の右車線の車が徐行気味に走っていたので
車も出てこないだろうと、過信していました。
減速もせずにそのまま交差点に入ろうとした瞬間、乗用車が出てきてドカンです
相手が右折で、僕が直進、いわゆるサンキュー事故でした。
 

 

事故後のバイクが↑と→の二枚です。 
フロントフォークがポッキリ逝ってるのは 
すぐに分かりますが 
実はフロントホイールも、フレームまでも逝ってました。 

これを機会に色を変えてみようと
バイク屋さんで違う色のフレームを注文しました
今のバイクとはフレーム型番が違うため
「もしかしたら、ホンダでダメだと言われるかも知れない」と
言われましたが、無事、限定3000台のブラックフレームを入手
そして、カスタム魂(そんな格好いいものか?)にまた火がつくのであった、、、



 話は戻りますが
 事故後、耐えられない日々が僕を待っていました。
 大腿骨が折れたため、救急病院に運ばれ
 とりあえず、下半身素っ裸にされる(。-_-。)
 即座に膝にドリルで穴をあけられ
 その後、あけた膝の穴に針金を通され
 その針金の先に十数キロのおもりをつけられる(T▽T)
 僕はベットの上で、寝返りをすることも出来ず
 お風呂に入る事も出来ず
 食事をするのも、用をたすのも
 ベットの上で、すましました。
 この間、2週間です。
 
 

その後、熱が出て、手術が出来ず、
 一ヶ月後もなかなか様態が良りませんでした。
 
本来は骨の中にボルトを通す手術をしたいのですが
開放性の骨折なので細菌が骨の中に入っては
もっと危ない状態になるという説明を受けました。

しかし、とりあえず歩けるようにしなくてはと
リスクの低い「そうがい固定」という
 外側から折れた骨を固定する手術をしました。
 
でも結局、骨がずれてしまうので、
様態も安定した、それからもう一ヶ月後に
 骨の中にボルトを通す手術をしたのです。


 事故を起こしてから2ヶ月
 退院許可が下りて
 僕はすぐに退院しました。
 もう、病院暮らしには限界だったからです。
 
 手術の後にはリハビリが待ってました。
 結構、きつかったです
 左の写真は、三角座りではありません
 これ以上曲がらなかったんです。
 今では、正座も出来ますし、ほとんど正常です。
 でも、そこまでに直るのは半年ぐらいかかったかな。

 

唯一腹が立つのは、相手です。
 任意保険は入ってないわ、途中で逃げ出して
 入院費用も払わなくなるわ・・・
見つけたら、バイクで轢いたるーーっヾ(>_<)〃

以上、「事故っちゃった」でした。
あんまし、面白い文章にできなかったけど
最後まで読んでくれてありがとう。
みんなも、当たるときは、相手を見て当たろうね
・・・ちゃうか(^^;)
事故らないように、気を付けましょう♪