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沈香考

reported by "YUZUKI"


 沈香って、お香のことだったのねぇ〜(^_^;) 『暁の回廊』にて阿刀くんが童女君と出会う仲立ちをしたのがこのお香なんですよね。 ちょっとだけ調べてみました。



駿専青木商店より!

・伽羅(きゃら)
 奥ゆかしく幽玄な香り−伽羅。香木沈香の中でも極上のものが「伽羅」とされます。悠久の大自然の営みにより生まれた香木伽羅は、その高貴な香りと貴重さゆえに、古来より「至上の宝」として珍重されております。

・沈香(じんこう)
 東南アジア等に生育する沈丁花科の木に、ある種のバクテリアが作成して、樹脂分の沈着凝集をみたものです。長い年月を経て樹脂分だけとなったものは重く、水に沈むので沈水香、沈香といわれます。

・白檀(びゃくだん)
 インドなどに産する半寄生植物の常緑樹です。現在、白檀はほとんどの産地で政府管掌の専売品となっており、入手は容易なものではありません。白檀の甘味のある特有な芳香は、東洋調の調香には欠かせません。


 おばーちゃんの米寿のお祝いにお線香を買いに京都へ行きました。(いや、京都に行ったついでにお線香をみたというべきか(^-^;;;))
 大層な箱に入った高級感あふれるお線香の中に、「沈香」という名を見つけました。おぉ!これは『暁の回廊』にでていたアレか?と思って即購入。
 一応「利き香」などしてみる。 う〜みゅ、白檀は扇子などでなじみのある香り。沈香は、白檀ほどの甘さがなく、取り立てて癖がなく、清廉な感じがいたしました。(ほんまか!?) 伽羅の香りはよく覚えていない〜 お値段は、白檀が40本で二千円、沈香が千八百円、伽羅が三千円ほどしていたでしょうか。

 でも、これってお線香なんですよね。 お線香をどう作るのかは存じませぬが、きっと香木をそのまま削って固めたわけではないと思います。 だってだって、政府管掌になるほどの貴重品でしょー? 庶民が買える値段ではありますまい。

 バクテリアが産んだ自然の奇跡、香木。 実は正倉院御物の中にもあるんですよね〜 しかもしかも、それらが時の権力者を惹きつけてやまなかったようです。 以下に『正倉院の謎』(由水常雄著:中公文庫)より一説を紹介します。

 東大寺正倉院は、時の権力者の権威の象徴として時折開封され、様々な宝物の出し入れが行われていたようです。中でも興味深いのが「蘭奢待(らんじゃたい)」といわれる黄熟香(おうじゅくこう)です。 開封者によって幾度も切り取られたようですが、公的記録にはほとんどその事実が記されていないようです。

『満済准后日記』(足利義満、義持、義教の三代将軍の側近に仕えた醍醐寺三宝院門跡満済の日記より

永享元年(1429年)に義教は春日大社に詣でた帰りに正倉院を開封させて宝物を見、碁石の黒を二つと赤を一つ、沈香を二片二寸ばかり召されたとあり、この賜香は至徳(元中二年)のときも同様で、先規前例によったとしるされている。


 義教に続く義政も、寛政六年(1465年)に正倉院を開封して、黄熟香と紅沈香を切ったことが『東大寺三倉開封勘例』に記されています。

 実は、紅沈香こそが『東大寺献物帳』に記され、奈良時代より伝えられたものと考えられますが、上の三代将軍によって有名になった黄熟香(いずれの公的文書にも施入の記録なし)を切り取ることこそが天下の覇者の象徴とされていきました。

 黄熟香は別名蘭奢待(らんじゃたい)といわれ、江戸時代初期ごろからよばれるようになりました。また、”蘭奢待”の漢字の中に”東大寺”の文字が隠し込まれていることから香道ではこの香のことを「東大寺」とも呼んでいるようです。


 続いて織田信長。 室町幕府が名実ともに滅んだ天正元年(1573年)に天下の覇者となったが、その翌年には東大寺に使者を遣わし、黄熟香の拝見を申し入れています。 決まった手続きをとやんわり断る東大寺を無視して強引に黄熟香、紅沈香の両方をちゃっかり切り取ってしまったようですね。さすがだ。

 例にもれず、豊臣秀吉。太政大臣に栄進してより3年後の天正17年(1489年)に東大寺に詣でます。 この時、正倉院を開封したという記録は一切ないそうですが、天下をとって調子こいていた(失礼!)秀吉くんが切り取らない訳はないよねぇ〜(^-^;)

 そして徳川家康。 東大寺の記録には、正倉院を開封して修理は行ったが、歴代の将軍が慣例としてやったように一寸八分角の切り取りは行われなかったとされています。

 このあたりのことを著者は、「後世に残る記録に対して、信長は無頓着であり、秀吉は抹殺し(もし開封していたとしたら)、家康はそれを美化して記録させた」とかかれています。 この三人って、ほんとおもしろいですね。(関係ないけど)

 家康以後も、秀忠、家綱あたりが切り取ったらしいです。

 本には、黄熟香の写真が載っています。 そこには、右から義政、信長、明治天皇とかかれた付箋が貼られており、ちょっと笑えます。 この付箋以外にも明らかに切り取った跡があり、記録以外にも切り取られた事実を物語っていますね。
 幸いにも、切り口は全体からすれば大きいものではなく、歴代覇者のちょっとした気遣いがうかがわれます。 「ばすっっと半分いただきっ」なんていう外道はいなかったのね(^_^;)

 黄熟香って、正倉院展に出品されたことがあるのでしょうか?? 今後あるとしたら、是非是非お目にかかってみたいものです。

 そして、本当の宝物である紅沈香もみてみたい。 こちらも残念ながら切り取り口があるのでしょうけど、実物が残っているだけでもすごいことですよね。


 元は、東南アジアのどこかの熱帯雨林で密かに生い茂っていたであろうジンチョウゲの木。 神のいたずらか、自然の驚異か、この木がえもいわれぬ美香を放つ。 その魅力にとりつかれた人々が、遠い異国で戦々恐々とその身を切り取る。 自らの威信を鼓舞するために。