オフ二日目、午後はほとまず桜井方面を目差しました。
三輪にするか多武峰にするか迷ったのですが、この時刻から多武峰まで往復するのは大変ということと、雨もしとしと降り続いているので、多武峰はあきらめてとりあえず三輪方向へ。
途中に、長岡先生の「啼沢女の杜」(『月の琴』所収)の舞台(と思われる)哭沢女神社(なきさわめじんか)があるので、せっかくだから寄っていこうということに。
場所は天香具山の西麓ぞい(奈良県橿原市木之本町)、奈良国立文化財研究所の飛鳥藤原宮発掘調査部の建物のすぐ近くです(←地図)。
◆哭沢女神社(畝尾都多本神社)
畝尾都多本神社の石標柱→
道路から入るところに小さな道標
←境内にあった石碑の上部です。
クルックすると下の文章の部分が
見れます。
(24KB)この神社は「畝尾都多本神社」というのが正式な名称のようで、『延喜式』にも「畝尾都多本神社」があります。
祭神は「啼沢女神」です。この神については、長岡さんの「啼沢女の杜」で、真赭(まそほ)が主人公河鹿(かじか)に語っています。
イザナミ大女神はほかにもさまざまの神々を産み 最後に火神を産んだ しかし女神はその火神の火に焼かれて死んでしまい 子と引きかえに妻を喪ったイザナギの悲しみはすさまじく−−
とうとう刀でもって火神をい斬り殺してしまったTあわれ 愛しい わが妻よ たぐいなきそなたを 数多あるこの中の たかが一人とかえてしまったのかU
- その時の イザナギの悲しみの涙に成った神が 啼沢女神という
(『月の琴』157頁)
「気になる」ご神木 拝殿の後ろに井戸がある 左上の写真の木ですが、長岡先生の「啼沢女の杜」に何度か出てくる大きな木と似ているように思えます(特にラスト)。これは美沙那さんのご指摘でしたが、一同納得(^_^)
隣に末社の八幡宮があるのでちょっとややこしいですが、この神社には神殿がなく、拝殿の後ろにある古井戸がご神体のようです(右上写真)。なんとなく妖しい雰囲気がしなくもない。
またこの神社は、万葉にも歌われています。
或書の反歌一首
泣沢の 神社(もり)に神酒据ゑ 祈れども 我が大君は 高日知らしらぬ 2-202
右の一首は、類聚歌林に曰く、「檜隈女王、泣沢神社を怨むる歌なり」といふ。日本紀を案ふるに云はく、「十年丙申の秋七月辛丑朔の庚戌に、後の皇子尊薨ず」といふ。
神社の中に、この歌の新しい碑がありました。
雨はむしろ強くなり、暗くなってきました(上のご神木の写真がややピンボケなのは、暗いのでデジカメがシャッター速度を落としたからです)。このまま三輪に行っても、雨の中だし、写真も撮りにくいし、ということで、史跡巡りはここで中断となりました。
三輪や多武峰は、またの機会に譲ることにしましょう(^^;一行は大和八木駅へ移動。ここで一足先にお帰りのしをりさんを駅までお送りし、近くのファミレスで最後のお茶をして、一応解散しました。
初日は暑すぎ、二日目は雨。逆の方がマシだったのに..という残念な天候でしたが、それでも車でなければ行きにくい場所、このメンバーでなければ通り過ぎてしまうかもしれないポイントを、たくさん回ることができました。また、お茶も食事も話が弾み、ついつい時間がたっていくのも、行程的には苦しくなりましたが、ホントに楽しいひとときでした。
帰りの道すがら、すでに次のオフの話題も出ていました。またぜひ、企画したいですね。