05春オフレポ〜平城京お墓参り

黒髪稲荷神社

ここはこれまでのクレセントオフで誰も来ていない場所です。

 ここは、ある意味、今日のメインの場所です。

 ドリームランドのある丘陵地が「黒髪山」です。ここには、藤原宮子の墓があったらしいのですが、開発が進んだせいか、所在地がよく分かりません。唯一の手がかりが、ここ「黒髪稲荷神社」です。

「黒髪山」の地名の由来については、垂仁天皇の時の沙本比古(狭穂彦)王の反乱に関する伝承があるようです。王が反乱を起こした時、その妹で天皇の后だった妹の沙本比古(狭穂姫)は板挟みとなり、結局兄とともに滅ぶのですが、天皇側が彼女を救おうとします。姫はこれを拒み、兵に髪を掴まれないようにと、あらかじめその黒髪を切ったという話が『古事記』にありますが、その黒髪を埋めた地がこの「黒髪山」であるというのです。

 神社そのものは、いわゆるお稲荷さんです。ただ、中にも周囲にもたくさんのさまざまな「石」があり、それが全体として異彩を放っています。

←神社の奥には石仏や石碑がたくさん集められています。

※このすぐ下にハチが巣を作っているらしくちょっと近寄りがたい状況でした。望遠撮影です(^^;

 『大日本地名辞書』の記述を見ると、

山陵志巻一添上郡の条に云、

佐保又有西陵東陵、東陵是聖武皇后藤原氏、西陵是文武皇后藤原氏、文武后之陵、今呼大黒柴《ダイコクノシバ》、蓋其火葬処云、後尊為太后、大黒其音訛也、其辺有刻石面如狐者七枚、或云狗也非狐、古時隼人職守宮門為狗吠、故臨大喪亦以狗形置梓宮旁云

と見えたり。また屋代弘賢が実践せる紀行にも、同所に於て一覧せし事記載せり、道の幸巻中、寛政四年十二月七日の条に云、

ひるつかたよりたいこくの芝へ行く、ここは元明天皇御火葬の旧跡なり、この所のならひにて小山を芝といふなり、たいこくとは太后宮といふべきがつゞまりたるなり、このならびに、藤原のみや子の御墓あれば、さはいふとぞ、続日本紀に見えたる遺詔の趣いと掲焉にて竈の跡かすかに残り隼人の像ゑりたる石みつあり、むかしは七ツありしにや、こゝの字を七疋狐ともいふなり、奈良の箱石はこの所に有べきか、誰人のわざにやかしこにうつしぬ

とぞ云々。

とあります。分かりにくいのですが、

  1. このあたりに藤原宮子(文武皇后…正確には皇后ではないが)の墓があった。
  2. 地名を「大黒芝」というのは、「太后宮」(タイコウキュウ)の訛。
  3. 周囲にキツネのような顔を刻んだ石が7つあり、宮門を守衛する隼人と関係する。

というような伝えが現地にあったようです。



これがキツネ?

↑神社の隣りには、「史跡 大黒柴 佐保西塚七ツ石 聖武天皇生母藤原宮子后宮墓稜石」の看板があるのですが、どれを指しているのか判然としません。

 一同、気に入ったというか、気になったのがこれ。手書きの味が独特です(^^;


ぬば玉の黒髪山の山草に小雨降りしきしくしく思ほゆ(『万葉集』11-2456)