阿騎野・人麻呂公園 |
奈良市内から自動車でさっと移動。天理の横をかすめて桜井へ。さらに南へ進みます。うん、この道は去年の夏オフ(談山神社と山辺の道)のコースと重なっているな、と思っているうちに、阿騎野の「道の駅」に到着しました。 まず到着したのは、「阿騎野・人麻呂公園」。体育館のすぐ隣です。
詳しくは説明板をご覧いただきたいのですが、ここは1995年に実施した発掘調査によって見つかった遺跡で、弥生〜近世にわたる大規模なもので、特に飛鳥時代の遺跡からは大きな掘立柱建物が見つかっており、古代の狩猟場であった「阿騎野」の重要施設、『日本書紀』に「菟田吾城」とあるのに該当すると考えられています。 遺構の復元も行われており、ちょっとした古代空間になっていました。これは期待外のことで、ちょっとトクした気分になりました。
飛鳥時代の竪穴住居の復元(右)は珍しいと思います。方形でした。
上の写真にも小さく写っていますが、ここには真新しい「柿本人麻呂像」があります。
なぜ「人麻呂」かと言えば、持統6年(692)冬、この地に軽王らが狩りに訪れた際に人麻呂も同行し、その時に詠んだ歌が『万葉集』に残っているからです。なかでも特に有名なのが、
の歌ですね。 なお、この像の姿は、中山正實氏がこの人麻呂の歌を画材として制作した壁画「阿騎野の朝」(大宇陀町の中央公民館にある)をもとにしているとのことです。 |
かぎろひの丘万葉公園
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さて、上の「人麻呂公園」からすぐ近く(というかすぐ目の前の)の小高い丘が、「かぎろひの丘万葉公園」です。雨がしっかり降ってきましたが、傘をさしつつ歩きました。
さきの人麻呂の「かぎろひ」の歌は、研究によると旧暦の11月17日午前6時頃にあたるそうです。そこで大宇陀町は、町の行事として「かぎろひを見る会」を30年前から毎年続けています。 以前に私のサイトで(クイズとして)考察したことがありますが、この歌の描写は東に「昇ろうとする太陽」があり、振り返ると西に「月が傾いている」わけですから、その月は満月前後ということになります。なのに、長岡先生も里中満智子さんも(『天上の虹』)、この月をかなり欠けた月に描いておられます。うーん、雰囲気重視なのかな〜と、ちょっと残念です。
また雨が降ってきました。そろそろお昼にしましょうか…。 |