クレセント2004年夏オフ

狭井神社


 大神神社にもどり、隣にある狭井神社へ向かいます。

 狭井神社は、もと大和神社の別宮でしたが衰退し、明治になって大神神社の摂社として復興しました。

割と小さな神社です
神紋も大神神社と同じ

 この神社は薬の神様として知られています。大神神社からの沿道にあった灯籠などにも、製薬会社の名前をたくさん見ることができました。境内に植えられている植物も薬草で、説明もありました。

用途や薬効成分まで
ここから三輪山へ登れます。

 大神神社と狭井神社で行われる鎮花(はなしずめ)祭は、疫病を防ぐ祭とされています。 これは、春に花が飛散するときに疫神が分散して病を運ぶので、それ鎮圧するための祭です。
 また、古くから知られる薬井戸という神井があり、その水は飲みやすく整備されていました。以前に来たときにはなかったコップには驚きました。滅菌までしているんですよー。


至れり尽くせりです
  ボタンを押すと水が出ます

 少し北へ歩くと、百合園があります。季節が違うので花はおろか葉もほとんど見れませんでしたが..。
 ここの百合は笹百合(小百合)です。奈良の率川神社の三枝祭は奈良最古の祭として有名ですが、そこで使われる百合は、三輪山の百合を使うそうです。ここで育てているユリを使うのではないかと思います。


ユリ園です。山辺の道は向かって奥になります。
 
狭井川発見!

 狭井川は、「孤悲歌」で田辺史と遠智姫との出会いの場面として描かれていましたね。遠智は率川神社の祭のためのユリを摘んでいました。
 そもそも「狭井(さい)」とは百合のことです。『古事記』神武天皇段に、

その河を佐韋河と謂ふ由は、その河の辺に山由里草多にありき。故、その山由里草の名を取りて、佐韋河と号けき。山由里草の本の名は佐韋と云ひき。

という記述があります。
 この箇所は、神武天皇=カムヤワトイワレビコの妻問いの話です。この近くに「神武天皇聖蹟狭井河顕彰碑」もありました。(オフの時には忘れていたのですが、この場面は『暁の回廊』4巻最初の方にありますね)

 少し歩いたところに歌碑がありました。

額田王、近江国に下る時に作る歌、井戸王の即ち和(こた)ふる歌

味酒 三輪の山 あをによし 奈良の山の 山のまに い隠るまで 道の隈 い積もるまでに つばらにも 見つつ行かむを しばしばも 見放けむ山を 心なく 雲の 隠さふべしや 1-17

反歌

三輪山を 然(しか)も隠すか
  雲だにも 心あらなも 隠さふべしや 1-18

 

額田王の歌碑

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 「葦の原幻想」の冒頭、後ろ姿の額田王がこの反歌を歌っていましたね。