狭井川は、「孤悲歌」で田辺史と遠智姫との出会いの場面として描かれていましたね。遠智は率川神社の祭のためのユリを摘んでいました。
そもそも「狭井(さい)」とは百合のことです。『古事記』神武天皇段に、
その河を佐韋河と謂ふ由は、その河の辺に山由里草多にありき。故、その山由里草の名を取りて、佐韋河と号けき。山由里草の本の名は佐韋と云ひき。
という記述があります。
この箇所は、神武天皇=カムヤワトイワレビコの妻問いの話です。この近くに「神武天皇聖蹟狭井河顕彰碑」もありました。(オフの時には忘れていたのですが、この場面は『暁の回廊』4巻最初の方にありますね)
少し歩いたところに歌碑がありました。
額田王、近江国に下る時に作る歌、井戸王の即ち和(こた)ふる歌
味酒 三輪の山 あをによし 奈良の山の 山のまに い隠るまで 道の隈 い積もるまでに つばらにも 見つつ行かむを しばしばも 見放けむ山を 心なく 雲の 隠さふべしや 1-17
反歌
三輪山を 然(しか)も隠すか
雲だにも 心あらなも 隠さふべしや 1-18
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額田王の歌碑
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「葦の原幻想」の冒頭、後ろ姿の額田王がこの反歌を歌っていましたね。