クレセント2004年夏オフ

大原の里


 飛鳥坐神社の裏手に回ると、この辺りが「大原里」です。

 長岡ワールドでいえば、ここは『天離る月星』や『眉月の誓』での「大原」。鎌足の屋敷があり、五百重と史が幼い日をすごし、最後には麻呂を育てた場所です。

 現在の地名表記は「小原」ですが、発音は「オオハラ」だそうです。

大伴夫人(鎌足母)墓

大織冠(鎌足)誕生旧跡

天武と五百重の贈答歌の歌碑

歌碑に刻まれているのは、有名な天武と五百重の贈答歌です。『眉月の誓』で、不比等が嫉妬で破り捨てたあの歌です。

天皇、藤原夫人に賜ふ御歌一首

我が里に 大雪降れり 大原の 古りにし里に 降らまくは後 2-103

藤原夫人の和へ奉る歌一首

我が岡の おかみに言ひて 降らしめし 雪の砕けし そこに散りけむ 2-104

歌碑の拡大写真





























天武帝の歌

五百重の歌

 少し奥にはいると「鎌足公産湯の井戸」なるものがあります。ホントかどうかは…ですが。

 一説によれば、この井戸の近くに藤の木があり、この井戸は「藤井」と呼ばれた。「藤井のある原」ということから「藤井が原」=藤原という地名が生まれ、鎌足に姓として与えられ、さらに「藤原」宮の名前の起源になったとのことです(土橋寛『持統天皇と藤原不比等』中公新書)。

消えかけていますが
「藤原鎌足公産湯の井戸」

かなり入ったところにある井戸跡
ヤブ蚊がいるいる…(^^;