言葉の遅れ・行動のちぐはぐさ・関わりの弱さ
1歳2ヶ月の歩行までは、首のすわりもおすわりもはいはいも普通の発達でした。
歩き出してから、多動や衝動性が目立つようになりました。
言葉も遅れておりおもちゃで遊べない、人との関わりが弱いなど問題点が目立つようになりました。
それでも初めての子供なので「男の子は遅れるもの・・」と安易に考えていました。
1歳半検診では、言葉の遅れやお友達を噛んだりしてうまく遊べない事を告げました。
後で、発達検査をしていただくのですが、心理の先生の言う事は全く聞かず発達検査自体に応じられませんでした。
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幼児教室(1歳11ヶ月〜就園まで
週に一度、検診後のフォローとして行われている町の幼児教室に通いました。
走り回ったりおもちゃ箱をひっくり返したりして、遊び歌も紙芝居も行きません。
園庭に出ても 遊具をあちこち回ったりして、遊びが長続きしません。
この2歳代の頃が一番大変だったように思います。近所でも、子供が遊んでいるところに突進して、ぐちゃぐちゃにしたり・・・おかげですっかり嫌われ者でお散歩がてら 遠くまで行って遊んでいました。
おむつはずしは、一人で勝手にするのは早かったのですが「おしっこ」と言って教えるのは3歳頃でした。この頃から言葉は少しずつ出始めました。マークや看板などが頭に入りやすかったようで看板をみつけては「ダイエー」「JOMO」「マクマクド(マクドナルド)」などと言っていました。
幼稚園に行って集団に入ったら なんとかなるって思っていたので3年保育で幼稚園に行かせるつもりでしたが、まだまだ発達検査に応じられない子供の状態に 心理の先生が「幼稚園にはついていけないだろうから・・・。」といって保育所の障害児保育をすすめられました。
帰って幼児教室の関わってもらっている先生に相談すると「まぁ、面接を受けててみてそれから考えましょう。今、こういう"脳にささいな傷のある"お子さんがとても多いんですよ。」と言われました。???脳に傷????どういうこと????
聞いてみても はっきりとは答えてもらえず 本で調べる日々が始まりました。
行くべきところも どこに行っても「様子をみましょう」状態で 私としては「これは一体何?」の日々でした。 |
幼稚園に入園して
幼稚園は楽しかったようです。本人なりにいろんなやりたい気持ちが芽生えてがんばっていました。
自然の中でのびのびと・・という園の教育方針のもと、押さえつけることもなく、本人の意思でたくさんの興味ややる気が芽生えるようになりました。
入園してすぐの担任の先生の「いつも、こちらを向いてくれていますから。」という言葉は今でも心に残っています。
心理の先生にも ずいぶんとサポートしていただきました。「この子は、どうなるんだろう・・・。」ばかり考えて、子供をちゃんと見ていなかったように思います。
この頃というと、とにかく「いい」と聞いたことは何でもさせていました。
音楽療法、お絵かき教室、体操教室、スイミング・・あと、療育的な所や病院もあちこち通っていました。
そういう状態に「行政の対応が悪い!」とさんざん文句を言っていました。
・・・結局、子供が喜んで行くところだけ行かせて、あとは月に一度でも、定期的に子供をしっかり見てくれるところが見つかったので、私としては落ち着きました。
そんな中で、子供の弱い部分の原因や、行動に理由があるという事がわかってきました。 |
望むこと
訓練や療育といったものだけではなく、今、こういう状態だから こういう部分が困難である。
だから、こういう事をこういう風にしてあげれば 子供も楽。というものがほしかったです。
そこにたどり着くまでに、たくさんの回り道をしました。
最初から、そういうところに繋げてほしいと願うのは 訓練したら直ると思いこんで ”子供の障害を認めたがらない”親のエゴなのでしょうか・・?
幼児の間だけは、ここの管轄で 小学校に上がったら担当が替わる・・というのも困っています。
ここの療育機関は○○市民しか利用できない・・・というのも困っています。
今にして思えば 障害児枠の保育所をすすめてもらったのは、幼稚園について行けないというレベルのものよりも、加配がつくという事は それだけ手をかけてもらえるんだといった意味の事だったのだと思います。
ただ、いろんな意味で 心が開けていない状態のときだったので、そういう意味では、行政の立場と親の思いでは 食い違っている部分も多いと思います。
それから”ささいな脳の傷”ですが、以前は”MBD(微細脳機能障害)”としう診断名を使われていたそうです。
今は、脳の傷というのが定かではないので LDとか多動とか注意力欠乏障害だとか見る人によっていろいろ違うように思います。
診断名には もうこだわりませんが 状態を知っておくことは必要だと思います。
子供は子供なりに一生懸命がんばってはいるのですが 他の子のように何でも簡単にできません。
だけど「やりたい」気持ちはとても強くあります。
そして 今は子供の状態より 親の私の目線や考え方を変えることが大切なんだと思いこのHPを作ろうと思ったわけです。
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