よろず屋 2004.5
よろず屋……そこにはこの町が必要とする、一通りのものが揃っていた。
その店は幼い頃、私の住む家のすぐ近くにあり、
私たち家族が中学卒業時に引越しするまで、お世話になった。
陽気なおばちゃんと 物静かなおじちゃん夫婦で営むその店は、
いわゆる「なんでも屋さん」。
旬の野菜に干物や駄菓子。冷凍ものだが、お肉もあった。
しきびや榊に季節の花。
一番奥の列には電球、パンツのゴム紐といったような、雑貨も売られていた。
入り口にある水道の短いホースの先には、朝仕入れたばかりの豆腐やしじみが、
四角いアルミ缶のちろちろと流れる水の中で、
透き通ったまま浸っていた。
よろず屋は徹底してツケがきく。
母と買い物する時も、お使いにやらされる時も、現金を持っていった記憶は一度もない。
店の机の横に、一軒一軒の帳面がぶら下がっていて
おばちゃんはそろばんではじき出した合計を、
買い物のつど、それぞれの帳面に書き足していった。
「○月○日 豆腐 人参他 580円也」
小学校高学年になると私の買い物もツケがきくようになる。
「○月○日 アイス 50円也」
あまりの猛暑が続くある日、母が私に言った。
「あんた、アイス食べ過ぎだけんね」
どんなちっぽけなことでさえも、おばちゃんから母の耳に伝わることは、
実に容易なことだった。
よろず屋のおばちゃんの右手はきれいなまんまるだった。
幼い頃の火傷のせいだと聞いた。
それでもおばちゃんは器用に右手で押さえたそろばんを、
左手で確実にはじいていた。
その続きに我が家の持参した青いビニールの買い物籠に、
てきぱきと行儀良く品物を詰めてくれる。
その一連の作業を見るのが好きで、手元をじっと見つめる私。
そんな私に母は、「見たらいけんよ」といった目で、パチパチ目配せするのだった。
店の一番奥の薄暗い台所に、おじちゃんはいた。
家事を任され、ほとんど一日中そこで過ごしていた。
おじちゃんは料理が上手で、よく私におかずを持たせてくれたり、
買い物中の私や友達を手招きし、手作りのおやつもくれた。
生まれて初めて食べた干し柿も、おじちゃんがくれたものだった。
学校が終わると駄菓子を買いに走るのが楽しみだった。
その頃は5円、10円の駄菓子もあり、
20円アイスは「あたり」の文字でなく「ホームラン」「ヒット」。
最後に出てきた文字に大興奮して、またよろず屋に走っていく。
たまに200円もする高級板チョコを買ってもらえたとしても、
中身はすっかり白くなっていた。
母の使いで覚えているものに、スルメがある。
何種類かの大きな蓋のついたビンは量り売りで、
「これを『200円が』ほど、ください」と指差す。
おばちゃんはビニール袋にひとつかみ、それを入れると、慎重に計りを覗き込む。
きっちり量れたその袋に、左手でひとつかみしたスルメを足して、渡してくれるのだった。
思い出は数え切れないほど、たくさんある。
初めて外国人を見たのも、よろず屋。
ショーケースに大事そうに守られていたショートケーキは、特別な日だけに買ってもらえた。
バタークリーム味とチョレート味がふたつずつ入っていて、
チョコレートの方が人気で、姉とよく取り合った。
今思い出しても あまり美味しかったとは言えないが……。
天井から吊り下げられたハエとり紙に、何度か髪の毛がべっとりとくっついた。
小学校の修学旅行の夜、宮島からかけた電話。
「無事着いたよ」のひとことを伝えるために、母に待機してもらったのも
ここ、よろず屋だった。
今から3年前、母の一周忌を終えた冬の日。
あの町を車で走ってみたくなる。
あれから訪れることのなかったよろず屋。
おてんばだった私を、おばちゃんは覚えてくれているだろうか。
思い切ってドアを開ける。
「……ごめんください。」
おばちゃんはあの頃と同じように、奥の机に座っていた。
「いらっしゃい。」
「……」
「……」
「あの……アイスはありますか?」
「……アイス?……アイスは夏場にしか置いてないけん。」
おばちゃんはすまなさそうに笑った。
そうだ、そうだ、そうだった!
咄嗟にそばにあった板チョコとポテトチップスを手に取り、お金を払う。
おばちゃんはあの時のままの可愛い手で、素早く紙袋に詰めて渡してくれた。
「……あ、ありがとう。」
奥の台所にいたおじちゃんはもういない。
「……ありがと。さいなら。またおいで。」
幼い日々の思い出が詰まったあの店にさよならをして、
私は主人の待つ車に走っていった。
振り返ると小学生の私がアイスを食べながら、大きく手を振っていた。