梅雨と母                                          2003.6月


今年もまた梅雨がやってきた。
春の華やいだ浮かれ気分を落ち着かせるためか
夏をさらに暑くするための 自然界のおまじないなのか
毎年この時期になると 梅雨はまちがいなくやってくる。

と同時に三年前の母の言葉を思い出す。
受話器のむこうで母が言った。
「今日、病院に行ったら先生に『日々を大切に過ごしなさい』と言われた。
先生、涙ぐんどった・・・」・・・そういう母も泣いていた。

病気と共に歩み お薬や治療を長いこと受けてきた母だったが
そんなことを言われる時がきたか、と 私は愕然とした。
母にとって ある意味ホスピスそのものである先生の口から聞く言葉は
本人にとって どんなにつらかった事かと思う。

雨は激しく降っていた。
「あいにくですが 今のところ止む予定はございません。」
というように
ますます勢いをつける。
降り続ける事だけが 宿命のように必死に見える。
そんな中で 紫陽花だけが 雨に打たれれば打たれるほど
美しく輝いて見えた。

母はくちなしや露草や 梅雨の花に限らず
一年中の花が好きだった。
幼い頃は裕福とはいえなくとも 
母はいつも花を飾っていた。
玄関に入ると真正面に きちんとした活花が盛られていた。
私自身 そのDNAを受け継いだと思っていたのに
ある日 花の水替えをうとましく思う私に母は言った。
「あんたは本当の花好きじゃあないねえ。」・・・
花を見事に生けた時の 見栄えばかりに満足する私を
母は全てお見通しだった。
私は今でも水替えする時に 母のその言葉を思い出す。

つらいことや 余計なことまで思い出す梅雨ではあるが
決して嫌いではない。
母の声が聞こえてきそうな雨音は
むしろ優しく温かく感じられる。
しばらく降り続ける安心感もある。

梅雨が終われば次の季節が待っている。
「暑いですね〜」・・行きかう人は必ず口にする。
よけいに暑く感じることをわかっていても 
つい口にする。
季節は迷子になることもなく なんの変わりもなく やってくる。

それは生きている者にとって
最大の救いであるような気がしてならない。