ラジオ体操 2003.7
また長い夏休みが始まった。
今年はまだ蝉が 随分大人しいようだ。
やっとコトも中学生になったので ラジオ体操から解放された。
と、同時に私自身も解放されたような気がしている。
私が住むこの地域では ラジオ体操は自治会が主催しており
夏休み前半と後半と 一週間ずつ。
しかも カセットテープで流され
会長がみんなの前でお手本になる。
私も以前 役に当たったので 実際短期間で済むというのはとても助かった。
しかしその反面、私が過ごした田舎のラジオ体操を
ついつい思い出してしまうのだ。
子供の頃の夏休みは 半分ラジオ体操に 半分午後からの川遊びに
パワーを使った。
当番の男の子がラジオのスイッチをひねると
体操のおじさんの張り切った声が 朝の校庭に流れ出す。
どこそこの会場のざわめきや お馴染みの歌が聞こえてくる。
ー新しい朝が来た 希望の朝だ
歓びに胸を広げ 大空仰げー
・・それが終わると やっと第1体操のリズミカルなメロディーが始まる。
それに合わせて女子のおしゃべりも中断、
いかにも朝に弱い男子も 皆、
校庭の真ん中にぞろぞろと集まって 体操したものだった。
役員の大人など付いていなかった。
たまにランニングシャツに ステテコをはいた 畳屋のおっちゃんが
後ろの方で参加するくらい。
あと どこかの親戚だろうか、見慣れない子が垢抜けたスカートをはいて
もじもじと体操することも時々あった。
朝に弱い私も ラジオ体操は 決して休まなかった。
家に帰って もう一度ごろんとなるようでも 休まなかった。
顔をジャブッと洗った事にして 走って3分の校庭に
カードを握って 毎朝駆けていった。
小雨の日は 自分で校庭に行き 確認した。
万がいち 寝坊して 目が覚めても 諦めない。
全速力で走るのだ。
第2体操が始まるまでに行けたらセーフという取り決めがあったから。
そのふしぎなまでの頑張りは 私だけではなく皆そうだった。
休むことは 本人にとっては取り返しがつかないことで
皆にとっては 一大事件だった。
「○○ちゃんが休んどる」「どがしただろか」「どがしただろか」
皆が口にした。
皆勤賞は 緑の鉛筆一本だったと思う。
別にそれが欲しいわけではない。
マスに40個の判子が押されたカードそのものが 勲章だったのだ。
二学期の始業式では
ほとんどの人が金のメダルを手にすることになるのだが
自分のメダルにも 大きな大きな意味があることを知った。
今も故郷のラジオ体操はあのままなのだろうか。
中学を卒業したとき あの町を引越ししたので どんな様子かわからない。
出来るものなら後ろの方で こそっと参加してみたい。
ひまわりのような子供たちの お父さん お母さんのどちらかを
おそらく私は知ってるだろう。
そして あの頃の私に出会えるのなら 聞いてみたい。
なぜあそこまで頑張れたのか、
なぜ第2体操が始まるまでなら、と泣きべそになりながらも
諦めなかったか・・・
あの頃の意地は 今の生活のどこを探してみても
てんで見つけられない私なのだ。
マサムネ
2003.7.30
関係ないのですが今日はコトの13才の誕生日。
夏休み真っ盛りです。