マリ 2003.5月
我が家の長男ヒデに お嫁さんが来てくれた。
ヒデは穏やかな子の分 おっとりしてて心配してたが、
その後 女の子の「お父さん」にもなり 私たち家族を安心させた。
嫁のマリと私は 一回りしか違わない。正確に言うと11才違い。
驚きかも知れないが 大人の世界にはこんなミラクルな事も
起こったりするものだ。
マリは 最初人見知りするところが、少しあったが
日に日に打ち解けてくると 自然に振舞ってくれるようになった。
いっぱい喋っていく内に 気取らず素直な
魅力的な女の子だということがわかった。(少し天然)
私も甘えられ 頼りにされると 俄然、張り切ったりした。
皆も マリのことが大好きになった。
趣味も 笑うところも私とよく似てて 一緒にいて楽しい。
若さのエネルギーも 遠慮なく分けてもらった。
マリは 私にとって年の離れた妹みたい・・・そう思っていた。
でも、そうではないのかも知れない。
このまま「妹」では いけないのかもしれない。
私は「姉」でもなく 「友達」でもなく いわゆる「姑」として
向かい合わなければならないのかも・・。.
マリが このままのマリでいられるように、
家族みんなが マリを好きでいられるように、
日々気持ちよく過ごせるように、
務めて意識しながら 見守っていかなければ・・・
この思いも 私の心の奥底にある ささやかな
「母性本能」なのかもしれない。
嫁と姑の確執は 永遠と言われるが
姑がうるさく ああしろこうしろ、というのは
まだ「愛情」が あると私は思う。
気が付いたこと、教えるべきこと、
自分がしきらないと 他に誰がしきるのだろう。
誰が全てを 守ってくれるのだろう。
・・・「いいお嫁さんだね。」と 言われると
すごく嬉しくなること、私も経験した。
みんなが 認めてあげてほしくて
必死になるのかもしれない、姑って。
私も わかるのだ。
立場違うと 考え方も変わってくる。
「お母さん」や「奥さん」だけの私だったら 考えもしなかった。
マリが このままのマリでいられるように、
家族みんなが マリを好きでいられるように、
日々気持ちよく過ごせるように。
譲れないことも あるかも知れないけど
お互いを分かり合うためのバトルなら
おそるおそる して行きたいと思う。
ー2003.5.11-
「マリが カリンのお母さんになって初めての記念日・・母の日にて」