ある日の雲水        輝け5代目
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 雪の日の白狐
                 大国主 みこと     2009.11
【テーマ】
日本の自然を残し人や動物に優しい世を望む。

【あらすじ】
平治は吹雪の山中で白狐を助ける。赤ん坊を
残し妻が死亡後のある吹雪の夜、凍死寸前を
助けた紗枝が育児、家事を手伝うのだが・・

  人  物
 柳川平治(30/31)薬草造り、猟師
 遠野紗枝(25/26)旅人
 柳川新平(4/5)平治の長男
 柳川明子(3ヶ月/2)平治の長女
 柳川佳世(23)平治の妻
 柳川大介(33)平治の兄・薬草販売
 爺
 男、女
 老婆

○峠道・展望パーキングエリア
   山間の集落を見渡す峠道。
   背の低い笹薮に小さい祠、3匹の狐と
   屈強な男の石像を見る男女と老婆。
老婆「この石像にはな、雪深い山里の出来事
 あってのぅ。頃は大正末期じゃろか」

○山道
   猟銃を担ぐ柳川平治(30)、林間の山
   道を下る。激しい吹雪が視界を遮る。
平治「ん!?  茂みに何か動いているぞ」
   近づく平治、罠に足を挟まれてもがく
   白狐と纏わりつく白狐2匹を見る。
   白狐達2匹を追い払う平治。
平治「捕らぁやせん。ジツとせんかい」
   暴れる白狐の罠を外す平治。
   白狐の左足に薬草をつけ布を巻く平治。
   平治、振向く白狐3匹を見送る。
1
○柳川家・囲炉裏端(夕)
   平治、猟銃を梁にかけ着換える。
   囲炉裏端に座る平治と柳川佳世(23)。
佳世「よく帰れたね。心配したよ」
平治「心配ない。慣れた山道だ」
   傍に眠る柳川新平(4)を覗込む平治。
佳世「今寝たばかり、起さないでよ」
平治「罠でもがく白狐を助けたが獲物にはで
 きん。山神様のお使いだ」
佳世「そうね。もう独り猟は辞めてあなた」
平治「うん。この冬が終れば猟は辞める」
佳世「直ぐ辞めてよ。もう心配はしとうない」
   大きく膨らむ腹を撫でる佳世。
平治「もう直ぐだな。無理するなよ」
   平治、佳世を抱き寄せ腹に耳をつける。
2
○柳川薬草園・出入口[1ヶ月後]
   2軒並ぶ家屋、庭に柳川薬草園の看板。
   佳世、積雪の庭を歩み隣家の戸を開く。
佳世「爺、買い物に行くから子供達を頼むね」
   土間で薬草を切る爺、佳世を見て、
爺「あいよ。産後じゃで気をつけなされ」
佳世「新平も明子も眠っているからね」

○山沿いの道
   山の斜面が続く小道を歩む村人と佳世。
   ゴーの音がして雪と土砂が崩れる。
   村人と佳世、雪と土砂に流される。
佳世「あぁーー!!」
   雪と土砂に埋まる村人と佳世。
3
○山中・[その頃]
   積雪から先端を覗かせる潅木の山中。
   日浴びする猪。立ち姿で狙う平治。
   かき消える猪。ユラユラと立つ女の姿。
平治「佳世!!  佳世ではないか!?」
   近づいて来る佳世。
佳世「あなた、子供達を頼みます」
   雲に隠れる太陽。佳世の姿が消える。
平治「佳世に何か異変が!! 佳世〜 佳世!!」
   叫びながら山を駆け降りる蒼白な平治。

○柳川家・囲炉裏端(夜)[3ヶ月後]
   座る平治、新平と柳川明子(3ヶ月)
   の寝顔を眺める。
平治「やっと眠った。佳世、心残りだったろ」
   仏壇を見る平治、位牌に手を合わす。
   ガタガタ雨戸が揺れる吹雪の音と違い
   ドサァと大きな物音を聞く平治。
   立上る平治、板戸を開き土間に降りる。

○同・玄関土間(夜)
   引き戸を開く平治。遠野紗枝(25)が
   土間に倒れ込む。吹雪が激しく吹込む。
   引き戸を閉め、紗枝の身体を揺る平治。
平治「これッ!! しっかり!!」
   身動きしない紗枝を抱上げ運ぶ平治。
5
○同・囲炉裏端(夜)
   紗枝を布団に寝かし火に近づける平治。
   紗枝を照らすランプ。顔を眺める平治。
平治「こりゃいかん。血の気がない」
   紗枝の濡れた着物と足袋を脱がす平治、
   傷跡が残る紗枝の左足を見詰める。
   板戸を閉め、褌姿の裸になる平治。
   平治、紗枝の肌に肌を合せ暖める。
   弱く薄暗くなるランプが紗枝を照らす。
平治「おー、やっと気付いたか!?」
   目を開く紗枝、大きな羞恥を示し驚く。
   戸棚の着物を取出し紗枝に手渡す平治。
   着物を着る紗枝と平治。
紗枝「紗枝と申します。有難う御座います」
平治「薬草の湯を飲んでゆっくり寝なされ」
   鉄瓶の湯を碗に注ぎ紗枝に差出す平治。
6
○同・囲炉裏端(朝)
   料理を運び、鍋を囲炉裏に吊るす平治。
   鍋の雑炊を椀によそう紗枝。
平治「ワシがする、紗枝さんは休みなされ」
   起きて来た新平、首を傾げ紗枝を見る。
新平「あれっ、小母ちゃん!?」
紗枝「(新平の手を握り)仲良くしようね」
   おぎゃー、おぎゃーと明子の泣く声。
   平治、雑炊を食べながら、
平治「ヨシヨシ明子、もう直ぐ爺が来る」
   明子を抱く紗枝。泣き止む明子。
   やって来る爺、紗枝を見て驚く。
爺「お、お、嫁御を貰うなら貰うと・・・」
平治「馬鹿な、佳世が死んでまだ2ヵ月ぞ」
紗枝「道に迷い凍死寸前を助けて頂きました」
   明子を抱いた紗枝、爺にお辞儀する。
平治「爺は隣の薬草園で昔から働いている」
爺「峠の降り道を間違いなさったか」
紗枝「はい。吹雪と女の足で夕暮れになり」
爺「この季節の峠越えは男でも難渋する」
平治「紗枝さん、こんな騒々しい所だがよけ
 れば何日でも休んで下され」
紗枝「有難うございます」
平治「さぁ猟に行く」
   紗枝に頭を下げ出かける平治。
爺「子守も慣れたわい。さあ明子をこれへ」
   明子を抱く爺。
8
○同・家畜小屋
   山羊2匹と十数羽の鶏がいる小屋。
   乳搾する紗枝。卵を集める新平と紗枝。
新平「小母ちゃんはいつまで居るの?」
紗枝「神様と新ちゃんが決める時までよ」
新平「???」

○同・囲炉裏端(夕)
   明子を背負う紗枝。明子を覗込む平治。
平治「よく眠っている。済まんな紗枝さん」
紗枝「旦那様、お帰りなさいませ」
   煮物、汁物等を食卓に並べる爺。
爺「さぁ夕飯にしょう」
   紗枝、明子を布団に寝かせる。
   紗枝の背中に飛びつき縋りつく新平。
平治「こら新平、止めろ!!」
   平治、新平に近づき抱き寄せる。
爺「今日の新平は紗枝さんにベッタリだ」
   食卓を囲む紗枝と爺。平治と新平。
新平「小母ちゃんの横に座る」
   隣に座る新平の頭を優しく撫でる紗枝。
爺「幼児には母親が必要じゃなぁ平さん」
平治「小母ちゃんに面倒をかけるなよ新平」
爺「紗枝さんは乳搾や卵集めもなさった」
平治「爺の仕事を取上げたら爺がボケる」
爺「こりゃ、何をぬかす」
   大笑いする爺と平治。苦笑する紗枝。
10
○同・囲炉裏端(夜)
   明子を寝かす紗枝。新平を寝かす平治。
平治「紗枝さん済まんが襖の向う奥の部屋で
 寝て下さい。客布団もあるから」
紗枝「はい。そうさせて頂きます」
新平「嫌だ。小母ちゃんとここで一緒に寝る」
平治「新平はお父と一緒に寝る」
新平「嫌だ、嫌だー!!」
紗枝「もしよろしければ私がここで・・・」
平治「明子が夜泣きする。大変ですよ」
紗枝「旦那様がよろしければ私は一向に・・」
   奥から布団を運び明子の横に敷く紗枝。
○同・奥の部屋(夜)
   寝付かれぬ平治、天井を睨み考え込む。
平治「明子も新平も必ずワシが育てるぞ佳世」
   柱時計が1時を打つ。グズリ泣く明子。
   泣き止む明子。襖を細く開き覗く平治。
   明子に乳を飲ます紗枝を見詰める平治。
平治「ん!? まるで子守に来てくれた様だ」
   平治、紗枝に両手を合せ拝む。
12
○鎮守の神社・全景
   入山する道が通る小高い場所の神社。
   鳥居を入り短い参道の奥に拝殿がある。
   神社の手前に並ぶ2軒の家とその後方、
   山里の集落は深い雪に覆われている。

○同・拝殿内
   神前に米と野菜、猪肉を供える平治。
   耳を澄ます平治。鈴の音が聞える。

○同・拝殿前〜参道
   粉雪が激しく舞って止み舞っては止む。
   紗枝、拝殿に両手を合せ一心に祈る。
紗枝「私の子供達が元気で過しています様に」
   紗枝、拝殿の鈴を鳴らす。
紗枝「新ちゃん、明ちゃんが健やかに育ち、
 山勤めの旦那様にお怪我がありません様に」
   拝殿の戸を開く平治、紗枝を追う。
平治「紗枝さん」
   参道を歩む紗枝、振向き驚く。
紗枝「あっ!! 旦那様」
平治「月当番のため拝殿内にいたので」
紗枝「月当番はお申付下されば私がします」
   雪を踏締め参道を歩く紗枝と平治。
平治「紗枝さんには子供さんがいなさる!?」
紗枝「はい。新ちゃん明ちゃんも愛しくて」
平治「紗枝さん・・・」
   紗枝の肩を抱き寄せる平治。
紗枝「(恥かしそうに俯き)何でしょうか?」
平治「紗枝さんの出里はどちらですか?」
紗枝「山越村の遠野って云う百姓家です」
   足を引きずる紗枝を見て屈む平治。
平治「紗枝さん、オンブします」
紗枝「大丈夫です、歩けます旦那様」
   恥ずかしそうに拒む紗枝。
   紗枝の手を強引に引張り背負う平治。
   背に頬をつける紗枝。喜色満面の平治。
   平治と紗枝を粉雪が包む。
14
○柳川家・囲炉裏端(夜)
   眠る新平と明子に添い寝する紗枝。
平治の声「そちらに行くがよいかな?」
紗枝「(身繕いして座り)はい」
   襖を開く平治、紗枝の真正面に座り、
平治「紗枝さん、チョット足を見せて下され」
紗枝「別に支障は御座いません」
   紗枝を抱く様にして足に触れる平治。
紗枝「いや〜ん旦那様たら〜」
   手で顔を覆う紗枝。足首を撫でる平治。
平治「捻挫の様だ。3夜程、薬草を取替える」
   紗枝の足に薬草をつけ包帯を巻く平治。
15
○同・奥の部屋(夜)
   襖を細く開け紗枝の寝姿を覗く平治。
   フーッと溜息つく平治、襖を閉める。
   寝床に入り眠る平治。胸に乗っかる女。
   平治、目覚めて目を擦り驚く。
平治「あっ佳世!! どうした?」
佳世「紗枝さんの所へ行きたいか!?」
平治「そりゃ男だ。許してくれ佳世」
佳世「悔しい〜!!」

○同・囲炉裏端(朝)
   倒れている位牌を直し供物する平治、
平治「(合掌し)昨夜の佳世は夢か、現か」
   身繕いし布団に座る襦袢姿の紗枝。
紗枝「旦那様、朝寝坊して済みません」
平治「起したか、まだ早い。寝ていて下され」
   妖艶な紗枝、じっと見とれる平治。
16
○鎮守の神社・拝殿前(朝)
   平治、拝殿に立ち柏手を打つ。
平治「毎日の獲物に感謝します。今日も安全
 に猟ができます様に」

○柳川家・囲炉裏端(夕)
   猟銃を梁にかける平治。
紗枝「旦那様、お帰りないませ」
   立上る紗枝、平治の着換を手伝う。
   座る平治、持ち帰った風呂敷を開く。
平治「紗枝さん、この着物を受取って下さい」
   近づく新平、着物を広げ紗枝に手渡す。
紗枝「まぁ綺麗。お心を嬉しく頂きます」
   着物を押し頂き嬉々として受取る紗枝。
平治「この2ヶ月、こんなお礼で申訳ない」
   紗枝に寄添う新平、紗枝を見上げて、
新平「小母ちゃん、お母になって」
平治「こらっ新平!! 何を言うか!?」
紗枝「新ちゃんのお母、いいでしょ旦那様」
平治「それは・・・」
紗枝「旦那様、私は子供のお母ですよ」
   紗枝、意味ありげに笑い平治を眺める。
   平治、顔を赤らめ呟く。
平治「新平もだが、ワシもだぞ佳世」
   紗枝、新平を抱上げ頬ずりする。
   困惑顔で仏壇を眺める平治。
18
○同・囲炉裏端
   明子を背負い仏壇に供物する紗枝。
   板戸を開け帰って来た新平と平治。
平治「また雪じゃがもう直ぐ春がくる」
   平治、紗枝に近づき明子の頬を撫で。
平治「お母にオンブされ温かいな明子」
   ニコッと笑う明子。紗枝、平治を眺め、
紗枝「紗枝の長居はご迷惑ですか?」
平治「紗枝さん、迷惑どころか感謝してます」
   深々と頭を下げる平治。
紗枝「(顔を赤らめ)旦那様にもお仕えさせ
 て下さい。どうか紗枝と呼んで下さい」
平治「身も心も触れ合い紗枝と呼びたい」
   平治、紗枝の頬に頬を触れる。
新平「新平のお母だろ? お父も紗枝と・・」
紗枝「お母だよ。紗枝だよねぇ新ちゃん」
   嬉しそうに平治を見詰める紗枝。
紗枝「さぁ鶏を見に行きましょ」
   新平と共に立去る紗枝。
   仏壇に線香をあげ、手を合す平治。
平治「紗枝さんが好きだ。佳世いいか?」
   紫煙に浮ぶ佳世の幻影に驚く平治。
佳世の幻影「子供は許しても貴方までは・・」
平治「佳世を忘れリャせん」
佳世の幻影「ウチは許さんよ」
   スーと消える佳世。
   倒れた位牌に気付く平治、震えて拝む。
20
○鎮守の神社・拝殿前(朝)
   猟銃を担ぐ平治、一心に祈る。
平治「どうか佳世の許しが得られます様に」

○ブナの山林
   落葉の枝に積る雪で幹がしなる。
   雪に残る大きな足跡を辿る平治。
平治「こりゃ大物の猪だ」
   平治の斜面上に月の輪熊が現れる。
   熊を睨み後退する平治。駆け下りる熊。
   転ぶ平治、ズルズル滑り崖から落ちる。
   十数mの崖上『グヮォー』と吠える熊。

○崖下・雪道(夕)
   杖を支えに足を引き摺り歩む平治。
   薄暗くなる。横殴りの雪が降る。
平治「こりゃ麓には辿り着けん」
   平治、岩陰に雪洞を掘る。
21
○雪洞内(夜)
   雪の壁に凭れる平治。盛んに体を擦る。
平治「いかん、いかん」
   眠気に顔を擦る平治、両頬を叩く。
   スゥスゥと寝息をたてる平治。

○(夢)柳川家・囲炉裏端(夜)
   湯気の立つ粥を盆に乗せて近づく佳世。
佳世「あなたー、あなたー」
   佳世の顔が紗枝の顔に変わる。
紗枝「旦那様」
平治「紗枝さん!!」
   平治、紗枝を抱締め口づけする。
   平治の顔を舐める紗枝。
22
○雪洞内(夜)
   平治の顔を舐める白狐。
   他の白狐を抱締め目を醒ます平治。
   目覚めた平治に纏わりつく白狐達。
(平治の甦る記憶)[吹雪の山中、足に傷を
 負う白狐、振向く白狐3匹を見送る]
平治「あの時の・・・有難う、お前たち」
   優しく背を撫で白狐達を抱締める平治。
平治「紗枝の傷、もしや・・・いや有り得ん」
23
○柳川家・囲炉裏端(夜)
   9時を打つ時計。見詰め合う紗枝と爺。
紗枝「旦那様はいつも夕方にはお帰りです」
爺「親の代から庭の様に知る山だ。心配ない」
   布団をはね退け目を醒ます新平。
新平「お父は?」
紗枝「羊小屋にいるからもう寝なさい」
   新平に布団をかけて寝かせる紗枝。

○鎮守の神社・拝殿前(朝)
   拝殿に立つ紗枝、一心に祈る。
   遠くに平治を見て駈出す紗枝。
   紗枝と出会う平治、紗枝と抱合う。
   平治、紗枝を放し雪上に土下座する。
紗枝「何をなさいます旦那様」
   平治を立ち上がらせる紗枝。
平治「昨夜ビャ・・・いや心配させたな」
   ハッとする平治。怪訝な顔する紗枝。
24
○柳川家・庭先(朝)
   雪融けの春。
   隣で薬草園を見廻る柳川大介(33)、
   猟銃を担ぐ平治と見送る紗枝を眺める。
柳川「昨夜はご馳走になった」
   笑顔で柳川に会釈する紗枝。
柳川「紗枝さん似合じゃ、平治の嫁は嫌か?」
   嬉しそうに顔を見合す紗枝と平治。

○山林
   若葉を伸ばす樹木。芽吹く緑の下草。
   腹這って猪に狙い定める平治。
   現れる子猪4匹、乳房を探し縺れ合う。
平治「佳世の生前になぜ猟を辞めなかった!!」
   猟銃を担ぎ潔く立去る平治。
平治「許せよ佳世!!」
25
○柳川家・風呂場(夕)
   蝉の鳴き声が聞える。
   明子と共に湯に浸かる紗枝。
紗枝「旦那様、湯加減はよいので火を止めて」

○山道
   山肌一面の紅葉。
   薬草の束を背負い山道を下る爺と平治。
爺「紗枝さんは平さんに惚れとる。一つ屋根
 で寝る紗枝さんにトキメキはないのか!?」
   平治、ハッとして爺を振向き、
平治「そりゃワシも木石でない、でもなー」
爺「でもなーもあるまい」
平治「佳世に子供を託されたし、それに・・」
爺「それに!?」
   眉間に皺をよせる平治。
平治「心を離れない・・・いや何でもない」
爺「いじらしい紗枝さんを見ておれんわい」
   苦渋の顔を爺から反らして歩む平治。
26
○柳川薬草園
   薬草が整然と区画して茂る広い薬草園。
   並んで薬草を摘み取る平治と柳川。
柳川「昨晩、商売から帰った。爺から聞くと
 紗枝さんもお前に惚れとるらしいな」
平治「それが・・・紗枝さんは幼児を抱えて
 難儀するワシを助けに来てくれた白狐様だ」
柳川「(プーと噴出し)笑うぞ。人に話すな」
平治「山神様のお使は恐れ多くて嫁にできん」
柳川「ドあほ!! 昔からの悪い癖。妄想だ!!」
平治「妄想であって欲しいが・・・」
   虚ろな眼で弱々しい平治。
27
○柳川家・裏庭
   撒餌して鶏を追っかけ遊ぶ新平(5)。
   洗濯物を干す紗枝。薪を割る平治。
平治「こりゃ夫婦の景色だね紗枝さん」
   紗枝、干し物の手を休め、
紗枝「旦那様は悲しい事をおっしゃる」
平治「どうして?」
紗枝「今も紗枝とお呼びにならない。上辺で
 なく旦那様の真心が頂きとう御座います」
平治「こりゃ済まぬ事を云った」
   平治、紗枝に駆寄りヒシと抱締める。
   平治の胸に顔を埋めて泣く紗枝。

○同・奥の部屋(夜)
   紗枝の啜り泣く声を聞く平治。
   平治、襖に手をかけたまま忍び泣く。
28
○同・奥の部屋(朝)
   鶏の騒ぐ声に目を醒ます平治。
平治「またイタチだな」

○同・家畜小屋(朝)
   早朝の光、激しく羽ばたき鳴き騒ぐ鶏。
   朝霧の満ちる小屋。鶏舎を覗込む紗枝。
   小屋に入る平治、紗枝に寄添い探す。
平治「紗枝さんも気付ましたか?」
   現れるイタチ、跳び捕える紗枝。刹那、
   朝霧に浮ぶ白狐姿の幻影を見る平治。
紗枝「旦那様、やはりイタチでしたよ」
   笑顔の紗枝、首を掴み平治に見せる。
   紗枝に強張る顔で笑みを返す平治。
29
○鎮守の神社・拝殿前
   吹雪の冬景色、拝殿で一心に祈る紗枝。
紗枝「どうか旦那様の真心が頂けます様に」

○柳川家・奥の部屋(夜)
   ガタガタと雨戸が揺れる吹雪の音。
   襦袢姿の紗枝(26)、平治(31)の寝
   布団に潜り込み狂おしくしがみ付く。
紗枝「旦那様、紗枝を抱いて下さいませ」
   平治、苦悶の顔して紗枝を抱締める。
平治「あっ紗枝さん!! それは・・・」
紗枝「佳世様に心が残っておいでですか?」
平治「紗枝さんが愛しい。でも・・・」
紗枝「旦那様の真心を頂き紗枝は長くお仕え
 しとう御座います」
   紗枝、大粒の涙を流し平治に哀願する。
平治「紗枝さんに浮き心と思わせ、紗枝さん
 の心を惑わせた平治をどうか許して下され」
   正座する平治、合掌して紗枝を崇める。
30
○同・囲炉裏端(朝)
   吹雪が窓の視界を塞ぐ。
   電灯が薄明るく周りを照らす。
   置手紙を読む平治。聞く子供達と爺。
紗枝の声「旦那様、爺、長い間有難う御座い
 ました。新ちゃん、明ちゃんを見ると後髪
 を引かれます。吹雪で心を冷やし麻痺させ
 旅立ちます。手紙でお別れする紗枝をお許
 し下さい。旦那様によい奥様をと祈ります」
   泣き叫ぶ新平、貰い泣く明子(2)。
新平「お母がいないー。お父のバカ、バカ」
   新平、平治を激しく叩く。
31
○山越村・遠野家
   雪に覆われる山村。
   林の中に建つ廃屋。唖然と眺める平治。
   平治、津々と降る雪の林に入る。
平治「紗枝〜!! 紗枝〜〜!!」
   現れる白狐3匹。平治を見詰める1匹。
平治「あっ紗枝!!」
   白狐に手を差伸べ近づく平治。
   尻尾を振り平治を見詰める白狐。
   コクンと頭を下げ走り去る白狐達。
   雪に消える白い姿。
   涙を溜め、虚ろに見送る平治。
32
○峠道・展望パーキングエリア(逢魔ガ時)
   石像と老婆を交互に眺める男女。
老婆「雪の日、平治は必ずこの峠で白狐達を
 出迎え、平治の家で子供達と過したんだよ」
男「環境破壊の峠道だぜ。話に似合わねぇよ」
老婆「昔は難渋する峠道でしたがね」
女「そう。この石像はそんな民話があったの」
老婆「実話ですよお嬢さん。でも平治は幻影
 を見る癖があっての、妄想じゃったかも」
男「有難うお婆さん。石像は村の宣伝用か?」
女「この石像ってマッチョなイケメンね」
   像の胸を撫でる女。その手を引張る男。
   夕日が沈む山里の集落を眺める男女。
   振向く男女、スーと消える老婆に仰天
   する。
               [終り]

                  戻る ある日の雲水                  大国主 みこと     2010.04 【テーマ】 人は過酷な運命に生きても奇跡の喜びもある。 【あらすじ】  鹿島は藤堂と道場主の娘・千早を争う恋敵 である。道場主・鉄斎は真壁道場と試合し、 その勝者を若殿の指南役にする、試合に遺恨 を残さない様に千早を真壁の子息・隼人に嫁 がせよと殿から命じられる。隼人にも言い交 す恋人がおり、また鹿島、藤堂、千早、隼人 は幼友達でもある。鉄斎は隼人の勝負に何故 か鹿島でなく藤堂を選ぶ。  試合は藤堂の木刀が折れて飛び、隼人の心 臓を貫く。藤堂は鹿島を卑劣と罵り、鹿島と 対決して斬られる。その死際、木刀の細工は 自分と打明ける。道場では鉄斎が遺書を残し 自害していた。遺書は細工の張本人だと告げ ていた。千早は鹿島と藤堂を選びかねた優柔 不断の罪を悔い3ヶ年の巡礼に出る。 鹿島は旅先の千早が病む知らせで駆けつける が死亡と判り、雲水となる。16年後に隼人 の墓前で九死に一生を得た千早と再会する。   人 物  鹿島伸吾(27)(43)神崎道場・竜虎の竜  藤堂源之進(26)神崎道場・竜虎の虎  神崎千早(24)(40)鉄斎の娘  真壁隼人(25)真壁道場主の息子・麒麟児  神崎鉄斎(48) 神崎道場主  美和(20)   隼人の恋人  武富仙十郎(55)若殿守役  若殿  審判役  住職 ○堀端    T・元禄、武芸を尊ぶ2萬石の小藩。    天守閣が聳え、堀端の梅はまだ蕾。 ○神崎道場・稽古場    広い稽古場である。鹿島伸吾(27)、    藤堂源之進(26)、神崎千早(24)の    各人が門弟達と激しく立ち合っている。 鹿島「休め、今から源之進と模範試合を行う」    門弟達、稽古場の左右に散り座る。    鹿島と藤堂、一礼し正眼で対峙する。    門弟達、息を殺し竜虎の対峙を凝視。    対峙を見詰める千早、顔色を変える。    木刀の切っ先が跳躍しようとする刹那。 千早「(気合鋭く)それまでッ!!」    互いに三尺余を跳び下がる鹿島と藤堂。    木刀を収め互いに一礼する鹿島と藤堂。    鹿島、千早を睨みつける。 ○同・茶室    茶の湯の手前をする千早。    額の汗を拭う鹿島。    神妙に座して手前を受取る鹿島と藤堂。    鹿島と藤堂、茶の湯を一気に飲み干す。 千早「あれは稽古ですか? 私には果し合い  としか見えませんでしたが」 鹿島、藤堂「・・・」 千早「私は貴方達と三本勝負して、先に3本  とも私に勝った方へ嫁ぎます」 鹿島「千早殿は強過ぎる、いつまでも上達し  ない私達を選び兼ねる千早殿が心配です」    相槌して頷く藤堂。 千早「それは余計な心配、今後は今日のよう  な事は許しません。まして父のいない時に」    開きかけた口を閉じ千早を眺める鹿島。 2 ○同・稽古場(夕)    鹿島、千早と立ち合う。眺める藤堂。    神崎鉄斎(48)が来て、上座に座る。    鹿島、藤堂、千早、鉄斎の下座に座る。 鉄斎「今日、若殿が元服するので指南役を決  めたいと殿からの仰せがあった」    鉄斎、少し云い淀みながら、 鉄斎「指南役は当道場と真壁道場が試合して  勝者に決める。ただ勝敗に遺恨のないよう  千早を真壁に嫁がせよとの仰せであった」 鹿島、藤堂、千早「えぇっ!!」    鹿島、膝上の手を握り締め震える。 千早「父上、指南役はご辞退下さい。千早は  真壁に嫁ぐのは嫌でございます」 鉄斎「私もそうしたい。だが武芸者として碌  を食( は)む身、殿の仰せに背けようか」 千早「私は修行に出奔いたします」 鉄斎「これ千早、無理を申すでない」    鹿島、涙を溜める千早を眺める。    鉄斎、鹿島と藤堂を見据えて、 鉄斎「伸吾、源之進、お身達が娘を思ってく  れる気持は充分に承知しているが許せ」    鹿島、苦渋に満ちた顔を鉄斎に向け、 鹿島「若殿指南役は武門の誉れ。千早殿、私  情を捨て勝負に挑みます」 藤堂「相手は麒麟児、千早殿の婿になる隼人。  それにしても酷(むご)い。我等4人は幼馴  染み」    鹿島、横に座る藤堂を振り向き、 鹿島「源之進よいではないか、見ず知らずの  男に嫁ぐのではなくて」    鉄斎、立ち上り木刀掛けの木刀を握り、    その一本を藤堂に手渡す。 鉄斎「源之進、相手を致せ」 藤堂「は、お願いします」    鹿島、藤堂、千早も立ち上る。 鉄斎「私は登城の帰り道、随分と思案したが  当方は源之進を勝負に立てたい」 鹿島「先生そ、それは・・・あ否、これは失  礼した源之進、お主を侮ってのことでない」    藤堂、木刀を鹿島に押し渡し、 藤堂「先生、ここはやはり伸吾を・・・」    鹿島、藤堂の木刀を押し返し、 鹿島「いいのだ源之進。先生、千早殿ご免!!」    稽古場を飛び出す鹿島。 ○道(夜)    俯き加減に歩く鹿島が小声で呟く。 鹿島「ナゼ源之進なのだ?」    ゆっくり歩く鹿島に追いつく藤堂。    並んで歩く鹿島と藤堂、しばらく無言。 鹿島「遠乗りし、河原で水練もした仲の隼人  は弟分、それが長じてこの巡り合わせとは」    鹿島、溜息を洩らす。 藤堂「武士は戦場でこそ武士。平穏な日々の 武士とは耐え難いものよ」 鹿島「千早殿も諦めてくれようか?」 藤堂「伸吾、今宵は飲もう」    人っ子も通らぬ武家屋敷筋の寂しい道、    月も冷たく冴えわたる。 6 ○居酒屋・店内(夜)    真壁隼人(25)、酩酊している。    木卓の銚子類を乱暴に床へ転がす真壁。 真壁「コラッお前達も飲め、金は払ってやる」    町人達、真壁の周りから離れる。    鹿島と藤堂、暖簾を分け入ってくる。    真壁、鹿島と藤堂をジロッと眺める。 真壁「ヨウヨウッ。ここで会ったが100年目」    町人達、暖簾を分け出て行く。 鹿島「隼人、お主が酔うとは珍しい」 真壁「何ォッ。拙者に剣(つるぎ)姫(ひめ)を   妻(め)合(あわ)すじゃと。剣姫は苦手じゃ。   拙者にも都合がある」 藤堂「剣姫とは千早殿のことか? 酩酊とは  申せ千早殿の悪口は許さんぞ」    鹿島、真壁と藤堂の間に割って入る。 真壁「殿は家臣のことを何も判っておらん。  武門の試合に遺恨は残さぬ。ましてお主達  とは。親父殿同士のことは知らぬが・・・」 鹿島「殿の悪口はよせ隼人!!」 真壁「お主達がサッサと剣姫を奪わぬから、  このような事に相成る」    鹿島と藤堂、真壁の両脇に座る。 鹿島「さては、意中の人でもいるのか?」 真壁「いる」    真壁、冷えた銚子からグイ飲みする。 藤堂「縁談の件は、殿にお考え直し頂くよう  重役の口添えで申出ては如何であろうか?」 鹿島「殿のお考えに反しては不興をかうだけ」 真壁「オヤジ、酒をジャンジャン持って来い」 鹿島「オヤジよい。隼人にこれ以上飲ますな」    木卓にうつ伏せる真壁、立たせる鹿島。    真壁を両脇から支え立去る鹿島と藤堂。 8 ○神崎道場・稽古場(朝)    吐く息も荒く、稽古に励む鹿島と藤堂。 鹿島「もっと性根入れて来い」 藤堂「やがて門弟達も来る。今朝はこの辺で」 鹿島「相手が隼人だからと気を抜くな」    上衣を脱ぎ、汗を拭う鹿島と藤堂。 ○神社・境内(夜)    大木の傍で寄り添う真壁と美和(20)。 真壁「美和、このまま逃げよう」 美和「期日も迫る今更、未練をお捨て下さい」 真壁「嫁とりはそなただけ。対決は気が重い」    美和、真壁の胸に顔を埋めて嗚咽する。    美和を抱き締める真壁。 9 ○丘の上    陽光が輝く丘の上、若殿と武富仙十郎    (55)、馬を降りて田畑を見渡す。 若殿「爺は血判連署の嘆願書をどう扱う?」 武富「勝者に嫁を選ばせて欲しいとの嘆願だ  が、殿のお気使いが若者を苦しめる」 若殿「されど父上が前言を翻すとも思えん」    武富、懐から嘆願書を取り出し広げる。 武富「存分に勝負させた結果を見て、提案し  た爺の責任で殿にお願いするしか・・・」    武富、藤堂と真壁の血判連署に見入る。 若殿「爺、改めて剣姫を指南役にしては?」 武富「若殿、ご冗談を」    乗馬する若殿と武富。 10 ○神崎道場・稽古場(朝)    朝稽古を終えた藤堂と鹿島。 鹿島「試合日も近づくとさすが気合充分だな」 藤堂「実は武富様から他言無用の知らせだが、  伸吾にだけは打ち明ける」    藤堂、鹿島の耳元に口を近づけ話す。 鹿島「何、若殿守役に嘆願書だと!!」 藤堂「声が大きい」 鹿島「道理で隼人も激しい修練をしている」 藤堂「万に一つの希望と承知の嘆願だ」 鹿島「源之進が勝ち、万に一つが成就すれば  私は千早殿を諦める」 藤堂「いやいや、それはまた別の話だ」    千早と門弟達がやって来る。    鹿島、千早と目を合せず立ち去る。 11 ○城中・中庭    仮床の床几に座る殿、若殿、重臣達。    正面の土塀沿いのつつじ達が花盛り。    審判役が見詰める先に、真壁の正眼、    八双に構える藤堂。    互いに間合いを詰め寄る。    切り結ぶこと2,3合。 藤堂、真壁「(裂帛の気合)えーぇぃ!!」 審判役「それまでッ!! (小声で)ありえぬ」    藤堂の木刀、鍔元から折れて飛ぶ。    飛ぶ木刀、真壁の心の臓を貫く。    倒れる真壁を放心して見詰める藤堂。 ○神崎道場・稽古場(夕)    無言で手紙を差し出す門弟。    受取る鹿島、開封して手紙を読む。 藤堂の声「伸吾は卑劣な手を使った、許せぬ。    城下はずれ上ヶ原に来い」    手紙を懐にねじ込み駆け出す鹿島。 12 ○上ヶ原    広大な野原の草木、風に激しく揺れる。    真剣で切りかかる藤堂。かわす鹿島。 鹿島「何ゆえの仕儀?」 藤堂「何ゆえだと? 問答無用、抜け伸吾」    2の太刀、3の太刀で切りかかる藤堂。    抜刀して受止める鹿島。    駆る千早、相打つ真剣が反射する陽光    と、崩れる姿を目撃する。 鹿島「ナゼ避けぬ? 払わぬ? 何とした?」    藤堂を抱き起こす鹿島。    辿り着く千早。 藤堂「よいのだ。殿は切腹では許すまい。伸  吾、お主が成敗したのだ。成敗だぞ」 千早「(手を握り)傷は浅い、気を確かに」    千早の顔、藤堂の顔に近づける。 藤堂「木刀の細工は私がした。あれしきを避  け切れぬ隼人ではあるまいに」 鹿島「もう喋るな源之進」 藤堂「万が一を夢見るより、指南役の隼人に  千早殿が嫁いで欲し・・・」 鹿島「源之進はそこまで千早殿を」    落涙する鹿島。 藤堂「伸吾、千早殿を頼む。許せ、許せ」 千早「源之進、源之進しっかり、しっかり」    嗚咽する千早。藤堂を抱き締める鹿島。    鹿島、藤堂の亡骸を抱えて歩む。 ○神崎道場・鉄斎の部屋(夜)    自害する鉄斎を発見する鹿島と千早。    鉄斎に駆寄り取りすがり泣き伏す千早。    座卓の遺書に気付く千早、遺書を読む。 鉄斎の声「千早、浅はかな父を許せ。伸吾殿、  源之進殿、予期せぬ事とは申せ、師として  源之進を選んだ時からの卑劣な謀事(はか  りごと)を許せ」    千早、遺書を鹿島に手渡す。    遺書を黙読し、行燈の火で燃やす鹿島。 千早「全て私の優柔不断が引き起こした罪」 鹿島「千早殿には何の罪もない」 千早「父上、源之進殿の葬儀が済めば、私は  巡礼の旅に出ます」 鹿島「お心なればお止めはしません」 千早「3年後、もし伸吾殿にお心があれば、  お仕えさせて下さいませ」    鹿島、千早をヒシと抱き締める。 15 ○寺社境内・墓地    雲水姿の鹿島(43)、墓前に立つ。 鹿島「源之進、16年ぶりに戻ってまいった」    網代笠を脱ぎ、手を合せる鹿島。    鹿島に近づく住職。 住職「神崎家の墓での姿もご坊かのう?」 鹿島「些かの縁者なれば」 住職「小藩じゃに先代は二人も指南役を召抱  え、武芸者の宿業でのう、対決なされた。  剣の滅法お強いご息女も旅空で病死とか」 鹿島「左様でしたか」 住職「先程もそこな墓前に女性(にょしょう)  が・・・」 鹿島「女性?」 住職「庫裏(くり)で茶など進ぜようほどに」 鹿島「まだ行くところがありますれば」    鹿島、会釈し、網代笠を被り歩み去る。 16 ○真壁家の寺・隼人の墓前    手を合わす女性を目撃する鹿島。    網代笠を脱ぎ、駆ける鹿島。    その姿に気づく千早(40)。 千早「伸吾様!!」 鹿島「千早殿!! あの時亡くなられたものと」 ○(回想)隔離小屋    早飛脚の文を握り締め、遺体を覗いて    探す鹿島。運び出されて行く遺体。 鹿島「アッ、これは千早殿の持ち物」            (回想終り) 17 ○同・元の墓前    千早の眼前に走り寄る鹿島。 千早「百姓夫婦の看病で九死に一生を得て、  今はその夫婦と暮らしています」 鹿島「そうであったか」 千早「その後は伸吾様の消息が知れず、毎年  命日には墓前でお待ちしていました」    隼人の墓に手を合す鹿島。 鹿島「隼人、ありがとう」    太陽の燦燦と降り注ぐ静寂の墓地。    鹿島と千早、長い長い抱擁が続く。                 【終り】
                  戻る 輝け5代目                  大国主 みこと     2010.01 【テーマ】 人は二十歳になると責任を負うことになる。 【あらすじ】 元暴走族、遊びほうけるお嬢さん二十歳が、 老舗稼業の危機を知って、天賦の味覚と人を 引き付ける力を自覚し、5代目に成長する話。  十河楓(20)は老舗フランス料理店のお嬢 さんではあるが、幼少に母を亡くす。祖父は 楓が備える天賦の味覚を見つけ、一流料理店 を連れ回って可愛がると共に味覚を鍛える。 その祖父も楓が中2の13歳の時に他界する。  楓が中1の頃、父・清輝の愛人・絹の存在 を知る。仕事に忙しい父、料理一筋の兄、院 卒秀才の兄嫁・真由にコンプレックさえ感じ、 楓は中学から荒れ始め、暴走族の仲間入り。  楓20歳の時、真由は経営に才能がない晃に 代り稼業を切り盛りする。真由は自分が後継 者になりたいと願う心が宿る。祖父が楓に会 社の持株を相続させ心は穏やかでない。楓が パリ留学を望んだ時に追い出しさえ画策する。  清輝はある日突然、心臓病に倒れるが一命 は取り留める。清輝は真由の力量を認めつつ も、味に無縁な育ちの真由より、祖父も楓が 備える天賦の味覚から5代目にと云い残し、 人にも慕われる楓を後継者に指名する。  楓は持株の配当で気儘に遊びほうけた生活 が無配になる危機を知り、清輝の願いを受け 入れ稼業を継ぐ決心をする。楓は祖父の書斎 に閉じ篭り、祖父が残す資料や本が料理や経 営について宝の山だと知る。経営学部の楓は 祖父の書斎で学び、経営方針を立案する。  だが楓が3代目の味をブランド化する方針 は、シェフ達に腕が揮えないと猛反発を招き、 シェフ達の辞表騒ぎになる。真由とは隠れた 確執が表面化し、真由も辞任を決意する。 晃の協力で3代目の味を復活させ客の好評を 得た楓は、一部妥協し騒ぎを収める。5代目 就任の日、楓は真由に耐え難い芝居を依頼し、 真由の辞任も食い止める。本音で互いの力が 必要と認め、楓と真由はその絆を固める。   人 物  十河 楓(20/7/13)大学生・元暴走族  十河真由(32)楓の兄嫁・アムール勤務  十河 晃(あきら)(32)楓の兄・アムールのシェフ  十河 清輝(きよてる)(58)楓の父・株アムール社長  佐竹雄一(19)楓の大学同期生  東 美沙(19)楓の大学同期生・元暴走族  十河 清蔵(せいぞう)(69 楓7歳当時)楓の祖父  東 英治(50)美沙の父・ホテルの経営者  受付係、家政婦、パーラーのマスター  梅田のシェフ、赤坂のシェフ  八重洲のシェフ、支配人達、 ○ビル全景    洋館が建ち並び異国情緒ある神戸の街、    北野の一角、株式会社アムールの看板。    5階建てビル、1階はフランス料理店。    道路脇に停まるフェラーリ・オープン    カーを降りる十河楓(19)、素ピンに    乱れ髪、色褪せ膝の破れたジーンズ姿。    T・"アムールは神戸1店、大阪2店、    東京3店、計6店舗を構える人ぞ知る    フランス料理の老舗である" ○アムール・社長室前    楓、受付係の掴む腕を振り払う。 受付係「お嬢さん、企画室長とお話中です。  誰も入れるなと社長のご指示、私困ります」 楓「企画室長は兄嫁じゃん。お客じゃない」    社長室のドアを勢いよく開く楓。 ○同・社長室    十河清輝(58)と十河真由(32)、応    接机に資料を並べ対話中である。    十河、楓の風貌を一瞥して睨み、 十河「ノックせんか。少しは女らしくせぇ」    真由、席を立ち部屋を出ようとする。 楓「真由さんもいなさい」    真由、顔をしかめる。    ドア前に立つ楓。 楓「大阪梅田店を借り切ってアタシのダチと  誕生会をしたい」 真由「11月14日土曜、楓さん20歳よね」 十河「7日後、今から客の予約が断れるか!!」 楓「昼食だから3時に終る。夜は支障ないわ」 十河「誕生会するなら家に友達を呼べ」 楓「ダチは店の潜在顧客なんだから」 真由「いいわ。じゃ私が何とかする」 楓「あっそう、でも恩に着ないわよ」    楓、バターンとドアを閉め立ち去る。 真由「少しは店の事も考えているのね」 十河「そうあって欲しいが・・・」    資料に目を戻す十河。 真由「店は支配人が管理し、利益に応じて店  毎の賞与とする改革、これがその成果です」    真由、利益の比較資料を指差す。 十河「支配人制度に不満なシェフもいる」 真由「雇われシェフは経営感覚が乏しい・・」    車の轟音が響く。立ち上り窓際に歩む    十河、走り去る車を心配顔で見送る。 真由「2輪が4輪になっただけよ」    不快顔の真由、十河から顔を背け呟く。 ○高速道路(夕)    車線を頻繁に変えて車を追い抜き突っ    走る楓、髪を靡かせ、片手で電話する。    怖気顔で助手席に座る佐竹雄一(19)。 佐竹「覆面パトに捕まるぞ」 楓「じゃかましい・・・いやいやこっちの話、  だからぁ、ボロ着ファッションだから美沙」 美沙の声「楓とこの店は敷居が高いよ。チャ  ンとした服装でないと入れてくれないもの」 楓「いいの貸切だから。皆に伝えてよ〜」    佐竹「ゆっくり走れ。暴走族は卒業だろ」 楓「五月蝿い。心斎橋行きは止めるよ」    楓、佐竹を睨む。肩を竦める佐竹。 ○パーラー・店内(夜)    2階の窓際に座る佐竹と楓、人の混み    合う心斎橋通りを眺める。 楓「アタシに着せたいドレスってあれ?」 佐竹「ああ、気にいったか?」 楓「あれが雄一のセンス?」 佐竹「駄目か。あのジッと眺めたドレスだな」 楓「プレゼントでアタシを落とす気?」 佐竹「んなことできる楓か」    楓、グラスに水を注ぐマスターに、 楓「シェフが代った様ね」    ひと掬いで残した楓のグラタンを見て、 マスター「毎度、やはりあきまへんか私では」 ○心斎橋・裏通り(夜)    若者の一人に佐竹の肩が触れる。 若者1「何処見とるんじゃい」    若者2人、佐竹を引っ張り横道へ。    若者達と佐竹について行く楓。 若者1「チャンと挨拶して貰らぉーか」    佐竹、ビクビクと頭を下げる。 楓「アンタらまだ高校生チャウン?」 若者2「ネエちゃんの方が度胸エェじゃん」 若者1「挨拶云うたら判るやろ」 楓「心斎橋のド真ん中で喝上げか?」 若者1「コラッ!! 大声出すな」    スレートパンチを繰り出す若者1、軽    くかわし、股間を蹴り上げる楓。    うずくまる若者1。    驚き楓を見る若者2と佐竹。 楓「ネエちゃんはな、アンタらの年頃に多少  の修羅場は踏んどる」    苦痛に歪む顔で楓を見上げる若者1。 楓「今度やったら警察へ突き出す。判った?」 若者1「(ウンウンと頷く)」    携帯を取り出し若者達の写真を撮る楓。    若者1、立ち上り逃げ出しかける。 楓「待ち!!」    ギクッと立ち止まる若者達。 楓「これ持って行き」    楓、万札1枚を若者2に手渡す。 ○十河家・寝室(夜)    ネグリジェ姿の真由、鏡台に向い化粧    する。ダブルベットに横たわる十河晃    (32)、真由の後ろ姿を眺めている。 真由「今日はお義父様の本心が判ったわ。楓  さんに会社を継がせたいのよ」 晃「会社は真由で動く。親父も判っている」    真由、パックのベタ塗り顔を振り向け、 真由「結婚して8年、私、夢を失ったわ」 晃「夢?」 真由「貴方が社長で私が社長夫人、近所の奥  様のように優雅な暮らしがしたかった」    パックを剥す真由。    顔を曇らせる晃、真由を見詰めて、 晃「済まんな。料理一筋の職人で経営は苦手。  私の代わりに真由が社長をやればよい」 真由「ウチは株式会社なのよ。貴方の持株20  %ではどうにもならないわ」 晃「遊び呆けている楓に継がせるわけがない」    真由、ティシュの箱を晃に投げつけ、 真由「あ〜ぁ鈍感。お祖父様が楓さんに何故  35%の株を相続させたと思う?」 晃「そやったか。楓は私より多い持株か」 真由「私は孤軍奮闘、貴方は頼りないし」    真由、晃に馬乗りし晃の身体を叩く。    晃、いらつく真由を抱き止める。 ○梅田店レストラン・店の前    ボロ着の若い男女達が店の前で屯する。    楓、後に東美沙(19)を乗せ、ナナハ    ンバイクの轟音と共にやって来る。    色褪せ擦り切れ黒の革パンツに黒の革    ジャンと防風メガネ姿の楓。    美沙にバイクを渡し、男女に近づく楓。 楓「アンタら何しとんの? 店に入り」 ボロ着の男「佐竹のせいで入れてくれない」    楓、佐竹の風体をジロッと睨み、 楓「雄一、ボロ着ファッションと云ったけど、  不潔ファッションと云ってない」    佐竹、ボロ布纏いホームレスさながら。 楓「衣装替えておいで。他は入り」    楓、佐竹にポイと財布を投げ渡す。 ○同・店内    天井にシャンデリア。壁にモネの絵画。    長方形に整った食卓、20数脚の王朝風    豪華な椅子が並ぶ。店に入る楓達。    楓の前に立つ太くて出腹の支配人。 支配人「ドレスコード違反ですお嬢さん」    楓、後を振り向きボロ着の男女達に、 楓「さぁみんな好きな所に座ってー」    両手を広げ、立ちはだかる支配人。 支配人「困ります。他のお客様の手前・・」    楓、支配人を突き除けて、 楓「貸切にそんな決まりはない!!」    楓、支配人の耳元に口を近づけ、 楓「味には五月蝿よ、覚悟しいや」    支配人、顔を引き攣り引き下がる。 ○アムール・企画室    3人の男女社員がパソコンを操作する。    社員を見ながら電話する真由。 真由「お客を満足させるのが貴方の役目よ」 支配人の声「相手がお嬢さんでは・・・」 真由「誰だろうとお客は満足させなさい!!」    電話を切る真由。 ○梅田店レストラン・元の店内    楓の席で頭を下げるシェフ。 楓「アタシらだから食材の質を落したの?  それとも全部の顧客に?」 シェフ「決して味は・・・」 楓「ふざけるな!! ダチは我慢してるのよ」    剣幕に唖然と見詰める男女達と佐竹。    デザートが並ぶ食卓。立ち上がる美沙。 美沙「誕生会も終盤、本日のメインイベント、  楓のお淑やかな女ぶりを拝見しま〜す」    男女達と佐竹、拍手する。 美沙「楓、皆からの贈物を着なさい」    最新モードの洋服を広げて見せる美沙。 楓「チョット美沙、それは・・・あれじゃん」    楓を囲む女達と美沙、ジタバタする楓    の背を押し、腕を引っ張り連れ去る。 ○同・事務室兼更衣室    楓を着替えさせる美沙と女友達。    楓にメーキャップを施す美容師。 ○同・元の店内    見違える姿の楓、戻ってくる。    口笛吹きざわめく男達。拍手する女達。 楓「皆、ありがとう。今後は女らしくするわ」 佐竹「孫にも衣装。楓がしおらしい事を・・」 美沙「記念写真を撮るから楓の周りに集まれ」    ボロ着の男女達の中心で艶やかな楓。 ○十河家・全景(朝)    山の中腹に建つ瀟洒な日本家屋。    自然の山を配した庭園に朝日が射す。 ○同・食堂(朝)    窓から街や港が眺望できる部屋。    大きな長方形の食卓、短辺側に十河、    長辺側に晃と真由、その向いに楓。    食後の食器類を片付ける家政婦。 楓「パパ、アタシ、パリに留学したい」 十河「留学? 駄目だ」 楓「学費はパパに頼まないからいいじゃない」 十河「お前に株の配当を自由に使わせ過ぎた。  いつまでも配当が潤沢と思うな」 真由「料理の勉強でもしたいの?」 楓「まさか。絵の勉強して優雅に暮らしたい」 十河「絵なんか勉強して何になる。毎日言い  争い、納得して入った大学だろ」    十河、大声で怒鳴る。    楓、十河を睨み、 楓「アタシ、今も納得してないもん」 十河「もう20だ。いつまでも勝手は許さん」 真由「よろしいじゃないですかお義父様、女  は優雅な生活に憧れますもの」 晃「楓の頭で試験が受るんか?」 楓「バカにすんな。成せば成る」 真由「佐竹君のお父さん美術商よね、もしか  して佐竹君の事を考えて・・・」 楓「んなわけないしょ」    楓、晃と真由をキッと睨む。 十河「エ加減にガキ言葉はやめろ!!」    楓、ブスッと食卓を離れる。 ○佐竹画廊(夕)    客のいない画廊、絵画を眺める真由。    真由に付き添う佐竹隆敏(48)。 真由「今日は私用の頼み事でお寄りしたの」 佐竹「私共にできる事なら何なりと」    真由、絵画から目を離し、 真由「パリで絵が勉強できる様にお力添えを  お願いできます?」 佐竹「お易い御用ですが、どなたがパリへ?」 真由「楓が急に・・・雄一さんには内密に」 佐竹「それはもう・・・では近日お店の絵を  入れ換え作業する時に何案かお持ちします」 16 ○喫茶店・店内、    留学話の数日後、    向い合って座る真由と楓。 真由「呼び出して御免ね。梅田店の件有難う。   色々あって楓さんを利用させて貰ったの」 楓「だろうと思った。あの安請け合い」    楓、チーズクラッカーを摘み、 楓「梅田店のチーズはこれよりまだ悪い」 真由「時にパリへ行く話ね、配当は当てにで  きないわ。今のうち株をお金に変えない?」 楓「そんなに悪い状態?」 真由「今なら大丈夫よ。でも早い方がいいわ」 楓「休学する積もりだから考えようかな」    真由、チーズクラッカーを紙に包み、 真由「チーズの件は今から行って話合うわ」    立ち去る真由。首を傾げる楓。 ○アムール・玄関前    ストレッチャーで運ばれ、救急車に乗    せられる十河。携帯電話する真由。 ○救急病院・ICU前廊下    心配顔で立つ真由。やって来る晃と楓。 晃「どうなんだ親父は?」 真由「今手術中よ。心臓発作なの」 晃「心臓の持病は聞いてない」 真由「意識がいつ戻るか」 楓「(呟く)絹さんに連絡・・・」 晃「キヌさん?」 楓「いや何も。皆、今晩は病院で泊まろう」 ○大学・校庭    連れだって歩く佐竹と楓。 佐竹「楓、留学するってホントか?」 楓「誰から聞いた?」 佐竹「親父から」 楓「何でお父さんが?」 佐竹「アレッ、楓が力添え頼んだんだろ?」 楓「アタシは知らない。誰が?」 佐竹「楓とこの会社から・・」 楓「そう。もういい」    楓、手を振り佐竹から離れ去る。 佐竹「俺、楓が・・・」 楓「それ以上今は聞きたくない」 ○入院病棟・病室    ベッドの傍で十河の手を握る晃と楓。    晃と楓を見詰める十河。 十河「晃、お前は料理の職人だ。経営の才能  はない。ワシは楓に会社の株を譲りたい」 楓「気弱な事を。アタシ会社なんか・・・」 晃「私に異存ないが、真由が落胆する」 十河「晃に過ぎた嫁。真由が進める利益中心  の経営もよく判るが、味に無縁な育ちだ」    苦しそうに一息継ぐ十河。 十河「最終的には味が客を呼ぶ。おジイは5  代目を楓の舌に継がせ、と云い残した」    目を細め、楓を見る晃。 晃「じいさんは楓を一流料理屋に連れ回った。  あれは可愛がるだけなく味覚も鍛えたのか」    楓、落ちる涙を隠し天井を見上げる。 ○(回想)ホテル・レストラン(夜)    十河清蔵(69)の横に座る楓(7)。 清蔵「何、このビーフシチューが旨くない。  これは日本一のシェフが作った料理だぞ」 楓「ジイはどう思う? 肉と具材の柔らかさ  がチョット違う」    清蔵、何度も頷き楓の頭を撫でる。 ○(回想)十河家・書斎(夕)    学校から帰って来る楓(13)。    楓、書斎の引き戸を開ける。    倒れた清蔵を見る楓、清蔵を揺する。 楓「ジイちゃん、ジイちゃん」    楓、清蔵を抱き締め泣く。            (回想終り) ○大学・階段教室    騒々しい教室。経営学の講義を並んで    聞く美沙と楓、うんざりして、 美沙「楓は佐竹君が好きか?」 楓「なんや藪から棒に」 美沙「ウチ佐竹君すきやねん。紹介して」 楓「雄一はアタシに熱上げぱなしやで」 美沙「そやから頼んどるんよ」 楓「美沙と張り合う気ないからエエけど」 美沙「やっぱり楓や、頼み甲斐あるわ」 楓「しょうない子や。体で迫ったらアカンよ」    笑う楓、笑って両手を合す美沙を見る。 ○入院病棟・病室    ベッドの十河、傍で椅子に座る楓。 楓「急に呼び出して何? 絹さんの事?」    狼狽する十河。 十河「いつ知った?」 楓「中1頃かな。何度かパパ達を見かけた」 十河「それで中学から荒れ出したのか?」 楓「それだけやないけど・・・」 十河「けど?・・真由にコンプレックスか?」 楓「大学院出の秀才やから、ない云うたらウ  ソになる・・・もうエェ、昔のことは」    十河から視線を逸らせる楓。    十河、楓の手を握り、 十河「楓は情熱で人を引っ張る。友達からも  慕われる、職人相手では大切な事だぞ」    楓、視線を戻し、十河を見詰め、 楓「またその話か。ユーガに暮らしたい」 十河「アカン、娘の資質を見込んでおる」 楓「(笑顔で)絹さんに連絡するか?」 十河「楓には悪かったが、ママの死後だぞ」 楓「アタシも素知らん顔した、5分5分や」    十河、楓の手を両手で挟み、 十河「なぁ楓、留学はやめ、ワシの目が黒い  うちに会社の仕事をしてくれ」 楓「それ云うために呼んだん、アタシ帰る」 ○十河家・書斎(夜)    窓外は雪がチラつき、庭の木が揺れる。    窓と出入口の他は壁に料理本、全集本、    祖父の資料がギッシリと並ぶ。    黒檀の重厚な机の前、3角形配置の椅    子にラフな姿勢で座る晃と真由、楓。 晃「じいさんは何時も此処で考え事してた」    壁の一角、歴代当主の額を眺める楓。 真由「楓さん、無配になるから留学は無理ね。  お父様は首に綱つけて会社の仕事させろと」 楓「そんな・・・無配なんてアタシ困る」 真由「状況は厳しいの。全部の店は赤字だし、  北野の自社ビルは銀行の抵当に入っている。  このままではいずれこの自宅も・・・」 晃「エェそんな状態か?」 真由「貴方少し黙って。会社をお継ぎなる?  中途半端な気持では乗り切れないわよ」 楓「アタシでは無理よって云いたいわけ」 真由「会社の存亡がかかっているの。皮肉を  云わず、女同士ホンネで話合いましょ」    真由、楓を見据える。立ち上がる楓、    本棚から本を取り、真由を見下ろし、 楓「もしもよ、アタシが継いだら思い通りに  するけどいい?」 真由「それって私にタッチするなってこと?」 楓「それもありかな」    真由、キッと楓を睨む。 晃「東京と関西に分けて担当する手もある」 楓「会社を分ける様な事はできない」 真由「じゃ私、楓さんに代ってユーガに生活  するわ」 晃「おい楓、本気か? 云い過ぎだろ」 楓「と云って見たかっただけ、チャンチャン」    視線を本棚に移し、無邪気に話す楓。    眉間に皺を寄せ、目を吊り上げる真由。 真由「子供ねぇ。真面目に話しているのに」    楓、元の椅子に座り、真由を睨み、 楓「真由さんこそホンネを云ったら? 真由  さんは佐竹に何を云ったの。アタシを追い  出したい魂胆見え見えよ」 真由「それは楓さんの希望を・・・」 楓「アタシ、ジイちゃんの本を読んで考える」    楓、本数冊を取り上げ立ち去る。 晃「う〜ん、楓とは話がいつも噛み合わん。  楓の行動は私らに理解できん」 ○入院病棟・病室(夕)    やって来る楓。ベッドに半身を起し、    夕刊を読む十河、楓に視線を移し、 十河「5代目になる決心ついたか?」 楓「条件がある」 十河「云ってみろ」 楓「アタシ、人に指図されるの好かん。好き  にするけどいい? 倒産あるかもよ」 十河「正式な5代目に就任したら好きにしろ。  それまでは真由の了解を得ろ。よいか?」 楓「真由さんが後見役ってわけね」    不満顔の楓。 ○十河家・書斎(夕)    本から目を離し携帯電話する楓。 楓「美沙、頼みがある。結婚式場の事を聞き  たい。お父さんを紹介して欲しい」 美沙の声「ウチはホテルと式場を経営してる  けど、急にまた何で?」 楓「20歳の大人には責任がついて来るのよ」 美沙の声「アッお父(とう)、忙しい? アタ  イの親友や、一寸だけ」 東の声「東だす。何でっしゃろ?」 楓「神戸北野にビルがあります。結婚式場を  開く意思ありませんか?」 東の声「競争の激しいとこでんなぁ」 楓「どこでも特徴ないと駄目でしょう」 東の声「で条件は?」 楓「共同の子会社では? ウチはビルの現物  出資、お宅はその改装と運営でどうです?」 東の声「場所見せて貰いマ。大阪の商売人やさ  かい条件はキツイでっせ。よろしおまっか」 楓「エエ、いつでも受けて立ちます」 東の声「気にいった。よっしゃ」    東の電話が切れる。拳を突き上げ、 楓「ヤッター。食いついた」 ○同・書斎(朝)    黒檀の机でワープロする楓。    サンドイッチとコーヒーを運んで来る    家政婦、机上に積む本の横に置く。 家政婦「毎日よく頑張るわね。お疲れさん」 楓「兄貴と真由さんをここへ呼んでくれる?」 家政婦「はい、お嬢様」    立ち去る家政婦。サンドイッチを掴み    ながら資料をプリントアウトする楓。    入って来る晃と真由。    楓、晃と真由に資料を手渡し、 楓「お兄様、アタシの方針を仕上げたわ」 晃「お兄様だと? 歯が浮く。兄貴でよい」 楓「真由さんも出勤前に読んで意見頂戴」 美沙「楓さんは思い通りするんでしょ。私は  ユーガにさせて貰うわ」    真由、資料を机に置く。    晃、資料を読む。 晃「真由も一応目を通せ」 真由「嫌よ。お手並み拝見だわ」    真由、楓と晃を無視して立ち去る。 晃「大騒動だぞ、3代目の味で各店を統一?  各シェフが自慢の腕を揮えない」 楓「ジイちゃんの料理は日本人好みの味だわ」 晃「そう云ってシェフを納得させられるか?」 楓「この書斎は料理や経営の事が揃う宝の山  だわ。アタシ、3代目の宝を知らなかった」    楓、机上に積み上げた本をパンと叩く。    晃、楓の資料を見ながら、 晃「本店への転属はよいが、1ヶ月で3代目  の味を復活させろだ!! 味は誰が判る」 楓「アタシが食べると判る。兄貴も必ず判る」 晃「各シェフを本店へ出向させる。私にその  訓練マニュアルを作れ? 苦手だ、できん」 楓「アタシも手伝うから」 晃「かなわんなぁ」    晃の肩をドンと叩く楓。苦笑する晃。 ○神戸本店レストラン・厨房(夜)    白い帽子・トックブランシェを被る晃、    舌平目のムニエルを盛り付け、ナイフ    で一口大に切る。一口食べる晃と楓。 楓「まだアカン」 晃「楓は3代目の味をホントに憶えているの  か? う〜んチョイ違うか」 楓「もう2月も下旬。どの料理も今イチだわ。  ジイちゃんの資料をもう一度読み直そうよ」    ため息をつく楓。 晃「心配するな楓。私も料理人の意地がある」 ○アムール・5階廊下    東英治(50)を案内して歩く楓。    会議室のドアを開く楓、覗き込む東。 東「5階が式場、4階が衣装室・控室、1階  が庭も利用して披露宴会場、これが改装費  安上がりでんな」 楓「ここなら御社は大阪と有馬のホテルに挙  式の宿泊客を送迎できますわね」    窓を開き景観を眺める東。 東「問題は採算性、前向きに検討しまひょ」 楓「食材の共同仕入も検討できませんか?」 東「そうでんな。取敢えず今日はこれで」    エレベーターに乗る東、見送る楓。    社長室のドアが開き、首を出す真由。 真由「楓さんチョット」 ○同・社長室    ソファーに座る楓、椅子に座る真由。 真由「貴女はまだ正式の5代目でないわ」 楓「それが?」    脚を組む真由、胸を張り、 真由「私は結婚式場なんて反対、貸事務所に  する方がまだ確実に収益がでるわ」    楓、ソファーに反り返り、 楓「冗談じゃない。ウチは不動産屋でない」 真由「仕事に感情的な物言いはよしなさい」 楓「そんなの云われなくても」    楓、憤然と立ち去る。 ○同・企画室    執務机上の4通の手紙を開封する真由。    "辞表願"に驚く真由、携帯電話する。 真由「楓さん、直ぐ2階の応接室へ来なさい」 ○同・応接室    入って来る楓、楓を見る真由。 真由「シェフ3人と支配人の辞表願が来たわ。  私に知らせず何をシェフに送ったの!?」 楓「別に、アタシの方針だわ」    事務机を挟み対座する真由と楓。 真由「これがどう云う事か判ってるの!?」 楓「アタシの始末はアタシがつけます」 真由「そう、お好きにどうぞ。社長に申し訳  ないが後見役も降りるし、取締役も辞める」    悔しそうな真由、楓に辞表願を手渡す。    辞表を握り締める楓、悠然と立ち去る。 ○同・屋上(夕)    西に傾く太陽。通りの洋館を眺める楓。    楓、涙を拭い"辞表願"に目を向ける。 楓「3代目の味はまだやし、八方塞がりだわ」    元気を失う楓、電話する。 楓「雄一、美沙とデートしてくれない?」 佐竹の声「美沙とデート? 何んでや?」 楓「アタシの頼み」 佐竹の声「しょうねぇなぁ。楓の頼みでは」    電話を切る楓、美沙に電話する。 美沙の声「来学年から休学? どうしたん?」 楓「色々あってね。美沙、遅くなって御免。  雄一にデート申し込みなさい」 美沙の声「あぁあの件、ありがとう楓」    電話を切る楓、元気を取り戻し、 楓「今更真由さんに頭を下げたくないし・・」 ○神戸本店レストラン・厨房(夜)    壁のカレンダーは4月。梅田のシェフ    と晃、魚料理を盛り付けて並べる。    白衣の楓、料理を手伝っている。 シェフ「先だって食材の質を落したと 小(こ)  酷(ぴど)くやられた。今日は明石の1級品を  揃えた」    楓、鯛のカルッパチョを食べる。 楓「・・・うん、これよ、これ」    楓、メバルのブイヤベースを掬い飲む。 楓「アッこれ。これが3代目の味だわ」 晃「メイン食材の味を単純に引き出す。ゴタ  ゴタ食材を混ぜ過ぎない。3代目の真髄だ」 シェフ「仕入を工夫すれば安くできる」 楓「ありがとう」    楓、シェフに両手を重ね握手する。 ○赤坂店レストラン・店内(夜)    閉店後の店内、4人掛テーブルを囲み    支配人とシェフ、楓が座る。 シェフ「東京3店は競争して切磋琢磨した」 楓「今後、各店は競争せず協力するの」 シェフ「どう協力するのです?」 楓「各店が食材の仕入に築地へ行くのを止め、  例えば魚は漁船から各店共同で仕入れる」 シェフ「各シェフが食料の目利きできないし、  味も統一すると店の特徴がなくなる」 楓「アムールの味を広めたいし、値段も下げ  広く一般に受け入れられる店にしたいの」    シェフ、テーブルを両手で叩き、 シェフ「大衆店にするんですかい。だから俺  は辞表を送った」 楓「料理を大勢に喜んで食べて頂く。これが  料理人冥利じゃないの」 支配人「お嬢さんの云う通りです」 楓「不満はあると思うけど、他の店を回る間  にもう一度よく考えて、お願い」 支配人「私はお嬢さんの考え方に賛成です」 シェフ「クソー、ゴマすりやがってー」    楓、シェフを見詰めニッコリ笑う。 シェフ「こりゃ感情的でしたなぁ」    シェフ、頭を掻き支配人と楓を見る。 シェフ「でも私の辞意は変りませんぜ」 ○小坪漁港 (朝)    小坪鮮魚店の看板。漁船の行き交う港。    アジ、メバル、カサゴのトロ箱を眺め、    漁師と交渉する楓。 ○八重洲店レストラン・店内(夜)    満席ではないがテーブルはフルに使用    状態の客入り。客の横に立つ支配人。 客「レアで注文したがこれはミディアムだ」 支配人「メニューの写真通りレアですお客様」 客「老眼だから写真は見えん。シェフを呼べ」 ○同・厨房(夜)    具材を揃え、ソースを調合する楓。    調理に忙しい料理人達とシェフ。 シェフ「お嬢、アッシらがやります。どいて  おくんねぇ」    支配人、ステーキ皿を持ちやって来る。 支配人「レアじゃねぇとサ。お呼びだシェフ」 シェフ「チェ、またあの客かい。ヨシ生肉を  持って行ってやらぁー」 楓「シェフ、アタシに任せって」 シェフ「お嬢、毎度イチャモンつける客だぜ」 楓「毎度の客なら上得意じゃん。任せな」    楓、料理をトレイに並べる。 ○同・元の店内    シェフと支配人、柱の影から楓を覗く。    食卓にアジのカルパッチョを置く楓。 客「何だこりゃ!? オメェさんシェフかい?」 楓「正真正銘のレアですお客様」 客「この店はステーキがアジに化けるのか!?」 楓「お口に合わないなら今日は全部タダです」    驚き顔を見合す支配人とシェフ。 客「クレームでタダ食いする、見下げるな!!」    一斉に眺める他の客達。一口食べる客。 客「んッ!?」    ガツガツと全部を平らげる客。 客「オメェさんどこで修業した?」 楓「祖父3代目の創作、アジの味ですお客様」 客「その言やよし。気に入った」    拍手する客。周りの客達も拍手する。 ○同・元の厨房    アジのカルパッチョを盛る料理人達。    そのソースの調合に忙しい楓。    やって来る真由、会釈するシェフ。 シェフ「オォ支配人、お嬢が作ったメバル、  カサゴのブイヨンはタダ。早く持ってけ!!」    真由、不満顔してシェフに、 真由「どう云うこと? タダってのは」 シェフ「お嬢が作った料理が意外に好評でね」 楓「室長、今日は特別サービスデーなの」    楓、笑いながらシェフに、 楓「3代目の味を意外に、はないでしょう。  季節料理はシェフに任せるから、定番料理  は3代目の味で了解してくれない?」 シェフ「判りヤした」 真由「じゃ辞表は撤回してくれるの?」 シェフ「シェフ達で相談しヤス」 ○十河家・食堂(夜)    食卓を挟み晃と真由に向い合い座る楓。 晃「5代目就任の前祝だ」 楓「待って。シェフに任せる料理数を減らし、  5代目の味をブランド化したい」 晃「またひと悶着が起る。折角収まったのに」 楓「シェフ達を兄貴が主導し料理を決め・・」 晃「そんなん苦手だ」 楓「いつまで苦手、苦手って逃げるの!!」    顔をしかめる真由、怒りを堪え、 真由「私に代って貴方は頑張りなさい!!」 楓「真由さん、就任までにこれ読んで下さい」    楓、A4封筒を真由に手渡す。 ○アムール・会議室    5代目・経営方針発表会の垂れ幕。    演壇に立つ楓、見詰める各店のシェフ    と支配人達、最後列の真由。 楓「定番料理は3代目の味に統一しますが、  季節料理はシェフに任せます。と共に店の  責任者はシェフにします」    ざわめく支配人達。手を上げ制する楓。 楓「支配人は営業部長の肩書に変えます。顧  客開拓を行い、詳細は営業統括に委ねます」    手を上げる支配人1、指名する楓。  支配人1「誰が営業統括ですか?」 楓「元企画室長です」    口を開け驚く真由、席を立ち上がり、 真由「私、一切そんな話はお聞きしてません」 楓「(ドスのある声)お嫌ですか?」    出席者達、振り向き真由を見詰める。 真由「は、はい、お受けします」    真由、楓に頭を下げる。 楓「本店に結婚式場を設けます。東ホテル側  と漁船、農家から食材の共同仕入を皆さん  と協議しながら進めます」    拍手する出席者達。 楓「これで発表を終ります。質問は2階で」    部屋を出て行く出席者達。    部屋に残る真由と楓。 楓「オネエ様、済みません、お芝居させて。  でもオネエ様の『は、はい』役者だったわ」 真由「オネエ様はよしなさい。白々しい」    楓、真由に深々と頭を下げる。 真由「あの封筒ね、式場の採算性は納得した  わ。でも頭下げる芝居はカッチーンときた」 楓「でしょうね。でも本音は互いに必要だわ」 真由「私がなぜOKすると思った?」 楓「日干しにするとオネエ様は荒れるでしょ」 真由「そう図星よ。楓さんより激しいかも」    腹を抱えて笑う真由と楓。 ○同・会議室前廊下    楓、携帯電話が着信する。 佐竹の声「美沙とデートしたけど、そのあと  美沙がつき纏う。何とかしてくれ楓」 楓「美沙はいい子よ。暫く付き合いなさい」 佐竹の声「俺は楓が好きや」 楓「それしか言葉はないの。100回聞いたわよ」 佐竹の声「・・・」    電話を切る楓、微笑み颯爽と歩く。                  【終り】          戻る