<宵桜>
櫻の樹の下には死体が埋まっているという。梶井基次郎の作品ではないが、なかなか怖い話だと私は思う。
私の目の前には大量の桜が咲き乱れている。暖かな春を迎えて桜が満開になった山は、夜にも拘らず多くの人が賑わい、桜が咲いた通りを中心として小さな祭りを催していた。
流れる人の脇に立つ昔ながらの屋台は、芳ばしいやら甘いやらの匂いを何処其処構わず垂れ流す。花の香りに誘われた虫のように人々は屋台の前に留まり、清流を遮る岩のように、人の流れに妨げを作り出している。
山には賑わいがあり、幸せがあった。二人で寄り添いながら歩くカップル、広場でシートを広げて宴会を開いている社会人、幼い子供に屋台へと引っ張られている夫婦。桜咲くこの山に訪れる人間の中で、顔を俯かせて暗く落ち込んでいる者は一人もいない。祭りの場に負を抱えている人間など存在してはいけないのだ。
桜色の天井の下にいるのは、あくまでも幸せに身を浸している人間だけだ。桜もそんな人々のために、短い時間ではあるが、心を惹いてやまない美しさを人々に晒してくれているのだ。
だが、もしこの何百と聳え立つ桜の木の下に一つずつ死体が埋まっていたとしたら、この祭りは一転、この世のものとは思えない、おぞましい場になるのではないだろうか。
賑やかな生が緑の上で繰り広げられている間に、その下では全く多くの死が冷たい暗闇の中に閉じ込められているのだ。
たった一枚の壁を越えただけでこの格差。人は、屍の上で死を生に換えて咲く花を美しい、美しいと叫んでいるのだ。その余りにも歪な光景を、おぞましいと言わずに何と称するのだろうか。
桜は人を魅了する。その魅力は散るまでの短い時の流れでもなく、他と比べて格段美しい花を咲かすことでもない。桜の魅力とは、死という負の事情を生の事情へと転換する、その禍々しさにあるのだ。
とはいえ、やはり私の前に広がる桜の下には、死体など埋まっていないのだろう。この桜達は人工的に植えられたものだ。自然な桜などではない。人が計画的にして打算的に、人を集めるためにこの山に規則正しく桜を植えていったのだ。
なので、この桜に付き纏う人々の喜びも賑わいも、全てが真実だ。人々は『桜』という、一年の春の短い季節に花を咲かせる木々に見惚れているのだ。この賑わいの中でこのような邪な想いを寄せる私こそ、この場所には相応しくないのだろう。
私は人の賑わう通りを避けて、桜の咲いていない暗い森の中へと入っていった。
◇
山の奥深く、日付が変わろうかとしている時分の暗闇の森には、私を除いて誰一人としての姿もない。月が僅かに覗くだけの薄暗い場所だが、その中に一つだけ、夜闇を跳ね除けるほどの美しさを持つ樹が聳え立っていた。櫻だ。この櫻は自然樹なのか、一本だけ不自然に人気のない山奥に咲いていた。
先程の場所にあった桜とは違い、ここに咲く櫻は紅い色をしていた。血を思わせるような赤い花はか細い月光に照らされ、神秘的な妖艶さを醸し出している。
この色に惑わされない人間など、いない。
この場所は私しか知らない。私は毎年一人だけで、この格別美しい櫻を愛でているのだ。この櫻は誰にも侵されない、私だけの櫻なのだ。
誰も知らないのも無理はない。この櫻は私が見つけたものではない。正確には、私が咲かせた櫻なのだ。故意的にではなかった。毎年訪れているこの場所に、勝手に櫻が花を咲かせたのだ。この山には桜の樹がないにも関わらず。
この先に私以外の人間がこの場所を訪れることはないだろう。私もこの花に魅了されている限り、この場所を訪れないことはない。私がこの場所に来なくなる時は、私が死んだ時だけだ。
その時には是非、私もこの中に加えて欲しいものだ。
人々が愉しむ桜の下には、確かに死体など埋まってはいない。
しかし、所以もなく生まれた本物の櫻の下には死体が埋まっているのだ。
それは真実だ。確信を持って言える。
何故なら、
私こそが、その生き証人なのだから。
END