<イマどきの携帯小説>

 

 

 

 

 

「うが〜〜〜」

 工場内の乾いた空気が震えていた。屋根を支えている骨組みは僅かに振動し、床に積まれている鉄骨は擦れる様な音を立てる。それと共に、あずさの小さな頭がビリビリと震えていた。

 あずさは今、ソファの手前の床に正座させられていた。目の前には角が生えんばかりの怒りっぷりを見せている笛子が。両側には同じように正座をさせられている忍と葉子がいた。

「あの……笛子? なんで僕まで……」

 忍は恐る恐る挙手をした。

「私まで」

 葉子も忍に倣う。

「あんたたちは監督不行き届きよ。子供が触れてはいけないものはちゃんと教えて然るべきでしょ。……まあ、葉子にそんなものは期待してないけど」

「ひどい……」

 笛子は、片手に持った書物――先程まであずさ達が読んでいた雑誌に埋もれていた一冊だった――をブラブラと振って、あずさの眼前に差し出した。

「あずさ、これは一体何?」

 咎める眼光に気圧されて、あずさは戸惑い気味だ。

「えと……その……本です」

「そんなの分かってるわよ!」

 うがー、と笛子が吼える。

「ひーーん!」

 先程からあずさの目は笛子が吼える度に『×』なってしまっている。

「何の本かって訊いてるの」

「あの……小説です」

 要領の得ない答えに笛子は眼光を鋭くする。

「何の小説?」

「……ケータイ、小説です。はい」

「あずさ、あんたは何で今正座させられてるか分かる?」

「ううん、わかんない。さっぱり」

 あずさは笑って誤魔化そうとしたが、笛子の眼力の前では無駄な話だった。

「本には読んでいい本と悪い本があるの。あずさがさっきまで読んでいた本は『悪い本』。いうなれば『毒書』ね。こんなの読んでたらおバカになっちゃうでしょ」

「え、でもあたし――」

 反論しようとするあずさを前に、笛子は大きく息を吸った。

 そして、

「いい? こういう本はね、愚かな親の下でズブズブに甘やかされて育った、世の中の全てを勘違いして舐めきっているおバカな子供が読むものなの。あずさが読んでいいものではないわ。中には活字離れが著しい昨今、どんなものであれ活字に触れることは良いことだと言う人もいる。でもね、この世には触れないほうが明らかにマシなモノが存在するの。それがこの類。この薄っぺらで稚拙な横書きの文章の中にどれだけの知識や教訓が詰まっていると思う? せいぜい『愛や友情は素晴らしい』ぐらいの陳腐なものよ。それに引き換え悪影響のなんと多いこと――」

 一気に言葉に変えて繰り出した。途中からは説教というより携帯小説に対しての批判に摩り替わっている。

 そんな言葉の雨を真っ向から受けているあずさは、両側の二人に横目で忍に助けを求めた。

 忍は無言で首を振った。勿論横に。

 一方、葉子は小さく頷いた。自分に任せてくれと言わんばかりの凛々しさを以って。

 なのであずさは葉子に任せることにした。

「笛子さん、少し良いですか」

「黙れ」

 三文字であしらわれた。

 役得というやつだった。

 笛子の様子に若干の憂いを感じた忍はようやく、重い腰を上げることにした。

「あの……笛子? ちょっといいかな?」

 再び挙手した忍に、笛子は無言で許可を下ろした。

「言いたい事は何となく分かるけどさ……結局、そういうのは読み手の問題なんじゃないかな。世の中には良い情報もあれば悪い情報もある。何でもかんでも周りが判断していたら、情報を選別する能力が育たないと思うんだけど」

「この手の小説の本当に恐ろしい所は、害悪を害悪として載せない所よ。全ては廃れた人間の価値観によって感情的且つ狭い視野で話が作られ、最後には死別やら何やらの安っぽい『感動』で締めくくられて読んだ子供はそこ(・・)にしか焦点を置けなくなるの。そして歪んだ価値観に洗脳されていくのよ。薄っぺらい真似事の恋愛至上主義にね」

「誰もがそうなるとは限らない。あずさは本を読んだぐらいで影響されたりなんかしないと思うよ。それに、人間無菌室で育てるわけにもいかないしさ。多少の汚れは必要だよ」

「人間、毒気に晒されるだけでも悪い影響は出てくるものよ。それにこの汚れは許せる範囲の汚れじゃない。汚れじゃなく穢れよ」

「うーん……でも、本人を信じてあげることも必要じゃないかな。あずさなら大丈夫だって」

「信じるっていうのはね、『じゃあ信じました』で後は手放しにすることじゃないと思うの。それはただ子供が失敗した時のこちらの体裁を作っているだけ。信じているからこそ、道を踏み外さないように最低限の干渉はするべきよ」

 普段、あずさに対しては近い価値観を持つ二人だが、今回に関しては口論に発展してしまっていた。

「教育ママと溺愛パパのケンカが始まってしまいました」

 葉子は無表情のまま、嬉しそうに呟いた。

「そんなこと言ってないでなんとかしてよ〜」

「ムダですよ。一度火がついたお二人をとめる事はできません。それが私たちのリアル()

()ってなに!?」

 普段は場を治める側に回る忍と笛子の争い。普段起きることが少ない、珍しい捩れにあずさは対処のしようがなく、葉子は面白がって止める気がない。

よって事態の収拾は不可能に近い――誰もがそう思った。その時だった。

 慎ましく騒がしい工場に、新たな音が割って入った。入り口の扉が動く音。それに気付いたのは口論を交わしていない二人だ。

 夕日に照らされた人影が工場内まで伸びていた。切り取られた朱色を縦に分かつ黒。その大きさは、あずさの期待に比例している。

 扉を開けたまま立ち止まり、中の様子を窺っていた人物が一歩前に出た。音を立てず、後ろ手に扉を閉めると、薄暗い工場内の空気が徐々に人の形をした黒影(こくえい)を洗い去っていった。

「…………」

 ――斎だった。

 斎は口論している二人とそれを眺めている二人を見比べた。今ここで起きている現状を再確認するように。

「…………」

 そして徐に、観戦側の二人に加わった。

「使えない兄です」

 やはり葉子は無表情のまま、嬉しそうに言った。

 

 

「…………」

「…………」

 珍しい組み合わせだった。

 章二と沙也加。

 並んで歩く二人の間に交わされる言葉はない。

 元来、沙也加は寡黙な性質だが章二はそうではない。だが無言の行進が彼らの仲を表しているのかというと、それも的が外れている。

 沙也加は語りかけられないから語らず。

 章二は語ることがないから語らない。

 それだけであった。

 二人が出会ったのはほんの少し前。廃工場が在る敷地内に差し掛かる地点だった。

そこで一言挨拶を交わしてから、そのまま。

 黙々と、工場に向けて歩き続けていた。

 

 工場に着くと、章二は沙也加の前に歩み出ると扉を開けた。

 薄暗い内部が夕陽にほんのり照らされる。

「あーだ」

「こーだ」

 言い争う二つの影があった。

 

「……珍しい組み合わせじゃねえか」

「何を言い争っているの? 二人とも」

 今度は沙也加が前に出る。二人の存在に気づいた二人は、口論を止めて振り向いた。

「あ、沙也加。えーと、何と説明すればいいのか……」

「いいわ。この際、二人の意見も訊きましょ」

「で、そこの外野は何をしてるんだ?」

 章二はあずさと塚本兄弟を見た。

「……あたしじゃ、止められなかったんだよー」

 あずさは涙した。

「右に同じく」

 葉子は相変らず無表情だった。

「…………」

 そして斎は眠っていた。

 

 

「――成る程。それで二人は言い争っていたという訳ね」

 これまでの経緯(いきさつ)を聴いた沙也加は、呆れたような、困ったような溜め息を()いた。

「いいじゃねえか。今時、小学生でもエロ本ぐらい読んでるぞ。ちょっとボカした表現が入ってるくらいでなんだ」

 一方、笑いながら章二。

「じゃあ貴方の言う『エロ本』は小学生が本屋で堂々と買える物なの? ただでさえ影響されやすい年頃なのに、こんなモノが美化されて子供に広まったら問題だわ」

 そんな章二に笛子は喰って掛かるが、章二は相手にはしなかった。

「とにかく、俺様はシノの意見に賛成だ。エロ本だろうがなんだろうが、読みたきゃ読めばいい。その結果どうなろうがそいつの勝手だ。読んだ責任を自分で取れればな」

「いや、僕はそんな意見は言ってないけど……」

「高校生にならそれも通用するだろうけど、それ未満の子供にそんなこと言うのは酷よ。そもそも、私達と同じ年代がこんな本読んで感動するってのがよっぽど問題なのかもしれないけど……」

 笛子は呆れ顔でため息を吐いた。

「日本の将来が危ぶまれるね」

 爽やかな笑顔で忍は言った。

「頼むから嬉しそうに言わないで……忍が言うと何か怖いから」

「成る程……」

 葉子は先程から読んでいた件の小説をソファに置いた。

「もう読み終わったの?」

「はい。予想以上に早く」

「で、感想は?」

「1ページ目の自己紹介に感動しました。私もあんなことが言えるようになりたいです」

「……どんな自己紹介だったの?」

 嫌な予感がするも忍は訊いてみる。

 葉子は『シャギャーン』という効果音と共に謎のポーズを決めた。

『私の名前は塚本葉子。私は偶然この世に生まれて偶然この高校にやってきました。高校のレベルはまあまあ。外見ははっきり言うのはなんですが、悪くはないと思います。体はふんわり柔らかボデー。胸も8×センチと大きい。まぁ告白はあんまりされませんけど。そんな私には彼氏はいません。何故なら好きな人がいるからです。それはあて――』

「はーいストップ。参考にならないってよく分かったわアリガトウ」

 笛子は葉子の喉を突いた。

「ぐげご」

潰れた蛙のような声だった。

「感想と言えば……そう、あずさはどう思ったの?」

 今の今まで小説を読んだ――議論の根源になっている少女の意見を訊いていない事に忍は気付いた。

「え? あたし?」

 あずさは自分を指差す。うんうんと忍は頷いた。

「そうそう。何でもいいからさ」

「そうね。その本を読んであずさは何を感じて何を得たのか、興味深いわ」

 笛子の言葉には『下手なことを言ったら眼鏡光で焼き殺すぞ』という意訳が込められていた。

「感想……えーと、あはは……」

 急の展開に、あずさは困惑を笑いで表した。

「? どうしたの? まさか、何も感じなかったとか?」

「いや、違くて。そうじゃなくって……えーと……」

 どうにも歯切れが悪かった。

 その様子が理解できない一同は、不思議な顔であずさを見つめることしかできない。

 促すこともなく諦めることもなく。

 なので、あずさは発言するしかなかった。

「あの……その、実は……まだ、読んでないの。その本。なんか文字だけの本って難しくて読んでるとすぐ眠たくなっちゃって……だから、感想とか言われてもよく分かんないや」

 えへへ、と可愛らしく笑ってみせるが、一同の反応はない。

「あ、あれ……? どうしたの、みんな?」

「……いや、なんでもないよ」

「私、疲れたから少し寝ることにする……」

「え? あれー? 忍くん? 笛子ちゃん?」

「……なるほど。今回の教訓は『日本語力は大切に』ということなんですね」

 上手い事を言った葉子だったが、反応できる気力を持つ者は誰もいなかった。

 

 

 

 

 

END

 

 

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