<イマどきのティーン雑誌>

 

 

 

 

 

「――ふふふんふんふんふーーん♪」

 一粒の少女がソファの上で寛いでいた。

「ふふふーんふーんふーんふーーん♪」

 拙い鼻歌を歌い、うつ伏せに寝転びながら雑誌を読みふける少女あずさ。靴を脱いだ足は意味もなく宙を彷徨い、両手は雑誌のページを捲ったり、備蓄のお茶請け用クッキーを摘み上げたりして忙しい限りだ。

 それは、ある年頃の少女にはよく見られる光景である。一言で表すならば怠惰であろうか。

 今、この廃工場の中には彼女以外の人物はいない。彼女が愛する者も、敬愛する者も、敵対する者も、警戒する者も、畏怖する者も……割と無干渉気味な者も。

 なので、あずさのこのだらけ様は必然だった。家では決して過ごせない時間を彼女は優雅に愉しんでいた。

 クッキーの粉が付いた手で雑誌のページを捲る。今読んでいるのは女子中学生向けのファッション雑誌だ。ページの上にはカジュアルな衣服を身に纏った大小の少女達が散りばめられ、多種多様な文字は混沌と並び、飽和した色の世界を無垢な読み手に押し付ける。

 そんな本を読んで少女達は思うのである。

『こんな風に可愛くなりたい』

『こんな可愛い服を着たい』

 又は、

「こんな高いの買えるわけないよ〜」

 等と。

 Tシャツ一枚にしたって樋口さんとお別れしなければならない値段である。子供のあずさが易々と手に入れられる代物ではない。世の中には親にねだるだけでこれらを手に入れる子供も少なからず存在するが、あずさは生憎そのような境遇に生まれてはいなかった。

「まー、こんなの着たって似合わないしねー」

 自嘲気味な台詞だが、悲愴な色は込められていない。手に入らないのは最初から解っている。葡萄が酸っぱいとは言わないが、葡萄が食べたいと言った覚えもあずさにはない。

「ねえちゃんええケツしてまんな〜」

 突如、いたいけな少女の脚の付け根を揉みしだく両の手。

「あひゃんっ!」

 けったいな声を出してあずさは飛び上がった。

「よ、葉子ちゃん!?」

 ソファの背もたれの向こうから、葉子が滑り落ちるようにして現れた。

「感じやすいお年頃」

 葉子はあずさの腰に胸を乗せるようにしてもたれかかった。

「何を読んでいるんですか。エッチな本ですか」

 葉子はあずさの両手の間を覗き込んだ。

「そんなの読まない! ふつーの雑誌!」

「ほ〜……これはこれは……」

 意味深な呟きをする葉子。

「な、なに……?」

「淑女な私には縁遠い本です」

 そんなことを真顔で言ってのけるのが葉子の恐ろしさである。

「でも興味があるので少し読ませてください」

 葉子はあずさの返事を待たず、あずさの側に置かれている雑誌を一冊手に取り、読み始めた。

「別にいいけど……ちゃんと座って読まない?」

 体重はソファの背にかかっているのであずさは重さを感じないのだが、背中の上で読書をされるというのはどうにも落ち着かない。あずさも寝転んでいるので行儀どうこうを人に言える立場ではないのだが。

「お気になさらず。こういうアクロバティックなのは慣れてますから」

 片手であずさの尻を擦りながら葉子は答えた。

「ひゃっ! ちょっとやめてよ葉子ちゃん!」

「まあまあいいじゃないですか。今は他に誰もいないですし」

「だから余計に嫌なんだよ〜」

「人に見られるのがお好みですか。分かりました」

「うぅ……なんか変な納得をされた……」

 葉子は意識をあずさから雑誌へと移す。絡むも止めるも全ては葉子のペースだった。

 

 

「――ふーむ、ありませんね〜」

 ふと、雑誌を読んでいた葉子が不満そうな声を漏らした。

「? 何が?」

 中学生向けの雑誌なので、葉子に似合うような――葉子が気に入るような服や小物はないのかもしれない。

「いかにもなカンジの初体験記でも載っているのかと思ったんですが……残念」

「あ、そう……」

 そんな風に思った自分が馬鹿だったと、あずさは後悔した。

「代わりといっては何ですが、生々しい思春期悩み相談が載ってますよ……あずささんは生えてますか?」

「え? 生えてるって――」

「……乳首に」

「何が生えると!?」

「キノコやお花が生えるとお思いですか?」

 『体に生える』、『思春期』という二つのキーワードを組み合わせると、出てくる答えは一つしかない。それはあずさも解ってはいたのだが、肝心の生える場所が予想外だった。

「えー、でもー、そんな……ワイルドな……」

 頬を赤らめてうろたえるあずさ。頭の中でどのような想像をしているのかは誰にも分からない。

「女だって人間です。生える時には生えるのです。それはもうワシャワシャと」

「ワシャワシャはないだろうけど……」

 年頃の少年少女の好奇心はいつだって旺盛だ。

たとえその好奇心が豆をも潰そうとも、時には動いてしまうことがある。

「……その、葉子ちゃんも、生えるの?」

 どこに何が、とは言わない。

そこは乙女の恥じらいである。

「B地区にですか?」

 真剣な顔で頷くあずさ。

「……私は生えませんね。元より毛が薄いもので」

「へー、そうなんだー」

「そんなことより、あずささんはどうなんですか?」

 人に訊けば自分に振られるのも覚悟しなければならない。

しかし、これぐらいの展開はあずさにも予想はできていた。なので対応は可能だった。この程度ならばあずさにとってもそこまで恥ずかしい話ではない。

「そんな変なところには生えてないよ〜」

 あはは、と笑って茶を濁すあずさ。

 後はまた普通の話題に戻るだけ――というあずさの思惑は、

「――いえ、生え揃いましたか? と」

 淡々とした口調で付け加えた言葉に見事に打ち砕かれた。

「え――」

あずさの空気が凍りつく。

それは年頃の少女に訊くにはあまりにも厳しい質問だった。およそ、先程までのような冗談めいた部位とは程遠い。

たった二人の空間の中、葉子相手にこのような話題を続けていたことを、あずさは心底後悔した。

「生え揃いましたか?」

 返答のない質問は同じ口調でもう一度繰り返された。

「あ、えと……その、もうこの話題はやめよっか」

 あははー、と乾いた笑いで誤魔化そうとするあずさ。

「生え揃いましたか?」

 しかし、葉子には通じる筈もなかった!

「仕方がありませんね、こうなったら直接確かめるしか……」

 葉子の瞳が怪しく光る。

 今、豆は潰されるどころか()されようとしていた。

「あ〜、誰か助けて〜!」

「――助けて〜って、何を?」

 そこでタイミングを見計らった救世(メシ)()の登場である。

「忍くぅ〜ん! 来てくれると信じてたよ〜!」

 忍の姿を見とめたあずさは、指で弾かれたダンゴ虫のような軌道で忍に縋り付いた。

「そんな、あずささん酷い……私が悪いみたいじゃないですか。ね? 忍さん」

 あずさに負けじと、ワザとらしい泣き真似をする葉子。

「う〜ん、今来たばかりだから僕にはなんとも言えないんだけど――」

 忍は直感的に面倒を感じ取り、話題を変えることにした。

「――とりあえず、二人とも何読んでるの?」

「あずささんが持ってきた雑誌を読んでいたのです」

 ほい、と葉子が読んでいた雑誌を忍に手渡した。

「……表紙からして、ごちゃごちゃしすぎて雑誌名すら判らないんだけど」

 ページを捲りながら忍が苦笑いを浮かべる。

「情報が雑多なのは立ち読みで済まされるのを防ぐためらしいですよ。この年頃の子は常に金欠なので」

「葉子ちゃん、なんでそんなこと知ってるの……縁遠いとか言ってなかったけ」

 あずさの疑問を葉子は口笛でかわした。

「それにしてもすごい。よくこんなの読めるね」

 呆れと感心が両立した声色だった。

 忍がこの雑誌から情報を収拾しようとしても、満足には行えないだろう。主に気力の面で。

「忍さんは感性が古いんですよ。もっとピチピチギャルに迎合したセンスを身につけないとモてませんよ」

「いや……君のセンスが古いよ葉子」

「日はまた昇るのです。三十年前は今のトレンドですよ」

 センスに対して話題のすり替えが行われたのだが、そこを追及してもまた適当な話で誤魔化されるのは目に見えていた。

 なので忍は深追いをしない。

 今は他に気になることがあるのだ。

「……まあいいや。ところであずさ?」

 忍は雑誌のページを捲りながら、ソファーに腰を下ろした。それに釣られるように、葉子とあずさも忍を挟むようにしてソファーに座った。

「うん? なあに?」

「こういう雑誌を読むってことは、何か欲しい物でもあるの?」

 質問をしても忍の視線は雑誌から離れることはない。新聞を読みながら会話をする父親のようだった。

「えー、なんですか。忍さん、あずささんにだけパパするんですかー?」

 口をタコにしてブーイングを飛ばす葉子。

「いや、そういうワケじゃないん……だけど……」

 そしてゴニョゴニョと言いよどむあずさ。

 確かに欲しくないと言えば嘘になるのだが、だからといって忍の手を借りるというのも抵抗がある。

 そういった微妙な心境を忍は読み取らないことがある。それが天然なのか故意なのかは誰かにしか分からない。

「遠慮しなくてもいいよ。今月は少し余裕があるし」

「いや、遠慮なんてしてないよ!? そもそもあたしに似合う服なんてないし! あたしにはジャージがお似合いだよ!」

 幾らなんでもあんまりな卑下の仕方だった。

「そんなことないと思うけど。ほら……これなんてどうかな『あめかじ』とかいうの。あずさに似合うと思うけど?」

 忍は開かれているページの一角を指差した。そこにはカジュアルな衣服に身を纏った少女が並んでいる。

「そそそ、そうかな!? あたしはよくわかんないけど!」

「ちなみに私にはこの『ぼへひめ』が似合うと思いますよ。忍さん」

 『ぼへひめ』とは、ボヘミアンと姫系スタイルを合わせた全く新しいファッションのことである。

「……葉子は何を着ても似合うと思うよ。色んな意味で」

「忍さんが望むのなら、どのような格好にでも。色んな意味で」

 何故か頬を染める葉子。

「……なんか、二人の方が楽しんでるよね。絶対」

 不貞腐れた口調であずさが言った。

「いやいや、真面目に考えてるんだけど」

「私だって大真面目です」

 何に、とは言わないのが葉子らしかった。

 

 

 結局、この先忍は色々とあずさに提案したのだが、遠慮をするあずさの態度を折ることはできず、そして新たなる波乱を前にして、洋服の話は棚上げとなるのだった。

 

 

 

 

END

 

 

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