私の考える幼少期の教育


は じ め に

 現在の日本の教育にはどこかおかしいと感じるところがある。
 私には到底理解できない動機で、親や友人を殺したりする事件が起こる。 一昔前の戦時中の子供がこんな事件を起こしただろうか。北朝鮮の子供がこんな事件を起こすだろうか。
 やはり教育の根底には親の教育が不可欠と言える。
 家庭で『しつけ』を教え、学校で『知識』を教え、社会で『知恵』を学ぶ。こんな考えは当たり前ではないのだろうか。ごく普通の教育論だと私は思うのだが、どうも最近は違う気がする。
 教師の揚げ足ばかりを取る保護者。責任を追及されないことばかり考える教師。悪い知恵ばかりが充満している社会。教師と保護者の関係なんて元々対立すること自体がおかしい。子供の教育に関しては同じ目的のはずである。
 こんな社会になったのも、元々指摘をされても仕方がない教師が存在する事も確かである。ただ一方でそれに便乗し、正しい教師も祭り上げてしまう保護者も確かにいる。そしてそれが修正できない確かな原因の一つに教育委員会などの行政の頼りなさがある。
 子供を教育する事に関わる全ての大人たちが、各自責任を持つ事がまず最初の教育なのではないだろうか。言い換えれば最初に教育を受けるべきは、私も含めた大人たちなのではないだろうか。
 私は元々母親の顔を知らない。そして父親は高校受験の直前に亡くなった。男だからそういった逆境もよかった部分もあるかもしれない。しかし私は間違いなく甘やかされて育ったと思う。自分の考えも甘いのがよくわかる。集中力も長続きしない。指導をするようになって初めてその事を認識できるようになった。 振り返ってみれば幼少期のしつけが不十分だったように思う。
 ただその私よりももっと甘ったれた、そして理解に苦しむ大人がいる事も確かである。
 今の子供たちにはやはり、私のような甘ったれた大人になってもらったら困る。そのためには教育する立場の私たち大人がもっともっと研究し、学ぶべきである。親であろうが、教師であろうが、学ぶ努力をしない者が思い込みだけで今の子供たちの教育が出来るはずもない。私はそう思うのだ。
 まだまだ不十分なことは認識しているが、これが私が研究してきた教育論のベースである。



幼少期

・この時期にしつけの基礎を身につけ、ストレスに慣れさせなければならない。
・『子供だから・・・』という理屈で甘やかせてしまうとストレスに免疫がなくなる。そして可能性を摘んでしまっている事になる。子供でも出来る!
・1歳を過ぎれば、泣いたら泣きやませるべし。
・条件反射を望まず、理屈を何度も何度もわかるまで説いてやる。電車の中で大声を出す子供にしつけの名の下にたたいてもまた同じ場面の繰り返しである。


小学生


中学生


高校生