unforgettable ?

〜力を与えたまえ








「弦一郎」



 とある日の部活前、神妙な顔つきの柳が真田に近づいてきた。
 神妙なとは言っても彼の場合、常に喜怒哀楽が読めないのだが、そこは長年の付き合い、瞑目状態でも ほんの僅かに寄った眉間の皺でそうと知れる。
「赤也の様子がおかしい。何か聞いていないか?」
「ヤツが変なのはいまに始まったことではないだろう。今更何を訝る?」
「引越しするだの、転校するだのほざいているが、それでもか?」
「ほう、大会を目前にして何処へ行く気だ。新興勢力にでも引き抜かれたか。我々立海の向こうを張って、 全国を戦い抜く気概があるなら受けてたってやろう。望むところだ」
 柳は明後日の方向を向いてあからさまに長い嘆息をついた。
「そんな建設的な理由からじゃないようだよ。興味本位で近づいて、骨抜きにされたと憶測する」
「何の話だ?」
「苦情が来た。ストーカー紛いの悪行を重ねているらしい。生活に支障が出ると」
「主語を飛ばすな。話が見えん」
「青学に。手塚の元に日参しているらしい」
 あり得る行動だ。あの二年生エースはだれにも憚らずに、他校の部長への思慕を公表していたの だから。
――だが、と真田は言い募った。
「ちょっと待て。あいつ、部活にはきちんと顔を出しているぞ。どうやって毎日東京と神奈川を 往復しているんだ。超人でもあるまいし。時間的にあり得んだろう」
「午後からの授業を抜け出した日があったり、部活終了後に飛んで行った日もあったり、休日を返上して 一日纏わりついたり」
「部活終了後? どうりで途中からロードに出ると言って帰ってこなかったわけだ」
 したり顔で出掛けていった切原の笑みが蘇った。やることなすこと小癪な後輩だ。
「時間がもったいないから転校したいと申し出た。立海に大して思い入れはない。テニスが 出来ればどこでもいい。手塚さんの側でテニスがしたい。育ててもらったご恩は忘れません、だと」
「あの野郎! 言わせておけば」
「殴るなら顔は止めろ。跡が残る。腹部にしろ」
「スコップを持って来い。穴埋めにしてやる」
「首は出しておけよ。犯罪行為はごめんだ」
 真田の怒りを消火しようとは柳も考えていない。いらぬお節介を焼いて藪の中の蛇を突付く真似は バカらしい。
「あのバカを放し飼いにするから、一人前に色気づくんだ。大体、その行為そのものが無益だとなぜ気づかん。 蓮二。おまえがお目付け役だろうが。役割を果たせ」
「いつ俺がそんな重積を担うようにお沙汰を頂戴したんだ?」
「あいつが、入部してきたときからだ。ちょっと待て。その情報は何処から得たと言った?」
「そんな前から決まっていたのか。いま気づいたよ」
「だから、誰からの情報だと聞いている」
「あぁ、話を逸らせたと思ったのに。まぁ、手塚本人と、問い正した赤也から。いい案が思いついたと でも言いたげにヤツはホクホク顔だった」



 真田はたっぷり三秒考え込んでから柳を見た。
「手塚から連絡が来たのか?」
「やはりそこで引っかかるか。ちょっとメル友」
「なぜおまえが手塚のアドレスを知っている」
「いいじゃないか。そんな瑣末事」
「どこが瑣末事だ。どこで? いつ交換し合ったんだ」
「そこに拘ると話が進まないんだが」
「赤也の話はどうでもいい。俺はおまえの行動を正している」
「どうでもいいと来たか。管理職を捨てたな。それにしてもおまえ執念深すぎ。いいじゃないか。 試合で会ったりもするし。そのときだよ」
「今年はないぞ」
「そうだね。随分前だよ。そう言えば満足しましたか」
「しかもなぜ手塚は俺ではなくおまえに談判してくるんだ?」
 納得できないとそれは見事に眉間に皺を寄せた。
 手塚と真田。腑に落ちないと同じようなしかめっ面をするが、手塚の場合はその苛立ちを発散させる 言葉――罵声や啖呵などの語彙を持ち合わせていないためだと見抜いている。
 青学メンバーは手塚が叫ぶ「グランド何周」というお決まりの科白一つにも、違った温度差や多種に 渡る思いがあるだと知っているのだろう。
 だが、真田は違う。不穏な雰囲気は洒落にならない。絶対何かの反撃を考えている。
 だから少し伺うような物言いになった。
「それこそ俺の知ったこっちゃない。恐らくおまえに言えば話が大きくなると懸念したんじゃないかな」
「穏便に収拾できると委ねられたおまえが、俺に相談していたのでは、本末転倒だ。手塚も見る目 がなさ過ぎる。あそこにもバカが一人いたか」
 何の緩衝材にもならなかったようだ。
「他所さまの部長を捕まえてバカ呼ばわりは人権侵害に値するぞ」
「ふん。誰彼構わず無防備にも程がある」
「高々アドレスを教えただけでその言い草か。 おまえに手塚の交友関係を狭める権利はないと思うのは俺だけではない筈――ってどこへ 連絡している?」
「……あぁ、俺だ。赤也のヤツが面倒をかけたそうだな。申し訳ない。まだいるのか? では、 変わってくれ」



「……分かった。ちょっと待て。切原、真田が変われと言っているぞ」
 面倒はごめんだとばかりに手塚から差し出された携帯に、切原は思わず舌打をした。真田の鼻が利くのは 知っていたが、あの押しの強さと強引な説教は確かに苦手だ。真田に腕組みをされて目の前に立たれると、 生活指導の教師のだれよりも恐ろしい。
「いないって言って下さいよ」
「アイツ相手に居留守は不可能だ。諦めて出るんだな。早くしろ。携帯代がもったいないだろ」
「意外と所帯じみたこと言いますね」
 肩を竦めて受け取ると、一言も発しないで通話ボタンを切り手塚に放り投げた。
 切っちゃいましたと口の端を上げると、なぜか笑いをかみ殺したように美貌が少し崩れ、切原、 かなりご満悦だ。
「後で煩いんじゃないのか」
「構いませんよ。何だかんだと副部長は俺に甘いから」
「確信犯か」
「で、俺の話考えてくれました?」
「考えるも何も、青学は私立だから転校は個人の自由だし、おまえがそうしたいのなら反対する 権利は俺にはない。好きにすればいい」
「分かってませんね。好きにすれば言いだなんて。俺はね、あんたの許可が欲しいの。両手を 広げて迎えて欲しい。毎日会いたいんだよ。どうしてこんなクサイ科白何度も言わせるかな。この性悪」
 横紙破りに性悪呼ばわりされても響くものは何もない。つい口調が事務的なものになった。
「君が青学テニス部に入部するというのなら、部を上げて歓迎するが、切原赤也」
 頑是無い子供に諭すように突き放され、ヘラリと人を食った切原の表情が一変した。
「あっさりとかわしてくれちゃって。俺なんか眼中になってこと?」
「そうは言ってない」
「押し倒そうかな」
「なぜそうなる?」
「俺の頭ん中そのことで一杯なんだけどな。既成事実をつくっちゃったら手塚さんほだされるかなとか、 それともあんたをコートに沈めたら振り返ってくれるかなとか、それなら先に副部長をあんたの目の前で 破ったら、ちょっとは気に留めてくれるかなとか。結構俺って健気でしょ?」
「壮大な計画なんだな」
「他人事かよ」
「他人事だ。おまえは、人の反応を伺ってそれに満足するようなタマでも、無意味な駆け引きに策を 弄して楽しむ酔狂さも持ち合わせていないだろう」
「そうでもないよ。反応してくれるんなら、言葉遊びも楽しいし。でも――確かに、無意味な駆け引きは あんたには通用しない、な」
 ときは夕闇。背後は人家の塀。人通りが少ないといっても皆無な訳ではない。
 ただ自然と体が動いて、両手を塀につき、その中に十センチほど長身の彼を閉じ込め、 唇が触れる位置まで接近し、それでも端から見れば恐喝しているかにしか見えないのだろう。
「悔しいな」
「?」
「あんたを狼狽えさせることも出来ない。ちょっとは驚きな」
「こんな場所で身の危険を感じるほど自惚れていないだけだ」
「小癪な。自惚れてもいいかもよ」
 真田に許したかも知れない位置。
 触れてしまうのはこんなにも簡単。簡単に奪える。
「手塚さん、貞操観念ある?」
「話が唐突だな。やはりここで押し倒すのか? それにしてもだれに対しての操だ」
「なさそうだね」
「男が男に襲われて、ふつうないだろう。それこそ野犬に噛まれたと諦めるしかない」
「俺は野犬扱いかよ? じゃあ、ショックを受けるのは副部長の方か。あの人をへこませるだけに 手塚さんを襲うってのも本末転倒だよな。ねぇ、なんか弱みないの?」
「それを俺に聞くか」
「手塚さん押しに弱い? もう弱いことにしてよ。押して押しまくるから、俺のものになりな。 あの人なんかより俺の方がマメだから絶対有利だし、将来有望だし、 間違いなく来年は身長追い越すし。だから――」
 だからと重なった手塚の学生服のポケットから、無機質な携帯の呼び出し音が鳴った。



 微かに微笑んだ手塚がそれを取り出して、ディスプレイの表示部分を向けて切原に突き出して見せた。
 ご多分に漏れず『真田』の二文字。
「ちっ、あの親父。絶対どこかで見てたな」
「さすが副部長。可愛い後輩が、道ならぬ道に落ちてしまわないようにとの配慮だ。感謝した方がいい」
「何が配慮だよ。日本語知らないんじゃないですか? これはれっきとした邪魔。でもさ、ちょっと安心した。 副部長の登録、『真田』なんだ。『弦一郎』だったら、俺、この場で卒倒してた」
「その拘りの意味がよくわからない」
「俺も説明できない」
 まだ鳴り続けている携帯の通話ボタンを押した手塚に、切原は背を向けた。
 その顔を見ていたくはなかった。
 体全体が拒否した。
 今回引いてやるのは場所が悪いということにしておく。
 けして遠慮したわけじゃない。
 タイミングのよさに萎えちゃっただけで。
「あーあ」
 やたらと大きいため息が出た。肩を竦めながら一歩踏み出した。
 その背中を見送って、手塚は携帯の向こうの真田に語った。
「どうやらきょうのところは帰るようだ」



end





今回のお題は会話のテンポを上げようと、地の文を出来るだけ書き込まないように してみました。これが結構難しい。
でも楽しんで書けました。なにせ、いま赤也萌えですから。でも、ブラックというには 中途半端(泣き!)
次は頑張る! 絶対押し倒します(何に宣言してんだか?)
暫くこのMyブームは続くかも。飽きるまで。