酷暑の中行われた全国中学生テニス選手権大会は、記憶に残るような熱戦と、目を奪われる 有望選手排出のうちに終了した。 それに伴い、近来稀に見る実力者揃いの最上級生たちが、静かにコートを去ってゆく。 その瞬間からどの学校も新体制がとられ、来年の大会に向けて動き始める。道は別たれても 留まることはない。テニスに関わる限り何れまた出会う運命。ほんの少しの別れに、それでも 見事な軌跡を残してくれた彼らに、誰もが頭を下げた。 ――束の間の休息。 夏休みも残すところあと僅か。 破り捨てたくなるような宿題の山と、確実に頭の痛くなる読書感想文。 要するにほとんど手付かずのワークブックを抱えて、立海大附属二年、切原赤也は自宅を飛び出した。 文武両道で鳴らす立海大附属にあって、面倒見がよく偏差値の高い先輩は結構いる。嫌味と 小言に耳を塞ぎさえすればあの副部長だって頼りになる。なけなしの小遣いから、これほどの交通費を捻出し、 時間をかけなくても方法はいくらもあった。 それでも漸く取り付けた約束。 ガードの高い相手は宿題のことを持ち出すと、少し躊躇ったあと承知の旨を告げた。 なぜ他校の――と余程聞きたかっただろう。断る口実を考えるのも面倒だったかも知れない。 とにかく、粘った甲斐があるというもの。宿題さまさまだった。 仲間から写させてもらえるような単純なものを除き、あまりバカだと思われるのも癪だから、 難易度の高そうなのを選んで持ってきた。恋する相手に見栄を張るのは当然だ。 手土産も持った。自宅もなぜか知っている。引退後の彼の生活パターンは把握済み。 午前中は図書館。だから昼食後に設定した。心配りも万全。ストーカーの 素質があるんじゃないかと自分でも思うくらいだ。 最寄駅を降りるとあとはもう小走り状態。軽く息を弾ませて手塚家の前に立った。 「ほんとうに来たんだな。この暑い中、宿題を抱えて」 「ったり前っしょ。折角もらえた機会を無駄にはしませんよ」 まぁ入れと、コットンシャツにジーンズという目に馴染まない装いで、手塚は迎えてくれた。 「はい、これお土産です。涼しげなぷよぷよした和菓子。お祖父さんがお好きだろうと思って」 将を射んと欲すればまず馬を射よだ。その辺り抜け目はない。手塚の祖父が甘いものを好きかどうかまでは 知らないが、好印象は狙える。少々あざといかなとも思うが、当の手塚からは小さく微笑みと礼を 貰えた。上出来だ。 「飲み物を用意する。先に上がっていてくれ」 言い残して奥へ消えてゆく後ろ姿を見送って、切原は手塚の自室へ向った。 想像どおりの綺麗さっぱり片付けられた部屋。中学生男子が主とは思えないほど殺風景な空間だった。 行儀よく作者別に並べられた書架。壁に飾られた心洗われるような風景写真。ディスプレイされた ルアー。 一つ一つ手にとって、壊してしまいたくなる衝動に駆られる。 主共々。 かなり几帳面と思われる真田の部屋にも上がらせてもらったことがあるが、片付けられていると 言っても、どこかほっとする雑然さがあった。この部屋にはそれがない。けして居心地のよいとは思えない 空間。それは当の手塚そのものだったかも知れない。 どこに惹かれたかと言えば、その凛と張り詰めた孤高さ。辺り構わない潔さ。つい目が追ってしまう 溶解度の低い苛烈さ。馴染みやすさなどではない。 あまりにも想像内だから少し哂えた。 手持ち無沙汰な切原は書架の前に立った。横文字だらけの原書。漢字多用の歴史もの。難解な言葉の 羅列が予想される古典の類。その中から一冊見繕って手にしてみた。 夏目漱石『こころ』 「そういやぁ、課題図書の一冊だったっけ」 一人ごちた切原のあとを飲み物を乗せた盆を手にした手塚が引き取った。 「読書感想文でも書くのか?」 「面白いッスか? これ」 難解だと思うと前置きしてから手塚は、簡潔なあらましを語ってやった。 ふうんと気のない返事を返して、ちゃっかり彼はそれをノートの書きとめていた。読んだ気になって、 このまま原稿用紙に纏める腹積もりのようだ。 「真田に言わせればそれこそ『たるんどる』だぞ。この程度の短編読めばいいだろう」 「主人公の行動に共感できない話を読む気にはならないッスよ。なんか陰気な男の話だな。 なんでこれが名作なの」 「こんな心情を吐露するような小説がなかったからじゃないか」 「てめぇのしたこと一々後悔すんなっての。ウゼェ」 そう言いながら切原は手塚が手にしていた盆を受け取った。テーブルに置き、 そのまま壁際にまで追い詰めた。 どんな状況だろうが狼狽える可愛げのなさは相変わらずで、作り物めいたペルソナは剥がれる気配すら ない。ホントつまんない人だよ、とその陶磁器のような頬に手を添えた。 「俺なら親友の恋人を奪ったって絶対後悔なんかしない。それに副部長は絶対自殺なんかしない。 だから正々堂々と奪える」 「後悔はその瞬間に襲うものじゃないらしいな。じわじわと後から沸いてくる」 「だから、副部長はそんな人じゃないでしょ。自殺なんて卑怯な手を使う相手がバカだ。っていうか その程度の相手かを見極められない本人も悪い」 「おまえの論理は理解できたが、いつもそこに俺の意思は存在しない。一方的に押し付けられている だけだ」 「そう思うんなら本気で抵抗しなよ」 頬に添えられていた手をそのまま手塚の後頭部へとスライドさせて固定する。 触れるか触れないかのキス。 十分な宣戦布告だ。 「受け入れてるとしか思えない態度は相手を助長させるよ」 「抵抗はしている」 「どこが?」 「何も心動くものがない。これ以上の無体を重ねるとおまえを軽蔑するぞ」 「男の激情を甘く見ないで欲しいな。嫌なら払いのけなよ」 「無理な体勢で力を使えば関節を痛める」 「くくく」 腹筋が痛い。笑いが収まらない。手塚らしいと思った。 「体、労わりなよ」 これ以上の言葉はいらない。再度近づきいま一度触れる形のいい唇。 十センチの身長差が厭わしい。 手塚は顔を逸らし逃げをうつ。両手でそれを固定した。背後は壁。後がない。突っぱねていた手塚の 両手に渾身の力が入ることはなかった。本気でプレーヤーとしての将来の方を優先させている。 怪我で苦しんだ者でしか到達できない境地かもしれない。 それともこんな意に染まない行為など、何ほどでもないのか。 そう思えてさらにどこかが弾けた。 真田は絶対無理強いはしない。言葉巧みに言い包めるタイプでもないだろう。 どうしても気になる、手塚にとっての真田のポジション。 優しいのか、強いのか、大きいのか、安らげるのか、それとも対等な存在か。 真田は。真田は。真田は。 らしくもなく、縛られている自分に苦笑した。 二人の繋がりなど憶測でしかないが、この人が欲しいと、ただ、贖えない欲望のままに動いて何が悪い。 切原はゆっくりと正面から唇を重ねた。角度を変えてもう一度。 浅く深く。頑なな手塚の口唇が僅かでも開かれるまで。 ストイックな彼の呼気が上がるまで。 痺れに似た感覚に支配されて、手塚の体をベットに横たえた。瞳を覗き込んでも逸らされる。 屈することはないとその目が語っている。たとえどうなろうとだ。 「んじゃ、遠慮なく」 こんな行為モチロン初めてじゃない。そう威張れるほどの回数でもないが、好奇心だけで経験済み。 キスは上手いと思う。以前そんなふうに評価された。けれども遊び慣れてるわけじゃない。 プライドが高ければ目標も高い。気に入らない相手からの秋波など一蹴してきた。 だからあんたは特別なんだと言葉にしても、手塚には届かないだろうけれど。 Tシャツをたくし上げ素肌に直に触れ、そこここを流離う。 手塚の拒否の声は総て飲み込んだ。 ギシリと啼く主のベット。 切原は―― 硬質の手塚の表情が僅かに歪められるまで容赦しなかった手をふと止めた。 「あの――」 「これからどうやったら、いいんスか?」 ちょこんとベット脇に正座し、俯いた切原の方を見ないで手塚は起き上がった。 「ふつうは――」 こんなときに適切な言葉かどうかは分からないが、ただ、思いつくままが言葉になった。 「ふつうは、知らないだろう」 そう告げてしまって、視線を上げた切原の表情を手塚は忘れないだろう。 自らが埋め火を灯してしまったようなものだ。 厄介なことだと手塚は切原一人残して、部屋を出た。 ――end
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エロいのがんばろうと思って、ハタと手が止まったの。 中学生だろ、こいつら。 で、そんな知識とテクがあったら うちら立つ瀬ないぢゃん(なぜに?)ってことで、急遽こんな話に(もう自分で大爆笑) これはタブーやね。 でもあたしはやっぱ、「手塚総受け」ぢゃなかったのよ。きっと。書きながら腰が引けたのでした。 (アカンタレ) 「こころ」が課題図書だったのは高校のときだったと思う。たしか。 |