橘君の長い一日







 俺の名前は橘桔平。中学二年だ。



 ついこの前まで九州の中学に通ってたんだか、親父の仕事の都合で夏休みが終わる寸前にこの街に越してきた。 こう見えても向こうでは結構名の売れたテニスプレイヤーだったんだ。九州地区二強とか呼ばれてたし、 学校の連中にも愛着があったから、親父から話があったときはやれやれって思ったぜ。転校がイヤだとか友達できるかなとか、 そんなガキじみた理由からじゃないぞ。俺の通ってた中学がそれなりに強かったからさ。
 全国大会ベスト8だぜ。ベスト8。結構すげえだろ。負けた相手校ってのが全国制覇したとこだから、そこに当たんなかったら もっと上行ってたな。確実に。
 その中学ってのがまた、こ憎たらしいヤツが揃い踏みのとこでよ。何が気にくわないって、まぁそんなこたぁどうでもいいか。
 そうそう、今度通う中学が強いとは限んねぇだろ。だから気が進まなかったんだよ。
 けどよ、どこで運命変わるか分かんねぇよな。会っちまったんだ。全国大会で。東京行くのも悪かねぇかなって思わせるヤツに。
 言っておくが女のスコート追い掛け回してたわけじゃない。男だよ男。俺より強いかもしれないプレーヤー。対戦相手として 申し分ない上にとびっきり綺麗ときてる。純粋にホレたんだよな。うんうん。初恋かもしんねぇ。
「……ちゃん!」
 いやぁついてたね。そいつの中学とほとんど同じ地区に越してきちまうとわな。神様ってのもいるもんだなって感謝したさ。
「お兄ちゃんってば!」
 あんまり美人だしほっとけない性格してるから、そいつ狙ってるヤツはうじょうじょいてさ。特にさっき言った全国制覇した 中学のヤツなんか――。
ぼこっ!
「何一人でぶつくさ言ってんのよ! 聞いてんの!」
「杏?」



 クッション投げつけられた。気がついたら妹の杏が戸口で仁王のように立っていた。
「中学一緒に見に行こうって約束したじゃん。忘れたの?」
 こいつが妹の杏。気がきつくてさ。兄貴の俺を尻にしいてやんの。俺が清楚な美人タイプに憧れる気持ちわかんだろ。
「ガキじゃねぇんだから、一人で行け」
「信じらんない! 越してきたばっかなんだよ。土地勘ないし、迷子になったらどうすんの。あたしが変なヤツに絡まれてもいいの!  どこかに引きずり込まれてからじゃ遅いんだよ。もし誘拐でもされたら身代金だよ。うちに払う余裕あんの! 東京だよ。 もっと凶悪なヤツがいたらどうしてくれんの。殺されたりしたら真っ先にお兄ちゃんとこ化けて出てやる!」
 お袋よ、あんた一体娘をどう教育してきたんだ。
「用事あるんだよ」
「どこ行くの?」
 さすがに気の強い妹でも知らない街じゃ心細いらしい。ヤツにしちゃ執拗だ。
「敵情視察」
「なにそれ?」



 ちくしょう! 振り切っても振り切っても杏のヤツついてきた。久しぶりのデートだねとか無邪気なこと言いやがって。 コブつきで会いたかぁねえぞ。脚力にもの言わせてまいてやろうかとも思ったけど、ほんとに迷子とかなられでもしたら、 目覚め悪いだろ。結構こう見えても面倒見がいいんだ。なんだかな、だけどよ。



 青学前ってバス停降りてびっくりしたね。私立ってのは知ってたけど、これ程とは。手塚おまえっていいとこのお坊ちゃま だったんだな。こりゃ、将来家柄がどうとか問題だぜ。
「すごいね。テニスコート五面もあるよ。ここって強いの?」
「まあな」
 信じられないくらい整った環境。軽い羨望を覚えたね。
 ゆっくりと何度もコートを見渡してもヤツの姿は確認できなかった。その代わりにどうしてってヤツと目が合っちまった。
 不二だ。ホントに嬉しそうな顔をして近づいてきた。
「やあ、久しぶり。どうしたのその髪」
「なんで一目見て俺だってわかるんだ、おまえは」
 言ってなかったけど、思うところあってつい最近ばっさりと髪を切ったんだ。手塚ならこうはいかないだろう。初めまして とか言われそうだ。それくらい変わったんだぜ。なのにこいつときたら。
「わからないわけないじゃない。気づかないのは手塚くらいだよ」
 思うところは一緒だな。
「ヤツはどうした」
「休み」
 そんなこたぁ見れば分かる。こいつのペースに乱されないには忍耐が必要だ。
「折角来たのにいないなんて、運がないっていうか。ツキに見放されているって言うか。交われない運命って言うか」
 はっきり言いやがる。こいつンとに憎ったらしい。
「近くまで来たから寄ってみた。いないんなら帰るわ」
「そう、残念だったね。なにか伝言ある?」
「またすぐに会える。対決を楽しみにしていると」
「再会じゃないの」
「人をちょくってる暇があればお前も腕を磨いとくんだな」
 俺は杏を促して青学をあとにした。
「綺麗な男の子だったね。あの人がお兄ちゃんの会いたかった人?」
「一番会いたくなかったヤツだ」
「なにそれ」



 そのあと約束どおり転入するはずの中学まで行ってみた。
 不動峰中。近辺でもあまり評判のよくない学校みたいだ。だがそんなことは何の関係もない。要はテニスが出来るかどうか、 その一言に尽きる。
 その学校が強いかどうかなんて、練習風景を見れば分かる。胡坐をかいて話し込んでいるヤツ。ただ気のない打ち合いを ダラダラと続けているヤツ。一年相手に無意味なシゴキを続けるヤツ。それを見て笑っているヤツ。
 ただ怒りがこみ上げてきた。
 青学みたいな環境を期待していたわけじゃない。純粋に練習が出来ればよかった。それだけのことが困難だなんて。
「お兄ちゃん……」
 杏が俺を気遣うような声を出した。ホントにここでいいのってっか。それは俺が言いたい。
 例えここがだめでも方法はいくらでもある。校区を離れてクラブチームに所属する方が強くなれる気がした。だけど、 それじゃあいつと対決できない。少なくとも中学では会えない。
 そんなの意味がない。


 何かがたぎる。


 俺の決意がおまえに伝わるだろうか。






しつこいようですがわたしは橘スキーです。(手塚は真田のものって決めてるくせに)
書きやすいです、元九州地区二強。杏ちゃんにももう一度登場していただきたい。
手塚の話とこれと同時進行していたんですが、きょう(10/22)はとても手塚のことを書けなくって、橘くん に逃げました。ゴメンナサイ。