そんな休日








 青学男子テニス部部長、手塚国光の朝は早い。その責任感から目覚まし時計のお世話になんかならなくても 時間前にはきちんと目が覚める。しかし、きょうは月に一二度あるかなしかの休日。電池の切れた超合金ザグや 仮面ライダー龍騎DXのように、長い手足を投げ出して惰眠を貪っていたとしても、だれも文句は言うまい。 そう、彼は徹底して公私のけじめはつける男だった。




 頭から肌掛け布団を被って、健やかな寝息をたてている彼の安息の束の間を破ったのは、蹴破るように空けられた自室の ドアの音だった。
「国光〜。起きて。いい天気よ」
 母、彩菜の乱入だった。もぞもぞと覚醒しきれない息子の、まず掛け布団から情け容赦なく引っぺがしていく。 暖かさを探して両手が宙をさまようが、望んだそれはもう手の届かない彼方へ。枕を引き抜かれ、ベットの敷布を引っこ抜かれるに 至っては、母溺愛の美貌の息子、頭から床に落っことされた。




 こと、ここに至って漸く意識がはっきりとしてきた。休日の手塚の目覚めは実に悪かった。
「お布団干すから早く起きてね」
――お母さん、それはベットから落とす前に言って欲しかったんですが。
 心底そう願うが、天気がいい日の、母親族の布団干したい願望に購うべきではない。手塚国光十四才。 実に出来のよい息子だった。
「ねえ、国光。折角のお休みに早起きしたんだから、ちょっとどこかへ出かけない?」
「早起きしたんじゃなくて、させられたんですが」
「男の子が細かいこと言うもんじゃないわ。お祖父さまもお父さんも出かけていないのよ。お昼外で食べましょうよ」
「昼過ぎから約束があるって昨日言いましたが」
「そのあとそこに向かえばいいわ。付き合って欲しいのよ」
 ベットの下で胡坐をかいたままの息子を残し、母は洗濯物を抱えて出ていく。怒ることも煙たがることもなく、彼は 母親の願いを叶えてあげようと腰を上げた。手塚国光十四才。律儀すぎる息子だった。




 だからと言って、なぜデパートのベビー服売り場なんですか、と叫びたいのを彼は懸命に堪えた。衆目がある。なによりどこで だれが見ているかわからない。こんなところで醜態を晒して溜まるか、という矜持のみで己を支えきったといっていい。
「覚えているでしょう? 従姉妹の香代子ちゃんに赤ちゃんが産まれたのよ。女の子だったんですって」
 その母方の従姉妹とは子供のころにあった記憶しかない。実の姉の娘という彼女を母は実に可愛がっていた。 彼女の結婚式に出席して、目を真っ赤にして帰ってきた覚えがある。
 だが場所柄彼らの周りは年若い母親や、祖父母におねだり中の親子連ればかりだ。ほんとに、ほんとに居心地が悪いんですが、 と何度口をつきかけたことか。でも全国の母親から、息子にしたいナンバーワンの称号を燦然と頭上に頂く者として、ここで引くわけには いかない。
 (どこでそんなアンケートとったのかは知らない)




 到底中学生には見えない息子と、妙に若く見える母親は周囲からどんなふうに見られているのか、想像したくはないが、 ベビーピンクのフリルを見て目を細める母に妙なもの寂しさを感じる。
「見て見て。やっぱり女の子の服は可愛いわね」
 それこそ『不思議な国のアリス』が着ていそうなエプロンドレスを胸にかき抱き、もう片方の手でそれに似合う靴下と靴を 物色中だ。
「この服にはどれが似合うと思う?」
「どれ、と言われても」
 実際なぜ自分のようなお供が必要だったのか謎は残る。これならまだ近所のスーパーで、米と塩と味噌と醤油が大安売りだから 付き合えと言われた方がましだった。
 困惑気味の息子を尻目に、母は少し思い出し笑いをした。
「あなたの赤ちゃんのころに、ほんとに可愛いピンクのロンパースを見つけてね。こっそり着せようとしたら、きっちりお祖父さまに 見つかってしまったの。あの時は叱られたわ」
 それはやっぱりあの祖父ならそうくるだろう。わかっていて実行しようと試みた母の芯の強さにも感心する。
「ほんとに似合ったのよ。国光ってば色白でしょ。可愛かったのよ」
「やっぱり女の子、欲しかったですか」
 嫉妬とも違う、いや、やはり嫉妬なのかもしれない、そんな科白が口をついた。しまったと思ったが、言葉は戻せない。 母親だけでなく自分も傷つけるその手の言葉に、彼女の笑顔が翳った。
「すみません」
「あなたが謝らなくていいの。わたしが寂しかったとしたら、女の子を持てなかったことじゃなくて、あなたに兄弟を産んであげられ なかったことかしら」
 子供のころもいまも、別に一人っ子だからといって寂しいと感じたことはない。それを告げると、
「一人でも寂しくないっていう状況に慣れちゃったのね」
 母は小さく笑った。




 約束の時間に少し遅れて手塚が到着すると、先に到着していた彼は読みかけの本から視線を上げた。
「十五分の遅刻だ」
 その男の憮然とした態度に、ちょっとからかってみたくなった。
「デートしてた」
「なに」
「母と」
 彼は読みかけの本をパタンと閉じると、ぎりっと音がするように眉を寄せた。手塚が好きな彼の仕草の一つだったりする。
「根性捻くれてきたな」
「おまえと付き合ってるとな」
「どこへ行っていたんだ」
「デパートのベビー服売り場に連れていかれた」
「おまえのような息子なら連れて歩きたい母上の気持ちも分かる」
「母と出かけるのも久しぶりだった気がする」
「そうか。せいぜい親孝行すべきだ」
 人通りもまばらな公園のベンチ。彼の手が手塚の腕を捕らえて引き寄せようとする。それをかわして彼の横に腰掛けた。
「態度もでかくなった」
「あたりまえだろ。今何時だと思っている」
 手塚のそっけなさに隣の彼は閉じてあった新書をまた広げた。タイトルを見ると『声に○○○読みたい、日本語』。
 これ以上彼の言葉遣いが古文調に走ってどうするんだろうと、苦笑する。
――お母さん。
 寂しさに慣れたんじゃないんです。二人で居られることを覚えたから、一人でも寂しくないんだと思います。
 いつか母に告げてみたい、そんな休日。







彩菜さんが出てくるだけでお話がふんわりしてきます。
彼女に言って欲しい科白があったからホント一気に完成。
彼はいつものあの方です。