真田一族の膂力 〜4








 二人を乗せたバイクは夕暮れなずむ街を西に向けて疾走する。
 後部座席に収まった手塚が、腰が痛いと本気で訴えようと思った頃になって、漸くそれらしき敷地内に 滑り込んだ。
 市街地の喧騒からかけ離れ、静寂さとそれに見合うだけの広大な敷地。泰然とした佇まいの立海大学 附属病院。広場を混在させ幾つもの棟を持つ。
 圧倒的な緑の量。降り注ぐ筈のせみ時雨はどこか遠くで競い合っていた。
 あまりにも森閑としていると、息が詰まりそうになることもあるんだなと、手塚は辺りを見回しながら 地に足をつけた。
 彼をここまで運んできた人物もメットを外して清浄な空気を満喫していた。
「あ〜、やっぱ疲れるな。腰と背中がつりそうだ。もっと若い頃はだれを後ろに乗っけようと平気だった んだけどな。やっぱ年感じる」
 コキコキと首を回しながら年を実感している二十歳過ぎの青年の、若い頃とは一体幾つを差すのだろうと ぼんやり考える手塚だった。
「それでこれから俺はどうすればいいんでしょうか?」
 無理やり連れ去られ降り立ったはいいが、右も左も天も地も思い切り所在ない。周囲を見回し、聞き逃して いた肝心の理由を改めて問うた。
 真田家次兄はスッと一つの建物を指差し、心もとないことを言った。
「あそこがスポーツ医学研究所。主任教授のところに弦一郎はいると思うよ」
「思うよって、いないかも知れないんですか?」
「弦一郎には教授の空き時間を教えてあげただけで、ヤツが来てるかどうかなんて僕は知らない」
 クエスチョンマークが脳内を充満する。この行き当たりばったりの展開は一体なんだと、自然と眉間の 皺が寄った。それを認めても敵は心底嬉しそうにキャラキャラと笑う。
「そんな顔をすると、器量よしが勿体ないとか台無しだとか、散々言われたでしょ」
「大きなお世話です。ここまで引っ張りまわされた挙句、その道行きが徒労だと分かって、振りまく愛想 など持ち合わせてない」
「君も言うね。教授は一応その道の権威でいらっしゃるから、話だけでも聞いていけば? 折角ここまで 来たんだからさ」
「そこに俺の意思は存在していません。連れてこられただけです」
 惣一郎さん、と手塚の声のトーンが落ちた。
「一番上のお兄さんにも言いましたが、俺はもう宮崎の病院に行くことが決まっているんです。家の者とも、 顧問の先生とも相談した上のことです。それが一番だろうと俺も納得して決めました。だから――」
 当然、次第に頑なになっていく手塚に、惣一郎はもう一度その建物あたりを指差した。



 建物を出てこちらに向って歩いてくる人物の姿が黄昏どきに滲む。
 肩をいからせたシルエットも、せみ鳴りの音すら彼方へ押しやる荘厳さも、射すくめる視線もこの男だけ のものだ。
 手塚は体を斜めにしたままで大地を震撼させ近づく男を待った。
「おまえ、こんな所で一体何をしている?」
 呆れるほど予想内の第一声に手塚はあるかなしかの笑みをつくった。
「たいしたご挨拶だが、それは俺が聞きたいくらいだ。校門前で拉致されてろくに説明も受けず、気づいたらここ に到着だ。おまえこそ何をしている」
 その問いには答えず、真田は兄に視線を合わせる。一般大衆なら思わず後ずさりするような形相だが、 長年の慣れとは恐ろしい。やはり兄には何の効き目もないようだ。
「一体何のつもりだ」
 惣一郎はヘラリと笑ってぶっきら棒に言い放った。
「オプション」
「何だと」
「この際だから、弦一郎にいっぱい貸しをつくっちゃおうって思ってさ。って言うか、ホントはここまでする つもりはなかったんだ。青学前に行ったら、偶々兄貴が手塚くんに詰め寄ってって、アレアレ思ってるうちに 体が勝手に動いて攫っちゃった。そんな顔してるけど、会えて喜んでるんじゃないの、おまえ。 お兄ちゃんに目いっぱい感謝しな」
 真田の握り拳がわなわなと震えている。兄弟喧嘩は犬も食うのだろうかと、諦観を決め込んだ手塚に、 なぜか真田の怒りが向けられた。
「なぜこんな正体の知れないヤツに、のこのこと着いて来るんだ! 蹴りを入れるなり首を絞めるなり経絡をつくなり 警察に駆け込むなり、いい年して一人前に暴漢にも対処できんのか、おまえは!」
 その言い草に手塚の沸点も簡単に越えてしまった。
「正体の知れないって、だれの身内だ! おまえのだろ! 真田家の躾けの問題を俺に当ってすり変 える気か!」
「躾って、幼稚園児なみレベルなの? 僕って」
 惣一郎の呟きなど二人の耳には届かない。
「こいつがどうとかの問題ではない! 俺はおまえの無用心さに怒っているんだ! このバカ者が!」
「おまえに兄さんじゃなかったらとうに反撃してた。ついてなど来なかった、これでも気を使ったんだ!」
「顔見知りだと気を使かって嫌とも言えんのか! 顔見知りはそれほど安全か! よくも抜け抜けと言えたものだ。 危機管理がなっとらん!」
「言ってる意味がわからない!」
 突然伸びてきた真田の手が、手塚の肩の辺りをガシリと掴む。身動きできないように固定されてしまった。
「無用心な上に不注意でおまけに向こう見ずで、そんなことだから跡部のヤツに後れを取り、そんな しなくていい怪我まで背負い込む結果となるんだ! たるんどる! 立場を弁えろ!」



 青学部長としての立場を――



 言われなくても弁えている、とその手を思い切り払いのけ、絶対零度の到達不可能な凍りきった空気を つくって見せても、真田の眉が少し跳ね上がるだけだ。
 だれにも踏み込んで欲しくない深層に、土足で荒らす真似をする真田を許す訳にはいかなかった。
「跡部とのことはおまえには関係ない。おれの戦い方に不満なら近づかなければいい。おまえがどう感じたかなど 知らないが、その場において最善をつくすのがプレーヤーとしての意気だ。俺は俺のテニスをした。 それを理解して欲しいとは思わない」
 全身全霊を込めての拒否。
 融解度の低い怒り。
 それに対しては何の謝辞もないまま、真田は手塚の腕を掴んだままで歩き出した。置いてけ掘りを食った 惣一郎の声が覆いかぶさる。
「弦一郎?」
「惣、おまえの行動に関して断ずる権限は俺にはない。兄貴に任せる。被害者も告訴なぞしないだろう。だが、 今後の兄貴からの陰湿な攻撃が心底楽しみだ」
「慣れっこだよ」
 そう肩を竦める次兄を振り切り、引きずるように手塚の腕を取ったまま歩き出した真田に、当然、非難の 声を上げる。
「離せ! おまえは都合が悪くなるとすぐ力に訴える。触るな!」
 大声を上げようが真田は離さない。さらに掴む指先に力を込められ、痛いと悲鳴に似た声を上げた。
 それを聞いて立ち止まり、不思議なものを見るような真田の視線とぶつかった。
 なぜと思う。
 苛立ちに表情が揺れている。
 何に対して。誰に対して。
 口にできるような確固たるものは何もなく、ただ、純粋な怒りを覚えたことが真田にとって不思議だった のだろう。
「帰るぞ」
「離せと言っているのが聞こえないのか。一人で帰れる」
「少し黙れ」
 本気で拳が振るえそのまま殴りつけてやりたかった。その強引さに、勝手な言い草に、そして 何よりも泰然自若とした男の怒りの発露に、迷惑をこうむっているのはこちらの方だと叩きつけてやろうと 思った。
だが――
「おまえとはどこまでも立体交差。いや、人は誰とも通じ合えん。そう錯覚するだけだ」
「何を言って……」
 それでも俺は――と口をつぐんだあとは怒りもなりを潜め、いつもの真田だった。
「真田、おまえ」
「宮崎の病院のスタッフは優秀らしい」
 ドクンと心臓が早鐘のように打った。いつも、いつも真田は唐突だ。
「……それを聞きにここまで」
「気取るな。俺が確認したかっただけだ。おまえをロクでもない所にやる訳にはいかん」
 ただそれだけのことだ、と前を向いたままの真田に、上げた拳の行き場を失う。



 真田はいつも唐突だ。



 兄弟揃って同じような結果にたどり着き、だが、その行動の方法が少し違う。兄は誰かを頼り形を欲しがり、 この男は自分の足で納得を得ただけで満足だと言う。
 ただ、それだけの違い。
 苛々させられることばかりで、通じ合えるとも合えたとも確かに思わないが、錯覚で十分じゃないかと 感じて(かぶり)を振った。
 バカらしい。
 そう呟いた影はどこまでも長く続いていた。



end









これがラブい会話なのかという突っ込みには、そうなんですとお答えするしかないです。(微笑)
真塚的にすっごいいちゃいちゃだと思うんスよ。真田って束縛きついし、嫉妬深いし、絶滅品種亭主関白 だし。
あぁ、でもなんてラブリーなキャラなんでしょ。(オホホ)
三ケ月以上掛けてやっと終了しました。
タイトルと内容が何万光年も離れてる「真田一族シリーズ」ですが、今回はまぁ範囲でしたね。
次は赤也だぁ。立海者の端くれとして、連載放っておいてでも、彼を書くぞと気合だけ(ありゃ?)