豚のしょうが焼きはかくあるべきか





 越前が半年ぶりに帰ってくる。
 昨日の晩に連絡があった。
 だからあいつの機嫌が悪い。



 あいつはこれ見よがしに、両手に下げられた買い物袋をどさりと音を立ててキッチンカウンターの上に置いた。中の豆腐や 柔らかい野菜が潰れるじゃないかと叱責しても、横を向いたまま返事もしない。だから買い物に付き合う必要なんか ないと言ったのに。手伝ってもらってもこの反応では、有難迷惑以外の何ものでもない。俺は一つ一つ確かめながらそれらを 冷蔵庫になおして行った。あいつはそんな俺に一瞥を与えリビング側へ回り込み、わざわざ背を向け高いスツールに腰掛けた。
「気に入らないのなら昨日のうちに言え。忙しいとか出かけるとかなんとでも言い訳が出来ただろう。それを今になってそんな 態度を取るなんて卑怯だ」
 俺だって何時までも昔の俺ではない。気に食わなければ正面切って突っかかりもするし、自分の言い分を伝えることも 出来る。理不尽な振る舞いなどには尚更だ。あいつの苛立ちは理解できてもそれを許容する気はなかった。
「越前が久しぶりに帰ってくるのはいい。それでうちに挨拶に来るのもいい。だがどうしてそれが青学の同窓会に発展するんだ」
「前回は河村寿司で会ったんだ。今回は忘年会の予約が入っているらしく、無理だと言われたらしい。それで大勢が集まれて 気兼ねしない場所をということになって……」
 どうしてここが気兼ねしない場所なのか、言ったヤツ出て来い! という感じだろう。正直に不二だと言えばまたひと悶着 起きる。そこは敢えて黙っていよう。それくらいの配慮は出来るようになった。
「いいじゃないか。立海大のメンバーも集まるんだから、おまえ一人部外者というわけでもあるまい」
 最終的にうちで集まると決まった後、憮然とするであろう真田を慮って柳に連絡を入れた。出来るだけ行くようにするよ、との 約束を取り付けてある。だから文句はないだろうと思ったのに。
「年にそうあることじゃない」
「当たり前だ。月一の定例会にされて堪るか」
 何を言っても絡まれるだけだとため息を落とした。どうしてこいつはこうも頑固なのだろう。いい加減嫌になって無視して 作業を続けることにした。



 真田は大学生になって学業の傍ら主に活躍拠点を国内に絞り、トーナメントプロとして生計を立てている。来年卒業と同時に 世界を目指すつもりらしいが、国内でもトッププロと対戦する機会はあると割り切って、学業を優先させた拘りはあいつらしい。 その点越前は俺たちが高校を卒業するとさっさとプロ登録を済ませ、中退して飄々と世界へ飛び出していった。その辺の 割り切りもヤツらしい。俺は彼らより先に華々しくデビューしたものの、関節に爆弾を抱えた状態だからトーナメントには 出たり出なかったり。実際引退したと思われているかも知れない。
 ジュニア時代より常に先頭を走り続け、不敗を誇っていた俺。万全の状態ではだれであろうと負ける気はしなかった。 しかしその万全でない状態そのものが俺自身なのだとある日気づいた。いいトレーナーにも出会って今は一進一退。 それでもテニスを続けられる幸せを実感している。



 集合時間までまだ二時間もあるのにインターフォンが鳴らされた。
 亭主関白全開の真田は、俺がどんなに忙しくても一切電話や玄関を開けるような真似をしないヤツだった。それで世間に 通用するのかと、時間をかけて調教し直したのは快哉ものだ。これであとは風呂の掃除と、取り込んだ洗濯物をたたんでくれたら、 真田の崩壊につながるだろうか。是非とも試してみたい。
 今も俺がキッチンで野菜を切り出したのを確認すると、嫌々ながらも玄関に向う。俺がほくそ笑んでも仕方ないだろう。
「人数多いだろう。暇だったから手伝いに来たよ」
「ちーっス」
「やぁ久し振り。弦一郎が開けてくれるなんてセカンドインパクトだな」
 不二と越前。それにどこで合流したのか、柳だった。飲み物係りの二人はビールやらお茶やらを冷蔵庫に直しこんでいる。 入りきらないのはベランダに置いてもらった。
「ファーストはなんなんスか」
「そりゃ、こいつが手塚を口説いたと聞いた時さ」
「許せないよね。どんな手を使ったのか知らないけど、うまく丸め込まれちゃって。早まるなってあれほど忠告したのに。手塚、 今からでも遅くないよ。人生は長いんだから楽しい相手と楽しく暮らそうよ」
 笑顔で憤慨とは相変わらずだ、不二。それに対して心の耳栓をしっかりはめている真田も進化した。もの凄い空間が渦巻いている のに気にも留めない越前と柳も立派だ。
「何つくるの?野菜洗ったり切ったりすればいいんでしょう」
「人数が多いから鍋を二種類して。河村が寿司を持ってきてくれる。大石たちがつまみを。それと越前のリクエストで豚の しょうが焼き」
 らっきぃと、今はもう俺の身長と横幅を軽く追い越すまでに成長した越前までも狭いキッチンに入ろうとするから、 身動きが取れない。
「前に来たときに食べさせてもらったんスよ。オレ、忘れられなくってさ。絶対向こうじゃ味わえないからね」
「キミもよく抜けがけするね」
「出た出た。不二先輩のそれも耳たこ」
「ちょっと待て。この間っておまえいつ来たんだ」
 会話に入ってないと思っていたのに、きっちり聞いていたんだな。真田の乱入でキッチンは通勤ラッシュさながらだ。 もっと光を、ならぬもっと酸素をといったところだ。
「あぁ、真田さんいなかったな、あん時。トーナメントか合宿だったんじゃない。手料理食べさせてもらって、一緒にお風呂入って、 あ〜んなことや、こ〜んなことして、手塚さんと朝まで二人っきり。お陰で次の日睡眠不足でさ。なにせ、ずっと寝顔見てたから。 だれにも邪魔されない至福のひと時を過ごさせていただきました」
 次はいついないのと聞いてくる。
「聞いてないぞ」
「言った」
「一緒に風呂入ったのか」
「入るわけないだろう」
 当然真田の怒りの矛先はこちらを向くが、端的な答えしか返せない。
「よしなよ。でかい男の嫉妬ほど見苦しいものはないよ」
「華奢な男の恋着だといいのか」
「キミも揚げ足取るね。豪快なのはプレイスタイルだけ?」
「そう言えば不二は得意だったな。人の懐に飛び込んでの姑息な技」
「それは一般的には緻密な技術というんだ。キミの配慮の足りないテニスには、いつだって負ける気がしないな」
「そういうなら一度自分から攻めてみるんだな。木っ端微塵に打ち砕いてやる」
 つくづくこの場に大石がいないのを僥倖に思う。柳、おまえが止めないで、誰が止めるんだ! 一番付き合いが長いのはおまえだろう。 だが、せっせと座卓の上のセッティングを勤しむ柳はこちらを見ようともしない。俺が割って入っても余計に火に油だ。 諦めて狭い空間で野菜を切る。



「手塚が料理つくったりするの」
 越前と不二はキッチンを追い出され、カウンターから身を乗り出して切った鍋の材料を座卓まで運んでくれる。 真田はというと、いつもは寄り付きもしないくせに俺の横で仁王立ちだ。
「しない。ほとんど」
「へぇ、朝から味噌汁つくらされてるかと思った」
「いざとなったら弦一郎の方が料理はうまいと思うよ」
 座卓に箸やらコップやらを並び終えた柳も参入する。じっと見つめられるとやり難い。
「豪快に煮込みなんかつくりそうっスね」
「豚一頭丸焼きスペアリブとか」
 クスクス笑われても真田必死に耐えている。少しも見方になってくれない柳は、すっかり相手コートの住人だ。
「手塚、不器用そうだもんね。でもさ、左手で包丁持つ姿って危なっかしくてなんか色っぽい」
「だから真田さん、料理させないんだ」
「あまり一緒にいることがないから、する必要もないんだ」
 お互い練習、試合、調整、学校とすれ違いが多い。起床時間も帰宅時間も異なり、試合や遠征ですれ違うと二、三ヵ月は顔を 見ないこともある。二人が現役を続けていく限り詮方ないのかも知れない。
「把握したくないけど、真田くんのスケジュール聞いとこうかな」
 にやりと笑う不二を睨みつけて、挑発にのるものかと真田は耐えている。次回からの遠征は、間違いなく実家に帰されるだろう。



 予めタレに漬け込んでいた豚を焼いている間に、レタスを洗う。大きめに手切りしたそれをざるに移したところで真田が 身を乗り出してきた。
「キャベツはどうした?」
「何に使うんだ」
「豚のしょうが焼きといえばキャベツの千切りだろう」
「それは豚カツの場合だ。しょうが焼きはレタスに包んで食すと決まっている」
「キャベツと豚は相性がいい。レタスには何の栄養もないんだぞ」
「いい加減なことを言うな。包んだ方が見た目も綺麗だし、一緒に食べられて食感もいいんだ」
「彩奈さんはどこから嫁に来られたんだ」
「こんなものに地域差があるもんか」
「あるぞ。関が原を境に西と東では食文化が異なるんだ」
 どうでもいいような拘りだ。キャベツがないと言えば今から買って来ると言い張る。勝手にしろだ。
「なんか聞いていて無性に腹が立ってきた」
「オレだったら、手塚さんのつくってくれたものに絶対ケチつけたりしない」
「真田くんがキャベツ買いに行ってる間に、始めちゃおうか。英二たち早く来ないかな」
「先輩たちが着いたら、鍵かけちゃいます?」
 財布を片手に飛び出しかけた真田が、努めてゆっくりと戻ってきたのは言うまでもない。だが、根本的な問題の 解決には至っていないと俺は思った。




豪華キャストの割りに、なんてスケールの小さい話でございましょう。なんか妙にリアルなお話ですみません。