Hanabi









「おや、」



 都内某所にある室内用練習コートで手塚の相手をしていたコーチが、 関係者以外は締め切った筈のドアに背を預けて佇む人物に目を止めた。
 練習の手を止めたコーチの言葉に反応して、手塚も後ろを振り返る。 こんな場所に珍しいと彼は少し目をそばめた。
「お久し振りですね、真田選手。大会前に手塚を視察ですか?」
 軽く挨拶を送るコーチに真田は小さく頭を下げた。
「練習の手を止めて頂く必要はありません。少し気になることが あったものですから、見学させてもらいます」
「気になること?」
 コーチと手塚が同時に言葉を発した。二人して目を見合わせるが、 真田のいう『気になる』の意味を掴み取れない。
「手塚の専属として聞き捨てならないな。何か不調の兆しでも発見しましたか?」
 コーチの言葉に棘が含まれるのは仕方ないだろう。彼にしてみれば、部外者が、 しかもれっきとしたライバルの一人が立ち入ったことをと思ったに違いない。 しかし、そんな剣呑な雰囲気など真田が忖度するはずもなく、余裕で腕組みを したまま「続けてください」と返事をする。
 コーチの目が「どうする」と、問うている。手塚にしても返答に困るが、ふだんから 直裁な真田の、持って回ったような言い回しに、彼自身明確な答えを用意して いないのだと手塚は思った。
「構わないでしょう。別に見られて困るようなものでもないし」
「それは、そうだが――」
 なおも言い募るコーチに手にしていたボールを放り投げ、手塚はレシーバーの 位置についた。



 手塚が中学を卒業すると、当然のようにプロ契約の話が何社からも舞い込んできた。
 しかし、小学生の頃より早々のプロデビューを謳われた逸材は、世間の期待に反して 関節各部の故障に泣き、じっくり一年間治療を優先させ高校在学中にプロへの道を 選んだ。早過ぎることも遅かったとも思わない。関節に爆弾を抱える状態で、戦い抜ける のかと訝る声もあったが、プレーやとして第一線で活躍できる時期は極めて短い。
 意外とせっかちだなと誰かが言った。
 そのとおりだと、待てないのだと言い放って現在に至る。
 その後を越前が追い、真田が並び、切原が迫ってくる。先駆者として彼らに 後れをとるわけにはいかない。あれから二年。大学生とプロとの両立も果たしいまは充実した 日々を送っている。爆弾もいまはナリを潜めているようだ。
 その手塚のどこに不安があると真田は言っているのか。
 真田の言動を頭のどこかに残しながら練習に没頭しているうちに、気づけば当のヤツの姿が 消えていた。得心がいったのか、見極めたのか、真田が佇んでいた扉付近を見つめたまま 汗を拭いている手塚にコーチが近づいてきた。
「変なヤツだな。いったい何が言いたかったんだろう」
「真田はあんなものでしょう。いつだって言葉が足りない」
「手塚に言われたら真田くんもおしまいだな。だけど、精神的な揺さぶりをかけに 来たのかも知れないな。いまは状態もいいし、不安材料なんかない。あまり気にするな」
 タオルで汗を拭く手を止めて、努めて冷静に手塚は言った。
「そんなヤツじゃないですよ」



 その日の練習を終了し、テニスクラブを出た手塚を待っていたと姿を現したのは 切原だった。まったくきょうは千客万来だ。しかも嘗ての立海大関係者。これで夜に柳 から電話でもあればトリオだなとつい苦笑が洩れた。
「久し振りですね、手塚さん。お元気そうでなによりです」
「おまえも人並みに挨拶ができるようになったんだな。周囲の方々も一安心だろう」
「これでも一応プロですからね。スポンサーへの追従や折衝にも慣れましたよ。で、そんな ことはどうでもいいんだ。きょうはもうお終いでしょ。デートしてください。 今晩、うちの近くででかい花火大会があるの知ってるでしょう。一緒に見ましょうよ」
 悪いがと、手塚は盛大な溜息をついた。
「人ごみは苦手なんだ。知ってるだろう」
「もちろんスよ。あんなゴミゴミしたところにあんたを連れてなんか行けないよ。 危ないじゃない。そうじゃなくって、俺んちのベランダが結構いい位置で、これがきれいに 見れるんだ。だったらいいでしょ」
「切原」
 言葉を切って手塚は続けた。
「おまえは俺が花火を見て喜ぶとでも思ったのか」
「もう、しち面倒くさい人だな。そうですよ。俺んちで二人っきりになりたかったの。 それできょうこそは押し倒して、俺のものにしようと目論んでる。そうストレートに言えば 満足? 俺だって無粋じゃない。ものには手順ってものがあるんだよ。 ちょっとは雰囲気を楽しもうとは思わないのかな」
「それは気が回らなくって済まなかったな」
「んとに嫌味に風格と余裕が増しましたね。そんなとこだけレベルアップしてどうする」
「そういうわけなら、身の危険を感じて丁重にご辞退申し上げる」
「ちょっとは俺の望みを叶えてくれたって罰は当たんないと思うけど。苦節何年、あんたを 追いかけ続けてると思ってんだ?」
「それを袖にしたところで、天罰とやらは俺には下らないだろう。いい加減に――」
 と、言い切ったところで切原に腕を掴まれた。小柄だったこの男もいまでは 手塚に並んでいる。そこだけ成長しないのは自分だけかという気分にもさせられた。
「諦めないって何度も言ってる。なれるもんならなりたいけど、ストーカーできるほど 暇じゃないから、これからも会えたときには何度でも言う。それを押さえつける権利は あんたにだってない筈だ」
 この手の押しに本当に弱い。きょうは先約があるからと、発せた言葉はそれだけだった。 「誰? 副部長ッスか?」
 それには沈黙しか返せなかった。
 逡巡している手塚に比べて、桐原の決断は早かった。徐に携帯を取り出すと、 アドレスを繰って性急に電波を飛ばしている。どこへと聞かなくてもそれくらい手塚に だって理解できた。
「あっ俺ッス。いま手塚さんと一緒なんですけど、きょう副部長と約束あるんでしょ。 俺も一緒に行っていいですか?」
 想像できた展開だ。真田の眉間には思い切り皺が寄っていることだろう。だがこれは もう不可抗力。どうなったって知るもんかと手塚は開き直った。
「はい。オッケ。わかりました。んじゃ、いまから伺いますからね」
 なんだかんだと真田もこの後輩には弱い。にぱっと切原は極上に笑った。



 駅前で手土産を買って、相当足取りに隔たりがある二人連れは、それぞれの思いを抱いて 真田の自宅にたどり着いた。インターフォンを一度押して、そのままドアに手をかける。
簡単に開く扉は勝手に入れという意思表示だった。
「お邪魔しま〜す」
 真田もプロ転向と同時に実家を出て、いまはこのマンションで一人暮らしをしている。 適当に散らかっていて、いい具合に片付いている部屋だといつ来ても思う。
 二人がリビングへ入ると、ソファにはしかめ面のまま腕組みをした真田と、 その向かいにはなぜか柳が腰掛けていた。不思議なことに手塚の背後の切原の腰が引けている。 なぜだろうと思う前に柳が腰を上げた。
「やぁ、手塚。調子はどう? いい感じだと噂は聞いているよ」
「あぁ、悪くない」
 手塚にとって柳は、妙な気遣いなく話せる数少ない友人の一人だ。差しさわりのない会話のあと、 柳は切原に視線を送った。
「赤也、ちょっと話がある。来い」
「な、何なんですか、センパイ」
「いいから来い」
「えっ、俺、手塚さんと副部長に話があって――」
「すぐに終わる」
 怒るでも強制するでもないのに、あの切原は大人しく柳の後に従ってリビングを 出て行った。それを見送って手塚は真田に声をかける。
「柳も来てたんだな」
「違う。赤也対策に蓮二を呼んだんだ」
 嘗ての立海大附属の三人。彼らの間に去来する上下関係が未だに理解出来ない。 最強なのは柳なのか、それを使いこなしている真田なのか。手塚は肩を竦めるしかなかった。
「で、何の用だ。きょう、約束した覚えはなかったが」
「それは俺が言いたい。おまえが妙な捨て科白を吐いて立ち去るから、気になったんじゃ ないか」
 あぁ、そのことかと真田は確信的笑みを浮かべる。分かっていてやったなとその狡猾 さに苦笑しかでてこない。その表情を認めて、真田は唐突に言い放った。
「昨日、おまえ、左肘を庇っただろう」
「昨日? 庇った覚えはないが」
「俺が手を添えたときだ。いや、いい。自覚がなければ大丈夫なのだろう」
 手を添えたと言われその場に凍りついた。どういう状況だったか判断できないが、 場面は自ずと限られてくる。真田が視線を外し、つられて手塚もあらぬ方向へ漂わせた。
 妙な沈黙に耐えかねた喉が、勝手に言葉を紡ぐ。
「その程度のことが、気になったのか」
「あぁ」
 あとはただ言葉がなく時を刻む時計の音に二人包まれた。
 夏の夕闇はすっかり帳を下ろし、少し薄暗くなった室内に灯りを点けようと立ち上がった 真田を、手塚はその腕を取って制した。
 先に弾けるような色とりどりの光。遅れて耳馴染んだ弾ける音。
 夜空に華が咲き始めた。
「ここでも花火が見れるんだな」
「そのようだな」
 特別郷愁をさそうという訳ではない。男二人で見入るほどのことでもない。それでも もう少しこのままでと、手塚はゆったりとソファに体を預けた。






end








30000hitsを踏んでいただいた の 攣さまに捧げます。
お題は真塚ベースの切塚だったんですが、切原には本懐を遂げさせることができません(汗!)
あんなに焦がれてるのに何度も何度も肩すかしで、気の毒すぎますね。
次は次はと言いながらもはや、狼少年状態です。この一線越えるの勇気がいるな〜
攣さま今回は本当にありがとうございました。♪