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 関東大会準決勝を目前に控えた青学テニス部部室。
 うだるよな熱気の中、不二と菊丸の3−6コンビが談笑しながらその扉を開けたとき、入り口に背を向け 無心に何かに励んでいた乾の肩が微妙にピクリと反応した。語りに夢中な菊丸なら、隣でパイナップルのピンが 外されても気づかないかもしれないが、総てに過敏な不二の眼は誤魔化せない。大きな背中からはその表情は 伺い知れないが、乾にしては珍しく一瞬、虚をつかれてさり気なさを装い切れなかったのだろう。彼の舌打ち が聞こえてきそうだと不二は思った。
 そんな二人の水面下での鬩ぎ合いなど関せずの菊丸が軽快に挨拶を送った。
「乾ったら早いじゃん。張り切ってるね」
「あぁおまえたちか。そういう二人も仲良く部室入りってところかな」
 いま気づいたよと努めてゆったりと振り返る乾に不二は苦笑が隠せなかった。
「これからも気が抜けない相手校が目白押しだからね。桃にダブルスの極意を伝授しなくっちゃ」
「菊丸も随分と先輩が板についてきたな。大石が聞けば目頭を押さえる場面と見た」
「タカさんが聞いたらお寿司奢ってくれるかな」
「なぜそうなる」
「でもさ、手塚が知っても当然って顔されるんだよね。三年近く一緒にいるけど、おれ、一度だって手塚に褒められた ことないや」
「そんな栄誉を拝聴賜ったヤツがいたらお目にかかりたいくらいだ」
 なぁ不二と振り返り、返されたにこやかな笑みに乾は眉をひそめた。不二のこの手の笑みには、つい後ずさりしそう になる。
「そうだね。ところでさ、さっき乾は何してたの?」



 乾貞治184cm。小柄な不二に怯んでいる場合ではないだろう。だが、手にしていたそれを後ろ手に隠すような 消極的な行為に、不二は驚異的な速さと力強さでその手を鷲づかみにした。ちっと鳴らされた小さな音に、不二の目は 更に細められた。
「ふう〜ん。携帯でメール中だったわけ」
「え〜。だれ、だれ! 彼女にメールしてたのか?」
「乾、いま付き合ってる彼女いないよね」
「嫌なヤツだ」
「手塚に、してたね」
 スルっと何もかもお見通しというわけだ。だがここで厳しい詮議を受けるいわれだってない。乾は開き直り 作戦に切り替えた。
「そのとおりだが、言い訳をする必要も、不二の許可がいるわけでもないだろう。それとも部の規律に則って、 大石を通してでないと手塚に連絡を取ってはいけないとでも」
「だれもそんなことを言ってないよ。乾が不審な行動をするからでしょう。それにみんながしてることだからね」
「禁止して回るほど暇じゃない、か」
「そうだね。僕が把握しているだけで膨大な人数になりそうじゃない。それにうちだけじゃなくって、他校にも 挨拶に出向かなきゃならない。本来なら僕を通せって言いたいところだけど、流石にね」
「なるほど、他校もか。その総てからメールを受けているとしたら、手塚から返信がないのも頷けるな」
「ほんとだよ。なんで誰彼構わずアドレスを教えるかな。そういうところが憎たらしいよね。 一日に何通受け取ってるのか、考えただけで眩暈がするよ。でも、一応目は通してるんだろうね。律儀だから」
「手塚の場合、その膨大な量の返信が面倒というより、読んで自己完結している節があるな。返信するなんて思いも しないんじゃないか」
「読んでくれてるといいけど。返信どころか開け方も知らなかったりして」
「『メールありがとう』って手紙がきたらどうする?」
「うわぁ、そこまで前世紀の遺物かな」
 手塚機械オンチ説で盛り上がっている二人に、鼻歌交じりで着替え中の菊丸がさらりと爆弾を投下した。
「へ〜、手塚から返信来ないの? 俺には来るよ。即レスってわけじゃないけどさ」



 さながらバックの効果音はドンガラガッシャンといった感じか。弾かれたように不二は菊丸に詰め寄った。
「ちょっと待って、英二。それどういうことさ!」
「送信も出来たのか」
 まず、そこに関心してしまう。だが、乾にしても伏兵にしてやられたという感じだろう。菊丸英二、 なかなか侮れない。
「どういう内容で送ってるの」
「へっ、ふつうだよ。桃とのダブルスの息もあってきたぞ〜とか」
「それで手塚はなんて言ってきたの」
「がんばれ、って」
「英二には返事するんじゃない」
「部活関係の会話という選択がよかったのか。それにしても……」
「ねぇ、他には?」
「う、うん。おチビが生意気だから早く帰って来て叱ってとか、きょうも桃と海堂が喧嘩してたよとか」
「端的だが、部誌にも書けないような世間話だな。大石だってスルーするだろう」
「それに全部返信があるわけ?」
 ここまでくると流石の菊丸も雰囲気の刺々しさに気づいたようだ。うーんとか言葉を濁している。それを肯定と 受け取って、不二の両目が思い切り開眼した。
「信じられないよ。僕、いまから宮崎へ行って直談判してくる」
 まぁまぁと乾が肩に手を掛けて窘めた。窘めついでに先ほどの意趣返しも忘れない。
「不二からのメールに返信したくない気持もわからないでもないな。恐らく読んでいて赤面するくらいのハーレクイーンな 文面なんだろう。君がいないと寂しいとか。夜がセツナイとか。枕の乾く間がないとか」
「そんな陳腐な文章、だれが打つもんか。乾こそ、文字数の範囲を超してレギュラー陣の体調とか、仕上がり状況とか逐一 報告してるんでしょ。読むだけで手塚の視力が落ちるじゃない」
 配慮に欠けると吐き捨てる。それには当然との応えが返った。
「俺には報告する義務がある。不二、君とは違ってね」
「だれも頼んじゃいないよ。何時までも打ってれば」
 どちらにしても二人には返信がこないだろう。苦虫を踏み潰したような二人のやり取りを、菊丸は瞳をクルクルさせて 見守った。



「大石は仕方ないとしても、他にも返信貰ってるヤツいるのかな」
 確認を取ってくると立ち上がる不二の腕を乾が抑えた。
「止めておけ。わざわざ傷口を広げる真似をする必要はないだろう」
「乾は、僕たちだけだって思ってるわけ?」
「それを確かめる勇気はない」
 その頃になると他のメンバーも次々と顔を出してくる。だが、部室の一番奥の机に陣取って、何やら不穏なオーラを 巻き散らかせているレギュラー二人に近づく者はいなかった。
「英二センパイ」
 桃城が菊丸の近くまでやって来て小声で尋ねた。
「一体どうしたんスか。重鎮のお二人は?」
「よくわかんないけど、ちょっとややこしく拗ねてるから、理由を聞いたらとばっちりを食らっちゃうぞ」
「触らぬ神、ってヤツっスか?」
「先輩として桃に重要な忠告をしておく」
 何時になく真面目な様子で菊丸が顔を近づけてくる。桃城も神妙に頷いた。
「いいか、あの二人から手塚からメールが来るかとか聞かれたら、来ないって応えるんだぞ。それが桃の 身の安全のためだかんね」
「えらい決意の割には細々した話題ッスね」
「いまのあの二人に理性はないと思いなさい。準決勝を前に可愛い桃の心身が傷つくのを俺は見たくない」
「そこまで切羽詰まってるんスか」
「俺たちが思っている以上にね」
 さぁ、練習、練習と河村も連れ立って三人は出て行った。



 一人、また一人とコートへと出てゆき、心なしか肌寒さを覚えた二人も漸く立ち上がった。何時までもここで 黄昏ていても埒があかない。それにそれ程時間に余裕があるわけでもなかった。
「それにしてもさ、だれが手塚に携帯の使い方を教えたんだろう」
「不二ではなかったのか」
「僕はてっきり乾だと思っていたよ」
「大石でもないな。手塚が携帯を持ち出して助かったとか言っていたからな」
「いつの間にか持ってたよね」
「手塚が自ら求めて、取説を読んで使えるようになった可能性は……」
「100パーセントない」
 一刀の元に斬り捨てられた。
「生徒会とか大石とか、手塚が携帯を持っていて助かるってことはあっても、あいつが持つ必要はないもの」
「よく理解している。と、すると……あれ、かな」
「あれかもね。とことんムカつくよな」
「不二くんとも思えない口汚さだな」
 部室からコートまでの道程、しばしの沈黙が訪れた。二人の胸に去就するそれぞれの決意に今更水を差す者はいない。
「関東大会決勝に手塚が間に合わない場合、」
「その可能性は極めて高い」
「僕はシングルス1を誰にも譲らないよ」
「冷静に対決してくれさえすれば、何も言うことはない」
「僕は何時だって冷静さ。見てろ。立ち上がれないくらいに粉砕してやる」
「サポートは任せてくれ。俺の持てる能力をフルに発揮させて攻略法を見つけ出す」
 準決勝をすっとばして、決勝の相手に闘志を滾らせる二人に、その決意の発端の是非はこの際どうでもいい。 相手校が違うかも知れないという可能性も瑣末事だ。
 恐らく、様々な思惑が絡み合った、至上稀にみる激闘になると想像に難くなかった。






end






手塚がメールを打てた事実に衝撃です。
それにしてもごめんね! 不二くん、乾くん。 みんなどんなやり取りをするのかって考えたら、こんな犠牲者が出てしまいました。
いい加減、手塚サイドからの 不在ネタも書きたいんですけどね。神さま、早くそこんとこ書いてください(熱望!)