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〜始まりはいつも夕暮れ





「その顔、どうしたんだ?」
 指定された待ち合わせ場所で、開口一番柳が聞いてきた。更けゆく薄闇の中でも一目で分かる様相を しているのかと、手加減なしに殴られた痛みが蘇った。
 邪魔くさくなって真田は答えない。柳もそれ以上聞いてこなかった。
「病院を抜け出した幸村が向いそうな場所は? 参謀どの」
「自宅はあり得ない。あとは学校かとも思ったんだが、いなかったらしい。他のメンバーにはもう少し 詰めていてもらうように頼んである。いまじゃなくても向う可能性は大きいからな」
「なるほど」
「お前に連絡はなかったのか」
「ああ」
「家には。その周辺とか?」
「蓮二、何が言いたい?」
「幸村の想いに気づかないほど鈍感じゃないって話さ。あいつお前に会いに行ったんじゃないのか」
 その手の会話を厭って真田は事務的に告げた。
「関東大会が行われたコートはどうだ? そこにいないとなると、想像がつかん。俺たちでは探しきらんだろ。 さっさと警察に連絡した方が早いぞ」
「幼児ならともかく、いい年した男が半日行方知れずくらいで警察は動いてくれないさ。その案は出たが」
 なぁ、弦一郎、と柳は親指で真田の横顔を指し示した。
「お前を殴れる相手なんか限られている。例えば本当に幸村がお前に会いに行ったとして、ヤツに見られて困るような 愁嘆場を晒したんじゃないのか。綺麗に跡をつけて」
 真田は答えを嫌い柳から顔を背ける。付き合いの長い親友はクスリと笑みを落とした。
「派手な色恋沙汰も結構だけどね、副部長。気合入れて収束させないと泥沼を見るよ。お前に思いを寄せてくる 女子に対しては、一刀の元に斬り捨てられても、幸村相手ではそう無下に出来ないのも分かるけど、そんな曖昧な 態度では手塚のことをどうとか言えた義理じゃないぞ」
「濁したつもりはない」
「どうだか。おおかた、幸村に望みを持たせるようなことでもしたんだろう」
 コイツ、間諜でも放っているのかと多少身じろいだ。そんな真田に柳は顎を上げる。
「何だ、図星か?」
「カマをかけようとしてもそうはいかん」
「僕に隠し事だなんて百年早いよ、弦一郎。この件ではとことんお前を詰りたい気分だけどね、時間がないから きょうは引いてやるよ」
 大したこともでない癖に、多大な貸しを与え重篤な弱みを握られた気分にさせられる。とことん悪辣な男だ。
「忘れているかも知れないから、一つ重要な忠告をしておくよ。ああ見えても幸村は気が短いんだったよな」
「それを言うなら手塚もだ」
 一瞬間が空いた。
 二人は顔を見合わせて一度逸らせ、壮大なる溜息をついたあと、同じ方向へ向って走り出した。



 殺気というほど剣呑なものではない。だが、何か不穏なものを感じて手塚は立ち止まった。
 以前、警察官を相手に柔道の指導をしている祖父と共に、教え子たちの試合を観戦したことがあった。 精神修行になるからとテニスよりも先に習わされていた経緯もあり、あの精神世界にはどこか惹かれていた。
 ルール内で抑えられた闘志。そのときに覚えた武道家が持つギリギリのスポーツマンシップが、拳となって後方 から繰り出された。
 多方面から散々な評価を受けている手塚だが、人様から受ける恋情には疎くても、敵意に相当するものには 敏感に反応できる。驚くほどじゃないと声に出して言いたいくらいだ。
「後ろから襲うなんて卑怯じゃないのか」
 方向を変えただけでその攻撃をかわした手塚に、相手はニッコリと綺麗に笑う。特に悔しそうでもないのが 不思議だった。
「だって君、僕の気配に気づいていたじゃない。当たればラッキ。でもどうしても一発殴ってやりたいって、 君の後ろ姿見たらそう思ったんだよ」
「人様を不快にさせるような背中なんだろうか?」
 暗がりから現れた相手の姿を認めて本気で問う手塚に、まだ入院を余儀なくされている筈の幸村は、 少し疲れたふうに肩を竦めた。
「背中がどうとかじゃなくて、その言動がね。多少含むものを持ってる僕には憎らしいってこと。 手塚には理解できないだろうけど」
「善処する」
「しおらしいこと言うね。どう善処するか分からない癖に」
「鋭いな」
「あー、みんなきっと、この回転数の違いに毒気を抜かれるのだろうな」
「テニス以外では俺の周りの空気がゆったりと流れているそうだ」
「それは、惚気?」
「そうか、な」
「やっぱり一発殴らせろ!」
「謹んで遠慮させて頂く」



 幸村のストレートが逃げた手塚の髪を掠った。耳元で小さく唸る風切り音が幸村の苛立ちを表しているようで、 なぜかその方法に安堵する自分があった。くだくだとした会話は得意とするところではない。説明を求められ ても相手を納得させるだけの確かなものが何もないからだ。
 お互い疲れるまで待てばいい。ただそんな気がした。
 土俵が違う分、余裕が生まれることもあるらしい。
「ふつうこういう場合はテニスプレーヤーらしく、勝負をつけようとするのではないのか?」
「いまの僕では、君にかなわないから」
「殴り合いなら、病人相手だから俺が手加減すると?」
「そう。強かな計算もあるね」
 ああ、でも限界だ、と幸村は両手を膝に添えて荒くなった息を整えた。
「イヤな相手でも拳を交わせば分かり合えるなんて、あんなの嘘だね。そんなに簡単にわだかまりが取れたら、 衝動殺人なんて起こらないよ」
「刺すつもりだったのか?」
「どうして僕が君のために、少年院送りにされなければならない? バカバカしい」
「そうか。よかった。引退した身といっても在校生が喧嘩沙汰を起こせば、秋の新人戦の出場が危ぶまれる。 そんなことになれば、部のみんなに顔向けが出来ないからな。立場はお前も同様だろう?」
「この場でその切り替えしが出来る君を少し不気味に思うよ」
 一番にそれを心配するか、ふつう? と幸村は肩を竦めた。
「なぜだ? 元部長同士として当然の配慮だろう?」
 少しばかり上気した頬から一筋の汗がしたたる。陰鬱に幸村はそれを袖口でぬぐった。
「真田がどう思っているとか、僕の心境とか、自分の気持と向き合うとかには働かないのかな、君の頭って?」
「俺の気持?」
「そう」



 目には見えないものをどう現せばいいのだろう、と手塚は肘を庇う仕草をした。
「僕は真田が大事だから、ヤツがどう思おうと想いをぶつけるよ。僕は本当に真田が好きだから、いい加減なら 正面切って君を糾弾できる。そんな僕と立ち向かうだけの勇気がないなら身を引くべきだとは思わない?」
「それは違う」
 またお決まりの逡巡を見せると思っていたのに、即答されて幸村の方が躊躇った。
「会いたい思うときも会いたくないと思うときもある。アイツに惹かれているとも煩わしいだけのこともある。 自分勝手で強引で心底憎たらしいことがほとんどで、それでもアイツの強さに引き寄せられる。その程度では、 お前に言わせるといい加減なものなのだろうが、それでもアイツの傍にありたいと思う気持を封じる 権利はお前にはないだろう。それは誰に対しても言えることで、身を引くつもりもそれを振りかざすつもりも俺には ない」
「それでも僕の方が好きだという気持は強い」
 手塚の静かな熱に煽られたのか、幸村の声は消え入りそうだった。それは間違いない、と手塚。認めるとも。
「けれど想いの深さを競ったところで、測る物差しが違うのだから、あとは誰かに認めてもらいたいという話になる。 周りの誰かに認めてもらいたいために、人を好きになるのではないだろう」
 綺麗に笑った手塚から幸村は目を逸らした。そうせずにはいられなかった。
「詭弁だな。君らしくもない。でも、――」
 汗かいたの久し振りだ、と幸村は当たらなかった拳を見つめた。
「みんな心配しているぞ。取り合えずお前が見つかったことを真田に知らせなくては」
「君がする必要はない。僕がみんなに謝るから」
 と、幸村は手塚から背を向けた。



 幸村からの連絡がある筈だから、二人が佇んでいる四辻から離れた真田と柳は足早にその場を後にした。 中学テニス界で皇帝とまで称された男の背中が、不自然なほど強張っている。いや、歓喜なのかなと 柳は湧き上がってくる哂いを堪えた。
「珍しく手塚が語っているよ。しかもお前にとっては喉から手が出るほど欲しかった言葉なんじゃないのか?  モテて宜しいことだよ、弦一郎。手塚を送って行け。幸村は僕に任せて遠慮せずに行けば?」
 真田の背がどの面下げて出て行けるかと語っている。いま覗き込んだら赤面しているのか、反動で仏頂面 なのか。武士の情けで見ないでやることにした。自分がいなければ高笑いしてた場面かも知れない。 見れなくて残念だと心底思う。
「お前たちと一緒にいると引退後も有意義だよ。退屈しなくてすむ」
「それ以上言うとぶっ飛ばずぞ」
「付け加えるなら幸村はあれで粘り強い、だろ?」
 前をゆく真田の携帯が鳴った。コトの顛末を知らないと思っている幸村からだろう。少しの逡巡のあと、 真田が声を低くして出る。その背に向って柳は呟いた。
「おまけに手塚も頑固ときている」
 大変なことだね、と言った柳の言葉を、真田ならきっちり聞き分けていただろうと、そう思った。


end





あ〜! こんな落とし方をしてしまったぁ〜
まっ、ヤツらもふつうの体育会系で、男の子だということで(汗)
幸村の手術が関東決勝の当日っていまになって分かっても、どうしようも ないですね、こりゃ。こんな秋口まで入院してる訳ないけど、しょうがないので突っ走りました(大汗)