an intermittent pain






 そこまでするつもりはなかったというのは言い訳だと、真田は思った。



 そう言えば、とその日手塚は課題の手を止めて唐突に切り出した。
「おまえに初めて会ったのは、中一の新人戦だったか。確か試合会場だったよな」
 と、したり顔で言った。
「二年だ。中二の関東大会だ。もう痴呆症が始まったか。たるんどるな、おまえは」
「よく覚えているな。昔のことだから忘れてしまった」
「どこが昔だ。ついこの間のことではないか」
「一年の時には対戦しなかったか?」
 手塚はまだ言っている。
 していない、ときつめに吐き捨てて真田は手塚からの視線を外した。
「あの頃は慌しかったからな」
「そういう問題ではない」
「俺も色々と大変だったし」
「黄昏れるな!」
「何を怒っているんだ?」
「煩い。さっさと課題をかたせ」
 手塚の、からかう訳でも思わせぶる調子でもなさそうな言い様に、その姿に一目で目を奪われたなどと、 意地でも打ち明けるものかと頑なに誓う真田だった。
「スコア、覚えているか?」
 手塚は座卓に肩肘をついた行儀の悪い姿勢で、小さく哂いながら聞いてくる。きょうはどういう訳かやけに 雄弁だ。それにしても忌々しいことこの上ない。無論覚えている。それも細部に至るまで実現できるほどだ。 だが、真田は無視を決め込んでテキストに意識を集中させた。
「絶対覚えてるだろう。真田は記憶力がいいというよりも、執念深い性質だからな」
「テキストの詰め込みすぎで脳が沸騰したか。それとも予想以上の課題の多さに悪酔いでもしたか。 自意識過剰丸出しで絡むな」
 手塚が真田の尖った物言いに何の反応もないのは、ただ付き合いが長いからではない。
「この間、久し振りに跡部に会った」
「ふん。相変わらず話の脈絡のないヤツだな。それで」
「やはり対戦したときの話になって、あれは俺にとっても過酷な試合だったから……」



――流石によく覚えていて。



 切欠は恐らく、そんな眩暈しそうなほどの妬心。



 翌日は共にオフという土曜の夜。
 どちらかの家に泊まりこむのはこれが初めてではなかった。
 他校生同士にもかかわらず、何度か試合会場で会ううちにいつの間にか連絡を取り合うようになり、 互いの家を行き来するようになり、共に似通った時間を過ごしている。
 二人とも貴重なオフに人ごみに出歩く趣味はなく、あったとしても映画館か図書館、本屋、そしてテニスコートくらい。 会話は極端に少ないし明確な意思表示をしたこともない。引っ張り回すのはいつも真田の方だったりする。 打ち合おうと言えば、多少仏頂面を綻ばせてラケットを手にするし、大型書店へ誘えば時間を 忘れて没頭している。
 拒否はしない。しかし喜んでいるとも思えない。無理強いしている気さえする。
 それでも気遣う必要のない心安さからなのか、己よりも老成した部分で安心するのか、手塚とは 気忙しさや騒がしさとは無縁の時を過ごしている。



 それでも、そんな願望がどこに潜んでいたのかと、驚きもした。



 余りにもあからさまな独占欲。



 そのまま肩に触れ、かき抱き、きつく後頭部を固定し、乱暴に押さえ込み、そしてゆっくりと唇を 重ねた。言葉などなく、激しい衝動についていけない体の動きをもどかしくも思い、手間取り、 驚愕に見開かれた手塚の瞳とぶつかった。
 拒絶の言葉が紡がれる前に更に深く深く。
 言い訳など口に出来ようもなかった。



 朝まだき、辺りはまだ薄暗い中、真田は先に目覚めた。
 背中から抱くように閉じ込めた手塚の存在を確かめて、いま一度目を閉じる。 背にも肩にも腕にも押した所有の証。それが返って遠くに感じる。そうでもしなければ繋ぎ止められないことを 証明しているようなものだ。
 真田の身じろぎが伝播したのか、手塚が小さな呻き声を上げた。
 安眠を妨げまいと、真田は束縛の腕をそっと抜いた。その僅かな動きで手塚は完全に目覚めたようだ。 背後の真田を振り返った。
「……」
「朝っぱらから睨むな」
「……にっこりと笑っておはようとでも言うと思ったのか」
「あり得んな」
「それだけか。何か言うことはないのか」
「ない。何もない。それとも悪かったと俺が詫びるとでも思ったか」
「おまえ! 俺を何だと思ってる! つっぅ!」
 真田の体を突っぱね、言葉を荒げた手塚が顔をしかめた。そのまま褥にうっ伏せる。体のありとあらゆる 部分が悲鳴を上げている。真田の添えかけた手は宙を漂ったままだ。謝辞など出てこない。労わりの態度など 白々しいだけだ。これは確かに彼が望んだ形なのだから。
「……い、だけだ」
 枕に顔を押し付けたままで手塚は恨み言を言った。聞き取れなかったが、押して知るべき反応だった。
「痛い! 触るな!」
「触ってない」
「では、近づくな!」
「人に当り散らすな。見苦しい」
「見苦しいだと! おまえに当たらないでだれに当たれって言うんだ!」
 尤もな言い分だが、毛を逆立てて狼狽える手塚など、めったと拝めるものではない。真田に少しだけ 余裕が戻った。その笑みを見咎めたのか、手塚はフンと鼻白んで褥から這い出す。そのまま手短に身繕い をしだした。
「どこへ行く」
「きょうは、家の方がどなたもいらっしゃらないというのは本当だろうな」
「ああ」
「シャワー。使わせてもらう」
 少し待てと手塚を制すると、彼を押し留め真田は立ち上がった。
「シャワーでは体を冷やす。風呂を用意してやるから待っていろ」
「必要ない。早くさっぱりしたいんだ。待ってられない。それにこの気候で体を冷やすも何もあった ものじゃないだろう」
「疲れを癒したいのなら、ここは黙って言うことを聞いておけ」
 そういい残して真田は自室を出て行った。



 朝から風呂を焚いてもらい、何度も何度も湯船に沈みそうになりながら、それでもささくれ立った気分が、 少しは霧散する頃にはすっかり茹で上がったような手塚だった。
 脱衣所の鏡が髪の雫をふき取る手塚を映す。どう仕返しをしてやろうかと凄んでいる顔だ。 痛みと恐怖と屈辱と。その総てをあの男は与えてくれた。殴ってやろう。腹部に一発。顎にアッパーを かますのもいい。そしてその後――。
 その後と口に出して手塚は固まった。
 何と言葉を投げ捨てるのだろう。何と。
「あの野郎!」
 悔しさだけが募る。憤りもある。同じ目に合せてやろうかとも思う。それでも、その怒りに嫌悪が含まれて いない事実に手塚は苛立った。



 足の裏を叩き付けるように廊下を歩いていた手塚は、明るくなった居間の前で立ち止まった。 胡坐をかいて腕組みをした真田が入って来いと睨みを利かせている。
 ふと視線を下げればテーブルの上には湯気を上げている朝食らしきもの。
 形のつぶれたハムエッグと焦げ目の際立つトースト。唯一ホットミルクだけは無事なようだ。朝から 味噌汁煮物系の真田がどうにか形にできたものがこれなのだろう。
 手塚は目を見張った。
「何か食え」
 まだ廊下で立ち尽くしたままの手塚に真田は声をかけてくるが、思わず目を逸らしてしまった。 それに対しての返答がすんなりと声にならない。
 殴るつもりで。おまえの顔などもう見たくないと、叩き付けるつもりで。ただ――。
「欲しくない。眠い」
 そう言えただけだった。
「そうか。では俺が頂くとしよう」
 和食派の真田が正座しなおして、綺麗に両手を合せた。
 朝日の差し込む真田家の居間で、物を咀嚼する音だけがリアル過ぎる日常だ。
 思えばそのまま帰ると言って出てゆけばよかったのだろう。いくらふらついていたからとはいえ、家で 休めばよかったのだ。それで総てはなかったことに出来た筈。
 おまえとは二度と会わない。連絡もしてくるな。顔も見たくない。試合で対戦したときだけ大目に見てやる。 そう言って出てゆけばよかった。
 それなのに豪快に食事をする真田の横に座して、ミルクだけでもとコクコクと飲み干し、そのまま トロトロとまどろみ出して横になったのが運の尽き。
 まるで許容したかの態度に真田が満足そうに微笑んでいる。薄れゆく意識の片隅でそれだけは確認できた。
 癪に障る。殴るのさえ忘れている。
目覚めたらもう一度罵って殴りつけようと手塚は決心する。
 仕方ないじゃないかと。
 眠くてそれどころじゃなかったのだから。






end




お初のあとの目覚めた朝シリーズです。(苦笑)
攣さんに「お初ネタで、変な拘りを見せて説教ぶつ真田に、愛想つかして出てゆく手塚」ってお題を押し付けた くせに果たしてないよ〜。ごめんよ〜。違う話になっちゃったよ〜。
とにかく最初は全然ヨクなかったという木島の拘りで、 おいおい、二人ともレベルアップしてゆくのですね〜。きっと。
跡部なんか最初から上手そう。あと不二も(オホホ)
深い意味はないよ〜。