まだまだ寒い朝霧の中、手塚は家を出た。まだ静かなまどろみの中にある街を無心になって走る。そこには想いを 密かに抱く姿も、夢中になって汗をかく姿もない。 風邪に溶け込んで走る。風となり、人としての心を捨て、ただ走る。 この世を見下ろす自然になる。 愚かさも、誇らしさも、悲しみも、喜びでさえ。 風に溶け込んで透明になる。 真田は上体を起こして、布団の中で見たばかりの夢を追っていた。 そこには、柔らかい静かな風をまとった『もう一人』がいた。 ただ真田を見つめるその瞳は、彼のよく知るもので。 ずっとこのまま見詰め合っていたい。そう思ってしまっていた。 そっと控えめにこちらを見ていた瞳はやがて、風が舞うのと同時に伏せられ、そこからすうと 綺麗な雫を落とした。 真田はその相手に向けて手を伸ばす。が、相手は逃げるように後ろに退いた。まるで、それ以上こちらに来ては いけないと、近づかないで欲しいと。何かから、真田を守るかのように。 はぁ・・・。 結局『もう一人』が誰だったのかわからなくて、前髪に手をかけながら彼は深いため息をついた。 朝見た夢で頭が一杯の真田の隣に、一人の可愛らしい少女が寄ってきた。 「おはよう、真田君」 元気一杯に挨拶する少女は、他の男子がでれっとするほど可愛い。だが、真田は考え込んだままで、反応しない。 「どうしたの?」 「・・・?ああ、吉野か」 「何よぉ、それ」 「いや」 (言えない。・・・『もう一人』じゃなくて残念に思った、などと・・・) 居心地悪くしてている真田の様子を察して、吉野は安心させるように柔らかく言った。 「いいよ。真田君はいつも素っ気ないもの。でも、本当は色々と考えてる」 「・・・」 「何私に気を遣ってるの?・・・他に好きな人が、できたんでしょ?」 「!?」 驚き立ち止まって振り返った真田に、吉野はにっこり笑った。 「何?気づいてなかったの?」 「・・・」 「っていうよりね、付き合う前から、なの。ごめんね」 吉野の思いがけない言葉の連続に、真田は何も言い返すことができなかった。 「真田君」 真剣で優しい吉野の目が、真田を真っ正面からとらえる。 「あなたから迎えに行ってあげて。どんなに拒絶してきても、諦めないで。逃げないように捕まえてあげて。 絶対それを離さないで・・・。信じて。あの人もあなたのことが好きだってこと」 「吉野・・・」 真田の声に、彼女は笑った。 「私はね・・・」 数日後の日曜。連絡を部に入れてくれるよう柳に頼んで、真田はバスに乗った。 頭の中に今はもう別れた彼女(こいびと)の声が響く。 ―私はね。 真田君と同じくらい、手塚君も好きだから。 二人とも、私の憧れなの。 だから・・・。 だから、二人には一緒にいて欲しい 〜終わり〜「天の恋 地の愛」に続く
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