I will…
仙道彰。十七才。近頃我が身を振り返って、つくづく思う。
高校二年の二学期中間考査の成績はまずまずだった。当然、先生方の覚えもめでたいし、さらにクラスメイトにも恵まれている。
揉め事があったとしてもHRで片がつくような些細な問題だろう。彼を中心に起動し出したバスケ部の状態はかなり上向きだ。大きな怪我に
泣かされているメンバーもいないから、これならウインターカップの予選もいい感じで戦えるんじゃないかと、確かな手応えがあった。
順風満帆とはまさにこのことで、絵に描いたようなハイスクールライフを謳歌しているとだれもが疑わない。
事実、それは間違っていなくて。
ただ、冷静に我が身を振り返って、理解できない、あり得ない、制御できない。なによりもそんな自分に躊躇いつつ、頭を悩ませる存在が、
ひとつくらいあったって不思議はないのだけど。
手に負えるんだろうか。
自分自身も、そしてその対象も。
なんだろうと、古の詩人のように、じっと、手を見てしまうわけだ。
正直、人間関係における駆け引きは、好んじゃいないが苦手でもなかった。というよりも、齢十七にして得意な方かもしれない。そんなことを
口にして、陵南のチームメイトたちの耳に入りでもしたら、好んじゃいないなんて、嫌味な謙遜してんじゃねー、と、一、二発、蹴りを入れられるのが
オチだから言わないが。
けれど如才ないとかあざといとか高みからの余裕とか、凡そ褒め言葉として使われないだろうその修飾語は、コート上において相手の力量と心情と
技量とを読み取り、試合巧者として天才の名を欲しいままにしているのだから、誹られるいわれはない。
またそれが学校生活全般や実生活で滲み出て発揮されたとしても、己の根幹部分なわけだから、引け目を感じる必要もない。
イメージ的には、自分が懸命にならなくても、自然と前に道が開かれているような感じ。無論、努力はしている。スポーツする人間にとっての
スタミナは、一朝一夕で培われるものじゃないし、そこには要領のよさなんて入る余地はない。ただひたすら、躰を酷使しての底上げだ。
けれどそこから先は。
最短を進んだのか、流した汗の量が違うとでも言いたいのか、確実に一歩一歩階段を昇ってきたと自負する仙道にとって、天才なんてひと言で
括られるのは、まったく不本意だった。そんなふうにグチったら越野にアッパーをかまされそうになった。「天才が開きなおった」と冷ややかな
目を向けたのは福田。「仙道さんが天才と違うんやったら、他にだれがそう呼ばれるんでっか!」と、彦一の言葉尻も荒い。
「おまえの努力とやらを認めて欲しかったらな、朝練30分前から、キリキリとシュート練習してみやがれ!」
越野がそう睨めつけるから、翌朝、はりきって20分前に登校したら、当の越野が既に息を上げていた。集まっているのは彼だけでなく、
感心しつつも、ちょっと引いてしまった。越野は毎日なんだろうか。遅刻魔だとか不真面目だとか、口を尖らせるだけのことはある。オーバーワーク
じゃないのと心配したら、これでも足りないと親友は真っ直ぐな視線を向けてくる。
――おまえでは足りるものが、オレたちでは足りない。
尤も、仙道だって練習は嫌いじゃない。嫌いなものに時間をかけるほど酔狂でもない。あんなサウナみたいな体育館で走り回れるくらいに、
絶対的にスキなのだ。
ただ、越野の朝練の量には負けるだけで。
練習にだってメリハリは必要なんだと思う。その態度が余裕と見なされ誤解を生み、嬉しくもなく神格化され、チームをまとめなければならない主将が、
ひとり浮いている現状に繋がっているのだろうか。
なにが人間関係における駆け引きは苦手じゃない、だ。と、自嘲したくなる。
それにしても、だれもかれも「天才、天才」と。あの、海南大附属の牧ですら、そう呼ぶ。
なのに、たったひとり、そんなふうな線引きをしないヤツは、仙道を羨むことも、ちゃかすことも、頼ることもない他校の一年生だ。
尤も流川の場合、喩え同じチームにいたとしても、そんなスタンスは取らないだろうから、仙道は余計な気兼ねを背負い込まなくて済む。
けれどまた別の感情で溢れそうになって、自分の立場を思い知る。
まったく、流川の存在はややこしい。
それでも、そのややこしさに吸い寄せられる覚悟と、陵南の主将である自覚と、その時々によって振り子が極端に振れてしまうのは仕方ないじゃないか。
色々と悩みも多いんだよな、オレだって、とポロリともらしたのはある日の昼休み。学食で、きょうのAランチを目の前にしていたときのことだった。
「デカイ男の溜息なんか、鬱陶しいだけだ」
目の前に座る越野の昼食は、向日葵のワンポイントも可愛い二段弁当だった。特別、こったおかずが詰まってるわけじゃないけど、それでも愛情と
手間がかかったそれを、越野はちゃんと手を合わせてから、かっ込んでいる。
「どうしたんだ、仙道。オレでよければ相談に乗るぞって言ってくれないわけ?」
「悩み? けっ、いったいなに系? まさか、どーやっても早起きできないんだとか、部活が終わるとさっさと帰りたくなるんだとか、
またコクられたよ。断っても断ってもシツコイんだよね、とかじゃねーだろうなっ」
言えるもんなら言ってみろと、越野はウインナーに箸を突き刺しながら、それを仙道の前に突き出した。喰っていいのか、と大口を開けたら、
キレのいいディフェンスで死守された。
「んなんじゃねーよ。これでも多感な十七才。恋の悩みに毎日枕を濡らしてるんだ」
「ふうん。おまえが? 報われないわけ? 場数も修羅場も相当こなしてらっしゃるお方に、トーシローのオレが、なにアドバイスできるって?
で、相手は人妻? 女優? でなかったら大富豪デラックスみたいなお嬢さまか。さんざん神奈川県内荒らしまわって、飽き足らなくなったとか
言ってんだろ。てめーなんざ、どこまでも行っちまえっ」
バカバカしいとばかりに越野は、今度はプチトマトを口に放り込んでいる。
「おまえなぁ、オレんこと、なんだと思ってんの? ちょこっとバスケの出来るふつーの高校生だろうが。オレが欲しいものの範囲なんか限られてるし、
慎ましやかなもんだよ。なにが女優だ、大富豪だ。すぐにそうやって距離を置く。それ、おまえの悪い癖」
「どこがふつーだよ」
仙道はちょっと気分を害したようだけど、この男が多感な十七才だとか慎ましやかだとか、ちゃんちゃら可笑しい、と越野は思う。
これだけタッパがあってバスケでは天才と誉めそやされて、顔もいいから当然、女はほっとかない。おまけにスポーツ特待で入学したくせに
席次は常に上位をキープしている。これで驕り昂ぶったヤツだったらまだ可愛げがあるのに、性格までさっぱりして同性からの信頼も厚いんだから、
まったく救われないというものだ。
けれど仙道的には、そんなヤツ一校にひとりくらい絶対いるだろう、ってなもんだ。おまえ、全国に高校が何校あると思ってんだ?
五千とか六千だぜ。それだけいりゃ、全然ふつーじゃん。仮にオレがさ、世界いちバスケができて、世界いち頭がよくて、世界いちモテてて、
世界いち金持ちっていうなら、おまえのその態度も分かるけど、と極端な例を上げて見解の相違を口にした。
「も、いーよ。分かったよっ」
口で仙道に勝てるなんて思っていない。ヤケクソのように弁当箱を傾けて、勢いつけて咀嚼して、ひと息ついた越野は仙道の溜息を追い越した問いを
口にした。
「おまえさ、まだ湘北のアイツと会ってんのか?」
仙道はきゅうりのスライスを口にしてちょっと固まる。話の脈絡が途切れたように見えて、十二分に繋がってるとは越野も想像できないだろう。
考えが読まれたというよりも、彼は彼の中で燻っているものを吐き出しただけだ。それでも虚をつかれたことには違いない。
「なんだよ、唐突に」
「随分とご執心だったからな」
そんなヤキモチとひがみが入ったもの言いに、内心謝りつつ、
「あの日から会ってねーよ。ほら、ウチでばったり鉢合わせしたろ。あのときから一回も。会うつっても、そんなに頻繁ってほどじゃなかったし、
流川も正規の練習で忙しいし。オレだって、一応、そうだろうが」
「ま、な。けど、でもふつーじゃ考えられねーよ。他校の先輩んちへ押しかけて、マンツーだとか。おまえ、確かに面倒見がいいし、アイツと
競り合うのが楽しいってのも分かるけど、ほら、アイツ、異常に図々しいじゃん。おまえ、暇じゃないんだし、押しかけられて断れないとかだったら、
茂一経由で湘北に釘、刺しといた方がいいんじゃねーの」
「そんな必要、ねーよっ」
自分でも驚くくらいの勢いで、その言葉を遮っていた。
「仙道……」
「いや、その――」
越野の溜息が仙道を取り囲む。闊達な友人の嘆きが寝食してゆく。いつもならスルリと口をつく取り繕いの言葉が、咄嗟に出てこなかった。
どっちも失わないように立ち回って、いつうそぶいた。倣岸だったのか。そんなわけあるもんか。仙道の当惑を他所に、越野はさらに続けた。
「おまえだって現役だし、もっともっと高みを目指したいと思って当然だし、部活終わってからのおまえを縛るつもりはねーよ。けど、陵南の一年は
おまえにとって、教えるに値しない相手か? 一年だけじゃねー。オレたちもだ。湘北のアイツほど、高揚感を与えないのか?」
最初の溜息から論点が見事にすり変わって、いや、怖ろしいくらいに、言い当てて、だから、そんな越野の言葉はズドンと仙道の胸を直撃した。
そして。
こんな日に、まぁ、いいタイミングで、仙道、懊悩の根源が目の前にいた。
「待ってたんだ?」
「おせぇ」
部活を終えて重い足取りのままマンションに帰りつくと、自室の前廊下の壁に背中を預け唇を尖らせた神奈川のスーパールーキーは、
仙道の声にちょっと顎を引いただけの返事を返した。練習、早く終わったのか、と重ねれば壁から上体を起こし一度目を瞬くだけの素っ気なさ。
そして核心だけをつく。
「暇なら付き合え」
「ひとりで練習しててもつまらないから、勝負しろ、ってか。来てくれて嬉しいけどさ、オレ、きょうはおまえの相手出来るほど調子よくねーわ」
扉を開けて、まぁ、立ち話もなんだし、とりあえず入れと促すけれど、当然、流川は動かない。
「オレの携帯番号教えてるだろ? 次からは連絡してから来てくれるとありがたい」
こっちの都合もあるからな。暗に、きょうは帰れと仄めかし、けれどそんな関節話法が流川につうじるはずもなかった。そしてなによりも帰って
欲しくないのは仙道の方だ。マンツーする気力が沸かない。ないけど、ただ傍にいてくれでは流川は納得しないだろう。
「なんで?」
「うん。妙に疲れた。わりぃ」
「……」
「ま、せっかくだ。コーヒーでも飲んでけ。ミルクたっぷりのヤツ、つくってやる。あ、メシ、まだか? きのうの残りのカレー、おまえの食う分
くらいはあるよ。サラサラじゃない方な。おまえの好きなハ○ス・バーモントカレー。ハラ減ってんだろ。そんなとこに突っ立ってないでさ、入れば」
社交辞令のつもりはないけれど、こんな無愛想なツラを拝んでホッとしているのも事実なんだけど、変に重ねた言葉の分、思った以上に
拒絶の色が強く出て、それを打ち消すために、仙道は流川の腕を強く引いて扉を閉めた。流川の希望を叶えられないくせに強引で。
その辺りの微妙な心模様の揺れなんか流川は一切忖度しない。漆黒の瞳を一直線に、ただ、なぜ、と問う。
「具合が悪いのか?」
「いや、そーじゃねーけど。ちょっと」
「なんだよ。いっつもオレのスタミナがどーとか言うヤツが、自分ちの練習だけでバテてんのかよ」
「そうじゃないけど。主将なんかやってるとね、いろいろ大変なわけよ」
「なんだ、そりゃ。熱とかねーなら、躰、動かしゃいいじゃん」
「おまえはシンプルでいいね」
「違うのか?」
クタリと脱力して、仙道は上がり框の上に腰を降ろした。突っ立ったままで、はるか高みからその姿を見下ろす流川の瞳にはなんの思惟もない。
ただ、疲れきって躰が動かないという理由以外に、ボールを手で出来ない原因が思い浮かばないのだ。根っからの体育会系行動論理。
いま、ふたりでいて、どこにも故障がなく体調にも問題がないなら、なぜ動こうとしない。
違うのか、と、ただ流川はそう言っていた。そして、こともなげに言い放つ。
「またすぐ会えるっつったのはアンタだろうが」
「流川――」
流川を追い返す形になったあの日、彼に向けてそう囁いたときの自分の余裕すら思いだして、仙道は右手を上げる。触れる位置にまで近づいて
こない流川に向って手を差し伸べた。
「うん、確かに言った」
「エラそうに、また、相手してやるとかぬかしてたくせに」
「ああ、相手してやるってのはそのとおりだけど、また会えるつうのは、ちょっと違う意味で――」
「だれだ、てめーは」
「へ? オレ、変かな?」
「てめーみたいな仙道、オレは知らねー」
「そうか? おまえと一緒にカレーが食いたいな、って思ってるオレだよ。ああ。カレーと一緒におまえを喰っちまいたいって思ってるオレか」
口の端を上げてからかっても、敵は表情ひとつ変えずに見下ろしてくる。ひとの思いの丈なんか推し量る細やかさなんかないくせに、
ふだんと違う仙道を感じ取り、凝縮された言葉と視線ひとつで修正しようとする倣岸なヤツ。こっちの状態お構いなしにいつだって
同じ熱量を押し付けてくるものだから、具合が悪いなんて言ってられない。
「あんた、その日の気分によって、バスケ、出来るときと出来ないときがあるのかよ」
「あってもふつーだろ?」
「試合だったらどーすんだ?」
「それはそのときにテンション、上げて持ってく」
当然だと思う。あのな、流川、と仙道は妙に甘い声を出した。
「おまえみたいに24時間、いつでもマンツーできますってのは、特異体質なんだぜ。なんつーの。原液? ちょっとはなにかで希釈しねーと、
飲めないって。あ、そー言えば、カ○ピス、そのままで飲めるとかいう知り合い、いたっけ」
カラカラ笑うと、なぜか流川はホッとしたように肩の力を抜いた。
ひょっとして。
「おまえ、なんか、妙に優しい?」
そう。会話が成り立っている。
勝負しにきた。疲れたから行かない、では、襟首を捻り上げられても不思議じゃない。同じような展開で、駄々を捏ねている流川には何度も
お目にかかった。コイツ、と仙道は思う。なにも分からないフリをして、なにも考えていないフリをして論点をずらして、たどたどしいながらも
自分の思いを読んで答えてくれているのだろうか。
ついと躰を傾けて、仙道は突っ立ったままの流川の手を握った。
「心配してくれたんだ」
「どあほうが。心配しなきゃなんねーよーな状況だったのかよ。弱み、見せんのかよ、あんたが。見せるとしたら、全然弱みでもないフェイクだろ」
「わぁ、オレってそんなにあざといって思われてんだ」
「あんたみてーなヤロー、だれが理解できるか」
「そりゃ、そうだな」
随分な言いようだけど、おまえはこうだと決め付けられるより、ずっと気が楽だ。
「とりあえず、もう、遅いしさ、マンツーは諦めようよ」
「ヤダ」
「おまえも、アレだよね。もののどおり、やけに分かってるときと、ただのガキみたいなときと、コロコロ変わる」
「あんたよりマシ」
「はいはい。じゃあさ、きょう、泊まれる?」
「泊まったら、公園に行くのかよ」
「それは今度の休み前ってことで手を打ってやるから」
「安請け合い男。あした、ふつーに学校。だから、無理」
「そだな。でも、カレーは食うだろ」
「食う」
「だったら、キスしよう、流川」
「なんで、そーなる」
「シてーから」
キス、と臆面もなく言い切って、流川を見上げた。動くかな、コイツ、と、期待を込めて喉を鳴らす。仙道が握り締めた流川の指先。
親指以外の四本が手の中に。いま、ほんのりと温かい。なのに、急に振り切られたと思ったら、逆に手首をつかまれて、そのままグイと引き上げられた。
なんの心の準備もなかったから、肘の関節がどうにかなってしまいそうな勢いだ。
「いってぇなぁ、おまえは――」
奪われた手首を反射的に取り戻して肘をひと擦り。痛みに気を取られている隙に、上げた肘をかき分けた流川の秀麗な顔が目の前にあった。
思う間もなく、ガツンと歯がぶつかり更なる痛みで反応が遅れた。ふわりと鼻腔をくすぐる流川の体臭。それだけで躰の芯が熱くなる。
しっとりとした唇が押し当てられたのはそのあとすぐだった。
「る――」
一度合わさって少し離れて、二度目は互いの深い場所で舌が絡み合う。こんなふうに仕掛けられたのは初めてだ。そんな事実だけで仙道を酩酊させた。
貴重な、貴重なひととき。
唐突に始まった口づけは、仙道が流川の腰に手を回した段階で途切れた。これ以上ないというくらいの力で押し返されてしまったのだ。
「もう、お終い?」
「仙道のつくったカレー、450円、先払い」
そう言い捨て、さっさと食わせろとばかりに流川は、玄関をとおり過ぎてリビングへと歩いてゆく。さっきのアレはいったいなんだったの、
と聞き返したいくらいの変わり身の早さだ。
「おまえな、450円ぽっちで、キス、売るなよな」
その背を追って後ろ手を取った。引き寄せようとしたらスルリと逃げられた。
「カレー、食ったら帰る」
このまま帰すわけがないだろうと、ほくそ笑む。理解できない、あり得ない、制御できない、なんていつの話だ。そんなもの当然じゃないか。
ややこしい、流川、上等。
さぁこれから、どーやって口説こう。やっぱ一番得意ななし崩しか。ムードなんか出したってヤツには効き目がない。用意は万端だっけ。
ま、上手くいかなかったらまた今度。このお世辞にも付き合い易いとは思えない相手との時間は始まったばかりだから。
クスリと笑みを零して、仙道は流川の後を追った。
end
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