返歌
まさか、まさかと思っていたけど、やっぱり流川は分かってなかった。
一筋縄じゃいかなかった。
想像してた以上にガキだった。
オレが甘かったのか、相手がただ辛らつなのか。
相手が慎重でオレが暴走しているだけなのか。
オレが過敏で相手が無神経なのか。
相手が酷薄でオレの情けが深過ぎたのか。
ここまで来たらもう、どっちがどうとか考えられない。
だれか教えてくれとオレは本気で叫びそうになった。
その日。
腕を絡めかけたり手を繋ぎかけたり肩を抱きかけたりしながら、夢見心地で帰り着いたオレのマンション。
玄関のドアが閉まるのももどかしく、背中を抱いてまた形を変えて横から抱きしめて、その間も
空いた手は流川の髪をすいて耳朶をくすぐり、頬を撫で、どんな形でもいいからつながりが欲しいと、
オレの青臭い衝動は止まらなかった。
耳たぶを甘噛みすればピクリと身体を振るわせる。舌先でツツとそのまま頬を横断して、流川のやたらと
紅く見える唇に、きょう何度目かも分からない口付けをした。
どうやらキスは受け入れられるようになったみてーだ。
口腔を嘗め回すような濃厚なのも、銀糸を絡ませ合わせれば甘い吐息が漏れて、赤みの昇った目元がやたらと
扇情的だった。男相手に使う言葉かどうかは分からねーけど、こんな冷徹魔人にも一般男子高校生並みの
性衝動があったんだって知って、どこかほっとしてる部分がある。
オレだけがサカってんのって、年上としてはちょっと情けねーしな。
シャワーを使うかと耳元へ吹きかけると、いっつも真正面から睨みつけてくるヤツにしては珍しく、ちょっと
視線を外し密接していたオレの身体を両手で突っぱねた。スルリと腕から逃れられその後姿を見送って、
CDでもかけようかとデッキに手を伸ばすけれど、なにかに弾かれたようにオレは流川のあとを追った。
約するモノも確かなモノもなにもないから。
いまだけはほんの少しでも手放したくないってか。
正気の沙汰じゃねー。どんな惚れたオンナとの初めてのときだって、追いかけられたことはあっても、
バスルームにまで縋ったことはない。
あれは不安の裏返しだったんだ。
当時のオンナの心情をなんとなくそう理解して、少し驚いた顔をした流川の頬に両手を添え一緒に温めのシャワーを浴び、
ひとつのバスタオルで互いの髪の毛を乾かしあった。
いつものオレならここで「好き」だとか「キレイ」だとか「離さない」とか、相手の腰にクル科白を自然に
囁いているところだけど、流川相手にそんなものは必要ない。言わなくていいからラクなんじゃなくって、
ほんとに必要なかった。
コイツだってそんなもん欲しがんねー。口にしちまったら、返って理性と現実と流された自分を取り戻して、
置かれてる状況を把握しちまうだろう。頭で考えるよりも先に、わぁーとヤっちまった方がスンナリいくって。
処女を相手にするときの鉄則を流川にも適応して――そうでなかったらショックを受けるんだろうか――オレたちは
ベッドに倒れこんだ。
あとは男同士。どこをどうすれば気持イイかなんて知り尽くしてる。多分ひとによって微妙にポイントが
違う程度で大して変わんねーだろう。百聞は一見に如かず。習うより慣れろだ。
百戦錬磨の仙道彰。男相手は初めてだ。それでもキスしたいとか押し倒したいとかって衝動は、いったい
どこから沸いてくるんだろうかと冷静に考えてるオレもいる。
スキになるって気持も曖昧。どこがいいかなんて答えられない。コイツ相手に。気が合うとか
優しいとか可愛いとかスタイルがどうとか、一般的なものはなにも当てはまんねーし、イキナリ押し倒し
たいと思ったほど飢えてないし自慢するほど野獣でもない。
なんでこんなしち面倒くせー相手にこんなに丁寧に愛撫を重ねてるんだろう、オレ。
流川の肌の質に戸惑いながら、どこか没頭できずに頭ん中でグルグルと詰まんねーこと考えてる。没頭
出来ないのか、それともなにかで歯止めをかけたいのか、ハマったらヤバイって警鐘かもしんない。
これは強く押せば跳ね返えりがきつい男の肌だ。オンナじゃない。いくら片手にすっぽりとはまるくらいの
小ぶりな胸が好きなオレだって扁平は厭だ。全然柔らかくない。これは流川だって警鐘が鳴り響いてる。
けれど滑る手は止まんない。いつもは長い前髪で隠されてる流川の怜悧な顔をはっきり見て取って、
それで煽られたのか恐ろしいくらいに手に馴染んで、進むにつれてオレの下半身がキリキリ痛んだ。
流川の身体のあちこちに唇を押し当てて舌を使い、ほんの僅か眉をひそめられただけで、ドクンと
さらなる衝撃がくる。耳朶の後ろ、喉元、鎖骨の窪み、そして紅く色づく胸の飾り。何度も何度も往復
させると綺麗な背中が小さくしなった。
流川の熱に初めて触れ、それ以上のものが見てみたくて解放を促す。ベッドに押し倒してから初めて流川と
目が合った。目元を朱に染めオレの胸板を押し返すけれど、その表情からは非難しているとはとても思えず、
多分オレは無意識に極上の笑みを浮かべていたんだと思う。流川は小さく「ニヤケ面」って呟きやがった。
そんなもの制止にもなりゃしねー。胸の飾りを甘噛みしながら動きを強めると、ほんと快楽に
慣れてないんだろう。呆気ないほど簡単に、そんで心臓に悪いくらいの艶かしい肢体を晒してくれた。
くぅと喉を鳴らしてオレから顔を背けた身体が小刻みに震えている。それを抱きしめて、抱きしめて、
抱きしめて。流川の震えを嬉しいって感じて、さらに強く抱きしめた。
一応流川を優先してやったんだ。意識が朦朧としてる間にオレはオレの欲求を叶えようとする。一家に
ひとつどこにでもあるような軟膏を手にその準備に取り掛かったとき、解放の余韻に浸りきっていた
流川がガバリと上体を上げた。
「なに?」
「なにって? ひとつになんだよ、いまから。おまえの身体、傷つけたくねーからちょっとな。
すぐ済むから我慢しろ」
流川の意識がそこに集中しないように、オレは何度も角度を変えて口付けを繰り返し、出来るだけ丁寧に、
怯えさせないように指を進めていく。異物感と恐怖とがない交ぜになったような複雑な顔をした流川にも
そそられた。オレとしては最上級の丁寧さだ。
自慢じゃないが面倒臭さが先にたってバージン至上主義じゃないオレは、筆おろしから手ほどきまで結構な
お姉さま方に導かれてここまで成長した。こんなに慎重にコトを進めたのも初めてなら、ここまで汗かいたもの、
覚えがないくらいだった。
なのに。
「った!」
ったく。経験の少なそうなオンナの子でも、ここまで露骨に顔を顰めて訴えたりしねー。正直っつうか、
容赦ないっつうか。滑稽だけどほんとに汗をかいて宥める。
「もうちょっとだから」
「……う」
ここは我慢と限界への挑戦だ。流川は身体を捩って拒否し出したが、オレだって別の意味で張り詰めて相当痛い思いを
している。頼むからもうちょっと、と指を進めたら抱きしめていた体が大きく跳ねた。
「ってぇ!」
「あ。わりい。痛かったか」
「痛てえ!」
「もうちょっとだから我慢しろ」
「も、やだ」
「えっ?」
「やだっつってる」
「待てよ」
「どけ!」
「おまえな」
「どけっつってんだろ!」
「おまえ、この状況で止めるとか言うんじゃねーだろーな」
「痛ってぇもんは仕方ないだろう。この下手くそ」
「オレのせいじゃねー。おめーの身体が慣れてねーんだ」
「んなもん。慣れてたまるか」
「だからこれからそうなるよーにするんだろうが。大体最初っからイイ訳ねーだろーが。このど素人」
「我慢しなきゃなんねーなら、シたくねー」
「どこまで傲慢なんだおめーは」
「大体、んなことスルって聞いてねー」
「バカか。んなことしねーでなにするんだ。説明不足ってか? 手順を一々説明しながらヤる
ヤツがどこにいんだ!」
「もう、分かった」
「なにも分かってねーくせに。てめーだけイイ思いをすりゃそれで仕舞いかよ!」
「頼んでねー」
「言うか! そーいうこと!」
「帰る」
「逃げ出すのかよ」
「んな易い挑発に乗ってたまるか」
「ガキ!」
「うっせぇ!」
ガツンとモロにストレートが入った。目の前で火花が散って口の中に錆た味が広がる。
信じられねー。ほんとに殴りやがった。こっちが懸命に奉仕してやった恩を仇で返しやがって。人間歩み寄り
だろう。ほんとに好きならちょっとは我慢するだろう。相手の気持と状態を思い遣るだろう。こっちは
まだドクドク蠢いてるんだ。冗談じゃない。
オレにだって我慢の限界がある。そう言うと流川は、
「痛てーもんは痛てーんだ!」
さっさと身繕いをし、思い切り吐き捨てて出て行った。
本気で帰りやがった。
あのヤロウ! 親の顔が拝みたいっててめーみてーなヤツのことを言うんだ!
オレは扉に向って枕を投げつけた。
信じられねー信じられねーと呟き続けた翌日。ほんとうに信じられないのは夕方にやって来た。
表面は取り繕ってもオレの不機嫌はバスケ部のメンバーたち
には一目瞭然だったようで、腫れ物に触るように甲斐甲斐しい彦一やら、面白がってコトの顛末を聞き出そうと
懸命な越野やら、不気味に見守ろう態勢で慈悲に満ちた視線を向けた福田やらで、オレの周囲はやたらとかま
びすしい。
日曜の部活終了後、越野彦一福田の三人はオレのマンションにそのがん首を揃えていた。
なにがあったんだよと聞かれても、どこかの倣岸不遜ルーキーよろしく、「別に」としか答えられない。
つうか、答えられるか。真っ最中にイタしてもねーのに目の前で逃げられたなんて口が裂けたって言えねー。
そう聞かされた方も困んだろ。
受けた瑕はときが癒してくれるって越野に甘えてみせたら、あたまをかいぐりかいぐりされた。
「けど、仙道さんをこんなに出来るひとってどんな別嬪さんなんやろ。おうてみたい気がします」
「痴情がらみじゃねーな。オンナに逃げられたくらいで、こいつがこんなダメージ食らうか? 綺麗に
殴られた跡つけてるし」
「どっちにしても醜態だな、仙道」
彦一にもう会ってるって言ったらどんな顔すんだろ。越野、鋭い。確かにオンナじゃねー。けど痴情とか使わ
ないで欲しい。すげーリアル過ぎて眩暈がしそうだ。福田、おめーの一言は胸に刺さんだよ、ったく。
「おめーらさー。醜態つってもプレイに影響出てねーだろ。そりゃ、ちっとは機嫌悪かったのは認めるけど、
過剰反応し過ぎなんだよ」
「よくも悪くもおまえは陵南の大黒柱だからな。ちょっとの傾きでも見つけりゃ、すっ飛んできて
補修するんがオレたちの役目」
と越野はニコっと笑ってコンビニ袋を差し出した。四人で何本飲むんだっつーくらいのビール缶が
詰まってた。あり難くって涙が出る。取り合えず呑もうぜと、プルトップを引いたそのとき――。
ガチャリと玄関の扉が開かれたその先に流川が突っ立っていた。
「なんだ。いるじゃん」
いつもの上下スウェットで、背中にはリュックを背負って、さぁやりましょう態勢の流川に、びっくりし
たのはオレだけじゃない。オレとは全然別の次元でウチのメンバーたちは目を瞬いていた。
「流川……」
「流川くん!」
「なんで他校生のおまえがここに来るんだ」
「仙道とマンツーしに来た」
もう、それこそ当然のようにヤツは言う。どのツラ下げて、いったいどの口でそんな簡単に言えるんだ、
コイツ。きのうのきょうだぜ。流川の言葉を受けて、どういうことだと越野が視線で聞いてくるけど、
それに対して二の句が継げないつうか、空いた口が塞がらないっつーか。
コイツのこーゆーとこって、つくづく地球外生物なんじゃないかと思う。
「公園にいねーから留守なんかと思った」
「どういうことだよ、仙道」
「うん。ま、お互い暇なときはマンツーしようって話になってんだ」
「湘北の流川と?」
「うん、まあ」
「他校生と?」
「あ、その――言いたいことはよく分かる」
詮議の追及は厳しいけど、あー、越野くん。君たちの存在、目茶苦茶ありがてー。正直言ってひとりで
コイツの訪問を受けんのはキツイ。マンツーする気にもならなかったし、
かといってそれをすんなり承服するようなヤツじゃなかったし、きのうのきょうでめげてたし。
そんなオレの心情を理解するようなヤツじゃねーし。
「おまえさ、仮にも陵南の主将なんだから、他校生と遊んでる暇があんだったら、うちの一年しごけよ。
ウインターカップまで間もないんだぞ。一年だけじゃねー。福田のディフェンスはまだ甘いし。
オレたちだって底上げしなくちゃなんない。すること山ほどあんだろが」
黙ってポリポリと顎をかいてるオレに越野の詮議は更に厳しくなった。
「おまえ、まさか――しょっちゅう練習に遅れてきた訳はコイツと遊んでたからじゃねーだろうな」
「遊んでねー。真剣にマンツーしてんだ」
ややこしい。黙ってりゃいいのに流川が噛み付いた。あー、なんで肝心のことはなかなか喋らないくせに、
こーゆーとこだけ自己主張するんだ、コイツは。越野がおとなしく黙ってる訳がなかった。
「仙道! 敵に塩送ってどうするんだ。なんでコイツに手ぇ貸してんだよ!」
「あんた、部活で手ぇ抜いてんのか」
「仙道がそんなことする訳ねーだろ!」
「じゃあいいじゃん。毎日毎日引っ付いてる訳じゃねー。たまに借りるくれーでがたがた言うな。減る
もんでもなし」
「お、おま! なに開き直ってんだ! てめーは湘北で練習してりゃいいじゃねーか! 一々仙道を
煩わせんな!」
「コイツとじゃねーと、コイツに勝てねーからに決まってんだろ」
「だったら自分ちでやれ! おまえ、仙道の迷惑とか考えたことないだろ!」
「ただの迷惑だったら、仙道はあんなに嬉しそうにマンツーしねー」
「おまえに分かんのかよ。だれに対しても愛想いいコイツが、ほんとに喜んでるかどうか、それが上辺じゃない
違いなんて、分かんのか!」
「あんただって、知ってるくせに」
だれとのマッチアップに一番喜んでるかなんて――恐らくそう続けようとした断罪みたいな言葉だった。
大声で叫んだ訳でもないのに、流川の勝ちたいオーラと所有欲が充満してオレたちを圧倒した。陵南の
メンバーが揃っているこの場所で、敵に囲まれてだれの援護も期待せず、逃げ出しもしないで言い切りやが
った。
――オレのもんだ。
面と向ってそう言われてるような錯覚に陥る。
流川にとって総てバスケと横並びだから。
きのうのきょうだってのに。
コイツに気まずさなんか存在しなくて。
潔いーってよりただの我侭もんなんだけど。
それを面白れーなんて、オレ、コイツに甘過ぎ。
けどこのガキ。ほんとに。
「容赦ねーな」
つい言葉が漏れた。オレに対しても陵南のメンバーに対しても。
越野たちは呆気に取られてオレと流川を交互に見比べている。それを受けて瞑目した。
勿論自分のチームメイトだから、コイツらは
大事だ。どっちか選べと言われたらそんなもんに迷いはない。主将だからとかじゃなくて当たり前の
真理だ。
けどどっちも失わないように立ち回ってこその仙道彰だろ。全部纏めてオレのもんだ。そんなこと言って
許される立場にあるのも事実。
オレに余裕が戻ってきた。
「流川。見て分かるように先約。また今度相手してやっから、きょうは帰れ」
流川の瞳が少しだけ見開かれる。そして後ろにいるヤツらの緊張が緩んでいくのも手に取れた。
誓って言うけどきのうの意趣返しじゃない。オレはどこまで行っても陵南の主将だ。そしておまえは湘北
の流川なんだと認識させとかなくちゃな。放っておいてもどこまでも倣岸なヤロウだから、これくらい釘刺しといて
丁度いいと見切った。
ついでにこんくらいで来なくなるようなヤツじゃねーこともお見通し。
敢えて日にちを置かずにきょうやって来たコイツの殊勝さを深読みしたとしても、振り回されっぱなしはオレのキャラ
じゃねーし。
分かったと小さく呟いて踵を返した流川を見送る形で一緒に部屋の外に出た。その背を見て、捨てられた子猫みたい
だって思うのは勝手な想像だ。自分に後ろめたさがあるからだ。んな細かいこと気にするようなヤワな
神経してねーだろ。
他人をばっさりと斬り捨てるヤツに限って、てめーの受けた瑕を後生大事にいつまでも
根にもってるような自分勝手さとは時限が違う。
そうだろと言いながらもオレの腕はその背を追いかけ、両手をポケットに突っ込みながら廊下に出た
流川の首に引っ掛けるみたいに回していた。背中にリュック背負っているものだから、密着しない変わりに
後ろの倒れ掛かったヤツの後頭部がオレの頬にコツンと当たった。
「またすぐ会える」
飴と鞭。利くかどうか分からないけど、睦言みたいな甘さで耳元に吹き込んだ。怪しい催眠術師の洗脳みたい
だな、なんか。そしてストレートで抉る。
「シてーし」
「なにを?」
「色々」
「ヤだ」
「即答かよ。痛いから厭なんだろ? けど前後させて痛いって感じなきゃいい訳だ」
「なんだ、それ?」
「方法はいくらでもあるって話」
「ふーん」
流川は暑苦しいとばかりに首に纏わりついている俺を退け、スタスタと振り返ることもなく、エレベータを
待つのを厭って階段へと消えていった。挨拶もなしで、けど、そんなことに大した意味はない。いつものアイツだ。
オレが纏わりつき流川がかわす。オレが引くと流川が背を向け、そしてその背を見守る。
きっとなにがあっても変わらない。
変わりようがないから取り合えずオレは、ヤツのスニーカーが立てる擦過音が聞こえなくなるまでその場にいようと、
立ち尽くしていた。
end
日常的なふたりのお話の第一弾は取り合えず、ここでひと区切りです。
ちょっと寄り道してパラレルへ行ってから、仙道二股のお話とか、ふたりがもう少し大人になった
お話とか、流川と清田の中坊時代のお話とかも書きたいなと思ってます。
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