答歌
――国体で優勝するからさ、終わったらデートしよう。
大会が始まる前にあの男はニッコリ笑ってそう言った。
優勝したらという仮定でもなく、また本人ひとりで勝てる訳でもないのに、なにえらそうにほざいてんだ、
と流川が吐き捨てると、「オレん中ではオレのつえー思いがチームを引っ張って優勝に導くの」と、
さも当然そうにうそぶいた。
「はっきりした目標があった方が俄然張り切っちゃうしな」
「意味ねー。あんたがどうあれ、オレたちは勝つ」
「豊玉だっけ? 南だっけ? 形相変えさせられたんだろ。大阪代表と当たんねーかな。したら、そいつに
さり気なくエルボーかましちまおう。目には目をだ」
「なんで知ってんだ」
「情報通がいるからな、うちには。で、おめーらが負けたのって愛和学院だろ。安心しろ。オレが
おまえの雪辱を晴らしてやる」
「てめーは関係ーねーだろ」
「オレの気持ってヤツ。関係なくねー。名朋の森重ってのもスゴイらしいじゃん。どんなプレーヤーなんだ?」
仙道はベンチに腰掛けて前のめりなまま、静かにコートを見つめているだけなのに、これから始まる激闘
を前に、舌なめずりをする豺狼のようだと思った。
飄々とした仮面の下、仙道がチラリと見せる滾るような深淵。だれに見せるものでも感じ取れるものでも
ないと知ったのはつい最近だ。
触れて流川はその傍らに立ち尽くしていた。
「当たってねーから知らねー」
「おまえらしいよ。けど、試合前っていいな。なんか純粋に嬉しい。ここで、このコートでプレイ出来るオレ
も嬉しい。んで終わったらデートが待ってる。順風満帆ってこのことじゃん。またオレ、人生舐めちまう」
「なにがデートだ。勝手に決めんな」
「来るよ。おまえは。んで、あんなことや、こんなこともしちゃう。オレにしちゃあ、考えられねーくらいに
根気よく待ったもんだ。純愛だね〜」
「バカくせー。のーみそ、耳から垂れてんぞ」
「そー? けど怖気づくなよ、流川」
「どあほう」
言い捨てて背中を見せたそのあと、始終にこやかな笑みを崩さない仙道に引っ張られた訳でもないが、
神奈川選抜は圧倒的な強さを見せて国体優勝旗を手にした。
大会が始まる前に仙道は、全国を経験していない飢えがテンションを上げると言っていた。確かに
どこか根底にその思いがあったかも知れない。けれどコート上で行われる試合が優勝決定戦だろうが練習試合
だろうが、面白い相手と対峙したときにだけ仙道は己のリミットを解除する。
気負いがなければ特別視もしない。対峙し甲斐のある相手にだけ仙道は同じ言葉を使う。
「面白れー」
間近でそう呟く仙道の声を聞いて流川の肌がザワリと粟だった。
その相手が諸星であったり森重であったりした視線の先、同じチームでプレイするが故に牙を剥く
仙道の目に映らない事実に気づいて流川は唖然とした。
アイコンタクトなしでもほんの少し指を伸ばした先に仙道のパスが来る。ほんの一歩踏み出し気味に
バウンドしてそこに走る。走らされる。
悔しいがその視野の広さと相手の力量を見極めた使い分けは真似しようにも出来ない。コイツ総ての
プレイヤーの動きを読んでやがるのかと知って、その凄さを肌で感じた。
練習中もそうだった。けれど試合となるとその凄みがさらに増す。味方相手に気が抜けない。
仙道の発する高い周波数を感じ取らなくてはならない。
それは流川の飛躍をも意味した。
「絶妙のコンビネーションだな」
呟いたのは牧だったか赤木だったか。
それでも、仙道に使われたいとは思わない。
違う。使われるとか、自由にプレイ出来るとか、息が合っているとか、いつもより身体が軽く感じるとか。
違うと、仙道から放られたボールをリングに叩きつけながら流川は叫んでいた。
そんなの違うと。
オレの場所はそこじゃない。おまえの視線もそこじゃない。
大会最終日、優勝候補のもう一角、愛知県選抜にも圧勝し、五日間に渡る国体秋季大会は終了した。
優勝祝賀会もそこそこに、一度まとまりを見せたメンバーたちは、ウインターカップ目指してそれぞれの
チームへと帰ってゆく。
今度会うときはたったひとつの椅子を巡ってのライバル同士だ。
常に前を睨み続けるケイジャーたちには、優勝の余韻に浸っている暇も与えられなかった。
「言ってる間に県大会予選か。目まぐるしいな」
「ああ、お互い体調には気をつけよう」
「年末までに引退させてやるよ、藤真」
「おまえこそ、有意義な暮れを迎えさせてやる」
藤真と三井が火花を散らし、そんなピリリとした空気が張り詰める中、あの男だけがシレっと涼しい顔で
流川を一瞥したあと、片手を上げて陵南のメンバーと帰路についていった。
流川の中で引っかき傷だけが残った。
だからと言って別に避けていた訳ではない。チーム練習が厳しくなり、土日もばっちり終日しごかれては、
そのあとわざわざ出かける気になれない。足りないと思えば居残りすればいいし、走りこみだって
必要だ。怖気づくなんて挑発に乗って、ノコノコ出かけてゆく程バカじゃない。
なのに、ひと月もしないうちに、仙道が足らなくなった。
流川のバスケの中の仙道が足らなくなった。
思いがけずに早くに部活が終了した土曜日。体育館整備だとかの理由でメンバーたちは居残りも
させてもらえずに追い出されてしまった。こんな時期にとぼやくメンバーに、休息も必要ですからと、
安西は穏やかに諭されては引き上げるしかなかった。
「なんか微妙に時間が余るな」
「折角だから映画でも見にいかない、アヤちゃん?」
「え〜、いまから? かったるい」
「んなこと言わずに」
猛攻中の先輩を尻目にテクテクと自転車置き場へ向う流川の前に、形相を変えた桜木が立ち塞がった。まさに
仁王立ち。通せんぼ状態だ。
「あんだよ」
「ウ、ウインターカップまで時間がねー。近くのコートで、練習しようかと思う」
「んで?」
「リョーちんの邪魔しちゃ悪いし、ミッチーは用があるとか言いやがるし、仕方ねーからおめーの相手をしてやる」
顔を背けて言い放つ桜木に流川は即答した。
「やだ」
「あんだと!」
「ど下手が移る」
「てめールカワ! オレさまの折角の好意を!」
「初心者の相手してる暇はねー。てめーはてめーで納得いくまで練習してろ」
「調子乗ってんじゃねーぞ、ルカワ。オレさまの有り余る才能を認めてビビってんだろ! あー!」
「うるせー」
佇む桜木を押しのけるのも邪魔くさくて迂回してやり過ごすと、背後で何か叫ぶ声が聞こえたがまったく
耳に入らなかった。
なんでと思う。
チームのためを思い日本一と願うなら、桜木の底上げに協力してやっても、己の自尊心が揺るぐことはないし、
そうでなければ勝機はない。ヤツも長いリハビリ
明けで、カンは戻ってきているとは言え焦っている。それが分からないほど無関心な訳でもないし、
桜木をただの初心者だと侮ってもいない。
けれど。
桜木は自分でなくても成長する。先輩たちに相手をしてもらえと思った。宮城を捕まえればいい。三井を
探せばいい。赤木の暇をぬってリバウンドを習え。
ヤツより上手いプレーヤーはまだまだいる。誰からだって吸収できる。
それに比べてオレは。
いつからなんだ。
いつからか分からないけれど、仙道じゃなくっちゃ上に昇れないんだと、言い訳みたいに口籠もって
学校を後にした。
いつものように陽の傾きかけた公園で、いつ出会っても同じようにベンチに腰掛けたままその男は、
同じ口調で「よう」と手を挙げた。
いつものレ・マイヨではなく、学校から直接ママチャリでここまで走ったため、余計に時間がかかって
余計に息が上がっている。制服だから尚更だった。
「やっと来た。にしてもおまえ、そのチャリでここまで走ったのか? あ、そっか。学校から直行か」
かけられた言葉になんの答えも返さず、制服の上着を脱ぎ捨ててTシャツ一枚になり、一瞬ズボンは
どうしようかと手が止まる。そんな余裕のなさを見て仙道は口の端を上げた。
「そのまま脱ぐなよ。目のやり場に困んだろ。植え込みの陰ででも着替えたら。ここで押し倒して欲しいん
なら話は別だけど」
言ってろと吐き捨てて取り合えず仙道の座っているベンチの陰に逃れ、そそくさと着替えを済ませた。
こんなことならウェアのまま来ればよかったと口が尖る。ベンチの背に両手をかけて体重を
預け少し振り返り気味の仙道は、セミヌードを披露してくれるなんて情熱的だなとからかって来た。
流川はいまだそこから立ち上がろうともしない仙道の前に立って、オレンジ色のボールを突きつける。
時間がない。もう薄暗くなり始めている。さぁとばかりに一歩近づくと、ベンチの背に回していた手を
さも億劫そうに上げた仙道は、
「焦んなよ」
と、ボールを追い越して流川の手首を握り締めた。
「さかったオンナみてーに焦んな」
「寝言に付き合ってる暇はねー。あんたとマンツーしたい。だから来た。さっさと立て」
「久し振りのデートなんだからさ、ちっとはゆっくりさせてくれ」
「んなんじゃねー。マンツーしに来ただけだ」
「ばぁか。デートの基本は相手が喜ぶシチュエーションをどう拵えられるかだろ。いくらオレが酔狂だからって、
おまえと映画デートなんかしたいとは思わねーよ」
「即、寝る」
「間違いなく、な。映画が見たいなら別のヤツを誘う。ディズニーランドもヒルズも夜景も似合わねーし」
「だれが行くか。んなとこ」
「結局ここが一番オレたちらしいんだ」
オレにとっちゃ、十分デートなんだと仙道は顎を上げた。
「んなに長いこと放ったらかしにしやがって。ちゃんと顔、見せろよ」
直裁な睦言よりも温度の低い希い。受けてドクンと手首から熱が伝播する。簡単に振り払えるはずのそれが
一体なんの熱を発しているのか、流川にはもう分かっていた。
総てがここを示していた。
いつも答えを知っていた。
だれに教えられた訳でもなく自らが導き出した想いが、トグロを巻いて己の身の内でのたうっている。
出口を求めていたそれは、確かに痛かった。
流川は、幾分トロリとした仙道の視線を斜めに受けて、跡が残るほどに強く握られた手首の枷をひとつひとつ丁寧に
剥がしてゆく。触れられることが厭だと勘違いしたのか、意思を失くしたように宙に浮いたままの仙道のそれを、
今度は流川の手が捉えた。
ぼんやりと緩慢な動きで仙道は捉えられた部分から肘へ肩先へと視線を移す。そしてその先にある
当惑気味に眉をひそめられた流川に出会った。
一体どちらが捕まえておきたかったのか。
ふっと仙道の力が抜ける。虚脱したみたいに力をなくしても流川の手がそこにあった。
その事実に笑みが零れた。
ただ視線を下げることもなく見詰め合う。仙道の意味不明な笑みにケチをつけることもなく、流川はじっとそうし
ていた。
どのくらいの時間が経過したのだろう。いつの間にか日はとっぷりと暮れなずみ、公園の街灯がひとつふたつと
灯ってゆく。一番遠くから順番にポツポツと闇に中で指針が灯るころになって、漸く流川は重い口を開いた。
「あんたと――」
「うん?」
「同じチームは厭だ」
ここで次の言葉を誘導するような真似はしたくなく、出逢ってからこちら、ふたりの間に横たわった雑多な
感情を流川がどう吐き出そうとしているのかを仙道は辛抱強く待った。どちらにしても無口で必要最小限の
言葉でしか己を表現してこなかった男が、与えられる思慕の総てを置き去りにしてきた男が、
珍しく溢れ出たものを語ろうとしている。
流川の放つ言葉の展開は単純明快且つ唐突だ。相手がそれをどう汲み取ろうと、なんの作為もなくただ思った
順に発している。ここで会話を打ち切ってしまえば、そういう評価を受けとるだけで終わってしまうのだろう。
起承転結で言えば「同じチームは厭だ」が結に相当する。
けれどももう知ってしまった。
低温動物の手に宿る熱の在り処と、戸惑いながらもはっきりと自覚した真っ直ぐな瞳を。
それは愛しいという感情に直結した。
「はっきり言ってくれる」
「あんたは戦う相手だ」
「そうか」
「あんたがマッチアップする相手はオレだけだ」
「流川――」
「桜木の相手も出来ねー。チームん中のオレも分かんねー。日本いちになるって決めたのに、オレ、あんたとの
勝負のことばっか考えてる」
「おまえ――」
スゴイ告白、サラリと言ってくれるなという言葉は口の中でくぐもり、捉えられていた腕ごと流川の身体を
引き寄せた。バランスを崩して仙道の腰掛けているベンチの背に両手をつく。そのままさらに伸びてきた
指先が流川のうなじを固定した。鼻先同士が触れ合う位置。接近しすぎでも仙道の表情がよく見えた。
違う。
いままではどんなに間近にいても見て見ないフリをしていたから、なにも掴めなかったんだと、その距離で
首をついと伸ばして仙道の唇に口づける。なぜかは分からない。けれど身体が勝手に動いた。
目を見張ったような仙道の表情を拝みたかっただけかも知れない。それでも自分から初めて口付けた相手が
仙道だったことに、驚きはなかった。
微かに重なって逃げる身体を仙道は許さない。
ぐいと腰ごと引き寄せられてベンチの背を両手で押した。流川の身体は大きく割われた仙道の両足の間に
収まっている。中腰の状態でうなじを抑えられ、背中が痛いと悲鳴を上げる前、宥めるように仙道の舌が
唇を割って入り込んできた。
「ん……」
と腰が引ける。こんな口付けは知らない。逃げる流川を仙道の舌は容赦なく口腔内で追い掛け回し、ざらついた
感触にあますことなくなぞり上げてカタリと膝が震えた。一度解放され口で大きく息をつく。笑んだ形のまま
仙道の唇はそのまま頬から耳朶の辺りを何度も流離った。くすぐったいと顔を背け、それを押さえつけられ
もう一度深く口付けられたときには、身体を支えている両手がカクリと力をなくしていた。
仙道の肩に流川の頭が落ちる。うなじを支えていた仙道の手はそのまま何度も流川の髪をすいていた。
「すげー、嬉しい」
直裁な仙道の言葉が耳にくすぐったい。
「おまえ、いまのいままでなにも言わなかった癖に、いきなり、すげぇ変化させた剛速球でくるんだもん。
空振りしねーのが精一杯」
空振りどころかピッチャーライナー食らわしておいてよく言うと、今度こそ流川は身体を起こした。
こんなところでこれ以上重ねていられない。その思いは仙道にも伝わっていたようだ。
「おまえ、あしたは?」
「昼から練習」
「きょうはオレんち泊まれ。あした、朝から相手してやっから。きょうは泊まれ」
「ん」
「その意味分かってんな」
「ん。けどなんで?」
「なんでだぁ? そこで疑問を挟むところが分かってねえーって言ってんだよ」
漸くベンチから立ち上がると仙道は流川の頭をポカリと小突いてきた。そのまま腕を取る。逃げねーよと
振り払ってそっぽを向いた。それでも今度は指が絡んできた。どちらも汗ばんでいて気持がいいとも
思えないから、大げさに解いて仙道のトレーナーの裾で拭いてやったら、クスクスと笑われた。
仙道よりも一歩先んじる。ついて来いとでも言いたげな背中だった。
「おまえ、スゴイ答えを用意してたんだな」
なにがとも聞かなかった。らしくないとも、らしいとも思える。
オレらしいってなんだ?
それすら分からないけれど、本気で欲しいと思ったんだからと流川は歩き出した。
end
そういうことで、翌日流川くんは不調を訴えて練習には参加できませんでした。
少々の風邪や熱くらいでは休まない流川くんに、湘北のみんなは首を傾げるばかりです。
責任を感じた仙道くんは一日中オロオロしながら看病をしていたそうです。
ヘタレ寸止め帝王健在! ここで止めるなよ〜(うちなる声)
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