風景が歪む。象がなり果てる。気持がひずむ。想う心が萎縮する。けれど流川は変わらない。
 なにも変わらない。
 流川は流川のままで仙道を置き去りにする。
 そう感じさせるものを常に持っている。
 まだ時間はあると思いこんでいた。無言実行を絵に描いたような単純な男は、日本でプレイするために課した 通過目標を捨て去ることはないだろうと考えていた。それは文字どおり仙道を追い抜いた瞬間か、来年のインハイ本選で 栄冠を手にしたときか。それにはまだ猶予があったはずだ。
 いつかは訪れる決定的な亀裂が、まさかこんな日に、流川の誕生日に、本来なら思いを深め合うかけがえのない ひとときが、指を絡めようにも手を伸ばせない断層の違いを再確認させられるとは。
 流川はなにも言わない。けれどなにも考えていないわけではないだろう。
 いつかの――その日までのタイムリミットを告げる時限爆弾がカウントし出したと仙道は気づく。
 沢北と別れて家にたどり着くまでふたりは終始無言だった。



 ただいまも告げずに開け放った流川家のリビングは、夕闇の閑散とした空気の中でとっぷりと冷え込んでいた。 出迎えてくれるはずのひとの姿はなく、シンと静まり返えり、庭木が風になぶられる音だけが残っていた。 ふとダイニングテーブルに目を落とせば、なにやら白い紙切れが残されている。それを視線だけで流川に教え、 手に取った男は一読するとくしゃりと握りこんだ。
「お袋さん、お出かけ?」
 ようやく紡いだ仙道の言葉。なんか横浜の伯母さんちに年始らしいと返されて、その事実はやたらめったら 重く圧し掛かかった。視線すら合わせずにリビングのカラクリ時計が刻む音だけがふたりの間に横たわる。 そんなときでも現状を打破する男、流川はその置手紙をゴミ箱に放ると、突然振り返り両腕を投げ出して仙道の 首筋に纏わりつくという力技だ。
「――る、か……」
 くっと堪えて一歩後退る。その躊躇いに、汗の引きかけた冷たい頬と、かすかな流川自身の香りと、立ち昇る 熱情とが絡み合って仙道の理性を切り離そうとする。突然湧き上がった自分の衝動に耐え切れない流川は 仙道の肩に顔を埋めたままだが、片方の手は苦渋に満ちたように彼の後ろ髪をかきむしっていた。
 押し返そうとする肩は強い意思でビクともしない。
 なし崩しでこういう関係に至ってから、初めて経験する流川からの主導。近頃ようやくこの冷徹魔人も男子高校生並みの 性衝動が存在するんだと気づいたくらいだ。水を向けるのも誘うのも押さえ込むのも仙道の役目。仕方なくではないけれど、 別にイヤじゃないけれど、気持イイのは知っているからと躰を明け渡すのが流川の矜持からくるスタンスだった。
 それが特別虚しかったわけではない。気持と躰を切り離してしまうほど大人でもないが、好きでもない相手と何度も 躰を重ね合わせられるほど酔狂じゃないと、それはきっと一方通行ではないと、妙に確信している。
 向かい合った射るような視線から、掌をとおして伝えてくる肌のざわめきから、あらぬ言葉を口走るのを堪えた唇から、 そして束の間見せる安堵した表情から。
 仙道彰。たかだか高校二年生。けれど、読み違えるような場数は踏んでいない。
 それでも、互いが互いに欲情しても、おまえだけだとだれに誇れる。この感情をなんと呼ぶ。
 友だち未満で恋人以上。互いの間に横たわるバスケを差し引いてしまえば、認識すらしない他人に陥る。それでも、 ただの恋人にはここまで勝ったの負けたのと角を付き合わせる心地はついてこない。
 どうもこうも枠組みが出来ない。
 これを恋と呼んでいいのだろうか。
 けれど。
 いまの流川は仙道が欲しくて衝動を覚えたわけではないとはっきり言える。悔しそうに唇をかみ締めながら、ぎこち ない仕草で口付けを与えようとする動きに酩酊しないわけでもない。彼の手が仙道の後頭部を離れ、背中をかき抱き、 さらに躰を密着させ、己の現状をどう相手に教えようかと稚拙な指をうごめかす仕草に、突き上げられるものが ないわけでもない。このままリビングのカーペットの上に押し倒し、思う存分苛めんで、腰が立たなくなるまで 責め立てても、きっと流川は逃げない。甘い吐息がそれを教えている。
 流川が持ち込んだ劣情は沢北とのマッチアップがもたらした熱の残りだ。ドロのように躰は疲弊し切っても、 かえって冴え渡る感覚が根底にあった埋火を灯し続けることは、少なからず起こる事態だった。男ならよく分かる。 緊迫した試合後など、もてあます熱の処理に困ることしばしだったから。
 そこにあったのが仙道の躰だから。よこす快楽を知っているから。流川は躊躇いなく腕を伸ばしたのだろう。
 仙道はこめかみの疼きに顔をしかめるしかなかった。
 それがそんなに厭なのか。いいじゃないか、別に。せっかくのお誘いだ。ごねる相手を宥めすかせる手間を きょうばかりは省ける。いいじゃないか。なにを拘ると、吐き出した言葉は仙道の意思に反していた。
「シャワー、浴びてこい。んな汗臭い躰、抱く気にならねー」
 流川の躰がビクリと緊張を伝える。おず、と隙間をつくり顔を背け、自分から纏わりついておきながら冷や水を 感じ取って仙道の身体を押し返した。
 とてつもない加虐性に仙道も流川の顔をまともに見られない。
 気になるのは匂いではない。沢北の圧倒的な技量の前にホゾを噛みながらも無条件の喜びを身体で表現し、 それを自覚しない流川の無頓着さと、知覚し過ぎる己の執着さと。
 この感情は嫉妬なのか。そうだとしたら、どこかで流川は自分のものだという驕りが存在したことになる。いつからだ。 いつからこんな片側通行の強い想いを胸に秘めていた。いままでの仙道にとって、好きだと想う気持の延長線上に、 抱きたいと願う欲のその先に、執着など見たこともなかったからだ。
 けれど流川は。
 喩え仙道が沢北と競るようにマッチアップしたとしても、こうは感じない。早く終わってさっさと代われと、苛々 しながら地面を踏みしめるのが関の山だ。そういうヤツだ。
 いつから。
 この目の前の秀麗な男をだれにも渡したくないと想うようになった。いったいいつから。
 相手が沢北だからか。
 以前、仙道を倒すために流川が海南大附属の牧に勝負を挑んだという話を聞いたときも、取られちゃいましたね、と 本人を前にして笑って済ませたものだ。牧も沢北に劣らず流川に衝撃を与えた選手のひとりだろう。絶対的な統率力や ディフェンスを粉砕する力強さは高校生随一といってもいい。身内のひいき目ではなく、夏も冬も神奈川の者がだれひとり 敵わなかった相手だ。
 流川だってそれはイヤというほど認識しているだろうが、道場破りよろしく一度挑みに行って、通う距離の関係か その後は聞かない。
 その線引きが強さや上手さじゃないとしたら。
 そうか、と仙道は思い至った。
 牧と勝負しても流川が消えてなくなるわけではない。喩え標準が牧に移ったとしても湘北の流川のままだ。
 けれど沢北は、沢北ならその時期が早まる可能性が出てくるわけだ。



 ここでこの躰を引き離せる自分の冷静さを呪いながら、訝る流川を風呂場に追い立て、湯を張れ、百、数えるまで 出てくんな、と言い残し、仙道は流川家を後にした。



 翌朝、東京の祖父の家から、流川に会うために、流川と対決するためだけに電車を乗り継いで藤沢までやってきた 沢北は、ひとりで淡々とシュートタッチを確認している男の辺りをキョロキョロと見回した。絶対どこぞから 現われると目の上に手をかざして探すが、あの独特のヘアスタイルは見つからない。間違いなくくっ付いて 来ると読んでいた流川の保護者のような男だ。きのうだって、流川とのマンツーの後で再戦をと臨まれるだろうと思って いたのに、だたあのせめぎ合いを見守るためだけに居続けた男がだ。
 ボールがリングをくぐる定期的な音が突然止んだ。
「なにやってんだ?」
「あ? あぁ、仙道は?」
「仙道とも約束してたのか?」
「いや、してねえけど、オレにおまえを取られて、すげえ目してたからさ、アイツ。牽制のために睨み利かすくらいの ことはしそうかな、と」
「よく分かんねーけど怒って帰りやがった」
「はぁ? なんだそれ? 痴話喧嘩か?」
「しんねー。もうアップはいいのかよ。時間が勿体ない。始めるぞ」
「おまえな、オレはいっこ先輩。始めてくださいくらい言えっての」
 それよりもさ、と沢北は流川を間近まで呼び寄せると、デイバッグの中から大型の封筒を取り出した。中には ぎっしりと書類のようなものが詰まっている。
「もともとおまえに会えたら渡そうと思ってた。向こうでいろいろとかき集めてやったんだ」
「なに、これ?」
 バサリと取り出された厚みのあるそれは、どうやらパンフレットのようだ。それも、どれもこれもに校舎の写真 が表紙の入学案内冊子に見えた。
 沢北はそれを流川に手渡すとベンチに腰掛けて本格的に説明を始めた。
「まずこれがオレの通ってるオークヒル・アカデミー。バージニア州にある。オールアメリカのガード、スティーブ・ スミスなんかを輩出してる有名高だ。高校生でドラフト一巡目なんか過去にも結構いるぜ。バージニアビーチなんかが あって、気候も気に入ってる。オレが通ってるってだけじゃなくって一応オススメ。で、こっちがデマーサ・カソリック。 モーガン・ウッテンの出身校で有名」
「沢北――」
 手渡された冊子の束を取りあえず扇型に広げて流川は言いよどんだ。そのひとつひとつを指差しながら、これ全部の 説明をするつもりなのだろうか、沢北は。
「うん。分かってる。ちょっと聞けよ。ただ、プレップ・スクールは私立の全寮制だから授業料とかがめちゃ高。 親にも覚悟してもらわにゃ」
「そんなん、あとでいい」
「おまえとマンツーしたあとなら、疲れちまってそれどころじゃないだろ。おまえだって聞くに聞けない状態にして やるから先に済ませとこうぜ。公立高校なら東海岸繋がりで、ニューヨーク州のエイブラハム・リンカーン高校とか イリノイ州のピオリア・セントラル高。ただ編入するにはTOEICのスコアが大変なんじゃないかな。どっちに しても本気で英語勉強しとけ。日本人向けの授業なんかない。バスケの特待貰ってゲタを履かせてもらえるって 言ってもそれなりの点数は必要になるんだぜ。で――」
――沢北と、流川は言い放った。
「オレはあんたとマンツーするために来たんだ。ゴタク、聞きに来たんじゃねー!」
 コイツに聞きたいのは文字に書いてあるアメリカ留学の実情じゃない。コイツの身に染み込んだ 本場を感じ取りたかっただけだと、それを早く教えろとひそめられた瞳は大喝していた。
 おまえなぁ、と沢北は呆れるしかない。ふつう、本気で行きたいと思ったら、まず、一歩一歩近づく努力を するだろうと。下調べして書類を取り揃えてその準備をして。そこに近づく能力はもとより、留学するには自力で 足場を固める地味な活動だって必要だ。いまの日本の高校生に世界市場はほとんど開かれていないから、 沢北だってフープサミットやキャンプに食い込み短期留学を経てのいまなのだ。
 コイツのはただの、そう、ただ強いヤツと対戦したいという欲求しか感じ取れない。そんな機会だけ持って チャンスが向こうからやって来ると思ってるんだろうか。
 自身はベンチに腰掛けたまま、沢北は目の前で憮然としたまま突っ立っている男の手首を掴んだ。身を引きかける 躊躇いなど許さない。
「おまえがあんとき言った言葉は夢物語なのか。いつまで日本で一番とかに拘るつもりなんだ。環境がひとを 飛躍させるって意味を分かんねーおまえじゃないだろ。現に夏のインハイでも序盤と終盤とじゃダンチの動きを 見せたじゃないか。あれはオレとの対決で、試合中にひと皮剥けたんだろ。なら、向こうへ行ったらもっとだぞ。 オレクラスなんざ、掃いて捨てるほどゴロゴロしてる。そん中でオレは戦ってる。それを知って、まだオレとの マンツーだけに拘って聞く耳を閉ざすのかよ。準備にどれだけ時間がかかるか知ってるか? 九月の新学期に間に合わせ ようと思ったら、いまからでも全然早くねーんだ。本気で行く気があるのか? 聞きたくないなんて、逃げ腰にしか 見えねーぞ」
 沢北に掴まれた手首から彼が毎日浴び続けている熱が伝い来る。身体能力もセンスも闘争心も飢餓感も、総て勝って いる人種たちの中で揉まれ培われ沢北が育てた熱だ。
 その熱がいま流川を掴んでいる。
「おまえと一緒にバスケがしたい。とっとと準備したら新学期まで待たなくても夢が叶うじゃないか。早く来いよ。 オレと一緒に来い」
 手首に食い込むんじゃないかと思うくらいに沢北の力が強まった。顔をしかめるがそれを振り払うことは出来ない。 目の前にいる夢の開拓者は、孤独から誘っているわけじゃない。それほどお易い男でもない。ひと足先を走る先輩らしく 門戸を開いてくれているのだ。日本人に対してなのか、流川に対してなのか。それは本人すら分からないかもしれない。
「行く」
「流川!」
 流川は断言した。けれど次に出た言葉に沢北は絶句することになる。
「行くけど、オレがいま欲しいのはあんたとのマンツーだ!」
「んな、どーでも――」
「よくねー。しねーんなら帰る」
 振り払うほどの力を見せなくても、沢北の指はスルリと抜けた。耳を疑って呆気に取られて脱力したともいう。 しかし言うか。こんなこと。信じられないと開いた口から言葉も出ない。これはありがたく貰っとくと、身を翻した 流川の背にたどたどしい沢北の呟きが突き刺さった。
「バカか、おまえ?」
 あぁ、そうだ。バカだ。バカだ。大バカヤロウだ、と自分を罵りながら流川はズンズンと地面を踏みしめて沢北から 離れた。行く。絶対に行くと頭の中ではその思いがトグロを巻いていた。
 子供の頃からの夢は最短距離で今年の九月から。高校二年のインハイ終了後になる。そこで安西先生との約束 を果たせばだれに憚ることなく大手を振って機上のひととなれるのだ。それならそれで先に下準備を済ませておけとの 沢北の提言は尤もだと思う。そのとおりだ。間違いはない。自分の夢だ。自分で根回しをして当然。だれも 代わってはくれない。
 それなのに、遣り残したことが多すぎて。
 日本一になることが先決だから。まず、それがあってのアメリカだから。残された僅かな時間をそんな事務処理 に費やされたくはなかった。分かっている。聞きたくないわけじゃない。それよりも沢北との対決の方が大事で、 いまはそれだけが欲しくて、当然のように理解しない男に痺れを切らした。
 それよりも、それよりも、それよりも。
 遣り残したこと。伝えきれていないこと。聞き逃していること。
 聞き逃していること。
 流川は愛用のリュックにパンフレットを放り込みながらポツリと呟いた。
「全部英文じゃねーか。あのどあほう!」



 どいつもこいつもなんで分からないんだろうと、自分の無愛想と真意を正確に伝える拙さを差し置いて流川は思う。 沢北は自分の土俵に引きずり込もうとするし、仙道は、仙道の考えていることは複雑過ぎて正直手に余る。あの男が 自分のどこに憤ってなにに喜ぶのかいまでもさっぱりだからだ。つまんないことで、見てるこっちが気恥ずかしくなる くらいの笑みを見せるかと思えば、ほんの束の間、流川を含め取り巻く周囲総てに怒りを顕わにすることもある。
 きのうのアレなんか十六年生きてきて、初めて経験した種類の屈辱かもしれない。羞恥もプライドもかなぐり 捨てて、せっかく、せっかく、せっかく。
 でもどうしてだ。
 なんであんな目に合わなきゃならない。逃げ出されるようなそんな変なことをしたのか。
――???
 分からないことは本人に聞くまでだと、流川のレ・マイヨは正月二日の閑散とした幹線道路を疾走した。
 仙道のマンションの駐輪所に愛車を突っ込み、エレベーターを避けて階段を駆け上がり、しつこいくらいに インターホンを押せば、十時も回ったというのに眠そうな主の声が返ってくる。うるせー、聞こえてると、 施錠が外されるまで、嫌がらせのように押し続けてやった。
「流川?」
 スエット姿のまま焦点の合っていない仙道の目の前に流川は無言のままリュックから取り出したそれを突きつける。 押し付けて仙道が後ずさり強引に押し入った玄関先で、視線を遮るソレを片手で下げた仙道の瞳が流川の視線とぶつかって 数度瞬きをした。
「なんだ、これ?」
「訳せ」
「はぁ? なんだって?」
「沢北がくれた。留学のためのパンフレット。エーゴばっか。だからあんたが訳せ」
「なんでオレが?」
「オレには出来ねー。あんたパソコン持ってたじゃねーか。それで速攻訳せるって自慢してただろ」
「おまえんちにだってパソコンくらいあるじゃないか」
「親父んだ。オレは使えね」
「いばんなよ、このバカ」
 押し返そうとする。押し付けようとする。玄関先で力が拮抗し視線だけの根競べとなった。沢北との練習は どうしたとは聞けない。ここを訪れた時間がそれの答えだった。では、そのせめぎ合いを放り出して、流川の 愛するマンツー勝負を取りやめてなぜここにいる。なぜそんなものを押し付ける。なぜそんな切羽詰まった顔を している。
 なぜ。なぜ。
 突然、言葉に出来ないような愛しさがこみ上げてきた。
 コイツはこんな象でしか自分を表現出来ないから、こんなふうにしか聞けないから、と仙道はその封筒を受け取った。 沢北からじゃなく流川からの想いだ。
 そして確認する。
「沢北と同じ高校へ行くのか」
「分かんねー。けど、アメリカへ行く」
「うん」
「NBAプレーヤーになる。絶対なる」
「おまえの夢だもんな」
――あんたは。
「あんたは行かねーのか?」
 流川の聞きたかったこと。
 聞き逃していたこと。一番先に聞かなければならなかったこと。避けていたこと。
 あえて避けていたこと。
 押し付けた想いが真摯ならそれに対して生半可な答えは出来ない。観念しろ、仙道彰。
「そいうこと初めて聞いてきたな」
「あんたも言わなかった」
 うん、と仙道は封筒を靴箱の上に避難させて目を閉じた。観念しろ、と。そして告げる。
「オレは行かない。バスケをするためにアメリカの大学を受験したりしない」



 けど。



「けど、アメリカの大学でバスケすることは出来るかもしれない」



 くしゃりと。
 だから敢えて目を閉じていた。ほんの僅か流川が表情を変えたのが分かったからだ。くしゃりと嬉しそうに、 仙道の見えないところで、きっと。
 最初に仙道が拒絶して、感じた流川がつくった隙間を取り戻すかのようにその腕を取り、強張りを解き、ただもの言わぬ 躰を抱きしめた。ドクドクと息づく高すぎる鼓動。優先されたことがこんなに誇らしくて、 しなやかな背をかき抱く腕に相手を思い遣る余裕はない。きのうと掌を返したような行動にはおまえが悪いとしか 言いようがなかった。力をなくした流川の腕はだらりと躰の真横に下がったままだ。
「あんた、わけ分かんね」
「オレも答えようがないよ」
「きのうと一緒だ。汗臭せー」
「ん。沢北の匂いに塗れてるみてー。すげーヤだ」
「じゃ、離せ」
「それもヤだ」
「なにガキくせーこと言ってんだ」
 でも離せないんだとの声は流川の肩口に飲み込まれた。
 ガキ臭いよ。老成ぶってもおまえとひとつしか変わらないんだから。問われて再認識させられて、つい勢いで まろび出た将来の展望。本気じゃなかったと後で撤回したら殴られるだろうなと思ったら哂えた。
 正直、このまま高校で実績を積みバスケの強豪大学に進んで、全日本なんか経験してユニバにも出場して、 体力の限界を感じるまで実業団で二束の草鞋を履いてというお決まりのコースだって、バスケ小僧には夢描いた 前途だったはずだ。自分の自尊心も満たされ親だって喜ぶ。十二分に幸せな人生設計なのだろう。それ以上の 野望はなかったと思う。
 なのに。コイツと出会ったばかりに。コイツに惹かれたばかりに。
 責任取れよと、仙道は流川の頬に手を滑らせそのままゆっくりと口付けた。触れて次第に深くなり、溢れるものを 飲み込んで、さて東京の両親になんて説明しようと思い至る。きっと地元の大学に進むと信じている親にだ。
 ま、いっか、と玄関先で押し倒した躰から抵抗が解けるまで執拗に追い詰めた。スニーカーを履いたままの流川 の足がゲタ箱を蹴る。ガコンという盛大な音に気づいて、仕方なく抱き起こしてやるが、手を止める気などさらさら ない。
「――せん……」
「流川。本気でイヤなら殴ってでも止めろ。朝っぱらからやべーよ。どこまでいっちまうか分かんね」
 んなヤワじゃねーと挑まれ、音をたててその小生意気な口を封じる。角度を変え音を上げるまで煽って、ふと あの夏の日の情景がまた蘇ってきた。
 リングもボールも宙をかく流川の姿も総て黄金色に溶け込み、陽の翳りから色あせていったものは、いま、 この瞬間に繋がっている。色を変え象を変え、ときどきすれ違いながら、あしたへと光は繋がっているのだと 気づく仙道だった。






end






捧げますと一旦話を切っておきながら、書き足りないと早速の続きです。沢北の背後にあるアメリカを 考えさせられて、行く行くと言いながら、流川はいったいどうしたかったんだろうと思ったうえでのお話でした。
沢北、ちょっとだけ目覚めたかな。休みの度に帰って来るとみました。
なかなか沢流で色っぽい話へ進めないあかんたれでゴメンなさい!